2010年09月

2010年09月24日

運動会考2

今日の朝日新聞。

運動会対策、体育の家庭教師引っ張りだこ 親も子も切実

コメントはいらないね


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2010年09月22日

がんばれ−運動会考

 3年前に子どもの運動会が終わった後に、書いた文章が出てきた。

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 運動会前になると家の中はにわかに誰が足が速いといった話になって、選抜に選ばれるかどうかは、子供たちの大きな関心事となる。

 ところが、小学生ぐらいだと、何月に生まれたかで同じ学年であっても運動能力がずいぶん違う。4月生まれの長男(5年)は当然のように選抜リレーにも選ばれるが、1月生まれの次男(2年)は選ばれない。

 そこで兄は弟を連れだして、公園に行って走る練習をして、選抜の選考に備えさせるわけだが、弟はやはり今年も選ばれなかった。小さな心は少し傷つく。

 運動会は、みんなががんばるモードになる。親は気合を入れてお弁当を作り、観覧場所を陣取り、カメラを構える。子供たちは、より早く、より正確に、とがんばる。場合によっては、遠くに離れているおばあちゃんまでやってくるので、子供たちのがんばるモードは、極みにいたる。

 で、今年はハプニングがあった。全員が出場する色別リレーで、次男はバトンを受け取ろうと待っていたところ、走ってきた子はバトンを渡し忘れて次のバトン中継地まで一目散に走っていってしまったのである。実は、この中継地ではある組の人数が足りずに、その組は中継を行わずに通過することになっていた。その組の子が通過するのを見て、その子も通過してしまったのだ。

 選抜には出れなかったけれど色別では、と意気込んでいた次男は、呆然として、よろよろと促されて、バトンも無く、その子を追いかけるように次の中継地に走っていった。みんなが寄ってたかって積み上げたがんばるモードは、小さな子供の背中の上で力なく、崩れていった。

 さて、このようなときに、いったいわれわれはどうしたらよいのだろう。
 一つは、がんばるモードの延長で考えることかもしれない。組み体操では、正確にキチンとやることを子供たちに求めはしなかったか。徒競走では不正なく一生懸命走ることを求めていたのではないか。だとすれば、大人もキチンを不正なく対処しなければならない。ここから導かれるのは、「ある組の子だけは通過するというような不公平をそもそも許し、かつバトンの引渡しをキチンと指導できなかった大人の側にあるのだから、競技のやり直しをすべきである」というがんばるモード的解決である。親は、浜口京子の父親のように、審判団に食って掛かり、再試合を要求する・・・という究極のがんばるモードである 。

 だが。果たしてそれが解決方法なのだろうか。「今後はリレーの走る距離を同じにして」「再発防止のために、練習時間をもっととる」というのも、がんばるモードの解決方法であるが、果たして、それが望んでいる解決方法なのだろうか。という違和感が心に生じる。

 実は、この日、もう一つの印象的な光景に出くわしていた。3人4脚や5人6脚によるリレーである。ある組の女の子たちは、早く走ることよりも絶対に転ばないということを至上命題にしているかのように、慎重に慎重に走って―いや、歩いていた。他のチームに抜かされどんどんと差をあけられていく様子に、同じ組の仲間たちは「走れ、走れ」「なにやってんだよ」などと叫んでいる。傍目にも、がんばればもう少し早く走れるだろうと思われた。と、そのとき、背後で「走らなくていいのよ。ゆっくりね。」という、いずれかの女の子のお母さんと思われる声がした。みんなががんばっているのに、がんばらなくていいというその声に、正直、ちょっと不愉快な感じがした。

 だが。次男がトラブルに見舞われたときに、実は私も、「別にいい。がんばらなくていい。」と思ったのである。小さな背中に乗った「がんばるモード」を少しでも軽くしてやりたいと思った。「たかだか、運動会。どうでもいいじゃないか。」ここに、がんばるモードによる解決方法に感じた違和感の正体があるように思う。

 われわれは運動会は誰にでも楽しい出来事と思っていはしないか。でも、運動の苦手な子の中には、運動会は憂鬱以外の何物でもない子がいる。そんな子にとって「さあ、たのしかった運動会の思い出を作文にしましょう」などといわれることはどんなに苦痛なことか。次男の出来事があって、家では次男は運動会のことは多くは語らなかったし、われわれもできるだけ触れないようした。

 さて、ここからは一般論である。多くの子供にとって、競争は楽しいものである。トランプをやっていても勝ち負けをつけたがるし、勝ち負けの緊張感が遊びを楽しいものにする。カナダで昔、友人が「こっちの小学校は勝ち負けをつけるのは良くないって言って、走りっぱなしなのよね。ぜんぜん盛り上がらないのよね。」といっていた。そのとおりだと思った。だから、競争性をすべて排除すべきとは思わない。ただ、個人の力が際立ち、競争性の高いものについては、参加についての任意性を担保すべきではないかと思う。徒競走の憂鬱な子供たちが少なからずいる。それもほとんどは発達段階の違いであって、本人の責任でもなんでもないのに、1位、2位、と順位をつけられて、顔を曇らせている小さな子供の姿を見ることはつらいことである。

