実験記録 No.02

大阪市在住プログラマ 翻訳したり、本読んだり。

【日本語訳】マラケシュ(Marrakech)

マラケシュ(Marrakech, 1939)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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死体が通り過ぎると蠅はレストランのテーブルから雲のようになって我先にと飛び去ったが、数分もすると戻ってきた。会葬者の小さな群れ……全て男か少年で女はいない……は物悲しく短い詠唱を何度も繰り返しながら、積まれたザクロやタクシー、ラクダの間を縫うように市場を進んでいく……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「Marrakech」の日本語訳。

「マラケシュ」とはモロッコの中央部にある都市のこと。モロッコがフランスから独立したのは1956年のことなので、このエッセーが書かれた当時はまだフランス植民地だった。

オーウェルはイギリス植民地だったインドで警察官を5年務め、植民地政策に嫌気がさして職を辞して作家となった経歴を持っている。この「マラケシュ」では作家となった後に見たフランスの植民地支配の現状を批判的に描いている。

現地の人々(とりわけ女性)の生活の困難さ、ユダヤ人街の過密と貧困を描きつつ、それらは普通、ヨーロッパの人間の目には「映らない」のだと説明する。

熱帯の風景ではあらゆるものが目に飛び込んでくるが人間だけは別なのだ。乾いた土、ウチワサボテン、椰子の木、遠い山並みは目に映るが、任された土地にくわを振るう農夫は見過ごされる。その肌は大地と同じ色をし、たいていの場合は興味をそそられることもない。(ジョージ・オーウェル, "マラケシュ"

オーウェルは自分自身もそうだったと書く。モロッコに到着してすぐにそこで働かされているロバの扱いのひどさに気がついたにも関わらず、現地人の女性がまるで「 荷役用の動物」のように扱われていることに気がついたのはずっと後になってからだったという。

背の皮が破れたロバは誰しもが気の毒に思うが、枝木の山の下の老女に気がついたとしてもそう思うかどうかは普通は偶然にまかされている。(ジョージ・オーウェル, "マラケシュ"

最後にオーウェルは道を行進していく黒人部隊の様子を描き、「いつまで彼らをだましておけるものだろうか、と白人は皆、どこかで考えているのだ」と述懐している。

【日本語訳】イギリス料理を弁護する(In Defence of English Cooking)

イギリス料理を弁護する(In Defence of English Cooking, 1945)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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外国の観光客をこの国に呼び込むことの重要性については近年、多くの議論がなされている。外国からの来訪者から見たイングランドの二つの最悪の欠点は有名だ。すなわち日曜日の陰鬱さと酒を買いづらいことである……続きを読む

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ジョージ・オーウェルの「In Defence of English Cooking」の日本語訳。

イギリスの料理と言えば悪名高く、日本語版Wikipediaのイギリス料理の項目には『「不味い」というイメージ』という節が設けられるほどだ。一説によると世界で初めて産業革命(とそれによる劣悪な工場労働)が起きたことが原因だという研究もあるらしくなかなか面白い。

このエッセーに話を戻すと、第2次大戦が終わったこの時期にイギリスでは国外の旅行客を呼び込むことの重要性が議論されていたらしい。当然、イギリス料理も問題とされたのだろう。

そこでオーウェルは「イギリス料理が不味いというのは誤解だ」としてキッパー(燻製ニシン)、ハギス(羊の内臓料理)、スティルトン(ブルーチーズの一種)などイギリス特有のおいしい料理を列挙し、イギリス料理の擁護弁論を行っている。

ではなぜイギリス料理が不味いと言われるのかというと、まともな料理は家庭でしか作られず、レストランでは出されないからだという。イギリスのレストランではフランス料理が出され、そのせいでイギリス料理は「不味い」だけでなく「フランスの真似事」という汚名まで着せられているとオーウェルは憤っている。

ブレイの牧師のための弁明」や「一杯のおいしい紅茶」、「ヒキガエルにまつわるいくつかの考え」と同様、自然や文化を愛好するオーウェルの一面が出たエッセー。

【日本語訳】炭鉱の奥深く(Down the Mine)

炭鉱の奥深く(Down the Mine, 1937)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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チェスタートンには申し訳ないが、私たちの文明は石炭の上に築かれている。あまりに当たり前すぎてよく考えないとそれに気がつけないほどだ。私たちの生存を確かにする機械、機械を作りだす機械、それらはすべて直接的、間接的に石炭に依存している……続きを読む

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ジョージ・オーウェルの「Down the Mine」の日本語訳。

オーウェルの初期の作品のひとつがイギリス北部の炭鉱街を取材したルポルタージュ「The Road to Wigan Pier」だ。「ウィガン波止場への道」として邦訳されている(絶版になっていたが昨年、電子書籍として復刊された)。

この「炭鉱の奥深く」はその中の1章で、炭鉱夫たちの仕事の様子を取材したものになっている。中東やアフリカでの大油田の発見による石油エネルギーへの転換は1950年代のことで、オーウェルがこのエッセーを書いた当時はまだ石炭こそが産業を支えるエネルギーの中心だった。

