担当者より:『名言力』(ソフトバンク新書)の著者である大山くまおさんが、2008年に映画祭の役割について論じた原稿です。また、大山さんのお仕事としては、執筆協力した『Kalafina Record』(ソニー・マガジンズ)が近日発売! また複数のインタビューを担当された『キャストサイズ vol.2』(三才ブックス)が今月後半に、ライナーを執筆したDVD『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦』(バンダイビジュアル)が2011年11月25日に発売予定です。

配信日:2008/11/12


先日、東京国際映画祭が閉幕した。今年はなぜかメインテーマに「エコロジー」を掲げ、レッドカーペットの色を緑色にしたりするトンチキぶりも発揮していたが、新設されたエコ作品特集「natural TIFF」で日本の誇るエコ映画『ゴジラ対ヘドラ』を上映する慧眼ぶりはさすがとしか言いようがない。硫酸ミストやヘドロ弾の危険性を全世界にアピールできたことだろう。

それはともかく。世界中には星の数ほど映画祭がある。大規模な国際映画祭から、単にシネコンでまとめて数本上映するだけのシンプルなものまで、千差万別、多種多様だ。映画祭の一覧を見ると、映画が世界中の人々に愛されている娯楽なんだと実感できて、ほっこりした気分になる。

映画祭が行われる目的は大まかに分けると、(1)映画の顕彰・広報、(2)特定ジャンルの発展・推進、(3)映画を通じた社会問題の啓発、(4)見たいものを見る、(5)町おこし、となる。大規模な国際映画祭の多くは(1)を主目的としている。アニメーションや自主映画、デジタルシネマなどに特化した映画祭は(2)で、女性問題や同性愛などをテーマにした映画祭は(3)だ。ホラー映画などを特集するファンタスティック系映画祭は(2)の要素も含まれるが主催者たちの目的意識は(4)に近い。地方都市で行われる映画祭のほとんどは(5)の要素を併せ持っている。

しかし、映画をたくさん集めました、上映しました、表彰しました、というだけでは多くの映画関係者は集まらない。では、現在の映画祭に重要視されている要素とは何か? それはマーケットとしての側面である。カンヌ映画祭は世界最大規模の映画祭だが、同時に最大規模のマーケットを併設していることでも知られている。コンペティションなどとは別枠で、大勢の関係者が行き交って映画の配給権などを売買するのだ。カンヌとあわせて世界三大映画祭と呼ばれるトロント、ヴェネツィアにはこれほどの大きさのマーケットはない。だからこそカンヌに世界中の映画人がこぞって集うのだ。

映画祭の会場にフジテレビ映画の巨大なビルボードが立ち、呼ばれてもいないキムタクがレッドカーペットを闊歩したのは、ひとえに国際マーケットへの売り込みのためである。60周年記念式典に招待されていた北野武に「ただの観光客」呼ばわりされていたキムタクだが、別にそんなことを言われる筋合いはない。彼は自分の仕事をしただけである。そのかいあってか、彼が主演した『HERO』は韓国や台湾などアジア各国で公開されることになったわけだが、「それってイ・ビョンホンが出演しているからじゃん」とか「もともとジャニーズのタレントが人気のある地域じゃん」なんてことは言いっこなしだ。

アジア最大の映画祭と自認している東京国際映画祭だが、国際マーケットであるTIFFCOMが開設されたのは2004年の17回大会からのこと。16回からゼネラルプロデューサー(現在はチェアマンに改称)に就任した角川グループ総帥、角川歴彦によって開設された。コンテンツビジネスに長けた角川グループならではの着目と言えるだろう(ただし、主に売買されているのは日本のアニメだという)。一方で、マーケットとは無縁な数多くの映画祭がある。その多くが地方都市で開催されているものだが、いずれも苦境にあえいでいるのが現状だ。

有名な例が、夕張市で行われているゆうばり国際ファンタスティック映画祭である。「炭坑から観光へ」をスローガンに、東京国際ファンタスティック映画祭などを参考にしたうえで90年よりスタートした通称“ゆうばりファンタ”は若手クリエイターの登竜門としても話題を呼び、人口1万5000人弱の小さな町に大勢の映画人と映画ファンが詰めかけた。クエンティン・タランティーノが『キル・ビルVol.1』に栗山千明扮するゴーゴー・ユウバリという名のキャラクターを登場させたことは、この映画祭の持つもっとも幸せなエピソードである。