 競争性はあっていい。がんばるモードも大切だ。だけれども、がんばるモードだけに、小さな子供たちを追い込まない仕組みを組み込んでおくことが必要だ。私が、全国統一学力試験に反対する理由もここにある。

 すべての家庭において、運動会が楽しい話題となることができるように、大人たち(親、教師)は真剣に考えなければならない。

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【↓この「がんばれがんばれ」は優しいね】





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2010年09月19日

原子力政策大綱ーあと3日

国の原子力政策大綱へのパブコメが9/21まで受け付けられている。

ホームページ入力で簡単に送れるので、ぜひ。

http://www.aec.go.jp/jicst/NC/senmon/seisaku/bosyu/100727/bosyu100727.htm

専門知識が無くても、不安とかそういうものもコメントとしては意味がある。意見を表明しないことには反映もされない。

資料も豊富にあるので、参考にしてみるとよいと思う。

私が特に参考にしたのは、大島堅一教授の資料。処理に関わるバックエンド費用は相当に過小に見積もられているし、もんじゅなどの費用は算定外になっている問題点を指摘している。原発は「経済的利益のために環境を犠牲にしている」と思われがちだが、実は経済的にも割の合わないものであるということ。

ちなみに柏崎刈羽原発の7号機で,16日に「高感度オフガスモニター」の放射線値が通常の2100倍になって、現在原因を調査中。実は、昨年も同様の事故が起こり、一応報告書では中越沖地震との関係はないものとしているようだが、微細なワイヤー片などが回収できずに、燃料棒を傷つけている可能性があると思っている。

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2010年09月18日

フランスのいら立ち?

 フランスでイスラム教徒の女性が全身を覆う衣装ブルカなどを公共の場で着ることを禁止する法案が可決した。
 「女性差別の緩和」などという理由が掲げられているが、どう見ても後付けだ。本当のところは、黒ずくめで得体がしれないから排除したい、というところだろう。

 この法律は以下の点でおかしい。

(1)今回は顔を完全に隠す身なりのみを禁止対象にしている

=>本当に女性差別の緩和が問題であれば、逆に露出を強要するようなものも対象にすべきである。女性であるという理由だけで、スカートの事務服を着させられるというケースである(日本でもあるよね)。

(2)罰則が、着た本人にも課せられる

=>なぜ保護されるべき側が罰を負わなければならないのか。

(3)法の適用が公共の場所に限られる

=>強要はプライベートな空間(家庭や会社内)でこそ、より深刻な問題となる可能性がある。公共空間だけではない。

 つまり、本当に女性差別の緩和を目指すのであれば、「なんびとも性別を理由に、定型の服装を着ることを強要されない」という法律で十分だし、罰則も着た本人ではなく、強要した者だけに与えるべきである。

 このように論理構成が全く破たんしている。そこで、苦し紛れに第二の「治安の維持」という理由が持ち出されるのであるが、唐草模様の風呂敷を抱えた泥棒がいないのと同じで、ヨーロッパにおいて(既にステレオタイプ化された)ブルカを着て自爆テロを行うのは、よっぽど示威的意味をもつときだけだ。本気でテロをするなら、普通の服でやるはずである(爆弾はザックとかに入れて)。爆弾を入れるキャパシティが問題なら振袖を禁止した方がいいかもしれない(既婚者は着れない、という「差別の温床」でもあるし;-)。

 いずれにせよ、こんな理由の希薄な法律が反対わずか1で通ってしまうことに危惧する。一応、国務院が、信教や表現の自由を侵害する恐れを指摘したり、今後憲法会議が公布の是非を審査するらしいが。

 誤解してほしくないが、衣服が差別を助長する装置として機能することは私も認識している。認識しているからこそ、そこで求めれらるのは、着る側の自由と強要の禁止であると言っているのである。


【ヴェイルの歴史は古く、多くの国で見られる】
Veil_Queen_Elizabeth.jpg

Veil_Queen_Elizabeth.jpg

キヌカヅキ 

日本では被衣(かずき)あるいは衣被き(きぬかずき)と呼ばれるらしい。

衣被き


それぞれ引用元は写真をクリック


biwako_strawbale at 18:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2010年09月13日

保険



以前、カナダの友達が教えてくれた Music Video である。

カナダで暮らしたかったら、

(1)銃を捨てて、
(2)カヌーを買って
(3)いろんな民族文化を楽しんで、
(4)それで十分

と、結構、全体笑える歌詞であるが、肝心なのは、

「病院にいっても料金を払う必要が無い」というくだり。

確かに、高度な検査は1ヶ月とか待たないとやってもらえないといった問題もあるものの、公的保険に入っておけば(掛け金もけっして高くない)、一銭も払う必要が無い

サッカーの試合で(へたくそなくせにラグビースタイルでプレーをするものだから)何度か頭を切って縫ってもらったりもしたが、費用はゼロ。出産ももちろん費用はゼロ。

日本の3割負担は、低所得者層を医療機関から遠ざけ、時には死をもたらすという過酷な制度だ。

厚生労働省は国保加入者で失業したものに限り、厳しい条件を課した上で、3ヶ月だけ3割負担の減免が出来るように財政支援をすると今日発表したが、全体の制度設計が間違っているのを部分的に取り繕おうとしているようにしか見えない。




