抱懐

2009年03月03日

東大合格生のノートは本当に美しいか?

東大合格生のノートは必ず美しい」という本がある。この「必ず」という一言に、二つの意味でカチンとくる。ひとつは、そんなはずはないだろうという思い。もう一つは、「カチン」とくるということ自体が相手のマーケティングに引っかかっているということが、さらに「カチン」とくるのである。

 東大に行った友人を思い浮かべてみても、必ずしもノートがきれい(もしくはきれいそう)な奴らではない。面白いのは京大に行った友達になると、ノートのきれいな奴の確率は何となく下がるような気がするので、そういう意味では東大に行く奴のノートはきれいである傾向にあるのかもしれない。

 色平哲郎さんというお医者さんがいる。東大を中退し放浪ののち、京大医学部を卒業した彼は、こんなことを書いている。

小学生ころから変わっていた。九九は半分しか覚えなかった。
九の段は、九九八十一とだけ覚えた。九八は八九と同じはずだ。
九七は七の段でやったじゃないか。裏九九を覚えていない分、筆算では慎重になり、決して間違えなかった。
 ある時、怒りとともに、突然気づいたことがある。試験のことだ。
 正々堂々と、腕組みをして先生の授業を集中してきく。その場で理解できるだけ理解して覚え、それで「勝負」する。世間知らずにも、そう信じていた。
 ところがなんと、「ノート」というメモを取っているヤツがいる。その上、試験前に読み返して覚えるヤツまでいるという。なんて卑怯(ひきょう)な連中だ……。
 十歳の私は、この時初めて、試験の「常識」を知った。

 彼は小学校時代に、「将来、自分が漢字を使うとは思えないと子ども心に判断、漢字の試験はマルバツを書いて通した」らしい。

 僕自身、九九は半分でいいと思っていたし、漢字も形さえあっていれば用は足りると思っていた(右と左の書き順は最近覚えた)。ノートについても、おおよそ自分のノートなどというものは存在しないか、したとしても使いものになるようなものではなかった。だから、期末試験の前になると、キチンとノートを取っている友達に電話をし、その彼が勉強を終えるのを待ってから(たいがいは夜の10時ごろ)、ノートを借りに行って、翌日の試験に臨むというような状態だった。

 その後の色平さんのノートが、きれいかきたないかはわからないが、勝手に想像するに、きっとあまりきれいではないと思う。

 偏見かつ自己弁護かもしれないが、字が汚い人にはユニークな人が多いような気がする。大仰な言い方をするならば、書き順や定形に縛られるということはいわば権力にからめとられることであり、文字の本質は単なる記号であって我々の「しもべ」であるはずだということを子供ながらに感得している。該当する何人かの友人を思い浮かべてみても、反権力的で、物事の本質を見抜く力が強く、そしてやさしい人が多い。

 とはいえ、やっぱり結婚式とかの受付で字を書くときは、恥ずかしい。ノートだって、ちゃんととれたらうれしい。というわけで、東大合格生用とは違うのだけれど、コーネル大学方式のノートをご紹介。学研から販売されているが、実はここのサイトで自分でPDF形式で作れる。名前や所属も入れられるし、罫の幅や色もお好みに設定できるので、大変お勧め。Advanced Optionsを開いて、A4の両面を指定するとよい。


biwako_strawbale at 02:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年01月19日

ヒーロー

 航空機の不時着に成功し、一躍ヒーローとなった機長。すぐさま救助に向かった周辺の船も含めて、「こういう時って、アメリカ人はすごいよな」と思ってしまう。

 しかし皮肉なのは、「こういう時」という留保がつくこと(多くの素晴らしいアメリカの知人友人がいるのでひと括りにするのは正しくないのだけれど)。
 この機長は多くの命を救ったが、中東問題ではアメリカは直接間接に何万、何十万という人の命を奪ってきた。今回のイスラエルの攻撃についても、議会は圧倒的多数でイスラエル支持を可決(下院で390対5)。この機長が賞賛されることと、おびただしい子供たちの遺体を前にしてもなおイスラエルが支持されることが、私の中では一致しない。

