2007年03月

2007年03月25日

水、人の口にいりて。天。

水俣石像水俣女島 ミナマタの海は、青く澄んでいた。
 「水俣」という字は、字源として正しいかどうかは別にして、水、人、口、天と読める。誰かがどこかで既に言っているのかもしれないが、この旅の中で、ふと気がついた。最初の3文字は、「(その)水、人の口にいりて」でよいだろう。しかし、最後の「天」はどうつながるのか。わずか2泊3日の旅だったけれど、緒方正人さん、山下善寛さんなど、水俣病をめぐる重要人物に話を伺い、水俣病歴史考証館水俣病資料館を訪ねる中で、そのことが分かったような気がした。
 水俣で想像を絶する艱難辛苦があったことは広く知られたことである。しかしながら、訪れてみて知るのは、拍子抜けをするような穏やかな人々の景色である。苦しみが消えてしまったわけではないだろう。事実、いまも痺れや麻痺、あるいは寝たきりの人がいる。しかし、それを包むようなどこか優しい空気があった。
 水俣病を「被害」ではなく「受難」と表現する人々がいた。「宝子」の、天使のような瞳があった。それを見つめるなんとも「幸せ」そうな―この言葉は語弊があるかもしれないが、受難を受けてなお、というか受難の果てだからこそ見つけられた幸せとでもいうべき―親のまなざしがあった。
 つまり−。「水、人の口にいりて」と「天」の間には、苛烈を極めるいくつもの長い物語があり、「天」はその果てに立ち現れるものなのであろう。緒方さんの場合は、約3ヶ月にわたる苦しみもだえの後に、その境地に至ったのではないか。
 今回、緒方さんは話の中で「自分の行く末に何も心配していない」と言った。この言葉を聞いたときに、これは現世的な行く末はもちろん、むしろ彼岸について言っているのだと思った。それと同時に、二つのイメージが心にわいた。ひとつは、緒方さんを心の底から可愛がり、そして水俣病に倒れたお父さんのひざに抱かれた、子供のころの緒方さんのイメージであり、もうひとつは「父の右に座したもう」という言葉だった。緒方さんには自分のいずれ座るべき場所がはっきりと見えていて、だから現世的にもその後についても何も心配ないのだろうと思った。
 重たい砂袋が、心の一番深いところにまっすぐに落とされたようで、そのことの意味は明確なのだけれど、要約をゆるさない。とてもよく分かるのだけれど、表現することができない。「水、人の口にいりて」と「天」の間には、それら幾千の物語が横たわっている。
 今、水俣の地で再び、水をめぐる騒動が起きている。産業廃棄物施設の建設問題だ。山の上に計画されている産廃施設が、地下水を汚染することが懸念されている。再び、「我々」が問われている。
 対岸に、殉教の地「天草」を望みながら、そんなことを考えていた。


biwako_strawbale at 01:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!抱懐 

2007年03月03日

うま〜いっ

wine 今日のワインはこれ。初めての銘柄だったが、口に含んだ瞬間、「う〜、うま〜いっ」。芳醇な葡萄とスモークされた樽の香りが、単純でもなくまた複雑でもなく、からまりあっていて、思わずうなってしまった。
 早速ネットで調べてみたけれど、ほとんど出てこない。かろうじて分かったのは、ある地方の小さな組合が作っているみたいで、出荷本数もわずかのようだ。値段も1500円〜1800円と控えめ。個人的には3000円だしてでも手に入ればうれしいワイン。5000円でも納得。金持ちからは2〜3万とっちゃえ、というほどのワイン。
 で、残念ながら、どこのワインだか、どうやって手に入れたかは教えてあげない。昔、秦荘町(いまの愛荘町)に丸中醤油というのがあって、一升瓶で醤油を買っていたのだけれど、どっちの料理ショーで紹介されてからは、一升瓶が手に入らなくなってしまった。
 このワイン、世間はほってはおかないと思うが、しばらくはこっそりと楽しむことにしたい。続きを読む

biwako_strawbale at 21:48|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!ゆったり生活編