実験記録 No.02

大阪市在住プログラマ 翻訳したり、本読んだり。

【日本語訳】イギリス風殺人の衰退(Decline of the English Murder)

イギリス風殺人の衰退(Decline of the English Murder, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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日曜日の午後、できれば戦争前のことだと思って欲しい。妻はすでに肘掛け椅子で眠っていて、子供たちは楽しい遠足へと送り出された後だ。あなたはソファーに足を伸ばし、眼鏡を掛けてニュース・オブ・ザ・ワールド紙を開いている……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「Decline of the English Murder」の日本語訳。

心地良い日曜日の午後、ソファーに腰かけて読むべき読み物はなにか……そう、殺人事件についてのものだ、というオーウェルの皮肉を効かせた冗談から始まる「イギリス風殺人」を分析し、その没落を嘆くエッセー。

オーウェルによると中流階級の犯人が痴情のもつれや金銭を理由に妻・夫を毒殺するようなものこそが、理想的なイギリス風殺人なのだそうだ。オーウェルはその特徴を次のようにまとめている。

  • 犯人は知的職業階級の平凡な男で郊外のどこかでごく普通の生活を送っている。
  • 犯人は秘書かライバルの男の妻に手を出して道を踏み外し、葛藤の末に殺人を犯す。
  • 犯行は計画的に行われるが予期せぬアクシデントで手がかりを残してしまう。
  • 犯行手段は毒殺である。
  • 殺人の動機は究極的には名誉、世間体を守るためである。

こういった殺人事件は多かれ少なかれどこの国でも好奇の対象になるが(日本だと昼ドラの題材になるような事件か)、イギリスでも長い伝統として根付いているらしい。コナン・ドイルやアガサ・クリスティといった推理小説作家が生み出された下地もこのあたりにあるのかもしれない。

しかし第2次大戦を境にそうしたイギリス風殺人が「衰退」しているとオーウェルは書く。代わりに台頭しているのが「アメリカナイズ」された犯人による通り魔的な犯罪だ。その例としてオーウェルは「割れ顎殺人」と呼ばれるアメリカ軍の脱走兵と十八歳の少女が起こした事件だ。

この事件には感情的な深みはまったくない……(中略)……背景にあるのは家庭的なものではなく、ダンスホールでの匿名生活とアメリカ映画の誤った価値観だ。(ジョージ・オーウェル, "イギリス風殺人の衰退"

自動車でドライブしながら行きずりの人間を襲うという手口は(時代は下るが)「ナチュラル・ボーン・キラーズ」や「テルマ&ルイーズ」を思わせて確かにアメリカ的なものだと言えるかもしれない。

オーウェルの別の評論「ラッフルズとミス・ブランディッシ」と同様、第2次大戦を境にイギリス的なスノビッシュからアメリカ的なリアリズムへと時代が変わっていくことへのオーウェルの嘆きが感じられる。

【日本語訳】一杯のおいしい紅茶(A Nice Cup of Tea)

一杯のおいしい紅茶(A Nice Cup of Tea, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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手近な料理の本で「紅茶」について調べてみると、おそらくそれが取り上げられていないことに気がつくだろう。あるいはせいぜい数行のおおまかな手順を目にすることもあるかもしれないが、そうした手順にはいくつかの最も重要な点が抜け落ちている。これは興味深いことだ。紅茶は……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「A Nice Cup of Tea」の日本語訳。

イギリス人であるオーウェルがこだわりの紅茶のいれ方をひたすら説明していくエッセー。政治や文学の話は一切なし。

「イギリス=紅茶」というのはほとんどステレオタイプといっていいほど有名な図式だが、オーウェルの真剣さを見るとあながち間違っていないのではないかと思えてくる。

紅茶は、この国はもちろんアイルランド、オーストラリア、ニュージーランドの文明における主要な柱のひとつであり、またその最良の入れ方は激しい議論を巻き起こすテーマなのだ。(ジョージ・オーウェル, "一杯のおいしい紅茶"

オーウェル流の紅茶のいれ方は11のルールから成り立っていて、それぞれにうんちくが語られる。オーウェルの11のルールを簡単にまとめると次のようになる。

  • 茶葉はインド産かセイロン産のものを使う。
  • 磁器か陶器のティーポットで、少量ずついれる。
  • ティーポットはあらかじめ温めておく。
  • 1クォート(約1.1リットル)あたり茶葉をスプーン山盛り6杯使う。
  • 茶葉は直接ティーポットにいれ、ポットの中でほぐれるようにする。
  • ティーポットはやかんのそばに置き、注ぐ間もお湯が沸騰しているよう保つ。
  • ティーポットを揺すってから茶葉が沈んで落ち着くのを待つ。
  • カップは円筒形で深いものを使う。
  • ミルクは乳脂を抜いたものを使う。
  • まずカップに紅茶を注ぎ、その後でミルクを注ぐ。
  • 砂糖を入れてはいけない。