 この決議に反対した数少ない議員の一人であるロン・ポール氏は、以下のように述べている。

 「議長、私は今回の決議に強く反対いたします。<中略>いまや推計で700人のパレスチナ人が殺され、その大多数は非戦闘員なのです。死者には、多くの罪もない子供たちも含まれています。イスラエルに打ち込まれるロケット弾は許し難くはありますが、しかしガザの幾人かによるこうした暴力行為によっても、これほどの規模にわたるパレスチナ人の殺戮は正当化できません。<中略>議長、決議によって中東の戦闘と流血が減じることにはなりません。『ユダヤ人国家、民主国家としてのイスラエルの幸福と安全保障、生存に対する力強い支援と確固とした関与』をうたう決議は、実際には我が国をこの紛争により巻き込むことになるでしょう。あらゆる国の生存を保障するほうが、真にわが国の利益になるのではないですか。」(原文 訳は週刊金曜日2009年1月16号より)

 テキサス選出の共和党議員である彼の発言のほうがよっぽどまともに見える。

 さて、実はこれもあまり報じられていないが、ガザ攻撃参加を命じられたイスラエル軍兵士の中にもその命令を拒否した者たちがいる。

 命令を拒否したノエム・レブナ中尉は「われわれは数百人の子どもを含む九百人のパレスチナ人を殺してきた。罪のない市民の殺害は正当化はできないし、誰もこの種の殺りくを正当化できない。ガザで引き起こした憎しみと怒りは、われわれに跳ね返ってくる」と語ったとされる。(赤旗2009年1月14日号

 ロンドンでは数万人の市民がガザ攻撃に抗議するデモを行った。

 イスラエルは一部撤退を開始したが、その背景にはこうした人々の小さな積み重ねがあるのではないだろうか。殺戮をとめる力は、ハマスのミサイルにではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義」の中にこそあるといわざるを得ないのではないか。

 機長はヒーローであることは間違いない。しかし、ならばこそ、決議に反対し、命令を拒否し、そしてデモに参加した彼らもまたそうである。多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝とおなじように。


biwako_strawbale at 22:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年12月03日

司法をめぐる現状(1)

書きたいことは山ほどあるのだが、忙しいので。

舞鶴の事件で家宅捜索に弁護士が立ち会ったという件。まことに立派な、正当な弁護士である。捜査関係者に被害者の髪の毛一本、血液一滴でも室内に置かれたら冤罪は簡単に成立してしまう。鴨居に万年筆があったように(狭山事件)。

「あんな悪い奴の弁護をするなんて」という人がいるが、悪い(といわれている)人がいるからこそ弁護人が必要なのである。そして、「悪い」のかどうかを審議するのが裁判であり、「悪い」と決まったわけではない。刑事事件に限って言えば、弁護士とは「悪いといわれている人の弁護をする人、そして真実を明らかにしようとする人」と定義できる。橋下知事は自ら弁護士でありながら、そんな基本的なことが分かっていないようである。

ところで武田鉄也のラジオ「今朝の三枚おろし」はここのところ、光市母子殺害事件を扱っているが、検察と被害者家族側の視点に立った一方的な垂れ流しで、聞いていて呆れてしまった(録音で一週間分聞けます)。

光市の事件では、異様なまでに被害者側に立った一方的な事件報道が行われた。BPO(放送倫理・番組向上機構)も事態を憂慮する見解を発表している。そうした中で一部、逆の視点からの報道もあった。TBSは「報道の魂」の中で被告や弁護団の視点で取材を続ける綿井健陽さんを取り上げ、また、東海テレビは「光と影〜光市母子殺害事件 弁護団の300日〜」という番組を制作した。「光と影」は日本民間放送連盟賞・番組部門テレビ報道番組において最優秀賞を受賞している。

先々週、綿井さんは被告の描いた絵や手紙などを見せながら、事実を丹念に積み上げていくといかに検察側のストーリーがまさに「荒唐無稽」であるかを示してくれた。詳細についてここで論じる余裕はないが、前述の二つの報道番組を見てもらえれば大方納得してもらえるだろう。

侵略された側としてのイラクを取材した綿井さんがなぜ、平和な家庭を侵略した元少年の側に立つのか。綿井さんは国家に殺される側としての共通性と、それから報道が一辺倒に流れているときに逆の視点を提供することの重要さを挙げた。

