2006年12月13日
不敬とならざるをえない支持者たち
教育基本法改正案と防衛省昇格法案が採決されようとしている。この間のマスコミ報道はお粗末の一言である。「防衛省」法案が衆議院をまさに通過しようとしている前夜の報道ステーションでは、阪神・井川の落札が多くの時間を割いてトップで報道されていた。「防衛省」法案については、3番目ぐらいに「こういう法案が我々の知らない間にスーッと通ってしまうのでしょうか」というような短いコメントともに伝えられただけだった。他人事のようなこの報道姿勢の背景には、哀れみの感情しかわかない。スーッと通してしまっているのは誰なのか。
それにしても、「天皇制を支持する者は天皇を支持しない」という一見逆説的なことが、なぜかくもしばしば起こるのであろうか。国旗国歌について、現天皇に「強制のないように」と諌められても聞かない将棋指しとか、前天皇が「自分は行かない」といっていた神社に参拝に行くどこかの首相とかも然りである。
しかし考えてみれば、これは逆説ではなく必然である。なぜならば、天皇制は制度という「モノ・コト」に属するものであり、一方天皇は「ヒト」であるからである。憲法では天皇は象徴(シンボル)とされているが、ヒトをシンボルとすることは無理がある。「○○のシンボル」のように、ヒトがシンボルとなれたとしても、大体においてそれはわずかの期間である。それはヒトが有機体で揺らぎを持つからである。そもそもシンボルとは、個人や家、会社などの有機体を、紋章などの揺らぎのない無機物に代理させて表したものであって、その逆ではない。
「天皇制を支持する者は天皇を支持しない」という命題は、その支持する天皇制が旧憲法下のものであるか、新憲法下のものであるかは問わず普遍的である。新憲法における天皇制を支持する者はそもそも天皇は象徴にしか過ぎないと思っている。後継者問題に際して、不敬(?)にも「天皇は我々とは別なんだ。人権なんてないんだよ」と言い捨てた天皇制支持者がいるが、まさに典型である。人権は憲法以前の問題であるということがこうした人は分かっていない。
旧憲法においても、天皇制と天皇との乖離は大きかった。「天皇制によって独裁を防止できる」という人がいるが、歴史を見ればむしろ逆で、天皇制を利用して独裁が行われてきた。
いずれにせよ、私は天皇制を支持しないが、「強制のないように」という天皇の言葉は支持したい。教育基本法改変と防衛省昇格は支持しない。
それにしても、「天皇制を支持する者は天皇を支持しない」という一見逆説的なことが、なぜかくもしばしば起こるのであろうか。国旗国歌について、現天皇に「強制のないように」と諌められても聞かない将棋指しとか、前天皇が「自分は行かない」といっていた神社に参拝に行くどこかの首相とかも然りである。
しかし考えてみれば、これは逆説ではなく必然である。なぜならば、天皇制は制度という「モノ・コト」に属するものであり、一方天皇は「ヒト」であるからである。憲法では天皇は象徴(シンボル)とされているが、ヒトをシンボルとすることは無理がある。「○○のシンボル」のように、ヒトがシンボルとなれたとしても、大体においてそれはわずかの期間である。それはヒトが有機体で揺らぎを持つからである。そもそもシンボルとは、個人や家、会社などの有機体を、紋章などの揺らぎのない無機物に代理させて表したものであって、その逆ではない。
「天皇制を支持する者は天皇を支持しない」という命題は、その支持する天皇制が旧憲法下のものであるか、新憲法下のものであるかは問わず普遍的である。新憲法における天皇制を支持する者はそもそも天皇は象徴にしか過ぎないと思っている。後継者問題に際して、不敬(?)にも「天皇は我々とは別なんだ。人権なんてないんだよ」と言い捨てた天皇制支持者がいるが、まさに典型である。人権は憲法以前の問題であるということがこうした人は分かっていない。
旧憲法においても、天皇制と天皇との乖離は大きかった。「天皇制によって独裁を防止できる」という人がいるが、歴史を見ればむしろ逆で、天皇制を利用して独裁が行われてきた。
いずれにせよ、私は天皇制を支持しないが、「強制のないように」という天皇の言葉は支持したい。教育基本法改変と防衛省昇格は支持しない。