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2025年02月06日
ドストエフスキーの名言(プーチンに捧げる)
「人類に対する愛」ということばは、自分が心の中でつくりあげた人類に対する、つまり己れに対する愛である。
あらゆる堕落の中で最も軽蔑すべきものは、他人の首にぶらさがることだ
いかなる科学の力を借りても、またどんな利子をもって釣ったところで、人間はけっして不平なしに、財産や権利を分配することはできません。
いちばん簡単で、いちばん明白な思想こそが、いちばん理解しがたい思想である。
もちろん金は絶対的な力である。と同時に、平等の極致でもある。金の持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。金はすべての不平等を平等にす
世の中には、恋人とか情婦としては通用するが、ほかになんの役にも立たない女がいるものだ。
人は思想をとらえようが、思想はつねに人間よりも現実的である。
人生において何よりもむずかしいことは、嘘をつかずに生きることだ。そして自分自身の嘘を信じないことだ。
人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間はいまでは人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。
人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由なのだ。

あらゆる堕落の中で最も軽蔑すべきものは、他人の首にぶらさがることだ
いかなる科学の力を借りても、またどんな利子をもって釣ったところで、人間はけっして不平なしに、財産や権利を分配することはできません。
いちばん簡単で、いちばん明白な思想こそが、いちばん理解しがたい思想である。
もちろん金は絶対的な力である。と同時に、平等の極致でもある。金の持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。金はすべての不平等を平等にす
世の中には、恋人とか情婦としては通用するが、ほかになんの役にも立たない女がいるものだ。
人は思想をとらえようが、思想はつねに人間よりも現実的である。
人生において何よりもむずかしいことは、嘘をつかずに生きることだ。そして自分自身の嘘を信じないことだ。
人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間はいまでは人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。
人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由なのだ。

bkgen7 at 10:43|この記事のURL│Comments(0)
2025年02月05日
トルストイの名言(プーチンに捧げる)
トルストイの名言(2)
もし苦しみがなかったら、人間は自分の限界を知らなかったろうし、自分というものを知らなかったろう。
悪に対して悪をもって報いることは、幸福を失うことである。
悪に対して愛をもって報いることは、幸福を得ることである。
一番難しく、しかも最も大切なことは、人生を愛することです。
苦しい時でさえも愛することです。
人生はすべてだからです。
何の試練も受けていない者は、試練を受けている人に、何も教えることはできません。
額に汗して営々と働かなければ、健康な肉体はあり得ない。
また健康な思想も頭脳に沸き得ない。
人間の真価は分数のようなものだ。
分母は自己の評価、分子は他人による評価である。
分母が大きくなるほど、結局、真価は小さくなる。
人生の唯一の意義は、人のために生きることである。
人々が夢中になって騒ぐもの、それを手に入れるために躍起になって奔走するもの、そうしたものは彼らになんの幸福ももたらさない。
誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。
別の人間に仕立てようというような不可能なことを、相手に要求してはならない。
一生涯ひとりの異性を愛することは、一本の蝋燭が生涯燃えることと同じである。

もし苦しみがなかったら、人間は自分の限界を知らなかったろうし、自分というものを知らなかったろう。
悪に対して悪をもって報いることは、幸福を失うことである。
悪に対して愛をもって報いることは、幸福を得ることである。
一番難しく、しかも最も大切なことは、人生を愛することです。
苦しい時でさえも愛することです。
人生はすべてだからです。
何の試練も受けていない者は、試練を受けている人に、何も教えることはできません。
額に汗して営々と働かなければ、健康な肉体はあり得ない。
また健康な思想も頭脳に沸き得ない。
人間の真価は分数のようなものだ。
分母は自己の評価、分子は他人による評価である。
分母が大きくなるほど、結局、真価は小さくなる。
人生の唯一の意義は、人のために生きることである。
人々が夢中になって騒ぐもの、それを手に入れるために躍起になって奔走するもの、そうしたものは彼らになんの幸福ももたらさない。
誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。
別の人間に仕立てようというような不可能なことを、相手に要求してはならない。
一生涯ひとりの異性を愛することは、一本の蝋燭が生涯燃えることと同じである。