「フセインを殺せ」「少年を殺せ」。『「殺せ」「殺せ」の大合唱』の中で、綿井さんは常に「殺すな」「殺すな」と言っている。綿井さんはもちろん事実を重視するジャーナリストである。大量破壊兵器が見つからなかったように、「殺せ」「殺せ」の大合唱の前に、少年の事実もイメージも大きくゆがめられていることを知っているのである。『「殺せ」「殺せ」の大合唱』は綿井健陽さんが2006年に記したブログのタイトルである。

それにしても、武田鉄也は教育者ではなかった。少年の行いは許し難いものである。しかし、少年の生い立ちや未熟であることを理解し、寄り添いながら贖罪を促すのかと思っていたら、「殺せ」「殺せ」の輪の中に立ちこぶしを振り上げていた。

彼は内田樹に傾倒しているようだが、ちっとも理解していない。「相手の弱点を自己組織化の起点とする」ということの意味を分かっていない。

つづきはまた。


biwako_strawbale at 00:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年10月17日

孤独なギャンブラー

セーフティネット 給料が上がらない。手取りの給料をここで書いたらほんとにびっくりする程度である。約9年前とくらべて4万円ほど上がっただけである。昇給は繰り延べされる一方、介護保険をはじめ保険料の増加によるところが大きい。
 さてそれに比べ。米谷ふみ子によれば、財務長官のポールソンはゴールドマン・サックスを辞めるときに12億ドルもらったという。メリル・リンチの重役の年収は7600万ドルとか9500万ドルとからしい。皆さん、単位をよくみてほしい。円ではなくドルである。12億ドルということは1200億円だ。7600万ドルは、76億円である。しかも年収。野村證券が引き受ける破綻したリーマンの社員の平均年収は約4000万円で、野村は今後もそれを保障するという報道もあった。
 儲けるときにはさんざん儲け、分が悪くなると、泣きべそかいて国にすがりつく。ワシントン・コンセンサスだ、金融ビックバンだ、ペイオフ解禁だ、と叫んでいたやつらが、政府の資金注入を求め、預金の全額保護を言い出す。そりゃそうだろうな。ポールソンの資産価値は株で持っていたとしたら半分ぐらいになっちゃったんだろうから。
 日本も金融機関に予防的に公的資金を注入できるようにする「金融機能強化法」の復活を議論し始めているという。でもそれって、政府が個人資産の形成や保護にお金を出しているってことじゃない? しかしながら、一方で日本政府は地震などの被災者支援に関して「個人の資産形成に税金は使えない」(小泉内閣における政府見解)という立場をとり続けている。「家を持っていない人に不公平だ」ともいう。
昨年、健康保険のない子供のために健康保険を作るという案が議会で可決されたのに、ブッシュは国に資金がないとの理由で拒否権を使ったそうだ(米谷)。
 彼らはセイフティネットを底辺には決して張ろうとしない。彼らは市場主義者でもなんでもない。リスク覚悟の孤高なギャンブラーとしての矜持も保てない、ただの気弱で卑怯な守銭奴でしかない。

biwako_strawbale at 21:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年09月29日

 本日(正確には昨日)は大阪出張。すっかり秋らしくなってきた。帰ってきて、「イヤー。今日あたりはストーブつけたいね」といったら、家人に「あんたがTシャツと短パンをやめたらね」といわれた。着慣れぬ背広を帰ってくるなり脱ぎ捨てて、Tシャツにパンツ一丁だった僕は返す言葉もなかった。ごもっとも。

 子供たちは、浦和レッズVS名古屋グランパスの試合を見に行ってきた。帰ってきたのは12時過ぎだった。JFLの試合はよく見に連れて行くのだけれど、J1のしかもトップ争いをしているようなチームの試合が見られたのはよかったかも。高原、闘莉王、玉田なんていうテレビでしか見たことの無い選手を間近で見て、興奮して帰ってきた。

 さて、明日からの一週間は怒濤の一週間。うまく乗り越えられるか?


biwako_strawbale at 00:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年09月04日

