2009年03月

2009年03月31日

スローな休日

 久しぶりにゆっくりとした週末を過ごす。「ゆっくり」とというのは、しばしば我が家では「ハードな」とも訳せるような状況をもさす。久しぶりに子供のサッカーの練習がなく、天気もよかったので、土曜日の昼は庭でランチ。いつもお世話になっているポム・ダムールで買ってきたピタを膨らましたようなパン(ごめん、名前忘れた)でサンドウィッチ。雪柳が咲き、スノーポールに似たイングリッシュ・ディジー(とか言っていたな)が咲き、庭も華やかになってきた。文字どおりゆっくりだったのはここまで。
 で、最近引っ越してきたパワフルなお友達と、その夜からは宴会つづき。大阪から来た、パワフルなお友達のお友達2名も加わって、10数名がぞろぞろと寄って、夜を食べ(ちょっと横着してケンタッキーディナー)、昼を食べ(庭先で焼きおにぎり大会)、そしてまた夜を食べ(本格パスタディナー)。その合間には公園で、野球をし、サッカーをし・・・。お友達のお友達はすっかりぐったりして帰って行かれたのでした。
 ウチの次男も、さすがに今日の朝はダウン。頭が痛い、吐き気がする、と行っていたが、ひと寝入りするごとに復活度を増して、夜にはほぼ回復。
 うん、こんなハードな休日もいいね。


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2009年03月25日

人前で話すこと

「2時間ぐらいレクチャーを」というので思い出したこと。

 自由にしゃべらせてもらえるのであれば、人前でしゃべるのはあまり苦でない。オエラガタがいるのも全く平気だし、むしろオエラガタにチャレンジするのが楽しかったりするので、オエラガタがいた方が俄然ハッスルする。人数も関係ない。仕事がら数百人程度の前で話をすることもしばしばあるので、これもOK。
 時間も3時間ぐらいまでならば、長ければ長いほうが良い。
 しかし、時間が短くなるにつれ、また自由度が下がるにつれ、極端に人前でしゃべるのが苦手になる。何かまとまったことをしゃべるのには1時間はほしい。30分だとだいぶ早口になる。学会発表は15分前後なので、めちゃくちゃきつい。無駄ができないし、修正も効かない。
 最悪は、挨拶である。それも自由ならまだしも、「代表して」とかいうことになって、それもあらたまった状況となると、もう最悪である。
 で、そんな最悪の場面がやってきた。子供の卒業式の保護者代表による謝辞である。「式」「代表」「短い時間」という私にとっての鬼門が三つもそろっている。心臓はドキドキ、感動すべき子供の卒業も楽しむ間もなく、いよいよ挨拶。・・・・案の定の大失敗
 原稿は用意したのはいいけれど、なまじ人前で話すことに慣れているので、アドリブで入れたいことが山ほどあって、原稿を読まなければならない自分と、アドリブでしゃべりたい自分が喧嘩を始めて、収拾がつかなくなった。やっぱり、原稿だけを読んでおけばよかった・・・・
 原稿がないにもかかわらず、おそらく即興であたかも原稿があるように赤塚不二夫の弔辞をよんだタモリはやっぱり凄い、とつくづく思った。

biwako_strawbale at 23:49|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2009年03月23日

中心と縁辺

いわゆる国際会議というものに参加。差し支えあるから、「何の」とは書かないが、名前を聞けばだれもが「ああ」という所の主催である。

しかしである。別な学会であれば20年ぐらい前から議論していそうな内容を、世界各国から集まってしている様子はなんだかなぁ、なのである。

なんでもトルコのイスタンブールであった昨年の会議には130カ国から1300人が参加、今年の釜山では1500人を集めるそうだ。

こういう主流の所がようやくこういうことに関心を持ち始めたという意味ではいいことだし、きっと公式なものになっていく「儀式」としてこうした国際会議は必要なのかもしれない。なにしろ、20年前からこうしたことに注目してやってきたのは、少数派の前衛的集団でしかないから。

昔からしばしば思うのは、大都市には情報がない。東京で生まれて育ったからわかるのだが、そしてまた同じぐらいの期間、東京を離れて暮らしたからわかるのだが、「中心(core)」には実はあまり情報はない。あってもクズのようなものが多い。大きな大学の有名教授が「えっ」と思うほどものを知らない。その人の周辺分野であるはずなのに。最前線は「縁辺(periphery)」にある。搾取される側と言ってしまえばそれまでの縁辺であるが、じつは中心を支えているともいえる。縁辺からしか見えなないものが多々あり、中心から見えるものはほんのわずかである。

それにしても、もう少し参加者が文献サーベイ(これまでの研究の到達点を確認しておくこと)をしてから参加していれば、面白い議論もできそうなものだけれど。まずは2時間ぐらい僕にレクチャーさせてくれればな、と思う。