bkgen7 at 11:28|この記事のURL│Comments(4)
2025年02月04日
ソ連の歌
泉のほとり」
泉に水くみに来て 娘らが話していた
若者がここへ来たら 冷たい水あげましょう
緑の牧場にひげづらの 兵士がやって来て
冷たい水がのみたいと 娘たちにたのんだ
美しい娘さん ひげづらを見るな
兵士にゃひげも 悪いものじゃない
私は陽気な若者
僕が若いときは、久保田聡さんの、アコーディオンに合わせて、みんなで合唱したもんだ。多くのソ連の歌がありました。歌声喫茶というところで、ジュースを飲みながら、まるで革命家にでもなったような気分で、歌ったのです。
今は、同調しやすい、若い時の自分を恥じています。これが、戦時中だったら、確実に鬼畜米英を叫んで、顔も知らない人を殺していたかもしれません。
ロシアという国は、今はすっかり変質してしまったように見えますが、「ドクトルジバゴ」や「トルストイ」を生んだ地であることには変わり有りません。
車の窓を閉めて、誤嚥予防の大声で、カチュウーシャを歌ったりしています。
ハイ釣りが次第に厳しくなってきました。今日は8匹でした
泉に水くみに来て 娘らが話していた
若者がここへ来たら 冷たい水あげましょう
緑の牧場にひげづらの 兵士がやって来て
冷たい水がのみたいと 娘たちにたのんだ
美しい娘さん ひげづらを見るな
兵士にゃひげも 悪いものじゃない
私は陽気な若者
僕が若いときは、久保田聡さんの、アコーディオンに合わせて、みんなで合唱したもんだ。多くのソ連の歌がありました。歌声喫茶というところで、ジュースを飲みながら、まるで革命家にでもなったような気分で、歌ったのです。
今は、同調しやすい、若い時の自分を恥じています。これが、戦時中だったら、確実に鬼畜米英を叫んで、顔も知らない人を殺していたかもしれません。
ロシアという国は、今はすっかり変質してしまったように見えますが、「ドクトルジバゴ」や「トルストイ」を生んだ地であることには変わり有りません。
車の窓を閉めて、誤嚥予防の大声で、カチュウーシャを歌ったりしています。
ハイ釣りが次第に厳しくなってきました。今日は8匹でした

bkgen7 at 11:27|この記事のURL│Comments(2)
2025年02月03日
いじわるな私
僕は、人に意地悪をされると、残念でなりません。
子どもの頃、それは夏のことですが、パンツを洗って、焼け石の上で乾かしていると、上級生の一人がそれに濡れた砂をかけて、意地悪く笑っているのです。仕方なく再び洗って干すと、またそうするのです。3度目に、僕の癇癪の紐が切れて、握りこぶしほどの石を、逃げる足をめがけて投げつけました。石はそのふくらはぎに命中したので、痛そうに足を引きずって逃げ帰りました。
その僕は、今87歳になって、株式投資をしていて、さっぱり儲からないので、資金を全部引き上げて、高みの見物を決め込んでいます。2トランプもそれほどではなく、値上がりする株もあって、「俺が株止めたら、値上がりしている。けしからん!」と思い、大きく値下がりすると「ざまーみろ」と思うのです。
アナリストたちは、値上がりする株を突き止める、色々な「方程式」を作って投資を呼び掛けていますが、儲かる方程式などある筈もなく、ほとんどの小口の投資家は、良い人でトントン、悪い人は損をしているのではないかと思います。投資で、安定して暮らしている人は、安定している企業の数億株を持っていて、その配当を毎月ごとに受けている人たちだけだと思います。
意地悪く、世の中斜めに眺めながら、質素倹約(ティッシュペーパーを乾かして使ったり)に努めなくてはなりません。