ヤギのおじちゃん

 子供の頃住んでいた集合住宅の2階に、「ヤギのおじちゃん」と呼ばれる人がいた。禿頭(とくとう)に、真っ白なひげをサンタクロースのようにたくわえた姿はまさに「ヤギのおじちゃん」と呼ばれるにふさわしかった。
 既に引退をされていると見え、体も弱っておられたので、正確には「おじいちゃん」と呼ぶべきであったのだが、「ヤギのおじちゃん」もしくは「ヤギさん」と呼び習わされていた。
 身の回りの世話をする親戚の年配の女性と暮らしておられ、5〜6歳だった僕は、夏場だとカルピスを目当てに、またそれ以外のときでも遊び相手が見つからず、どんよりと退屈な時間などには、「ヤギのおじちゃん」の扉をたたいた。「おばちゃん」と差し向かいで飲むカルピスは、なんとも落ちつかなく、解けた氷のカランという音が部屋中に響き渡るような気がした。
 カルピス以外にも目当てはあった。おじちゃんの寝ているベッドの枕元には小さな引き出しがあり、そこにはいつも子供用のお菓子が入っているのだった。
 時折、おじちゃんは手品を見せてくれた。手に持ったタバコ(両切りのピースだった)は耳の穴の中に消えて、大きなおでこからそれは再び現れた。頭をたたくと舌が出て、のどの皮を引っ張るとその舌は引っ込んだ。

 「ヤギのおじちゃん」が実は山羊に似ているからそう呼ばれているのではなく、「八木のおじちゃん」であると知ったのは、おそらくは小学校の中学年になった頃ではないだろうか。しかし、それはまだ小さな驚きにしか過ぎなかった。八木家への訪問は、お菓子やカルピス目当てであることがなんとなく恥ずかしく思い始めるこの頃まで続いたと思う。
 小学校の高学年になって海外などの短波放送を受信したり(当時はBCLといった)、自分でラジオを作ったりするようになって、「八木のおじちゃん」は実は八木秀次といい、世界に冠たる八木・宇田アンテナの考案者であることを知った。
 そして「八木のおじちゃん」は僕が中学に上がる直前に他界された。そして、亡くなったその年の夏に、僕はアマチュア無線の免許を取った。

 八木秀次氏は、東京工業大学学長、大阪大学総長を歴任し、文化勲章まで受けている。そうとは知らずに、5歳の僕はその禿頭をぴしゃぴしゃと叩いていた。時代はデジタル放送に変わりつつあるが、地上波デジタルの受信にもいまだに八木・宇田アンテナが使われている。だから、ふと見上げた家の屋根やホームセンターなどでアンテナを見かけると、ヤギさんのタバコのヤニに焼けた指先やごわごわの髭を、僕は懐かしく思い出すのである。


biwako_strawbale at 01:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年09月03日

なんだかなぁ(二題)

(その一)
 ペットボトルのキャップを集めるとポリオのワクチンが買えるらしい。「なんだかなあ」と思っていたら、先週の週刊金曜日にやはり疑問の投稿が載っていた。
 ほぼ同意見なので論旨がかぶるが、この「リサイクル」事業はキャップ約800個で20円となり、ワクチンが1本買えるというもの。全国的に学校教育の場でも取り組まれている。しかし、例えば500mlのペットボトルを1本飲むことを我慢すれば、120円浮く。それを寄付すればワクチンは6本買える。800本飲んでワクチン1本を寄付するよりは、1本我慢して6本のワクチンを送るほうが、環境にも社会的にもいいんじゃないか。例えば、40人のクラスでひと夏にペットボトルを一人10本我慢すれば、実に2400本のワクチンを贈ることができる。
 もちろん、ゴミとなっているものを回収して有効活用することはいいことだが、「教育」という観点からは、もう一歩踏み込んだ議論をしてみては?

(その二)
 宮内庁が、温室効果ガス排出削減のため、皇居内の御所や同庁庁舎などに太陽光発電パネルを設置する方針を決めたという。総工事費は約2億円。
 年間発電見込量が計6万4700キロワット時というから、一般家庭についているようなパネル15〜20軒分に相当すると思われる(一般家庭の年間平均電気使用量が約4000キロワット時)。
 だとすると、まず驚くのが工事費の高さ。1軒分300万円として20軒でも6000万円もあればつくのではと思ってしまう。2億円もいらない。
 次に驚くのが、それだけつけても皇居内の使用電力量の約1%にしか当たらないということ。つまり、宮内庁は一般住宅1500〜2000軒相当の電力を使用しているということ。宮内庁の職員は1000人規模だが、それでもかなり消費が多い。
 太陽光発電パネルをつけるのはいいことに違いないが、1%の節約なら2億円を出さなくてもできそう。なんだかなぁ。



biwako_strawbale at 17:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年09月01日

