担当者より:2006年にyomoyomoさんがスティーブ・ジョブズに関して論じた原稿です。最近のジョブズの活動を考えるうえでも参考になるかと思います。
配信日:2006/04/12
本文は4月1日に書かれているのだが、この歳になると年度が変わったからといって特段気持ちに変化はない。ただ今年は、当方が就職してちょうど10年になるというのがあり、少し思うところがあった。個人的な事情はどうでもよいとしても、Yahoo! JAPANもサービスを開始してちょうど10年になる一方で、今は亡きネットスケープの創立と同年に創刊された老舗のネット雑誌『インターネットマガジン』が休刊を迎えているのを見ると、このインターネット時代の10年を経て刻まれるいろいろな区切りを意識させられる。そうした「区切り」で最近最も大きく報道されたのが、この4月1日に創業30周年を迎えたアップル・コンピュータだろう。今から10年前、低迷を極めていたアップルが現在の形に変化、再生するなど誰も想像できなかったことである。
アップル30年の年表を眺めると、大体10年単位で企業としての季節を分けられるように思う。つまり、創業からMacintosh開発を経てスティーブ・ジョブズが追放されるまでの栄光の10年、そしてその後NeXTのアップルによる買収とともにジョブズが帰還を果たすまでの迷走の10年、そしてジョブズが再び実権を握り現在に至る復活の10年である。これは単純化し過ぎとしても、スティーブ・ジョブズという男の劇的な浮沈が、そのままアップルという企業と重ね合わされるのは避けられないようだ。
天才、傲慢、カリスマ、暴虐的、完全主義、冷血漢……ジョブズに冠せられる形容詞は、コンピュータ業界の他の成功者にも増して振幅が激しい。『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』(東洋経済新報社)にいたるまで何冊も書かれている伝記本やアップルの内部事情を綴った書籍を彩るエピソードの数々を読んでも、彼がそうした言葉に相応しい矛盾に満ちた強烈な人物であるのは間違いない。
ジョブズが人々を魅了してきたのは、彼が常に挑戦者の立場にいたことが大きいだろう。それは上に書いたように大体10年でリセットが入り、新しい分野・環境での挑戦を余儀なくされたことがある。そしてその過程で成功とともに失敗を重ねながら、彼はスタイルを貫いてきた。ここでのスタイルとは、見せかけと反対の強い信念のことであり、それがMacintoshやiPodといった製品のデザインに限らず細部まで息づいていることは、「Cult of Mac」な人でなくても認めざるを得ないのではないか。
上でこの10年はアップル復活の10年と書いたが、より広い視点で見ればインターネット時代始まりの10年という方が相応しいだろう。大雑把に言えば、ジョブズはその前半はデジタルハブとしてのMacの再生、後半はiPodとiTunes Music Storeによるデジタル音楽ビジネスの確立により乗り切ったわけだが、その垂直統合モデルの持続可能性は正直危ういと思う。飽くまでハードウェアで収益を上げる手法には、あやふやなビジネスモデルに飛びつかない地に足のつき方を感じるものの、同時にPC世代の限界をも示しているのかもしれない。
さて、ジョブズも50歳を越えた。2004年に膵臓ガンの手術を行うという報道が流れたときは、彼であっても死から逃れられないことを意識させられたわけだが、カリスマという言葉に相応しい強烈な個性を発揮し続けられるのもあと10年ほどではないだろうか。CEOを務めるピクサーが買収されることでディズニーの取締役に就任するわけだから、彼個人はもう安泰とも言えるだろうし、かつてのような意味での挑戦者ではない。もはや彼は、長距離電話をただかけする装置を売りさばいていた反逆者気取りのヒッピーでもないし、またチームプレイの価値を学び他人の功績を遠慮なく横取りする無慈悲な人間でもなくなったようだ。しかし、IT業界に関わる人間としては、飽くまでアップルのジョブズとして、これからの10年も波乱に満ちた快走を見せてほしいと身勝手にも願うわけである。
●yomoyomo(よもよも)
雑文書き/翻訳者。
訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。
ネット上でも、コラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。