子どもの頃、それは夏のことですが、パンツを洗って、焼け石の上で乾かしていると、上級生の一人がそれに濡れた砂をかけて、意地悪く笑っているのです。仕方なく再び洗って干すと、またそうするのです。3度目に、僕の癇癪の紐が切れて、握りこぶしほどの石を、逃げる足をめがけて投げつけました。石はそのふくらはぎに命中したので、痛そうに足を引きずって逃げ帰りました。
その僕は、今87歳になって、株式投資をしていて、さっぱり儲からないので、資金を全部引き上げて、高みの見物を決め込んでいます。2トランプもそれほどではなく、値上がりする株もあって、「俺が株止めたら、値上がりしている。けしからん!」と思い、大きく値下がりすると「ざまーみろ」と思うのです。
アナリストたちは、値上がりする株を突き止める、色々な「方程式」を作って投資を呼び掛けていますが、儲かる方程式などある筈もなく、ほとんどの小口の投資家は、良い人でトントン、悪い人は損をしているのではないかと思います。投資で、安定して暮らしている人は、安定している企業の数億株を持っていて、その配当を毎月ごとに受けている人たちだけだと思います。
意地悪く、世の中斜めに眺めながら、質素倹約(ティッシュペーパーを乾かして使ったり)に努めなくてはなりません。

bkgen7 at 11:10|この記事のURL│Comments(2)
2025年02月02日
イノシシ
この名前と、僕の名前は、聞く人によっては、同じ名前のように聞こえるかもしれません。なぜならば、イノシシという言葉は、木頭の住民と、同じような言葉なのです。イノシシは木頭なのです。それほど、僕等木頭の住民は、この言葉になじんできました。なので、僕はどこへ行っても、イノシシ大好きを宣伝しています。そして、昨日、5キロほどのイノシシを落手しました。
5歳頃の僕は、大きなイノシシを、ムシロに寝かせて、大きな焚火で沸かせたヤカンの湯をそれに振りかけながら、研ぎ澄まされた山刀でイノシシの体中の毛を剃っている親父を凝視していました。
切り刻まれたイノシシは、大根を切り込みながら、酒や醤油と砂糖を加えてぐつぐつと煮こまれます。僕らのさらには、そり落としたイノシシの皮が投げ入れらえます。その味は脂ばかりの皮の下に、ほんの少し赤い肉がついていました。口に入れて噛むと、剃り残した髭が、ざらざらと舌に当たりますが僕はこんなうまいものは、他にないと、夢中で食べました。今思いだしても。あのざらざらした舌触りが懐かしいのです。
僕にはそんな思いでがあるので、ある日のこと、体調がすぐれない先輩に、イノシシの肉を進呈しようと思い立ち、知り合いの猟友に頼んで。1キロほどにイノシシの肉を調達してもらいました。埼玉の先輩に送るので、少し味を試してみようとしたところ、糞臭がひどくて、とても食べられたものではありませんイノシシと言っても、その処理の如何によっては、食べられないほど、の物もあるのです。

5歳頃の僕は、大きなイノシシを、ムシロに寝かせて、大きな焚火で沸かせたヤカンの湯をそれに振りかけながら、研ぎ澄まされた山刀でイノシシの体中の毛を剃っている親父を凝視していました。
切り刻まれたイノシシは、大根を切り込みながら、酒や醤油と砂糖を加えてぐつぐつと煮こまれます。僕らのさらには、そり落としたイノシシの皮が投げ入れらえます。その味は脂ばかりの皮の下に、ほんの少し赤い肉がついていました。口に入れて噛むと、剃り残した髭が、ざらざらと舌に当たりますが僕はこんなうまいものは、他にないと、夢中で食べました。今思いだしても。あのざらざらした舌触りが懐かしいのです。
僕にはそんな思いでがあるので、ある日のこと、体調がすぐれない先輩に、イノシシの肉を進呈しようと思い立ち、知り合いの猟友に頼んで。1キロほどにイノシシの肉を調達してもらいました。埼玉の先輩に送るので、少し味を試してみようとしたところ、糞臭がひどくて、とても食べられたものではありませんイノシシと言っても、その処理の如何によっては、食べられないほど、の物もあるのです。