原発もろもろ

 高速増殖炉もんじゅは再開を来年の2月に延期。延期なんてちっとも喜べない。活断層直下で、危険なナトリウムを冷却に使う、老朽化した、原型炉としても意味のないもんじゅは廃炉でなければならない。

 麻生太郎氏が経団連の御手洗氏と「早く再開を」などと戯言のようなことを言った柏崎刈羽原発は、彼らの思いとは裏腹に、さすがの専門家でも慎重にならざるを得ない状況のようだ。
 市民が情報公開で得た写真を見れば、太いクレーン継ぎ手はボッキリと折れ、敷地内道路は陥没、多くの建物も基礎を遺して陥没、いたるところでボルトが折れ、配管が曲がるなり、ずれるなりしている(最後の写真は液体窒素の配管)。細管を張り巡らせた原発に相当な力がかかったことは確かだ。これまた、常識的に考えれば廃炉しかないと思う。

クレーン重油タンク周り





ヤード道路液体窒素タンク






■参考=>プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク 
■参考=>庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

 東京電力は経営は一気に悪化したが、経営のリスク分散をこれまではかってこなかったのだから当たり前である。「地震はない」「あっても大丈夫」という甘い想定の下に経営をするからああいうことになる。関西電力などはもっと危ない。

 それでもまだ原発を作ろうという動きもある。中国電力の上関原発である。6月17日に中国電力が予定地の田ノ浦の公有水面埋立免許願書を山口県に提出し、正念場を迎えている。

■上関原発予定地・長島田ノ浦のパノラマ■


 上関原発予定地「田ノ浦」は世界に誇る自然の宝庫で、スナメリが子育てをし、ナメクジウオや珍しい貝がたくさん棲んでいる。国の天然記念物のカンムリウミスズメも生息しているという。それだけでなく、原発から出される温排水によって、海で暮らす人々の人々の生きる権利をもうばってしまう。

■一分でわかる上関原発史■


そこで長島の自然を守る会では、緊急署名を集めている。

PCからのオンライン署名

携帯からのオンライン署名

集約日;1次集約 9月20日、2次集約 10月15日

黙っていたらとまらない・・

biwako_strawbale at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年08月07日

国語力1

小学校3年生の宿題である。

次の下線部のことばをくわしくしている言葉を見つけ、書きなさい。

にぎやかに たくさんの せみが 鳴いている。



下線は「鳴いている」に引かれている。子供が訊く。「お父さんこれどういう意味?」「鳴いているってことをもっと詳しく説明している言葉を探すんだよ」と問題文をさっと読んで答えると、子供は「それじゃ、せみが?」という。そこで気づくのだが、問題文を文字通り読めばそれでも正解で良いように思う。

おそらく出題者は形容動詞を答えてほしいのだろうが、「鳴いている」という状態をより詳しく説明しているのは、「にぎやかに」ではなく、「せみが」である。「せみが鳴いている」が文章の骨格であり、「にぎやかに」はそれを補うものでしかない。
「鳴いている」には「にぎやかに」を加えるよりも、「せみが」を加えるほうがはるかに状況が明らかに詳しくなるからである。

いずれにせよ、わかりにくい設問である。

さて、「ことばをくわしくしている」という表現が形容動詞をたずねる特殊な言い回しであるとしても、この問題は小学校3年生にとってよい問題であるとはいえないと思う。例えば、問題文を

おそろしいくらいに たくさんの せみが 鳴いている。

としてみよう。この場合、「おそろしいくらいに」は「たくさん」にかかる。ところが、

たくさんの せみが おそろしいくらいに 鳴いている。

という文章では、「おそろしいくらいに」は「鳴いている」にかかる。つまり、関連する語句はできるだけ近くに配置するという原則からすると、問題文は不適切な文章である。本来は「たくさんの せみが にぎやかに 鳴いている。」であるべきだ。もちろん、まれに、詩などの表現において、わざと間合いを取るために、問題文のように離すこともあるし、これは応用問題であるといわれればそれまでだが、小学校3年生には、むしろちゃんとした基本を教えてほしいと思う。
 市販の教材プリントには結構、気になる問題が多い。

biwako_strawbale at 00:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年08月02日

