2007年04月

2007年04月30日

ゴールデンウィーク

5d607489.JPG色とりどりの緑が輝く美しい季節がやってきました。
今年の大型連休は前半と後半に分かれて、長い休みが取りにくい様子とか・・。いか
がお過ごしでしょう・・

能登半島地震という大きな災害から1ヶ月がすぎました。和倉温泉も各旅館の修復工
事が進み、ほぼ地震前と変わらない様子で営業再開しています。
 また能登島大橋から島に入ってすぐの車を数えるカウンターも5000台をこえ、のとじまのメイン”のとじま水族館”も例年のにぎやかさを取り戻しつつあるようです。 
案山子窯も陶芸体験のお客様でにぎわいました。 写真は1ヶ月くらい前から「今度来たときまでまだいたら、つれて帰ります」といっていただいていた招き猫との最後のツーショットです。 ”震度6強”を小さい足で踏ん張って乗り越えた”強運招き猫”です。

bisureiko at 06:41|PermalinkComments(4)

2007年04月09日

べか舟河童

6a15be32.JPGいきなりですが、河童連邦共和国ってきいたことがありますか?17年前から河童好きの方たちが作られたネットワークです。現在国内に35村、台北に1村ある(総人口500人ほど)国だそうです。 その中のひとつ千葉県浦安市にある ”ふるさと浦安河童村” の開村3周年記念の記念品をつくらせてもらいました。昨日8日がそのパーティでした。

写真は ”べか舟河童”です。私が作る”つり河童”を以前買っていただいていたのが村長代理(今回注文にわざわざ来ていただいた方)ですがご自身の沢山の河童コレクションの中から案山子窯の河童を選んでいただきました。

そうしてできたのがこれです。これはひとつだけほろ酔いみたいに顔が赤くなって可愛かったので、一個だけだし私の手元にあります。 

”べか舟河童”というのは ”べか舟”という海苔を取る川舟です。河童が海苔とりをしないで釣り糸をたらしているところです。 河童も舟にのるかな〜、海苔も少しは採るんかな?、何つれるかな〜と楽しい想像をしています。

この記念品は3月25日の地震のときにもう納品を待つばかりで”台車”と呼んでいるスチール棚にありました。 そのタイヤのついた棚が守ってくれたんです。またその数日前までは河童とべか舟はべつべつにありました。もしも当日河童だけで板の上にあぐらかいて座っていたら、たとえ台車がゆれを吸収してもすべて落ちていたと思われます(河童は不安定でいつも移動の時気をつけているし)

そんなわけで案山子窯にとっては特別な思い入れのある大切な記念品となりました。

bisureiko at 10:36|PermalinkComments(4)

2007年04月07日

「がんばらんかいね、能登」

能登島に「能登カフェ」があります。カフェの主、彼女が一人で初めて案山子窯にきて”こんなことをしようと思う”きらきらの目を輝かせてはなしてもらったことは今もおぼえています。何年かの構想をまとめたファイルを頂きました。そのときはまだ今の能登島・八ヶ崎のあの建物でカフェをするという話もないときでした。 そうしてあの建物を見つけたと聞いたとき私たちは「すごい、あそこに目をつけるとは・・あそこが一番や!」といいあったものです。

今能登カフェは着実に地元に根付きしかも外へ外へと発信し続けています。(いつも見習いたいねといいつつきました)

そののとカフェの「買い物で能登が元気になる!」
それから彼女から教えていただいた神戸本町のカフェショップ「みみずく舎
ありがたいです。神戸は地震の痛みの体験からこうして能登に何かできることは・・と考えてくださっています。きっと教わることはいっぱいあるのでしょう。

今回、大きな地震の可能性のかなり低い能登半島で震度6強というまれに見るおおきな地震がおきたということは日本中どこでおきても不思議ではないということなのでしょう

bisureiko at 09:43|PermalinkComments(0)

「能登は元気です」

能登半島地震による風評被害を食い止めようと、金沢市グルーヴィの高峰博保さんがウエブサイトで能登を発信してくださいました。タイトルは「能登半島地震関連情報〜能登は元気に営業中!〜」です。 能登と氷見市で営業中の旅館・飲食店・観光施設・通行できる道路の情報のほか高峰さんが地震後、輪島市や穴水町に足を運んで聞いた話も紹介しています。県内の方は多分今朝の北国新聞で見られたことと思いますが県外の多くの方たちに是非見ていただきたいと思います
能登は元気です・その2」と「その3」こちらもあわせてごらんいただければ嬉しいです

bisureiko at 08:36|PermalinkComments(3)

