担当者より:yomoyomoさんが2007年にフリーソフトウェア運動などで知られるリチャード・ストールマンについて書いた原稿です。時制は2007年である点、ご留意ください。
配信日:2007/02/28
リチャード・ストールマンに一度だけ会ったことがある。あれは1998年のInternet Week(インターネットに関わる技術者が集うイベント)のGNUブースでCD-ROMを購入した特典として、なぜか人寄せパンダ状態で座っていた彼にサインをもらったのだが、これは「会った」でなく「見た」と言うべきか。
1998年というと、ネットスケープ社がブラウザのソースコードを公開したのが象徴的だが、Linuxなどのフリーソフトウェアが「オープンソース」という言葉とともに本格的に企業に受容され始めた年であり、このInternet Weekでも日本Linux協会の設立が発表されている。
ストールマンと握手を交わし高揚しつつも、お世辞にも盛況とは言えないブースに鎮座する彼の姿に、当方は不遜にも「この人、過去の人になりつつある?」と思ったのを覚えている。
GNUプロジェクトとフリーソフトウェア財団を立ち上げ、Emacsエディタなど数々の代表的なフリーソフトウェアを開発し、プログラムの使用、複製、変更、再配布の自由を主眼とするライセンスGNU GPL(GNU General Public License)を作り普及させたストールマンの偉大さを否定する人間はいない。
しかし、当時「フリーソフトウェア運動をオープンソースと一緒にするな」、「LinuxじゃなくてGNU/Linuxと呼べ」と執拗に主張する彼の姿は、頑迷、独善的といった長年に渡る評判と重なり、何か時代の流れに取り残されつつあるように見えたのだ。
あれから8年余りが経つ。フリーソフトウェア/オープンソースは、一時の流行に終わらず、ソフトウェア産業において確固たる地位を確立している。またストールマンも、今ではフリーソフトウェア運動の唯一の指導者ではないかもしれないが、過去の遺物には成り果てることもなかった。
その彼が何年も力を注いできたのが、GPLのバージョン3への改訂作業である。今年の3月までにリリースされるという予定はキャンセルされたが、DRM(デジタル著作権管理)やソフトウェア特許に対し毅然とした姿勢を示すGPLv3の方向性がこれから大きく変わることはないだろう。
しかし、「Web 2.0」という言葉の提唱者であるティム・オライリーなどにより以前から指摘されている、GPLに限らず既存のフリーソフトウェアのライセンスが、Googleに代表されるウェブを通じて提供されるサービス、いわゆるWeb 2.0サービスの多くに通用しなくなっているという問題は、簡単に解決できないデリケートなものなため、GPLv3への改訂での直接的な対応は見送られた形である。
思えばストールマンは、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツといったパソコン世代の巨人たちと同世代とはいえ年長である。今回のGPL改訂が彼にとって最後の大仕事になるかもしれないが、もちろん彼とともにフリーソフトウェア運動が終わることはない。
ストールマンのような、ソフトウェアのみならず法律までもハックの対象とする芸当は他の人には期待できない。ただそれ以前に、彼が30過ぎてフリーソフトウェア運動を始める契機となったハッカー文化の衰退に対する危機感、喪失感を共有しない、はじめから恵まれたコンピュータ、ネットワーク環境を備えた世代の人間が、彼のように自由のための信念を貫き通せるのだろうかという根本的な疑問がときどき頭をもたげるのである。
●yomoyomo(よもよも)
雑文書き/翻訳者。
訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。
ネット上でも、コラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。
サイト:YAMDAS Project
配信日:2007/02/28
リチャード・ストールマンに一度だけ会ったことがある。あれは1998年のInternet Week(インターネットに関わる技術者が集うイベント)のGNUブースでCD-ROMを購入した特典として、なぜか人寄せパンダ状態で座っていた彼にサインをもらったのだが、これは「会った」でなく「見た」と言うべきか。
1998年というと、ネットスケープ社がブラウザのソースコードを公開したのが象徴的だが、Linuxなどのフリーソフトウェアが「オープンソース」という言葉とともに本格的に企業に受容され始めた年であり、このInternet Weekでも日本Linux協会の設立が発表されている。
ストールマンと握手を交わし高揚しつつも、お世辞にも盛況とは言えないブースに鎮座する彼の姿に、当方は不遜にも「この人、過去の人になりつつある?」と思ったのを覚えている。
GNUプロジェクトとフリーソフトウェア財団を立ち上げ、Emacsエディタなど数々の代表的なフリーソフトウェアを開発し、プログラムの使用、複製、変更、再配布の自由を主眼とするライセンスGNU GPL(GNU General Public License)を作り普及させたストールマンの偉大さを否定する人間はいない。
しかし、当時「フリーソフトウェア運動をオープンソースと一緒にするな」、「LinuxじゃなくてGNU/Linuxと呼べ」と執拗に主張する彼の姿は、頑迷、独善的といった長年に渡る評判と重なり、何か時代の流れに取り残されつつあるように見えたのだ。
あれから8年余りが経つ。フリーソフトウェア/オープンソースは、一時の流行に終わらず、ソフトウェア産業において確固たる地位を確立している。またストールマンも、今ではフリーソフトウェア運動の唯一の指導者ではないかもしれないが、過去の遺物には成り果てることもなかった。
その彼が何年も力を注いできたのが、GPLのバージョン3への改訂作業である。今年の3月までにリリースされるという予定はキャンセルされたが、DRM(デジタル著作権管理)やソフトウェア特許に対し毅然とした姿勢を示すGPLv3の方向性がこれから大きく変わることはないだろう。
しかし、「Web 2.0」という言葉の提唱者であるティム・オライリーなどにより以前から指摘されている、GPLに限らず既存のフリーソフトウェアのライセンスが、Googleに代表されるウェブを通じて提供されるサービス、いわゆるWeb 2.0サービスの多くに通用しなくなっているという問題は、簡単に解決できないデリケートなものなため、GPLv3への改訂での直接的な対応は見送られた形である。
思えばストールマンは、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツといったパソコン世代の巨人たちと同世代とはいえ年長である。今回のGPL改訂が彼にとって最後の大仕事になるかもしれないが、もちろん彼とともにフリーソフトウェア運動が終わることはない。
ストールマンのような、ソフトウェアのみならず法律までもハックの対象とする芸当は他の人には期待できない。ただそれ以前に、彼が30過ぎてフリーソフトウェア運動を始める契機となったハッカー文化の衰退に対する危機感、喪失感を共有しない、はじめから恵まれたコンピュータ、ネットワーク環境を備えた世代の人間が、彼のように自由のための信念を貫き通せるのだろうかという根本的な疑問がときどき頭をもたげるのである。
●yomoyomo(よもよも)
雑文書き/翻訳者。
訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。
ネット上でも、コラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。
サイト:YAMDAS Project