内閣改造

 内閣改造が行われた。ネット上では「国民感情逆なで内閣」という揶揄するネーミングも見かけたが、いつものことなので、ここは二つだけ指摘したい。
 ひとつは環境大臣。公明党の幹部が「国土交通大臣はもういい。トラブルの多い厚生労働省もいらない。環境大臣がいいな。」といっていたと報じられていた。で、ふたを開けてみたらやはり公明党のポストに。しかもこの分野では実績もない人物の「連立維持ポスト」。
 福田氏の環境問題への姿勢が如実に現れている。国際感覚もゼロ。この人事が海外で一体どう報道されるのか。いや、たぶん、日本的過ぎてまともに報道すらされないだろう。
 どうして、ここで、気候ネットワーク浅岡美恵氏あたりを登用しないのか。弁護士でもあり、この分野でも世界的にも知られた彼女を環境大臣にすえたら、相当アピールすると思うのだが。もっとも、浅岡さんは固辞されるか。
 消費生活担当の野田聖子氏についてもおなじこと。つい2週間ほど前に、小さな集まりで、日本消費者連盟の代表運営委員の富山洋子氏にお目にかかる機会があったが、やっぱり圧倒的な存在感があった。本当に長年にわたって、消費者の視点から政治経済を眺め、しっかりと活動をしてきたという。浅岡さん同様、政権内部にかかわるようなことはされないのかもしれないが、こうした「筋金入り」の人を担当大臣にすえるのであれば、福田氏の本気度合いもわかろうというものだが。当選回数やら、「ご苦労に報いる」みたいな考えで大臣が選ばれているようではね。結局それでも政権が維持できるんだから、国民もトコトン馬鹿にされている。消費者庁のトップは民間人の登用もといっているみたいだから、期待はしないが注目をしておこう。

biwako_strawbale at 11:01|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2008年07月27日

原発と地震

 経済産業省原子力安全・保安院が7月16日から大地震時などに全国30カ所の原子力施設の被災状況を携帯電話のメールで知らせるサービス「モバイル保安院」の登録受け付けを始めた。
 早速登録しておいたところ、先日の岩手の地震について、一時間後からではあるが、情報が入ってきた。ロッカショ核施設での計測ガルや放射能漏れなどの状況が簡単ではあるが、記載されている。是非お試しを。

☐登録用HP http://kinkyu.nisa.go.jp/m/
地震予測 なお、48時間以内の地震を予測するロシアの
Scientific - forecast laboratory of earthquakesというサイトを知人が教えてくれた。
 先日の岩手の地震も当たったとか。真偽のほどは別にして、東北と東京がココしばらく着いたり消えたりしている。備えあれば憂いなしか。

biwako_strawbale at 21:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年07月19日

600人超!

 本日の「六ヶ所村ラプソディー」の上映会は、非公式ながら600名を超える参加があり、大成功。午前中の上映、午後の上映、そしてその間の監督講演会をそれぞれに足したら(つまり延人数だったら)もっといた感じか。
 しかしその余韻に浸っている間もない。高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)には18日早朝交換用の核燃料が運び込まれ、10月に予定される運転再開に必要な燃料はこれですべて運び終えたとされる。
 一方、同じ日に、日本原子力研究開発機構の諮問機関「もんじゅ安全委員会」では6、7月に連絡ミスが起き、委員長の西原英晃・京都大名誉教授が「情報と価値観の二つが組織で共有されておらず、組織内部に大変な問題がある」と批判、電力中央研究所上席研究員ですら、配管の腐食放置が発覚したことについて「こんな状況で試運転して大丈夫なのか。10月再開というスケジュールを見直すことも考える必要がある」と述べたらしい(毎日新聞 2008年7月19日 地方版)。
 しかし、彼らが問題としているのはあくまでスケジュールの問題で、そもそも「もんじゅ」を動かす必要かどうかという観点に立ったものではない。もんじゅを動かすべきではない理由は山ほどある。ヽ菽覗悗直下に二本も通っていることが明らかになったこと、危険なナトリウムを冷却材として使用していること、13年も停止しており腐食等の劣化が起こっている可能性があること、ぜ然界に存在せず、猛毒であるプルトニウムを燃料として使用すること、など。
 まずは10月再開をさせないために行動する必要がある。で、公開討論会のお知らせ。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 2008年「もんじゅ」公開討論会in関西
─活断層の上の「もんじゅ」、なぜ動かすのか─
運転再開の是非を問う
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
とき  8月24日(日)
ところ 浪速人権文化センター小ホール(地図裏面)
    大阪市浪速区浪速東1-9-20 06-6568-0791 (環状線芦原橋徒歩1分)
テーマ
1 . 地震と「もんじゅ」
2 . 長期停止炉の問題点