サイト:YAMDAS Project
配信日:2006/04/12
本文は4月1日に書かれているのだが、この歳になると年度が変わったからといって特段気持ちに変化はない。ただ今年は、当方が就職してちょうど10年になるというのがあり、少し思うところがあった。個人的な事情はどうでもよいとしても、Yahoo! JAPANもサービスを開始してちょうど10年になる一方で、今は亡きネットスケープの創立と同年に創刊された老舗のネット雑誌『インターネットマガジン』が休刊を迎えているのを見ると、このインターネット時代の10年を経て刻まれるいろいろな区切りを意識させられる。そうした「区切り」で最近最も大きく報道されたのが、この4月1日に創業30周年を迎えたアップル・コンピュータだろう。今から10年前、低迷を極めていたアップルが現在の形に変化、再生するなど誰も想像できなかったことである。
アップル30年の年表を眺めると、大体10年単位で企業としての季節を分けられるように思う。つまり、創業からMacintosh開発を経てスティーブ・ジョブズが追放されるまでの栄光の10年、そしてその後NeXTのアップルによる買収とともにジョブズが帰還を果たすまでの迷走の10年、そしてジョブズが再び実権を握り現在に至る復活の10年である。これは単純化し過ぎとしても、スティーブ・ジョブズという男の劇的な浮沈が、そのままアップルという企業と重ね合わされるのは避けられないようだ。
天才、傲慢、カリスマ、暴虐的、完全主義、冷血漢……ジョブズに冠せられる形容詞は、コンピュータ業界の他の成功者にも増して振幅が激しい。『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』(東洋経済新報社)にいたるまで何冊も書かれている伝記本やアップルの内部事情を綴った書籍を彩るエピソードの数々を読んでも、彼がそうした言葉に相応しい矛盾に満ちた強烈な人物であるのは間違いない。
ジョブズが人々を魅了してきたのは、彼が常に挑戦者の立場にいたことが大きいだろう。それは上に書いたように大体10年でリセットが入り、新しい分野・環境での挑戦を余儀なくされたことがある。そしてその過程で成功とともに失敗を重ねながら、彼はスタイルを貫いてきた。ここでのスタイルとは、見せかけと反対の強い信念のことであり、それがMacintoshやiPodといった製品のデザインに限らず細部まで息づいていることは、「Cult of Mac」な人でなくても認めざるを得ないのではないか。
上でこの10年はアップル復活の10年と書いたが、より広い視点で見ればインターネット時代始まりの10年という方が相応しいだろう。大雑把に言えば、ジョブズはその前半はデジタルハブとしてのMacの再生、後半はiPodとiTunes Music Storeによるデジタル音楽ビジネスの確立により乗り切ったわけだが、その垂直統合モデルの持続可能性は正直危ういと思う。飽くまでハードウェアで収益を上げる手法には、あやふやなビジネスモデルに飛びつかない地に足のつき方を感じるものの、同時にPC世代の限界をも示しているのかもしれない。
さて、ジョブズも50歳を越えた。2004年に膵臓ガンの手術を行うという報道が流れたときは、彼であっても死から逃れられないことを意識させられたわけだが、カリスマという言葉に相応しい強烈な個性を発揮し続けられるのもあと10年ほどではないだろうか。CEOを務めるピクサーが買収されることでディズニーの取締役に就任するわけだから、彼個人はもう安泰とも言えるだろうし、かつてのような意味での挑戦者ではない。もはや彼は、長距離電話をただかけする装置を売りさばいていた反逆者気取りのヒッピーでもないし、またチームプレイの価値を学び他人の功績を遠慮なく横取りする無慈悲な人間でもなくなったようだ。しかし、IT業界に関わる人間としては、飽くまでアップルのジョブズとして、これからの10年も波乱に満ちた快走を見せてほしいと身勝手にも願うわけである。
●yomoyomo(よもよも)
雑文書き/翻訳者。
訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。
ネット上でも、コラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。
サイト:YAMDAS Project