October 31, 2008
予断するべからず
| 「東京で2400、、、サクラさんの馬ですよ、何か。ハナ負かしたですよ。4歳中距離特別とかなんかいうの、ハナ負かして(ダービーの)権利を取ったんですよ。そうしたら、それからというもの本当に馬が変わって変わって、一日一日おもしろいように良くなったんですよ。目に見えるんですねえ・・・」 |
この話の主は故稲葉幸夫調教師。調教師引退まであと1年ほどになった春のある日、師を取材したときのコメントをVTRから起こしてみた。で、「一日一日おもしろいように良くなった」馬というのはハイセイコーを敗ってダービーに勝利することになるタケホープ。そのダービー直前の「目に見える」ほどの良化ぶりを、その光景が今でもまざまざと目に浮かんで来るかのような感慨をこめて話して下さった。稲葉師は北海道新冠の御料牧場で生まれ、以後生涯にわたって馬と共に生きた人で、調教師としてもそれ以前に天皇賞(秋)、有馬記念、桜花賞、オークスなどに勝っており一流の実績を築いていた。そういう師にしてなお驚くほどの変わり様をタケホープは見せたというのである。2週間か3週間前の前走より良い、のではない。一昨日より昨日、昨日より今日が良いのである。そして、それが「目に見える」のである。それほどまでに馬は変わる、競走馬には時としてそういう瞬間があるということを忘れてはならない。
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マスコミは予断する。小島茂之調教師のブログ炎上の件。マスコミが予断したのだと私は想像する。プロヴィナージュがこれ以上劇的に良くなるとは考えられないと。調教師が弱気と見れば「回避決定も同然」=「回避決定」。
日々馬に触れ、馬を育て、馬を走らせる、そういう現場の只中に何十年も暮らした稲葉師においてすら馬の変化は予断を許さぬものであったのに、マスコミは平然と予断するのである。おそらく馬は予断を許せぬものという感覚は稲葉師ならずとも調教師なら誰でも痛切に感じているだろう。勝てると思った馬が惨敗したり、とても無理と思った馬が激走したり、こうしたことが日常茶飯事で起きる現場なのである。その予断を許さぬという現場のありようこそマスコミはファンに伝えるべきであろうと思うのだが、日刊紙や専門紙は無論のこと週刊誌、月刊誌でもそうした記事が希少なのは「現場」に寄り添うように、たとえば調教師の目線で、時には厩務員や調教助手の目線で馬を見る、そういう想像力がないからだろう。誤解のないように言っておくと、調教師と同じ相馬をせよというのではない。競走馬一頭を育てレースに出す、その労苦とよろこびを想像せよというのである。
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小島師のブログを読む限り師の対応に問題があったとは思えない。発したコメントに曖昧さがあったら、それが明確になるまで突っ込んで聞くのが取材者の鉄則であって、それは取材される側の責任ではない。しかし、そういう突っ込んだ取材があった気配もブログの文面からは感じられない。突っ込んだ取材をせずに予断で記事を書く。いや、私は件の新聞を読んでいないので確かなことはわからないが、なにより’ミソ’と思えるのは取材を受けるたびに懇切丁寧に回答しているのに、「ほぼ全紙」が「回避決定」と打ったというのだから、これは集団的に行われた意図的な予断だったと思わざるを得ない。
そして、その予断に心ない一部のファンが乗った。師のブログに寄せられた非難の集中砲火を読んでいると新興宗教か何かの洗脳を受けているような気分になる。しかし、プロヴィナージュはルールに則った形で出走しただけで非難されるいわれは一切無い、というのが全き正論。100%同意。ただ、そうした筋論を措いて、私が思うのはあのような書き込みをするファンにはファンの、マスコミに勝るとも劣らぬはなはだしい想像力の欠如、「予断」を許さぬ「現場」、様々な労苦やよろこび、時には悲しみもあるだろう「現場」への想像力の欠如があるのではなかろうか。
あるいは、中には愉快犯的におもしろ半分に非難の言辞を弄している者もいるかも知れないとも思うが、いずれにせよ、そういう者たちが非難される側の痛みを理解しているとは到底思えず、もしかすると、非難された者の感じる痛み見て、痛みとはどんなものかを理解したいという、痛みを知らない者の潜在的な欲求に支配された「甘え」としか言いようのない行為ではないかとすら思う。
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サラブレッドは競走するために生産される。人間のエゴで生まれてくるのである。同じように人間のエゴで生き残ったり殺されたりする。運命を人間に託して生きる生き物である。それだけなら牛や豚も同じだが、大きく違うのはそういう生き物であるにもかかわらずレースを通じて我々人間に大きな感動を与えてくれるということである。しかも、その感動は一頭の名馬によってもたらされるのではない。名馬と競うその他大勢の馬たちがいて名馬が名馬として輝くということを忘れてはならない。プロヴィナージュもポルトフィーノもない、全てのサラブレッドがその感動を生み出す力となっているのである。だから、全てのサラブレッドには人間によって等しく敬意を払われる理由があるのである。予想は大いにするがいい。予断はするべからず、そう思うのである。