パネラー
 推進 日本原子力研究開発機構
    文科省、保安院(要請中)
    …………………………………………
 反対 小林圭二(元京大原子炉実験所)
    近藤正道(社民党参議院議員)
    中嶌哲演(福井)
    大島茂士朗(大阪)
    稲田みどり(兵庫)
    田中康司(京都)
    池島芙紀子(大阪)
主催 とめよう「もんじゅ」関西連絡会連絡先:〒573-0028 枚方市川原町1-5
   ストップ・ザ・もんじゅ気付TEL&FAX 072-843-1904
共催 脱原発政策実現全国ネットワーク関西・福井ブロック

ナトリウム火災事故を起こして停止すること13年!
ナトリウム検出器1300台が一度も点検されていなかったことが発覚。他に未点
検はないのか?プルトニウム燃料の劣化はどうなのか?
地震活動期の現在、世界にも稀な活断層の上の原発「もんじゅ」を、なぜ動
かそうとするのか!まして「もんじゅ」は大変地震に弱い構造。
運転再開を強行して大事故を起こせば地獄となり、この討論会が最後になる
かもしれない・・・・。ぜひ多数の参加とご発言を!

参加資料代一般:800 円(当日千円) 学生:500 円(当日700 円)
12:00〜 12:30 事前学習
13:00〜17:00 公開討論会
司会
 大島秀利(毎日新聞科学環境部編集委員)
 永嶋里枝(弁護士)
☆資料準備の都合上、チケットは早めにお求め下さい。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


biwako_strawbale at 23:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年07月17日

いよいよ土曜日!

ロッカショ看板大 再々告知します!いよいよ2日後に迫ってきました。力作看板もできました! K君の「俺、ちょっとやっちゃいました」的な達成感あふれる写真をごらんあれ。映画だけでなく、たくさんお店も出ますので、それだけでも価値あり!?







■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ドキュメンタリー六ヶ所村ラプソディー再上映!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■7月19日(土)  
第1回上映 10:00〜12:00
監督講演  13:00〜14:15
第2回上映 14:30〜16:30 

滋賀県立大学交流センター

前売り 一般 800円 当日1000円
    学生 500円
    小学生以下無料

◆こだわりの多数出店。
◆マイ箸、お皿、コップなど持込大歓迎。
◆チケット取扱所 *モモの樹(日夏町)*どんぐり保育園(川瀬馬場町)
*村川商店(花しょうぶ通り)*ほっこりカフェ朴(護国神社敷地内)
*エコスタイル自転車店(花しょうぶ通り)
*よつ葉近江産直センター(川瀬馬場町)
*滋賀県立大学生活協同組合(滋賀県立大学内)
*滋賀大学彦根地区生活協同組合(滋賀大学経済学部内)ほか

主催:ケンダイ映画館をつくる準備会(滋賀県立大学近藤研究室内)
共催:彦根でロッカショを考える人のネットワーク

問合せ
E-mail rhapsody_hikone@yahoo.co.jp

biwako_strawbale at 20:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年06月22日

