2010年10月

2010年10月31日

さしあげます

収納を作り付け、これまで使っていたリビング・ボードが不要になりました。どなたか使っていただけないでしょうか。

リビングボードブログ用




高さ   1920mm
奥行き  405(中段、上段)〜555mm(下段)
幅    1600mm (テレビ収納用幅 900mm)

興味のある方は、直接メールでご連絡いただくか、コメント欄に連絡方法をお願いします(コメント欄は非公開になっています)。


biwako_strawbale at 15:11|PermalinkComments(0)clip!

2010年10月26日

薪ストーブ点火

多分、今日あたり、いっせいに薪ストーブに日が入ったのではないか。

こうして記録しておくことも後で備忘録となる。

で、ゆっくりとウクレレでも、と思ったら、どうやら早速イタチ君(らしき)が天井裏に来訪。季節をわきまえておられる。昨日、家の前の側溝を夜中に歩いていた奴か。穏便に退散願うように、画策中。


こんなサイトを見て練習しています↓
生活の柄」「プカプカ」「ティップ ティップ」なんかもあります!



自分のYoutubeデビューは当分先になりそうです。

biwako_strawbale at 22:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2010年10月24日

記憶の銀行

覚えることが苦手である。暗記科目が苦手で子どもの頃、真剣に自分は記銘障害ではないかと悩んだ。今でも、歴史上の人物が覚えられない。歴史の時代区分もよくわからない。こんな状態で、某大学の史学科に行ったというのが信じられない。

漢字も苦手である。読むのはおそらく人並み以上であるが、書けない。書き順などはもってのほかである。

ドストエフスキーの「罪と罰」は名前の複雑さに、あきらめた。

もっとも高校の時に友達とおもしろがって円周率や般若心経を覚えたりしたから、まったく記憶が無理という訳でもなさそうだ。

要するに、興味のないことは覚えないということだけなのかもしれない。

*****

いわゆる記憶障害には、覚えることが出来ない「記銘障害」や、思い出すことの出来ない「想起障害」、そして逆に何でも記憶してしまう「記憶亢進」など様々あるという。

忘れっぽいのはすてきなことです、そうじゃないですか」と中島みゆきは唄ったが、記憶が薄れることがないというは、痛みも悲しみも、いつまでもいつまでも今のものとして存在するために、辛いものになる

逆に「博士の愛した数式」のように、短時間の記憶しか保持できないとすれば、それもとても生きづらい話だ。

つまり脳は−少なくとも正常に機能しているときはー、我々のために記憶と忘却を絶妙に操ってくれている。

*****

我々の記憶は色あせる。まして、死んでしまえば残らない。そこで「記憶の銀行」という取組がある。オーラル・ヒストリーとも言える。とくに、世界大戦を経験した人の記憶は語り継がれなければならない。

その意味で「蟻の兵隊」は衝撃のドキュメントだった。

「記憶の銀行」はとりあえずは高齢者を対象にしているが、例えばイラク戦争を体験した若者の話にも耳を傾ける必要がある。

語られた記憶は真実であるとは限らない。先にも述べたように色あせるし、逆に誇張される所もあるかもしれない。しかしその歪みを矯正して眺めれば、やはり真実が見えてくるはずである。

MEMORO「記憶の銀行」のブログ <=10月24日 滋賀大学経済学部 ジャーナリズム論

biwako_strawbale at 21:38|Permalinkclip!

2010年10月23日

友人のキムキガンのブログにかぶせて、について書いてみる。

実は、自分の名前を辞書で引くと2番目辺りに「中国の伝説で、にあるという木」と出てくる。

お酒の名前にも「」との組み合わせて、いくつか使われているのはそういうことだ(#1#2)。

ちなみに「男」という字をつけると「にすむ妖怪」となる。しかし嬉しいのは「妖怪とはいえ、雅やかな名前を持ち仙人のような性質で、絶世の美男子の姿をしている。」とのこと(wikipedia)。まあ、むべなるかな、と言ったところか

ところで、最近SIONという人のにわかファンとして彼の曲をよく聴くのだが、彼もよくを題材にしているように思う。

例えば「月が一番近づいた夜」。

そうあってほしいという願いが聞き入れられそうな夜を切なく唄っている。

もう一つは、「ぶるうむうん」。

ぶるうむうん
作詞・作曲 SION

なによりも強く あいつの次に優しい
力が抜けた後で 力が湧いてくる
昨日もダメで 今日もダメだった
だから明日 できるかもしれない


人として「あの人に会うと力が抜けて、そして力が湧いてくる」と言ってもらえるような人になりたいと思う。力が出るためには、力が抜けることが必要だ。

その真逆は「力が入って、力が発揮できない」。つまり、相手を萎縮させ、相手の力を引き出せないような人。

昨日もだめで、今日もだめだった。だから明日、出来るかもしれない。のような人になれるかもしれない。

【追記】名前からしてSIONはクリスチャンかな。「あいつの次にやさしい」の「あいつ」は神様だしね。

biwako_strawbale at 01:05|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2010年10月19日

