玄さんの釣り情報

日本の清流を復活させるためのブログ

2010年07月

2010年07月26日

アユがいっぱい

「八か村訴訟の現場を訪ねる」が2時に終わったので、3時ごろ家に帰り、O君に電話をしてみました。

「どこにおるん」

「勝浦川じゃ。ハラヘッタ。なんぞモッテキテクレルデー」

行ってみるとこんなにたくさん釣っていました。画像 1570O君が釣った30匹の鮎ー勝浦川


2010年07月24日

釣りに行けないときのささやかな楽しみ

今年は2本咲きました。

手前の網の中にはメダカの稚魚が入っています。画像 1506睡蓮


今までうまく育たなかったトマトがなんとか実りました。画像 1502トマト


2010年07月21日

まだ脂はないがはらわたはうまかった。

サンマ


最近のダム関連記事から-4

7月14日朝日のトップ記事でした。遅々として進展しないダム建設の見直し作業が、何十回も行われていますが、なぜか「非公開」です。
国税をつぎ込んで行う「ダム見直し議論がなぜ秘密なのか」

「有識者とは人前で意見を言えないやから」のことか。画像 1521朝日新聞7.14.記事


最近のダム関連記事から-3

徳島新聞の”記者席”の記事です。

この25日は吉野川の歴史と文化を探りうまいものを食べる会です。「玄さんの鮎の塩焼き」もあります。そのために約60匹の”天然鮎”を”友釣り”で確保しました。画像 15287.16.徳島新聞記者席


最近のダム関連記事から-2

吉野川第十堰可動化計画を問う徳島市住民投票から10年あまりで、可動化中止となり、住民投票を引っ張ってきた”吉野川みんなの会”が解散しました。

早くもこの会は広く大きく拡散して、「吉野川を大切にしていくために”推進派も反対派も、ともにかけがいのない流域住民であるはず。それぞれに思いを込めた取り組みをしながら、一緒にできる大きなイベントでは一つになって盛り上げる」でしょう。(記事は徳島新聞夕刊から)画像 15197.13.徳新夕刊ぞめき記事


最近のダム関連記事から

NO1
朝日20日「ダム検証・見直しは市民参加で」

玄さんの意見
市民参加の前に”公開”が先だと思います。公開では本音を発表できない”有識者”とは何ぞや。画像 1546


2010年07月18日

ダム日記2・・(政野淳子さんの日記から)

2010年7月18日 (日)
ダム見直しの失敗(その25)
今後の治水対策のあり方に関する有識者会議の第11回会議で示された「今後の治水対策のあり方について 中間とりまとめ(案)」は、その「巧妙さに解説が必要」なわけを、お預け状態の「歴史編」を絡めて書きます。

国土交通政務三役の言葉の端々から感じることを一言で言えば、彼らには「治水のあり方をかえよう」という意思と自信がある(ように見える)。その自信が見せかけでないとすれば、あまりにナイーブではないかと思えてしまう。そんなに簡単に「治水のあり方は変わらなかった」という歴史があるからだ。

2007年6月23日(土)に「川辺川を守る県民の会」総会に呼ばれてお話したときのメモをベースに書いていく。

●日本では住民参加や情報公開の制度整備が遅れ、1990年代にはいってもまだ
国や都道府県による公共事業のゴリ押しが可能だった。
住民にとっては、なんの了解もなく、突然、自分の住んでいる場所が、
「ダムの底に沈む」ことを知らされるというのが公共事業の姿だった。

例:苫田ダム(岡山県、完成2005年3月)
水没地住民がダム計画について知ったのは
1957年11月の山陽新聞記事「吉井川に苫田ダム」。
「寝耳に水の事態に驚いた岸川忠雄村長は、早速県庁に出向いて確かめたところ、
新聞報道のとおりダム計画は事実とわかった」
−住民編纂「ダムとたたかう町」(手帖舎)

●国民の意識が変わり始めたのは、すでに脱ダムを遂げた米国とさほど変わらなかった。
1993年12月、細川政権下で初めて、ダムの反対運動を行っていた市民団体が、建設大臣室に入った。五十嵐広三建設大臣が、長期化した大規模事業計画につき、「客観的に検討・評価して勧告する機関の設置が必要である」と発言。しかし、これだけで終わった。