しかし、夕張市そのものの財政悪化にともない、2006年には市からの開催補助金が打ち切られるとともに、ゆうばりファンタは幕を閉じた。現在でも有志たちによって形を変えて存続が図られているが、以前のような活気を取り戻すまでには至っていない。

ゆうばりファンタだけではない。地方自治体の財政難は、町おこしを目的とした小規模な映画祭の運営を直撃している。世界的に知られている山形国際ドキュメンタリー映画祭も2009年からは従来通りの補助が見込めず、NPO運営による存続が図られている。京都映画祭や横浜フランス映画祭、神戸100年映画祭などの比較的大型だった地方映画祭も規模の縮小を余儀なくされており、それぞれ自治体からの補助に頼らない小規模映画祭としての出直しが図られている。

そんな地方映画祭受難の折、ひときわ気を吐いているのが金沢市で開催されているカナザワ映画祭だ。これは有志の集まりである、「かなざわ映画の会」が主催している。商店街の真ん中でヤコペッティの『世界残酷物語』を野外上映したり、ドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンの日本未公開作品を上映したり、鈴木則文、内田裕也、石井聰亙らの特集を本人を招いて実現したりと、主催者側の「見たいものを見る」姿勢で貫かれている映画祭なのだ。

マニアックなディレクションや企画が話題を呼び、全国から映画マニアたちが金沢に集結、大きな盛り上がりを見せた。不況下で地方自治体からの大きな援助が見込めない現在において、地方映画祭の躍進のカギとなるのは、地域に密着した地道な活動とディレクションの話題性、そして主催者側とファンの熱の共有である。

カナザワ映画祭の盛り上がりは、同じく「見たいものを見る」という理念でファンの支持を集めていた東京国際ファンタスティック映画祭の失速とは対照的だ。東京ファンタ中止の最大の理由はスポンサー離れによる資金難だが、それにも増して上映作品の話題の乏しさによってファンの熱が失われていたことが大きい。上映作品がマニアックなものであれ、映画祭の持つ熱は多くの人々に飛び火する。そこで初めて見ず知らずの映画に触れ、その興奮を味わう人々も少なからずいるはずである。

映画祭衰退の原因は資金難だけではない。ツタヤなどの大型レンタル店に行けば古今の名作がズラリと並んでおり、そうでなくてもシネコンでは最新の話題作が5本や10本は常に見られるような状態にある。娯楽としての映画が力を失ったのではない。従来の映画祭でおざなりに上映されていたような作品――つまり古典的な名作やマイナーな海外の作品に人々が関心を寄せなくなっているのだ。しかし、それもディレクションや企画次第では熱を持ちうることを、カナザワ映画祭は証明してみせた。

マーケットの隆盛は映画祭に映画業界人を多く集め、大きな話題を呼ぶ。しかし、マーケットそのものは映画祭を訪れる一般の映画好きの観客とは無縁な存在だ。話題性があれば協賛企業も多く集まり、開催資金も潤沢になる。大規模な映画祭はますます大規模になるだろう。そこで問われるのは、映画祭の方向性を決定づけるディレクションである。

しかし、今年の東京国際映画祭で何が上映されたか、複数のタイトルを挙げることができる人がどれだけいるだろうか? プログラムに一貫性がなく、映画業界人に「有料試写会」と陰口を叩かれてきた東京国際映画祭で話題になったのが“グリーンカーペット”だけでは話にならない。水曜日のレディースデイに行列を作る映画好きのOLさん
たちや、ビデオゲームに夢中になっている少年たちに新しい知見や大スクリーンで見る映画の楽しみを与えてこそ、映画祭としての価値があるはずだ。


●大山くまお(おおやま・くまお)
ライター。
著書に『名言力』(ソフトバンク新書)、共著に『バンド臨終図巻』(河出書房新社)がある。
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