オーウェルは「パリ・ロンドン放浪記」の中でも仲間の浮浪者と一緒に紅茶で空腹をまぎらわせたといった話をしているし、日本だとなんとなく上品なイメージがある紅茶も、イギリスでは上流階級からr労働者階級まで全員が飲むまさに国民飲料といった感じらしい。


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【日本語訳】右であれ左であれ、わが祖国(My Country Right or Left)

右であれ左であれ、わが祖国(My Country Right or Left, 1940)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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一般に考えられているのに反して過去は現在と比べて様々な出来事に満ちているわけではない。もしその様に思うのであればそれは振り返って見たときには何年も隔たって起きた出来事が望遠鏡で見るように一緒になって見えるためであり、また心から新鮮に思える記憶をごくわずかしか持っていないからだ……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「My Country Right or Left」の日本語訳。

このエッセーが書かれたのは1940年秋なので、1939年9月のナチス・ドイツのポーランド侵攻によって始まった第2次世界大戦から1年が経過した頃に書かれたものということになる。

オーウェルは労働党の支持者であることを公言し、イギリス帝国主義を憎む人物だったが、同時に自らを愛国的な人間であると考えていて、ナチス・ドイツに対する戦争には基本的に協力的だった(「愛国心と保守主義の間には何の関係もない("右であれ左であれ、わが祖国")」)。

このエッセーでは幼少からの記憶を引いて自身がどれほど戦争(第1次世界大戦)から縁遠く、それを軽蔑していたかをまず説明している(余談だが「一九八四年」に出てくる水底に沈んでいく母親と妹の場面の元ネタがタイタニック号沈没にあることがわかって面白い)。

行進でできる限りたるんだ態度を取ることや戦争に対する無関心は進歩の証だと考えられていた。帰還した若い将校たち……(中略)……彼らにできるのは戦争は「好ましいもの」であり、「人を屈強にし」、「人の有能さを保つ」のだ云々かんぬんと怒鳴ることだけだった。私たちはただ彼らを鼻先でせせら笑うだけだった。(ジョージ・オーウェル, "右であれ左であれ、わが祖国"

しかし成長して第1次大戦へ参加していた人間とも付き合うようになったことやスペイン内戦に義勇兵として参加したことが影響したのか、次第にそうした態度からは距離を置くようになっていったらしい。

そして第2次大戦が始まった時、オーウェルは自身がイギリスのために戦うだろうことを直観した。実際、軍へ志願したり(断られたが)、民兵組織であるホームガードに参加したこと、戦争中はBBCで宣伝放送を担当したことはよく知られている。

その夢は私に二つのことを教えてくれた。……(中略)……二つ目は私は心の底においては愛国的で、自国に対してサボタージュをしたり敵対するようなことはせず、この戦争を支援し、もし可能であれば自らも戦うであろうということだ。(ジョージ・オーウェル, "右であれ左であれ、わが祖国"

ウェルズ、ヒトラー、世界国家」や『書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」』にも見られるように、オーウェルは忠誠心や愛情といった一見不合理に思える感情こそが重要な役割を果たすという考えを持っていた。

その瞬間が来た時に革命からしり込みするのはまさにユニオンジャックを見ても決して心動かされない人々なのだ。(ジョージ・オーウェル, "右であれ左であれ、わが祖国"

「動物農場」や「一九八四年」の印象(特にその悲観的な内容)からリアリストと見られがちなオーウェルだが、実はかなりロマン主義的な部分の多い作家だということがわかるのではないだろうか。

【日本語訳】書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」(Review Of "Mein Kampf" by Adolf Hitler)

書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」(Review Of "Mein Kampf" by Adolf Hitler, 1940)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

ほんの一年前に出版されたハースト・アンド・ブラケット社による無修正版「我が闘争」がヒトラー支持の立場から編集されていることは事態がいかに急速に動いたかを示している。翻訳者による前書きと注釈にはこの本の残忍性を薄め、ヒトラーをできるだけ慈悲深い指導者に描こうという意図がはっきりと見て取れる……続きを読む

「我が闘争」のジョージ・オーウェルによる書評の日本語訳。(説明不要かもしれないが)「我が闘争」はナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが自らの生い立ちと思想を書いた自叙伝。


わが闘争(上)

この書評が掲載されたのは1940年3月のことだ。ドイツのポーランド侵攻が1939年9月なので第2次大戦の勃発から半年後に書かれたものということになる。

この書評でオーウェルはなぜヒトラーがこれほどの支持をドイツ国民から集めたのかを考察している。ヒトラーは「偏執狂的人物」であるとしながらも彼には不思議な人間的魅力があるとオーウェルは書く。安楽を拒絶し苦悩するいわば殉教者のような雰囲気を持っていると言うのだ。