鍵は手の内に

 昨晩は、何年か振りにキャンドルナイト
 家人たちの「パソコンもだめ」というお達しで、蝋燭の下でこの原稿を書いている。ブログにアップするためには、結局いずれはパソコンを立ち上げるのだけれど、久々に静かな夜。パソコンも、結構ハードディスク(HD)やら、ファンやらの音がうるさいものね。
mybag で、昨日再放送をしていた、画家・松井冬子のETV特集を思い出していた。彼女の絵について語るのは、蛍光灯の光の中よりも、この蝋燭の明かりの中のほうが相応しいような。彼女の絵を語る際に、ひとつの参照点となるのは、彼女が過去に受けた暴力であろう。「耳の鼓膜が破れ、首の骨が折れる程度」の暴力は、今でも彼女の聴力を損ねているという。
 芸大の卒業制作「世界中の子と友達になれる」では、そんな耳の聞こえないと思われる少女が、藤棚の間から、恐る恐る外を眺めている。手足の指先からは血がにじみ、背後には堕胎を想起させる空の乳母車が置かれている。別な番組「筑紫哲也の金曜深夜便」の中で、彼女はこうした製作意図を語りながら、「(この)絵を見ている人が、厄払いというか、自分が助かったなと思ってくれれば。」と語っているが、その言葉に偽りはないのだろう。しかし、ETV特集の中で彼女と対談した上野千鶴子は「世界中の子が、私と同じような不幸に感染しますように」というメッセージをこの絵に感じている。その指摘もまた真実の一面であると思う。
 松井は、「セラピーとして描いているわけではない」「絵に関しては怒りをぶつけるために描いているわけではない。怒りをぶつけるのではなくて、相手に痛みを理解させることを考えている」というが、上野に「それも怒りの表現ですね。絵という表現の方法を持たなかったらどうなっていると思うか」と問われ、躊躇なく「死んでいると思う」と答えている。松井にとって絵が一定のカタルシスを果たしていることは間違いない。mybag
 「あそこに描かれているのは女の痛みであって、抽象化された人間の痛みではない。ジェンダー化された痛み。」と上野は言う。そのとおりであると思う。しかしまた、松井は自らをナルシシストと断ずる。ナルシシズムとは自己愛という訳語のもたらすイメージとは裏腹に、自己肯定感を持つことのできない人の自己防衛機構であると解釈される。秋葉原の事件を起こした青年も、どこかしら彼女の絵に共感する部分があるはずと思う。
 作品『終極にある異体の散在』において、噛み付いているのは自分であって、噛み付かれているのも自分である。外的な暴力だけでは説明のつかない、内在する暴力がある。外的な暴力に呼応する、内的な暴力とでも言おうか。拮抗のバランス次第で、それは内にも外にも向かいうる。

 「いい作品ができることが私にとっての幸せである。だからそれ以外は犠牲となっても仕方がない。」といいきる松井に、上野は「でもね、べたなこというけれど、人間、不幸せになるために生きているのではない。幸せになったら幸せになったらで、また別のいい作品が生まれる。」と語りかける。私も上野さんと同じで、彼女には幸せになってほしいと思う。しかし、と同時に、残酷な言い方かもしれないが、上野の言う意味での幸せにはなれないと思う。いや、もう少し正確に言うと彼女自身が幸せになることを忌避あるいは恐れ、ならないことを選択するように思える。ある人は自身のブログの中でそれを「彼女の錠前」と表現し、「どんな錠前だって鍵があれば開けるのは簡単。何がその鍵に当たるかといえば、彼女が幸せを感じること。感じることを拒まなければ、感じることができ、簡単に開錠できる。」と書いていた。
 鍵は手の内にあるのだけれど。


biwako_strawbale at 23:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2008年05月15日

フォローアップ・・・

 ミャンマーのサイクロンに続いて、中国の大地震である。
 日本の名誉のために付け加えると、8日のブログの翌日に、ミャンマー支援として国連を通じて11億円あまりの拠出を日本政府は決定したようである。ただし、相変わらずミャンマーの軍政のために国連や各国政府の支援はうまくいっていない。
 一方で、国境なき医師団のほうは、災害前から国内で活動していたこともあって、「5月14日までに4機の貨物機がヤンゴンに到着し、水・衛生関連物資、医療物資、栄養治療食、ビニールシートなど計140トンの物資が届いた。5機目は15日インドネシアのジャカルタ発を予定している。」という(国境なき医師団のHP)。スタッフも現在250人以上が活動しており、さらに毎日10〜20人のスタッフが新たに現地入りしているそうだ。
 中国にしろ、ミャンマーにしろ、私たちはすぐに「何千人」「何万人」といってしまうが、例えば子をなくした親にして見ればそれはたとえ一人であっても、というか唯一無二の一人であるからこそ、悲しみは恐ろしく深い。中国からは子供をなくした親たちの映像が流れてきて、本当につらい。ミャンマーからの情報は少ないが、おそらくは同じように家族を失った人たちが大勢いるのだろう。わずかな寄付をするぐらいしかできないけれど、「愛情の反対は無関心」というから、関心を持って救援活動を見守りたい。

■■■アースキャラバンの高橋素晴さんは京都に着いたようです・・・・■■■

biwako_strawbale at 21:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!