2013年12月17日

民主主義について

民主主義とは人々(demo)が支配する(cracy)という意味である.
支配というと堅苦しいが、「みんなで決めよう」というぐらいの意味だと思うとわかりやすい.

民主主義=多数決と考えている人が多いが、無理も無いことである.日常会話でついつい「よし民主主義で決めよう」といって多数決をとることがあるからだ。しかしこれは間違いである.

民主主義の基本は「話し合い」である。例えば、10人の人がそれぞれ10万円ずつ稼いでいる社会を考えよう.合計は100万円である.

100=10+10+・・・+10+10

いま、何かの政策を行うことによって,9人の収入を11万円にあげることが出来るとしよう.ただし、最後の一人は0円になってしまうとする。

99=11+11+・・・+11+0

単純に多数決をとると収入のあがる9人が賛成をして、1人が反対.可決してしまう.ところが、社会的には以前より99万円に下がってしまっている.最大多数ではあるが,最大幸福ではない.

では、9人の収入が12万円になるケースではどうか.これまた賛成9に対して反対1で可決である.社会の合計は108万円で以前より増えている.最大多数の最大幸福が達成されている.

108=12+12+・・・+12+0

が、しかしである。これで本当に良いのであろうか.

そこで話し合いの登場である.多数決をとる前に話し合いをしてみる.いろいろな意見が出るだろう.そのどれもが「正解」という訳ではない.

しかし、例えば次のような提案はどうだろうか.

2万円あがる人は、それぞれ1万2千円ずつ拠出をして,この政策によって0円になってしまうかもしれない人にあげるのである.当初の9人は実質8千円しか増えないことになるが,最後の人も1万2千円×9=10.8万円と以前より8千円あがることになる.

108=10.8+10.8+・・・+10.8+10.8

誰一人として以前より収入を減らすこと無く,みんなの収入が上がっている.経済学ではこれをパレート改善と呼ぶ.

この場合、決をとるまでもなく満場一致で採択.めでたし,めでたし,である.

じつは多数決は民主主義(話し合い)で決まらないときの最終手段であり、民主主義の根幹からは一番遠いところにある.同様に,最大多数の最大幸福もかならずしも民主主義ではない。

最大多数の最大幸福というのはベンサムという人の考え方で,それを社会的厚生関数で表すと、これまで使ってきたように,

100=10+10+・・・+10+10

のような形になっている.足し算だから,誰かがゼロになっても,ほかが大きく増えていれば問題が無いということになってしまう。自分さえ良ければという考え方である.

そこで経済学ではさまざまな社会的厚生関数が提案されているのだが,例えばナッシュ流とかロールズ流の社会的厚生関数というのがある(詳しくは厚生経済学の教科書を参照のこと)。

ナッシュ流は「社会の幸せは足し算ではなくて,かけ算で考えよう」というものである.この考え方に従えば一人でもゼロの人がいたら,全体もゼロになってしまう.だから政策を考える人は,ゼロを出さないように,そしてできるだけみんなが公平になるように,政策を考えるようになる.

民主主義とは話し合いをして,他人を思いやることと言い換えても良い.少数意見の尊重と言われるゆえんである.民主主義=多数決,あるいは民主主義=最大多数の最大幸福ではないのである.

さらに、議会制民主主義についても一言。代議員制も、本来はみんなで話し合った方が良いけれども,何万人も,何千万人も集めた会議は出来ないよね,ということからできた苦肉の策と見るのが良い.だから、「選ばれた議員によって決まったことに反対するのはおかしい(民主主義に反する)」というのはちょっと違う.

間接民主制が苦肉の策であることの証拠として,法体系にはそれを補完するシステムがさまざま搭載されている.国民投票,違憲立法審査権というのもそれだし,人々には請願権がみとめられている。地方自治においてはリコールの権利もある。集会の自由もその一つである.諸外国でデモ(歩く集会)は民主主義の重要な機能を果たしている.議会が必ずしもみんなの意見を吸い上げているとは限らないときに、こうした機構が働くように設計されているのである。デモは民主主義社会の証といわれる.民主主義の無い国ではデモはないか、あっても弾圧される.

他人への思いやりを実現すべく話し合い,必要とあらば多いにデモをしましょう。

biwako_strawbale at 17:40│Comments(0)TrackBack(0)clip!

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