今日も朝からミンミンゼミの声と快晴の暑い空。ただ、午後になってだんだん雲の量が増えてきて暑さも一段落。お昼過ぎから、ちょっとウトウトしだし、いつしかとてもいい気持ちに。目を覚ますと三時過ぎでした。
五月の連休に、藤の花を見に、あしかがフラワーパークへ行ってきました(「2006.05.04 紫にけむる藤の花」)が、その大藤を移植した樹木医のお話が載っている雑誌を見つけました。
樹齢 130年を越す 250畳ほどの藤棚、一本の幹の直径が 1.2メートル、幹周り 4メートル、移植の限界を遙かに超えた大きさに当時の業者は「移植は難しい」という見解を示したそうです。誰しもが断り続けたその移植をどうして引き受けたかという、その理由が、
・こんなにすごい藤が日本にあったんだという気持ち
・一面に広がる香りの中で、ただただその美しさ、生命力に圧倒され
・このいのちを消し去るなんて絶対できない、という身体の奥からこみ上げてきた熱い思い
にあったそうです。
大藤の移植にたずさわり、自分の人生が藤との出会いを通じて明確になり、自然を前に謙虚な気持ちになることができ、木も人間も何ひとつ違わない、ともに等しい自然の生きもの、という事を学びとったそうです(エコ・ピュア 57 2006/3/1 より)。
このような、植物と人間の関係を考えたとき、ドイツのルドルフ・シュタイナーの事を思い出しました。
先ほど、今年の名物高田盆踊りが終わったようです。今まで響いていた高田甚句が終了のアナウンスとなって聞こえてきました。
五月の連休に、藤の花を見に、あしかがフラワーパークへ行ってきました(「2006.05.04 紫にけむる藤の花」)が、その大藤を移植した樹木医のお話が載っている雑誌を見つけました。
樹齢 130年を越す 250畳ほどの藤棚、一本の幹の直径が 1.2メートル、幹周り 4メートル、移植の限界を遙かに超えた大きさに当時の業者は「移植は難しい」という見解を示したそうです。誰しもが断り続けたその移植をどうして引き受けたかという、その理由が、
・こんなにすごい藤が日本にあったんだという気持ち
・一面に広がる香りの中で、ただただその美しさ、生命力に圧倒され
・このいのちを消し去るなんて絶対できない、という身体の奥からこみ上げてきた熱い思い
にあったそうです。
大藤の移植にたずさわり、自分の人生が藤との出会いを通じて明確になり、自然を前に謙虚な気持ちになることができ、木も人間も何ひとつ違わない、ともに等しい自然の生きもの、という事を学びとったそうです(エコ・ピュア 57 2006/3/1 より)。
このような、植物と人間の関係を考えたとき、ドイツのルドルフ・シュタイナーの事を思い出しました。
先ほど、今年の名物高田盆踊りが終わったようです。今まで響いていた高田甚句が終了のアナウンスとなって聞こえてきました。
本当にすばらしい藤でしたよ。藤の花が咲くときは一年で一番過ごしやすい
季節、と聞いていますから、お時間があればぜひご覧下さい。
ただ、渋滞と、藤棚までの長い道のり、それに大勢の人、照りつける太陽、
いろいろ難点はありますが、そこから得られる感覚はとても素晴らしいものが
あるかと思います。