【本日】滋賀エコキャンドルナイト

ひこねキャンドルナイトの協賛イベント

小さな明かりを灯そう〜滋賀エコキャンドルナイト〜 滋賀エコプロジェクト

日時: 2010年1019日17:00〜20:00
場所: 滋賀大学経済学部生協広場

廃油から精製されたバイオディーゼル燃料を使ってエコなキャンドルを作り、皆様とともにエコな夜を過ごしたいと考えています。当日はキャンドル作りの体験をすることもでき、これに参加してくれた方や、お家から廃油をお持ちいただいた方にはプレゼントもご用意しています。恋人、お友達やご家族の方とご一緒にぜひ見に来てください。

この次のイベントは11月6日です

no title

↑当日の様子は、写真をクリック

biwako_strawbale at 07:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2010年10月18日

てんびん

曇り空、ふたりで
作詞・作曲 SION

心ない声が
心ある君を
悲しませつまずかせて
また大切を破く

真面目に生きてたら
報われたのはいつまで




 好きなことばかり選んでいられればこんな気楽なことはない。

好きで生きていきたい
作詞・作曲 SION 

好きで生まれて来た訳じゃない
選んで暮らしてこれた訳じゃないけど
好きで 生きていたい


 重たい手荷物を片手に持つよりも、どうせならそれと同じ重さのものをもう片方の手に持った方がバランスがとれる。少し歩くのが楽になるのだが、持っている重さは2倍になっているので、それは結局、膝に来たりする。

 実は、仕事が忙しくなればなるほど、ストレスがたまればたまるほど、それとバランスをとるように、仕事とは別の何かがしたくなる。音楽を聴いたり、ウクレレを弾いたり。仕事とは直接関わりのない仕事を受けたりするのもその一つだ。
 したくなるというよりも、しなければ崩れてしまうような感覚だ。そこだけ見れば、実に気楽にやっているように見えてしまう訳だけれど。

 嫌な仕事をするもう一つの秘訣は、それは楽しいものにしてしまうことだ。「相手の弱点を自己組織化の起点とする」(内田樹)ということだ。どうせやらなきゃならないのであれば、自分なりの工夫を入れて、楽しいものにする。楽しいものにすれば、自ずと出来上がったものの質は上がっているものだ。

 嫌々やったものは、いくらごまかしても「嫌々やった」というオーラが見え、結局は誰にも感謝されないし、自分にも嫌な気持ちが残るだけだ。

 この方法の唯一の欠点は、これまた楽しそうに見えてしまうこと。実は、苦労や工夫をいっぱい重ねているのだけれど。

マイナスを脱ぎ捨てる
作詞・作曲 SION

マイナスを脱ぎ捨てる
新しい朝をつかまえる為に

幸せは一人では歩かない いつも不幸せと連んで歩いてる
だからこのどん底の横には 喜びの朝だっているだろ

風に鳥になれるわきゃあない だから這ってでも行かなきゃよ
動かずに抜け出せる 贅沢なトンネルはない

マイナスを脱ぎ捨てる
この先にある光を浴びる為に


 心の中に大きな壷を想像してみる。同じ道を歩いたとして、花を摘めばやがて花は壷から溢れ、人に降り注ぐ。逆に、悪いところばかり探して、それを拾い集めたしたら、たどり着く頃には、壷の中身は「恨み」や「罵り」があふれかえるばかりである。

 10ある仕事を8やってある時に、「8もやっておいてくれた」と感謝するのか、それとも「2もやり残してある」と恨むのか。

 心の壷に花を摘む人は必ず幸せになれる。

「ぼくね、幸せなんよ。今、本当に幸せなんよ。」

biwako_strawbale at 00:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2010年10月12日

Unwind

no title カレンダーは3連休だったけれど、持ち帰りの仕事が山ほどあって、パソコンに向かうことも多かった。
 昨日は天気が良かったので次男とミニサイクリング。湖岸のカフェで自家製ジンジャエールを頂く。
 仕事のことを忘れられる清涼な時間。




biwako_strawbale at 07:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2010年10月05日

幸せ

ちょっと前に、悲しい事があったって書いた。

悲しいのは、友人や知人が火事や泥棒や事故に遭うこと。

今回のその悲しい事も、いつも人の事ばかりしか考えていないような友人が事故に遭ったことだった。

車は跡形もないほどに壊れた中で、奇跡的に彼の体だけは助かった。それでも頭部から肋骨、内臓の損傷までを負った。

子どもが路肩を歩いているとすぐにブレーキを踏むような彼が,なんでそんな目に遭わなければならないのかと、悲しいやら悔しいやらの気持ちでいっぱいになった。

そういう事が実に多いのである。学祭の実行委員長で、クラブ活動にも環境問題などにも積極的に取り組む、リーダー的存在の学生が4回生の夏に溺れてなくなった事もあった。内定も決まっていて、これから社会に出てどれだけ活躍してくれるのかと嬉しく思っていた矢先だった。こういう事が一つや二つではないのである。

どうして神様はこの人たちを選ぶのか、と。

        * * *

退院はしたもののまだ痛みが各所に残る中で、先日彼にあった。

事故からまだ3週間もたたないにも拘らず、その回復ぶりにも驚いたが、それよりも驚いたのは、心配する我々に彼が言った言葉である。

「ぼくね、幸せなんよ。今、本当に幸せなんよ。」

彼が事故に遭ったと聞いて多くの人が心配して、病院に駆けつけたり、電話をくれたりしたという。それも彼がこれまでしてきた事の当然の結果でしかないと思うのだが、彼はその事を幸せという。

神様がこの人たちを選ぶのは何か理由があるのかもしれない。

biwako_strawbale at 07:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!