●1995年5月22日、長良川河口堰の本格運用が開始され、罪滅ぼしか、野坂浩賢建設大臣(村山政権)が、「大規模な公共事業の進め方について、今後の大きな公共事業は、計画の当初からより透明性と客観性のあるシステムをつくる必要がある」と発言。

これを受け、1995年6月2日、建設省が「大規模公共事業に関する総合的な評価方策検討委員会」設置を発表。これは、「ダム・堰事業については、大規模な事業であり、その建設に長期間を要し、また地域に与える影響も大きいにも関わらず、建設省の他の事業に比べて、地域住民の意見を聴取する都市計画のような手続きが制度上十分でなかったとの指摘を踏まえ、事業者が当該ダム・堰事業の目的、内容等について地域の意見を的確に聴取することを目的として6月30日に新しい評価システムをとりまとめ、試行することとした。」というものだった。

地域の意見を的確に聴取する!
これが、河川行政における初のブレイク・スルーだった。

●ところが、「地域の意見を的確に聴取する」の方法が具現化する過程でとんでもないことになった。

それまでダム事業を陳情して(させられて)きた張本人である知事が委員を選任するというもので、選任されたのは、関係自治体の長、議会議長、つまり、ダム推進をしてきた人、そして、その方針を下支えする学識経験者だった。

具現化の過程で、「地域の意見」が主権者たる住民や、参加意欲のある、意識の高い住民団体や環境保護団体ではなく、「地域の政治家の意見」となってしまった。

建設省が知事に見直しを丸投げした結果、中には、非公開、議事録作成なし、公聴会なし、たった2回の会議(顔合わせの回で、次回は結論を出しますとされ、2回目でその結論を出した)で推進結論を出した事業があった。

見直しは建前で、本音は事業推進のための「お墨付き機関」となってしまった。

そして、今回の「中間とりまとめ(案)」はこの見直しの枠組みに酷似している。(これについては後述)

●その失敗を挽回、いや住民意見を聞くという点を前に進めるために考えられたのが、1997年の河川法改正だった。今度はしっかりと、法律の中に、「関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない」(河川法16条の2)とはいった。

ところが、これも、インチキに終わった。(続く)

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2010年07月16日

可児川水害と上流のダム

画像 1529
画像 1525
松野ダムデータ


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・着手年/竣工年
 1943年/1961年
・水系/河川
 木曽川水系/可児川
・ダム型式
 アースダム
・堤高
 26.7m
・堤頂長
 205.0m
・堤体積
 164,000m3
・総貯水量
 3,313,000m3
・有効貯水量
 2,350,0000m3
・ダム湖名
 松野湖
・用途
 洪水調節
 農地防災
 灌漑用水
・管理
 愛知用水公団
 岐阜県


前沢ダムデータ


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・着手年/竣工年
 1971年/1980年
・水系/河川
 木曽川水系/前沢川
・ダム型式
 アースダム
・堤高
 38.0m
・堤頂長
 171.0m
・堤体積
 199,000m3
・総貯水量
 2,025,000m3
・有効貯水量
 2,000,0000m3
・ダム湖名
 ?
・用途
 灌漑用水
・管理
 岐阜県

一昨日から昨日にかけての大雨で、可児川が氾濫して、大型車20台あまりが流されました。
この水害で車ごと流された3人が命をうばわれた。

この川の上流には、いくつかのダムがあります。その中でも上記のダムが、

そのとき、いかなる、役割、を果たしたのでしょうか。

おそらくは、大雨の中、決壊の危機に耐えられなくなったダム群が、一斉に、ゲートをいっぱいに開けたのではないだろうか。

決壊したら更に大変でしたが・・・。

(写真は徳島新聞夕刊とNHKテレビからです。)




2010年07月14日

雨雨雨

1 僕に相談無しに降り続く雨

2 さすがのツバメも雨宿り

3 二つの巣で雛はご機嫌

4 川は増水

5 本業の釣ができない玄さんは、趣味のセンバン加工画像 1513雨
画像 1515親鳥
画像 1507ツバメー1
画像 1510ツバメー2
画像 1516川増水
画像 1519センバン


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