bkgen7 at 17:17|この記事のURL│Comments(3)
2025年02月01日
老害
今朝パソコンを開くと「老害」のことを調べている「酒井順子」さんの「老いを読む・老いを書く」という本の紹介がありました。
僕の先生が80歳ぐらいになったころ、「親がいつまでも生きているという事は、困ったことだ。息子や娘やその子供達にまで、色々な意味で、彼らの頭を押さえつけている」「方や年をとるにしたがって、かつて尊敬していた先輩たちがいなくなってしまって、自分の頭を押さえつけていた重石がなくなって、つい、いい加減なことを言ったり、したりしてしまうのだ。」と述懐していたのを思いだして、自分も思わず身を縮めてしまうのです。
人の名前がパッと出てこない、読んだ本の名前すら忘れる。言葉がスラスラ出てこない、このようなお爺さんのことを「フレイル」と言ううらしい。
頭がジンジンしても、耳鳴りがしても、腹が少々痛くても、ひざが曲がらなくなっても、右肩が痛くて釣り竿を振れなくなっても、今の僕は自由気ままな日々を過ごしている。どこが痛くても、我慢が出来ないほどではないのです。
親会社に頭を下げて仕事をもらっていたころから比べると、天国の直ぐ近くで酒を飲みながら「たそがれ清兵衛」を見ているのです。
あゝ吾ダンテの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたう
芭蕉のさびをよろこばす
僕の先生が80歳ぐらいになったころ、「親がいつまでも生きているという事は、困ったことだ。息子や娘やその子供達にまで、色々な意味で、彼らの頭を押さえつけている」「方や年をとるにしたがって、かつて尊敬していた先輩たちがいなくなってしまって、自分の頭を押さえつけていた重石がなくなって、つい、いい加減なことを言ったり、したりしてしまうのだ。」と述懐していたのを思いだして、自分も思わず身を縮めてしまうのです。
人の名前がパッと出てこない、読んだ本の名前すら忘れる。言葉がスラスラ出てこない、このようなお爺さんのことを「フレイル」と言ううらしい。
頭がジンジンしても、耳鳴りがしても、腹が少々痛くても、ひざが曲がらなくなっても、右肩が痛くて釣り竿を振れなくなっても、今の僕は自由気ままな日々を過ごしている。どこが痛くても、我慢が出来ないほどではないのです。
親会社に頭を下げて仕事をもらっていたころから比べると、天国の直ぐ近くで酒を飲みながら「たそがれ清兵衛」を見ているのです。
あゝ吾ダンテの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたう
芭蕉のさびをよろこばす
bkgen7 at 11:05|この記事のURL│Comments(2)
2025年01月31日
木頭出身の有名人ー1

この頃はNHKなどにはあまり出なくなりましたが、日本の釣りの業界では、この人ほど有名な人は他にはいません。この頃流行りのユーチューブでは6000人ものホローワーがいるといいます。
この人の、僕らに親しみを持たせるところは、話すとき「木頭弁」を使うところです。従って、その態度は泥臭く、飾り気が無く、あくまでも実戦的な話になります。
「おまえら、ほんなつりかたではぐれはつれんぞ」「おきあみに、みょうなもんまぜるけん、エサ取りがわいてくるんじゃ」・・などです。
これらの活躍は「木頭村民賞」に値すると思うのですが、そんな話は聞こえてきません。

bkgen7 at 12:39|この記事のURL│Comments(2)
2025年01月30日
死者の話
物故者の
話を聞きし
春の夢
玄
死んだ人の話を聞きたいと、だれしも思っている。しかし、誰一人死者の話を聞いた人はいません。
死ぬとは何か、死ぬことはどういうことなのか、死んだ後には何がのこるのか。死ぬとどうなるのか。
みんな知りたいのです。
唯一、夢では時々話をする機会があります。非常にあいまいな話がほとんどですが、わずかに口を動かして話すのです。夢の中では、「まだ生きていたのか」と思いながら、死者を眺めていたり、笑っている死者を見て自分も笑ったりするのです。
しかし、死とは何かとか、死ぬとこうなるとかの話はありません。ごく普通の会話でしかないのです。という事は、本当の死者の話は夢であっても聞き出せないのです。
死者の話は、落語でしか聞けないのです。
話を聞きし
春の夢
玄
死んだ人の話を聞きたいと、だれしも思っている。しかし、誰一人死者の話を聞いた人はいません。
死ぬとは何か、死ぬことはどういうことなのか、死んだ後には何がのこるのか。死ぬとどうなるのか。
みんな知りたいのです。
唯一、夢では時々話をする機会があります。非常にあいまいな話がほとんどですが、わずかに口を動かして話すのです。夢の中では、「まだ生きていたのか」と思いながら、死者を眺めていたり、笑っている死者を見て自分も笑ったりするのです。
しかし、死とは何かとか、死ぬとこうなるとかの話はありません。ごく普通の会話でしかないのです。という事は、本当の死者の話は夢であっても聞き出せないのです。
死者の話は、落語でしか聞けないのです。
bkgen7 at 16:31|この記事のURL│Comments(2)
2025年01月29日
鵜やシラサギと分け合うハイ釣り