アイスクリームを食べることから大西洋を渡ることまで、またパンを焼くことから小説を書くことまで、私たちがおこなうことはほとんどすべて直接的、間接的に石炭を使用している……(中略)……ヒトラーが膝を伸ばして行進するためにも、ローマ法王がボルシェビズムを非難するためにも、クリケットの観衆がローズ競技場に集まるためにも、詩人同士が内輪褒めするためにも、石炭が用意されなければならない。(ジョージ・オーウェル, "炭鉱の奥深く"

その石炭を掘り出す炭鉱夫は小柄だが、筋骨たくましく、オーウェルはその姿に嫉妬さえ覚えると書いている。

一方で労働は過酷だった。とりわけオーウェルの注意を引いたのは地下に降りた後で採掘地まで数マイルを這うようにして進まなければならないということで、これがどれほど大変なことかをオーウェルは自身の体験を交えてくり返し強調している。

炭坑に潜る前、私が漠然と想像していたのはケージを降りて数ヤードほど先の石炭鉱脈で働く炭坑夫だった。働く前には通路を這い進まなければならないこと、その通路がロンドン・ブリッジからオックスフォード・サーカスに至るほどの長さもあるとは考えもしなかった。(ジョージ・オーウェル, "炭鉱の奥深く"

「動物農場」、「一九八四年」で広く知られるジョージ・オーウェルだが、「動物農場」の出版まではむしろルポルタージュ作家(そして書評家)としての仕事が多い。前世紀よりは改善されてきているものの、依然として過酷だった労働者階級の生活の様子を直に取材したことが与えた影響は、後の小説の作風からもうかがうことができるように思う。

ParaView での透視投影、正射影の切り替え

ParaView バージョン5 では透視投影、正射影(平行投影)の切り替えはパイプライン・ブラウザ下部の「Properties」タブで行なう(「Properties」タブは通常はウィンドウ左下にある)。

バージョン4.2.0 以降でこのように変更されたらしい。

「Properties」タブの検索ボックスに「Camera Parallel Projection」と入力して、見つかったチェックボックスにチェックをいれると正射影に、外すと透視投影になる。

ParaView-togglePerspective

あるいは検索ボックス横の歯車アイコンをクリックして全ての項目を表示させてから、「Properties」タブの下部にスクロールしても「Camera Parallel Projection」チェックボックスは見つかる。

以下の様に透視投影(左)と正射影(右)が切り替わる。

paraview-perspective paraview-orthogonale

ParaView 5.0.1 64bit版で確認した。

参照: 遠近法と平行投影の切り替え(Ver 4.2.0以降)

【日本語訳】歓楽の地(Pleasure Spots)

歓楽の地(Pleasure Spots, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

数か月前に私は派手派手しいある雑誌の記事を切り抜いた。ある女性ジャーナリストによって書かれた未来のリゾートについての記事だ。彼女は最近、ホノルルで時を過ごしたらしい……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「Pleasure Spots」の日本語訳。

このエッセーでオーウェルは現代的なレジャー施設を詩人コールリッジの詩「フビライ・ハーン」と対比させて批判的に分析している。オーウェルがここで対象としているのは屋内プールや飲食街、映画館を内部にもち、絶えず音楽が流れ続けるような人工的に作られた大規模レジャー施設だ。

オーウェルはその特徴を次のように分析している。

  1. 決して一人になることがない
  2. 自分自身で何かをする必要がない
  3. 野生の草木や自然物が視界に入ることがない
  4. 照明と温度が常に人為的に調整されている
  5. 常に音楽が流れ続ける

これらの特徴から連想させられるものは「子宮への回帰願望」だとオーウェルは書く。

現代のリゾート地が無意識に目指しているのは子宮への回帰なのではないかと感じずにはいられない。そこでは人は決して一人になることがなく、日光を浴びることもなく、温度は常に調整されている。仕事や食べ物の心配をする必要はなく、もし存在するとしたらだが思考はリズミカルな拍動に飲み込まれてしまう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地"

オーウェルは鳥や野兎をはじめとした野生動物、木々や草花、季節の移り変わりを好む、ダンスホールや映画館ではなく郊外でのトレッキングを好むような人物だった。そうしたせいもあってか人工的に閉じられた歓楽施設というアイデアをかなり辛辣に批判している。

歓楽の名でおこなわれることの大半は思考を破壊しようという試みに過ぎない。まず最初に問いかけてみよう。人間とは何か? 何を必要としているのか? どうすれば自身を最良の形で表現できるのか?……(中略)……安っぽい音楽の調べはその助けにならないことに気が付くだろう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地"

第2時大戦が終わり、工業生産力にも余裕ができてきた当時はこうした完全人工型のリゾートが多く企画され、それがオーウェルには軽薄で現実逃避的なものに見えたのだろう。

最初のディズニーランドがアメリカのカリフォルニア州に作られたのはこのエッセーが書かれた9年後、1955年のことだった。