担当者より:yomoyomoさんが2006年に“パソコンの父”とも呼ばれるアラン・ケイについて書いた原稿です。この巨人の足跡とどう向き合うべきかを考えるヒントとしても読み応えのあるものです。

配信日:2006/09/06


先日、仕事の資料として『アマゾン・ドット・コム』(日経BP社)という2000年に邦訳が刊行された本を読んでいると、アマゾンの創業者にして現在もCEOであるジェフ・ベゾスが、「ゲイツのほかに、それほど有名ではないアラン・ケイを高く評価していた」という記述に出くわし、唸ってしまった。

「それほど有名ではないアラン・ケイ」って……確かに一般的な知名度では、引用文に名前の挙がるビル・ゲイツに劣るだろう。しかし、少なくとも30代以上のコンピュータ技術者の間では「パソコンの父」としてのアラン・ケイの威光は絶大で、払われる敬意の度合いでは確実にゲイツをしのぐ。「未来を予言する最良の方法は、それを発明することだ」という彼の言葉を座右の銘にする技術者も少なくない。

しかし一方で、あくまでパーソナルコンピューティングにこだわり、今のウェブを「未熟だね。レベルがあまりに低い」と断じるケイにPC世代の限界を見る向きもあり、本格的なネット時代となった現在、物心ついた頃から高性能なパソコンを使いこなす若い世代をはじめとしてその威光も弱まりつつあるのではないか。

もっとはっきり書けば、「かつて未来を発明した偉人」として神棚に奉られ、たまにインタビューなどが翻訳されれば、ご高説を賜るといった感じの流し読みで終わりという立ち位置に納まりつつあるように思うのだ。

当然ながら誰にでも限界はある。アラン・ケイが1970年代に在籍したパロアルト研究所では、現在までネットワークの基礎をなすイーサネットも発明されているが、ケイの論文と評伝からなる名著『アラン・ケイ』(アスキー)を読んでも、ネットワークという言葉自体ほぼまったく出てこない。彼がパーソナルコンピュータやオブジェクト指向プログラミングと同じくらいネットワークの未来を見通していたとは言いがたい。

彼の思想の重要性は、コンピュータを単なる道具ではなく「創造的な思考のためのダイナミックなメディア」、更には能動的にメディアを作るメディアである「最初のメタメディア」ととらえたことにある。いきなり「メタメディア」と聞くと小難しそうだが、個人の力を強化するメディアというベクトルで考えれば、確かにケイの「ダイナブック構想」は未だ道半ばであることが分かる。彼の息子世代である我々にしても、彼が言う「コンピュータ・リテラシー」を備える、つまり単なる情報発信に留まらず自分のためのメディアを作れる人間は少数である。

思えば彼は、コンピュータ・リテラシーという言葉を初めて使った際も、「まだ完全には理解できていない媒体に信をおき、大きな力を預けてしまう人間の性癖」の危険性を指摘するのを忘れなかった。そうした意味で、Web 2.0とやらのレッテルを免罪符にしながら、他人の仕事をネット経由で効率よく安易に利用するだけで個の力を強化した気になる風潮が一段落し、情報基盤をどこに置き、その処理をどう行うかということのバランスが本格的に見直されるとき、我々は再びアラン・ケイの仕事に向き合うことになるだろうというのが当方の予測である。

彼も言うように、アイデアの源泉は常に過去にあるのだ。


●yomoyomo(よもよも)
雑文書き/翻訳者。
訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。
ネット上でも、コラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。
サイト:YAMDAS Project