2009年07月

2009年07月19日

夏休み

世間はようやく夏休みというのに、既にウチの子どもたちは真っ黒。
次男は先日(と言っても随分前だが)、ショッピングモールに行った際に、駐車場の交通整理の、真っ黒に日焼けしたおじさんの横にひそかに立ち、色を比べて思ったそうだ。「勝った!」。

今日は子ども会キャンプ。どんな夏休みになることやら。

父親はお盆まではもう少し忙しい。一番きついところは超えて、先が見えてきたところ。


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2009年07月08日

水あそび

仕事前のシャワー代わりに、早朝の湖で泳ぐのは大変気持ちがいい。
6月は天気が良く自転車で移動することが多かったのだが、そのためか少しひざを痛めたけれど、泳ぐのは膝にもいい。

さて、今週末の11日(土)はご近所さん主催の「水あそびの日」。

夕方からはフォトグラファー・佐藤傳次郎さんと以前もきてくれたKAZZさんのスライドショー&ライブ。

入場は無料!

晴れるといいね。

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2009年07月05日

神様


 「モンパチの新しいMVができました」と制作にかかわった方から聞いて試聴。

 いやー、歌詞も、曲も、映像もサイコー。

 白黒の昔の映像とカラーの現在の映像とが交互に入れ替わるけれど、それらは不思議と連続している。それはきっと子供の姿や笑顔、あるいは基地の金網が、時代をまたいでいるから。「ヒトか、猿か」の問いかけも心に響く。
 
 ちなみに 9月8日(火)に大津でモンパチライブがある。
 
 「神様、お願い。モンパチに会わせてくださいっ」てお願いしてたら会えるかも!?
 


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2009年07月02日

予想どおりに不合理

51-4KbAnQOL__SS500_ 近代経済学は、合理的な経済人(ホモ・エコノミクス)を仮想して、人間とは何かを考えようとしてきた。これは、手塚治虫が、不死を持って死をあるいは生を(火の鳥)、人間ではないものをもって人間を(鉄腕アトム)考えたのと同じことである。つまり、まともな経済学者であれば、人間が合理的ではないことぐらいは百も承知で、それでも合理的という仮定からスタートして骨組みを作り、肉付けをして、最後に何が足りないかを腕組みして考えている。
 ダン・アリエリーの著書『予想どおり不合理』は、行動経済学(古くは経済心理学)と呼ばれる分野の本だ。今はやりの言葉でいえば、脳科学の本といってもよい。一般向けに読みやすく書かれた本は、昨年のアマゾンのビジネス書部門(米国)のNo1となった。翻訳は昨年末に出て、書評なども多数出ているので、いまさら詳細は繰り返さない。
 しかし、この本をマーケティングなどを扱った単なるビジネス書と考えるのは間違えだ。各章において、人間行動の特徴を述べた後で、ではより良い生活や社会を生み出すためにそれでは我々はどうしたらよいかを彼はかならず説く。
 合理性を信奉するシカゴ学派は市場主義で政策不要とするが、ダン・アリエリーは市場原理が有効な範囲とそうではないいわば不合理が支配する範囲を峻別した上で、政策の有効性を説く。彼は前者を市場規範と後者を社会規範と呼ぶ。
 成果主義、厳罰主義は市場規範である。彼はその限界を明らかにし、自主、愛、倫理などの社会規範の重要性を説く。

 しかしながら、彼の指摘は、決して目新しいものではない。
 経営学という狭い分野に限っても、ダグラス・マグレガーが1960年に著書『企業の人間的側面』でのべたXY理論と本質的には同じものである。 X理論とはいわば性悪説の立場から、「人間は放っておくとなまける生き物であり、したがって、金銭的インセンティブなどによってその能力を引き出すようにし、逆に目標が達成できなければ懲罰を加えるといった「アメとムチ」による管理が必要である」という考え方である。これに対しY理論は性善説の立場から、「人間は放っておいても自主的に進んで何でもやる生き物であり、したがって、自主性を大切にさえすればよい」という考え方になる。

 更にさかのぼれば、実は陽と陰という考え方にもつながっている。こうした考え方はどちらが正しいというわけではない。どちらも正しい。しかしあえて言うならば、陽(市場主義、競争原理、X理論)は必然的に強く、陰(社会規範、協力、Y理論)は弱い。それゆえ陽に傾きがちになる。意図的に陰を働かすようにしないと両者のバランスは維持できない。環境問題は生産をつかさどる動脈経済(陽)が強くなりすぎた結果だし、サブプライム問題とて市場(陽)が肥大した結果である。廃棄物を処理し再生産の下地をつくる静脈経済(陰)の整備が急務であり、サブプライム問題の解決には結局公的資金(陰)が使われた。
 「官から民」とよく言われるが、これは全く逆だ。日本では消費財(陽)はあふれかえっているが、公共財(陰)は貧弱だ。この時の公共財とは無駄な道路やダムではなく、生存権にかかわる健康や教育を含む公共財である。「大きな政府から小さな政府」といわれるが、それは「ゆりかごから墓場まで」面倒を見てきた高福祉国で言われることであって、日本のような国で当てはめるのは間違いである。繰り返すが、現状の無駄や非効率を正すことは必要だ。

 政治学者のベンジャミン・バーバーは『ジハード対マックワールド(註:マクドナルドの世界の意)』という本を書いたが、これは言い換えると「陰」と「陽」の戦いである。原理主義という観点からはどちらも歓迎すべきものではないが、背景にはローカリズムとグローバリズム、スローフードとファーストフードという対立構造もどこかに潜む。ちなみに、ジョージ・リッツァによる『マクドナルド化する社会』という本があり、McDonaldizationという単語まで作られている。

 思い起こせば、偏狭なナショナリズムに陥らず本当の意味での「近代の超克」はいかになしうるのかというのが、学生時代からの20年来のテーマであった。 姜尚中氏の言葉でいえば、「二分法を超えて」ということでもある。

 というわけでダン・アリエリーの『予想どおり不合理』は、今年の前半で最も刺激を受けた本の一つである。読むのが面倒という人は、彼の講演ビデオ(約1時間)があるので是非どうぞ(ただし英語)。本のさわりを分かりやすく話してくれる。もっとも上に書いたような細かいところはしっかり読まないとわからないと思うケド。





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