2007年04月06日

震度6強でもわれなかった猫たち

4bbbb6e5.JPGそれがこの写真の招き猫たち。この棚の上からも他の棚からも猫はたくさん落ちました。でもこの猫たちは転がりながらも落ちなかったのです。一番大きな猫はたおれなかったけれど正面向いていたのが45度ほど向きをかえていました。 みんなよく耐えたねと1つ1つなでながら起し並べました。 2日前近所にすむ学習塾をやっている方と話したんですが帰りに注文を頂きました。それは ”合格”と腹におおきくかいた招き猫。 字はその方に書いていただきます。 面白いですね、きっと懸命に受験を目指す子たちにおなかなでてもらえると思う。 先生の気持ちがこもっているしね、剛さんの気持ちも。

5日の北国新聞の経済欄で嬉しいニュースをみつけました。JTB中部が「能登半島元気です」(仮称)と銘打ったキャンペーンをすることが決まったと。ゴールデンウィークあけから6月30日までの約2ヶ月間という大きな企画です。首都圏・関西圏のJTBグループと連携して三大都市圏から能登へ観光客をよびこむというのです。

私たちもできることから前進していこうとおもいます。そして能登全体元気になれるよう自分のできることを探していきます。

bisureiko at 11:03|PermalinkComments(8)

2007年04月04日

地震から今日で10日

894044ab.JPG3月25日午前9時42分、震度6強の地震でした。「平成19年能登半島地震」気象庁が地震に名前をつけたのは新潟県の中越地震以来だったそうです。

震源地は観光名所でもある”関の鼻”という景勝地の沖合いで、震源に近い輪島市・七尾市・穴水町で震度6強、そして私たちの住むここ能登島も大きくゆれました。

そのとき案山子窯では剛さんが仕事をしていました。ロクロでひいた丸鉢の高台をカンナで削りだしていたところでした。(私はといえば少しはなれた自宅で、遊びに来ていた友達とおしゃべりしながら、作ったばかりの”赤飯”を東京に住む子どもたちに送る準備にクルクルと回っていたのでした)

その瞬間の衝撃は凄まじいものでした。5分もたったのか剛さんが車で駆け上がってき、「大丈夫か!!」と。  家はあれほど揺れたのに不思議なくらい元通りでした。

それから大急ぎ案山子窯に向かい中にはいってみると(建物はこちらも大きな損傷はなかったのです)棚から落ちた焼き物で床がびっしり埋まっている・・そんな印象を持つほどでした。

沢山の二人で作った焼き物が粉々に割れてしまい無残なすがたをさらけ出しているのはつらいことでしたがそれよりも、大切なもの。それは”行き先の決まっていた焼き物”が無事でいてくれたこと、またお客様の陶芸体験でお預かりしている品(こちらは2つわれてしまいましたが・・)それらが残ってくれたことのうれしさが大きくて
コンテナーにわれたかけらを集めながらも気持ちはずっと落ち着いていられました。

焼き物はこれからいくらでも作れるし、二人が無事だったこと、建物も残ったこと、窯も無事、(煙突が外れ、大きく移動してはいました)そして4月初めに収める記念品(案山子窯ではありえないことですがあったのです、記念品が3つ重なっていた)
その準備に今日まで二人して没頭してきました。(1つ終えたところ)

輪島市や穴水町という一番被害の大きかったところではいまだ沢山のお年寄りを含めた方たちが避難所生活を余儀なくされています。
ライフラインや交通網もまだ復旧していないところもあります。

しかし、それよりもっと沢山のところが元通りの生活や仕事をもう始めているのです

昨日被害の大きかった門前町総持寺すぐ近くの蕎麦屋さんが営業再開との嬉しいにニュースがながれました。そして蕎麦やさん仲間15人で避難所の方たちに暖かいそばを食べてもらったそうです。どんなに美味しかったことでしょう。

案山子窯も翌日から店はあけています。掃除をしただけで焼き物はあまり並べていませんが倉庫の在庫は無事でしたのでそのうち少しずつ出していきます。

一生に一度であってほしいこの忘れられないおおきな地震のあとの久しぶりのブログ(久しぶりといっても説得力のないのは地震前も1週間に1度しか更新していなかったせい・・)
地震当日から昨日まで写してきた173枚の写真のなかから私が選んだのはこれです。やっぱりこれしかないでしょう。写真は地震から3日目3月28日です。

能登島は水族館も美術館もガラス工房も道の駅も能登カフェも。 それから島にかかる2つの橋も大丈夫。

”案山子窯”も営業中。



bisureiko at 07:40|PermalinkComments(12)