ウォーラーステインの世界システム論


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2009年03月22日

支援物資

セスタ写真仕訳1 既報のセスタ・バジカであるが、先日第二回配送分についての仕分けを行い、昨日並び本日と配送を行う。大津の方でホームレスの人々への炊き出しを行っているグループの方へも、配布。


セスタ写真仕訳3 石鹸や洗剤、砂糖などはもらいものとして結構どの家庭にもあるようで比較的多く集まる。お米については今回は一世帯当たり10キロを配ることができたが、来月以降もそれだけ配れるかは不明。米をや小麦粉といった「主食」がまだまだ必要と思われる。

セスタ写真分配1 この経済状況が続く限り、来月も継続して実施する予定。

毎日新聞(滋賀版)の記事
◆問合せ先:セスタバジカの会



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2009年03月14日

非道い話

 滋賀県には工場が多く、外国人労働者も多い。しかし、金融危機の影響で雇い止めとなったひとが増えている。
 セスタ・バージカ(Cesta Basica)とは「基礎的なバスケット」という意味のポルトガル語らしい。貧しい人に食料を分けようという運動の名前にもなっている。東京のセカンド・ハーベスト・ジャパンの支援を受けて、滋賀県でもセスタ・バージカ運動がはじまっている。
 さて、東京からの支援物資とは別に、細々とながら食料や生活必需品を集めて届けようとするのだが、帰国もままならずひっそりと身を寄せ合っている人々に届けることは容易ではない。実は、そうした人を探し出して届けているのは、同じ日系ブラジル人で、自らも失業の身となった人であったりする。
 彼ら失業者が自腹でガソリン代を出して同じ仲間たちに援助物資を届けている一方で、(前にも書いたが)毎週末にサーフィンやら釣りやらに出かけている人には、政府が高速道路代を何千円も何万円も肩代わりする。炊き出しに長蛇の列ができる一方で、ETC売り場に長蛇の列ができる。その炊き出しですら、「狭くて通りにくい」「子供が怖がる」といった理由だけで3月末で中止されるという。
 政治家も、経済学者も、マスコミも現場を見る努力をせずに、「ごっくん」したかどうか―西松の件も結局は「ごっくん」したかどうか―の議論を繰り返している。失業者たちの目には、空疎に映ることだろう。
 滋賀のセスタ・バージカ運動への協力の仕方の詳細は、追ってまた。

biwako_strawbale at 13:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年03月07日

さもしいか?

景気対策ということは理解できる。しかし環境問題を考えたら、消費を増やせというのは賛成できない。やはりむしろ今回は影響を受ける貧困層に対する支援を行うことに特化すべきであろう(GDPはあまり増えないかもしれないが、GPIは増える)。

さて、政府にその気がないというなら、我々が代わりにその機能を果たすこともできる。

定額給付金はいわば税金還付のようなもので、受け取ったお金を自分がこれはと思う活動に提供すればよい。ふるさと納税制度のように。

つまり、フードバンクや生活困窮者支援をしているような団体に寄付をすれば良いということだ。あるいは、将来この国の借金を返済しなければならない将来世代への投資ということでもよい。親の失業などによって、高校や大学進学をあきらめている甥や姪がいたら、あげたらどうだろうか。親戚が何人か寄れば入学金ぐらいにはなるはずである。

お金持ちの世帯から率先してやればよい。品格というのはそういうことで、さもしいかどうかはもらうかどうかではなく、どう使うかで決まる。

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2009年03月04日

くだらない話

 まったくくだらない話で、予算案のことが吹っ飛んでしまった。国策捜査かどうかはわからないが、中途半端なことはしないでもらいたい。公設秘書給与の問題で、小野清子小池百合子は不問に付された一方で、「ソーリ、ソーリ」の辻本清美だけが起訴されたのは記憶に新しく、国策捜査という言葉がささやかれても仕方がないような前歴があるのだから。

 ちなみに「ソーリ、ソーリ」の相手は小泉元首相で、後期高齢者医療制度を強行採決し、郵政民営化では参議院で否決されると衆議院を解散するという強硬手段にで、「100年安心プラン」と銘打って年金改革法を通した。それ以前は厚生大臣を2回も務め、いわば今日浮上している問題(医療、郵政、年金)のほとんどに責任があるといってもよい。老人は病院に行けず、簡保施設はたたき売りされ、年金は消えた。東京駅前の中央郵便局の問題も持ち上がってきた。

 今回の予算の可決を受けて、休日にドライブで遠出をするお気楽な人々のために、一回当たり最大3万円以上も税金を差し上げると考えると、本当に腹が立つ。10回利用すれば30万円! 派遣切りをされた人は、車など持てず、行きたくてもドライブに出かける余裕なんかない。5000億円がこんな使われ方するのに、誰も腹を立てていないように見えるのはどうして? 実は1000円で利用している人も国民一人当たりの負担額は単純計算で約4000円ということを覚えておいてほしい(つまり、5000円以上の区間を走らなければお得ではないということ。4人家族なら17,000円)。馬鹿げてる。

 この国に限らず、多くの国の政治で「知性」が感じられない。
ある人が、極端に高い支持率と極端に低い支持率は怖いと言っていた。特に最近は支持率が大幅に変化するが、それは、人を見抜く力が落ちており、自分で判断するのではなく周りの判断に追随する人が増えてきているということを表わしている。小泉時代に見られるような独裁を許す素地が社会に出来上がっているということを示す。

 なんとかならないものか。


biwako_strawbale at 23:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年03月03日

東大合格生のノートは本当に美しいか?