彼独自の個人的魅力がなければヒトラーが無数のライバルに対抗して打ち勝つことはできなかっただろう。その魅力は「我が闘争」のぎこちない文章からさえも感じ取ることができる。彼の演説を耳にすれば圧倒されるであろうことは疑いない……(中略)……もしヒトラーに近づくことができれば私が彼を殺すだろうことは間違いないが、個人的な憎しみを彼に感じることはできないだろうと思うのだ。何か深く訴えかけるものが彼にあることは事実だ。(ジョージ・オーウェル, "書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」"

そしてこの「喜びなき精神」の持ち主はその精神ゆえに人々が欲するのは安楽だけではなく、闘争・自己犠牲・忠誠であるということを本能的に知っているのだ、とオーウェルは続ける。

ヒトラーは、人類が欲するのは安楽と安全、短い労働、衛生状態、避妊、一般化して言えば常識に適ったもの、それだけでないことを知っているのだ。少なくともときおりは闘争と自己犠牲、そして言うまでもなく太鼓と旗、忠誠を誇示するための行進を人類は求める。(ジョージ・オーウェル, "書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」"

(古典的な意味での)社会主義や資本主義では提供できていないもの、「進歩的・合理的」な考えが切り捨ててきたものをときに人間は求めるというのだ。

社会主義は、そして不承不承ながら資本主義でさえもが人々に対して「心地よい暮らしを提供する」と説く。ヒトラーは人々に「闘争と危機、そして死を提供する」と説き、その結果としてひとつの国全体が彼の足元にその身を投げ出しているのだ。(ジョージ・オーウェル, "書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」"

このあたりの議論はオーウェルの別の評論「ウェルズ、ヒトラー、世界国家」にも通じるものがある。

現代の映画やスポーツを見ても、本能的に人間が闘争や自己犠牲、忠誠を求めるというのは確かなことの様に思われる。動物的(あるいは文化的)な本能である以上、消し去ることは難しいだろうが、それに自覚的になること、抑制的にふるまうことは可能なのではないだろうか。


帰ってきたヒトラー

わが闘争 (まんがで読破)

【日本語訳】象を撃つ(Shooting an Elephant)

象を撃つ(Shooting an Elephant, 1936)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

ビルマ南部のモーラミャインでは私は大勢の人々に憎まれていた……そんなことが起きるほどたいそうな地位にいたのは私の人生でもその時だけだ。私はその町の警察分署の副署長で、そこには漠然とした反ヨーロッパ感情とでも言うべきものが非常に強く存在していた。暴動を起こすほどの気概がある者は……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「Shooting an Elephant」の日本語訳。

オーウェルは19歳から5年間、当時イギリスの支配下にあったビルマ(現在のミャンマー)で警官として過ごした。この「象を撃つ」はビルマ時代を描いた作品の中でも代表的なもののひとつに数えられている。

当時、警官だったオーウェルは脱走して暴れた象を追い、最終的に(意に反して、不必要に)その象を撃ち殺すことになる。

私はその象を撃ちたくなかった。草の束を膝に叩きつける象を私は見つめた。象は何かに没頭している老婦人を思わせる雰囲気を持っていた。象を撃つことは謀殺のように思われた。(ジョージ・オーウェル, "象を撃つ"

なぜ撃ちたくなかった象を撃つことになったのか。支配-被支配の関係は時に反転し、支配者自身が「支配される」のだというのがオーウェルの考えだ。

物語の主役は一見したところ私だ。しかし実際のところ、私は背後に立つこの黄色い顔々の意思に背中を押されて惑う、とるにたらない人形に過ぎなかった。白人が暴君へと変わる時、破壊しているのは自らの自由なのだということをこの瞬間に私は理解した。(ジョージ・オーウェル, "象を撃つ"
岐路に立たされれば決まって「先住民」の期待することをおこなうのだ。仮面をつければその顔は仮面に合うように変わっていく。私は象を撃たなければならなかった。(ジョージ・オーウェル, "象を撃つ"

権力を持ってそれを振るう人間は同時ににその権力に縛られている。

実はこの作品が実話なのかどうかには議論がある。当時の同僚の証言(「象を撃った処分としてオーウェルはミャンマー北西部のカタへ転属された」)がある一方、1926年に起きた類似の事件を題材にしたフィクションではないかという主張もある。

そういう意味では自分が嫌う植民地政府の警官だったオーウェルが自身の道義心を「撃ち殺される象」という形で描写したのだという読み方もできるかもしれない。