勝浦川でのハイ釣りでは、同じハイ釣りをしている人に出会うことはほとんどありません。常に、僕の独壇場です。
ある日テレビで、雑魚釣りを一人で楽しんでいるユーチューブを見ていると、傍へ地元の叔父さんがやってきて、「何を釣っているんだ。解禁は3月だぞ。」と注意のようなことを言います。「この川を管轄する漁協の許可をと取って釣っています」と答えても、「つりを止めなさい!目障りだ」とまで言い残して去っていきました。
その様子を見ていて、自分もほとんど一人で釣っているので、僕のその姿を見た地元の人の中には、「目ざわりな奴が、またハイ釣りをしている。」と、思われているかもしれない。と、すこし不愉快な思いをしていました。
ところが昨日は、今年はじめて、釣り人に出くわしました。一人で、隠れるように岩陰に座って、竿を出しています。思わず声をかけて挨拶をしようとしましたが、そんなことをしてはいけません。静かに後ろを通りマイポイントを目指しました。
いつものポイントでは、アタリが無く、波気の有る瀬で17匹の量型を釣り、帰りに天ぷら油を買って、腸をとって、片栗粉をまぶし、てんぷら粉を練って、油を出来るだけ汚さないようにしながら弱火でかりっと上げました。(ぼくは油をすぐに汚してしまうので、)
bkgen7 at 09:30|この記事のURL│Comments(0)
2025年01月28日
自分の命が尽きるとき
孫が遊びに来た時、孫に伝えた。「人間万事塞翁が馬だ。困ったことや、病気になっても、くよくよするな。人と話をする時は、知ったかぶり をしてはいかん。」などと偉そうなことを、酒を飲みながらしゃべってしまいました。その僕は、いつも困っていたし、知ったかぶりで話したり書いたりしてきました。
死に際して、自分で自分のこと(食事や排便、歩く)が出来なくなったら、食事を絶って死に備えるようにする。癌などで寝たきりになったら、生命維持装置などつけないようにしてほしい。などと、元気な今だから、さもそうするかのように書いたり言ったりしている。
それは自分のことで、妻や息子や孫たち、かけがえのない家族だったら、とてもそんなことは言えないのです。
近くの90歳になるお爺さんは、20年前に意識が無くなり寝た切りになった奥さんを、今も毎日バスに乗って見舞いに通っています。息をして体温があるうちは、死んでほしくない、どうか生きていてほしい、と願っているのです。掛け替えのない家族や親しい人の誰でも、死んでほしくないのです。
僕もそのように、大切にしてほしいと願いますが、そうされても、必ず死は訪れるのですから。

死に際して、自分で自分のこと(食事や排便、歩く)が出来なくなったら、食事を絶って死に備えるようにする。癌などで寝たきりになったら、生命維持装置などつけないようにしてほしい。などと、元気な今だから、さもそうするかのように書いたり言ったりしている。
それは自分のことで、妻や息子や孫たち、かけがえのない家族だったら、とてもそんなことは言えないのです。
近くの90歳になるお爺さんは、20年前に意識が無くなり寝た切りになった奥さんを、今も毎日バスに乗って見舞いに通っています。息をして体温があるうちは、死んでほしくない、どうか生きていてほしい、と願っているのです。掛け替えのない家族や親しい人の誰でも、死んでほしくないのです。
僕もそのように、大切にしてほしいと願いますが、そうされても、必ず死は訪れるのですから。

bkgen7 at 11:55|この記事のURL│Comments(0)