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2010年09月12日

サプライズっ #2

今日はとっても悲しいこともあったのだが、それはまたにして、「サプライズ #2」を。

出張帰りの新幹線。ちょっと打ち合わせのため、1本見送った後の自由席。米原でおりようと立ち上がり、ふと通路を挟んだ隣の席を見るとどこかで見た顔。

あれっと、思いつつもドアが開いたので、急かされるように降りてから、確信のようなものがわいてきた。フォークの神様だ!目をつむっておられたので、まだ十分に確かではないが、フォークの神様だ。

慌てて、車内に残るD大の友人に電話をして、「京都でおりたなら、きっとフォークの神様だ」といった。実は、この友人と一緒に15年ぐらい前に、バンクーバーで彼のミニコンサート(ちっさなクラブで開いた)に行っているのだ。

「やっぱり岡林さんだったよ。」と、しばらくしたら電話がかかってきた。「バンクーバーから帰国されたのですか」「はい、D大で教員をしています」というような会話があったそうだ。

前にも書いたけど、近江八幡の小さなうどん屋さんでお会いしたことがあって、弟さんが近所におられるということで驚いたのだけれど、今回もいくらでも空席があるような新幹線で隣におられたのには、まさにサプライズ!こんなことあんねんな。

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2010年09月10日

サプライズっ

今朝、犬の散歩に出たら、いつもライブをやってくれるご近所さんの所に、どこかお見かけしたヒトが・・・東田トモヒロさんだ!

なんでも、昨日、apakabar でライブがあったらしい。情報不足
(スタッフさん、つぶやいておられます)

最近は辻信一さんとも親しくされていて、サティシュ・クマールさんのDVDに曲などをつけているそうだ。

今回は宿泊だけで、ご近所さんライブはなし。でも「企画します!」とご近所のMさん。よろしく!

藁の家にも興味があって、少しお話を。益戸育江(高樹沙耶)さんもご存知のようで、「ウチをやってくれた小林親方が行ってやったんですよ」と自慢をしておいた

ああ、それにしてもやっぱり、歌聞きたかったな。

とりあえず今日は、前のとは別の動画、貼っておきます。





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2010年09月08日

辺境の・・・

 先週のハッピー・フォレスト・プロジェクトは結局いかなかった。

 森の中の、ライブやその他イベントはとってもいい雰囲気なので、いきたかったのだが、子どものサッカーの試合やらで、ちょっとスケジュールがタイトとの判断。
 
 でも、前夜祭に出演のKAZZさんが、ご近所に泊まっていて、こじんまりと前夜祭の前夜祭を自宅近くでやってくれたので、それに参加。森のなかもいいけれど、浜風に吹かれながらもよい。
 
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 そうそう、エアコンついた! 町内の電気屋さんが探してくれて、とうとうついた。感謝!

 電子レンジもない、妻子とも携帯もない、というある意味「コア」な、そしてある意味「ペリフェリー(Periphery)」な我が家であるが、エアコンについては陥落といったところか。ちなみに、エアコンの普及率は、地域によっては涼しいので必要も無いところがあるので、88%(2009年)、一方、電子レンジの普及率は97.5%(同)らしい。あっ、我が家の場合、もちろん地デジ対応もしてないし、テレビはブラウン管だ。

 今年の暑さは、文字通り「殺人的」であった。やむを得ず、エアコンの効いた環境と(これも効き過ぎのところがいっぱいある)、我が家のようなところを行き来していると、とうとう自律神経がおかしくなって、ある朝体温調整がうまく行かなくなった。「これはヤバい」とどこか生命の危機を感じたのが一つの理由。 
 
 たかだか1度、2度というけれど、生物にとって1度、2度は生きるか死ぬかの問題だ。36度の体温が2度あがれば、相当につらい。長続きすれば死に至るだろう。

 結局、エアコンをつけるかどうかは別にして、いざというときは、つけられるという安心感を手に入れたような気がする。



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2010年09月02日

エアコン

 6〜8月の全国の平均気温は平年より1.64度高く、特に8月は2.25度も高かったらしい。これは、いわゆるヒートアイランド現象の影響を受けにくい国内17地点の平年との差を平均して算出したもので、逆に言えば都市部はもっと暑かったということか。

 で、エアコンのない藁の家の住人も、さすがに音をあげ、とうとうエアコンを買う決意をした・・・

 ところが無いのである。クーラーが。量販店にいっても「今から注文いただくと10月ぐらいの入荷になるかと」といった感じ

 また、琵琶湖に浸かるしか無いか。

 ところで、その琵琶湖、今が泳ぎ時である。水は本当に澄んでいるし、水温も真夏はぬるくて気持ち悪いぐらいだったのが、ちょうどいい。夏休みも終わったので、人も少ないし。サイコー。

 そうそう、手の腫れもほぼ治まりました。

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