東大合格生のノートは必ず美しい」という本がある。この「必ず」という一言に、二つの意味でカチンとくる。ひとつは、そんなはずはないだろうという思い。もう一つは、「カチン」とくるということ自体が相手のマーケティングに引っかかっているということが、さらに「カチン」とくるのである。

 東大に行った友人を思い浮かべてみても、必ずしもノートがきれい(もしくはきれいそう)な奴らではない。面白いのは京大に行った友達になると、ノートのきれいな奴の確率は何となく下がるような気がするので、そういう意味では東大に行く奴のノートはきれいである傾向にあるのかもしれない。

 色平哲郎さんというお医者さんがいる。東大を中退し放浪ののち、京大医学部を卒業した彼は、こんなことを書いている。

小学生ころから変わっていた。九九は半分しか覚えなかった。
九の段は、九九八十一とだけ覚えた。九八は八九と同じはずだ。
九七は七の段でやったじゃないか。裏九九を覚えていない分、筆算では慎重になり、決して間違えなかった。
 ある時、怒りとともに、突然気づいたことがある。試験のことだ。
 正々堂々と、腕組みをして先生の授業を集中してきく。その場で理解できるだけ理解して覚え、それで「勝負」する。世間知らずにも、そう信じていた。
 ところがなんと、「ノート」というメモを取っているヤツがいる。その上、試験前に読み返して覚えるヤツまでいるという。なんて卑怯(ひきょう)な連中だ……。
 十歳の私は、この時初めて、試験の「常識」を知った。

 彼は小学校時代に、「将来、自分が漢字を使うとは思えないと子ども心に判断、漢字の試験はマルバツを書いて通した」らしい。

 僕自身、九九は半分でいいと思っていたし、漢字も形さえあっていれば用は足りると思っていた(右と左の書き順は最近覚えた)。ノートについても、おおよそ自分のノートなどというものは存在しないか、したとしても使いものになるようなものではなかった。だから、期末試験の前になると、キチンとノートを取っている友達に電話をし、その彼が勉強を終えるのを待ってから(たいがいは夜の10時ごろ)、ノートを借りに行って、翌日の試験に臨むというような状態だった。

 その後の色平さんのノートが、きれいかきたないかはわからないが、勝手に想像するに、きっとあまりきれいではないと思う。

 偏見かつ自己弁護かもしれないが、字が汚い人にはユニークな人が多いような気がする。大仰な言い方をするならば、書き順や定形に縛られるということはいわば権力にからめとられることであり、文字の本質は単なる記号であって我々の「しもべ」であるはずだということを子供ながらに感得している。該当する何人かの友人を思い浮かべてみても、反権力的で、物事の本質を見抜く力が強く、そしてやさしい人が多い。

 とはいえ、やっぱり結婚式とかの受付で字を書くときは、恥ずかしい。ノートだって、ちゃんととれたらうれしい。というわけで、東大合格生用とは違うのだけれど、コーネル大学方式のノートをご紹介。学研から販売されているが、実はここのサイトで自分でPDF形式で作れる。名前や所属も入れられるし、罫の幅や色もお好みに設定できるので、大変お勧め。Advanced Optionsを開いて、A4の両面を指定するとよい。

biwako_strawbale at 02:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!抱懐 

2009年03月02日

流木民

流木民 今年は、近くの人に紹介してもらった樫の端材(樫を使った緩衝材を作った切れ端)を中心に燃やしていたのだがあっという間に底をつき、今年も早くも流木民生活となっていたのだが、それも底をついてきた。暖かくなるまであと少しどうしようかと思案中であるが、そんな中、ちょこちょこと近所で剪定が行われて、少しずつ来年以降の分をためにかかる。
 そして、週末。Y市の大きなお寺で大規模な剪定が行われて、結構たんまりと入手してきた
 実は今回の剪定作業を行ったのは、アーボリストという人たち。日本ではまだ数人程度しかおらず、日本語では樹芸士と呼ばれるらしい。単なる庭師ではなく、登山用具を使って高所の剪定を行うスペシャリスト。今回は、知り合いの造園家の方のつながりで、われわれもお知り合いになった仁さんの現場だったので、木をもらいがてらに見学もしてきた。高所であること、チェーンソーを使うこと、枝などが落下してくることなど、これ以上の危険はないというぐらいの仕事だが、ともかくカッコヨカッタ。
 来年こそは、流木民から脱出を!

biwako_strawbale at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!