実験記録 No.02

大阪市在住プログラマ 翻訳したり、本読んだり。

【日本語訳】貧しい者の死に様(How the Poor Die)

貧しい者の死に様(How the Poor Die, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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一九二九年のことだ。私はパリの第十五区のとある病院で数週間を過ごした。そこの受付係は受付で私をお決まりの厳しい尋問にかけ、中に入れてもらえるまで二十分ほどにわたって私は質問に答え続けた。もしラテン系の国で問診票を埋めるはめになったことがあれば、質問がどのようなものだったかはわかるだろう……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「How the Poor Die」の日本語訳。

ビルマでの警察官の仕事を辞めてヨーロッパに戻ったオーウェルはしばらくの間、パリで極貧生活を送っている。このエッセーはその当時に体を壊して入院生活をした時の思い出話になっている。

オーウェルが入院したパリ15区の病院は当時でも悪名高い、19世紀の面影を残したものだったらしい。医学生の教材となることと引き換えに無料で入院することができたが、標本のように患者を扱う医者と医学生にオーウェルは驚く。

彼らの誰一人として一言の会話もしようとはせず、直に顔を見ようともしないのだ。決められた寝間着を着た治療費を払えない患者は基本的には標本なのだ。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

こうした病院なのでオーウェルと同じように無料で入院している患者の多くは貧窮者だった。そこでは朝になると同室の患者が死んでいるということも普通だったらしい。

二人の別の看護師が木靴の大きな音を立てながらまるで兵士のように並んで歩いてくると、死体をシーツで包んだが死体はその後も運び出されるまでしばらくそのままにされた……(中略)……なんともおかしな話だが、彼は私が目にした初めての死んだヨーロッパ系の人間だったのだ。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

現在(1946年)のイギリスではこんなことは起きないとオーウェルは語る。訓練を受けた看護師、麻酔や消毒剤、そして国民健康保険によって状況が変わったのだという。しかしパリで見た病院の雰囲気は多くの文学作品で描かれている19世紀の病院・医者のものと同じだとオーウェルは続ける。

過去五十年ほどの間に医者と患者の関係には大きな変化が起こってきた。十九世紀後半以前の文学作品を読めば、そのほとんどで病院が刑務所、それも古風な地下牢じみた刑務所と同じようなものとして扱われていることに気がつくだろう。病院は腐敗と苦痛と死の場所であり、墓地への控えの間のようなものだった。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

過去の文学作品を参照しながら前近代の持つ残酷さを描写し、近代的な科学知識や社会制度によって貧窮者の状態は次第に改善されていったのだと語るオーウェルの良識派らしい一面が表れているエッセー。

【日本語訳】一書評家の告白(Confessions of a Book Reviewer)

一書評家の告白(Confessions of a Book Reviewer, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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寒く、しかし空気のよどんだワンルーム・アパート、タバコの吸い殻と飲みかけの紅茶のカップが雑然と置かれたそこで虫に食われた部屋着を着た一人の男がおんぼろのテーブルに向かい、周りに積まれた埃っぽい書類をどかしてタイプライターを置く場所を作ろうとしている……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「Confessions of a Book Reviewer」の日本語訳。

オーウェルは1945年に刊行された「動物農場」で小説家として一般に知られるようになったが、作家人生の前半では主にジャーナリスト・ルポルタージュ作家として活動していた。しかしその作品は(後年の小説に比べれば)売れたわけでもなく、経済的理由もあったのだろうが雑誌に書評を書くという仕事を多くしていたようだ。

このエッセーはそんな書評家オーウェルの「楽屋ネタ」、「愚痴」ともいえるものになっている。

朝には目はかすみ、死んだような表情で、無精ひげは伸び放題だ。一、二時間、真っ白な原稿をじっとにらみ、それから威嚇する時計の針に脅されるようにして彼は作業にとりかかる。(ジョージ・オーウェル, "一書評家の告白"

編集者から送られてくる本を、それがどんなものであれ読んで、書評を書くという仕事はなかなかつらかったようだ。

本を扱う仕事に就いて初めて人はその大多数がどれほど粗悪なものであるかに気がつく。客観的で誠実な批判をおこなえば九割を超えるものに対して与えられる評価は「この本は無価値だ」というものだし、実際のところ書評家がそれらにとる反応は「この本にはまったく興味がわかない。金を貰わなければこれについて何か書こうとは思わない」というものだろう。(ジョージ・オーウェル, "一書評家の告白"

あるいはこのエッセーそのものもネタ切れの末に苦し紛れに書き上げたものなのではないかと邪推してしまうが、図らずも現代の職業ライターと変わらないであろうオーウェルの姿がかいま見れる。

【日本語訳】本か、タバコか(Books v. Cigarettes)

本か、タバコか(Books v. Cigarettes, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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数年前、新聞編集をおこなっている友人の一人が何人かの工場労働者と一緒に空襲で起きた火災を見ていた時のことだ。話題が彼の新聞についてになった。男たちのほとんどはその新聞の読者でそれが良い新聞だと認めていたが、彼が文芸欄についてどう思うか尋ねるとこう返ってきた……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「Books v. Cigarettes」の日本語訳。

オーウェルの友人と工場労働者たちの雑談からエッセーは始まる。この工場労働者たちは「本の値段は高すぎて自分たちには手が出ない」と言うのだ。オーウェルはそれが本当だろうかと考え、過去15年間に自分が本に費やした金額を詳細に調べることを試みる。

本を買うこと、あるいは読むことさえもが金のかかる趣味であり、平均的な人間には手の届かないものであるという考えは広く蔓延していてこれは詳細な検証に値するものだろう。(ジョージ・オーウェル, "本か、タバコか"

自宅にある書籍を数え上げた結果、過去15年でおよそ900冊、額にして165ポンド15シリングを使っていることがわかったとオーウェルは書く。そこに含まれない雑誌と新聞、読み捨てのペーパーバックも考慮すると1年あたり25ポンドだというのがオーウェルの結論だ。

消費者物価の推移から計算すると1949年当時の1ポンドは2008年での約7500円ほどになるらしい。従って1年で現在の19万円弱をオーウェルは本に費やしていたということになる。オーウェルの職業が作家であることを考えれば妥当な数字ではないかと思う。

さらにオーウェルはこの額がタバコや酒といった嗜好品に比べて高いかどうかを検討する。

一九四四年にはこれらの品に対する一人あたりの年間出費は二十三ポンド以上になっている。先のように女性と子供を考慮すれば一人の数字は四十ポンドとして差し支えないだろう。一年に四十ポンドといえばウッドバイン一箱を毎日、黒ビール半パイントを週六日といったところだ(ジョージ・オーウェル, "本か、タバコか"

1パイントは約0.5リットルなので、タバコを1日1箱と週にビールを3リットルといったところだ。少し多く見積もりすぎではないかという気もするが時代を考えれば不自然と言うほどでもない。さらにオーウェルは時間当たりの読書費用を計算する。

本一冊の値段を八シリング、それを読むのに四時間かかるとして……一時間当たり二シリングになるだろう。これは映画館の比較的高価な席のひとつに座るのとだいたい同じだ。(ジョージ・オーウェル, "本か、タバコか"

1ポンドが20シリングなので先のレートで計算すると1シリングは375円になる。従って1時間当たり750円だ。こうして順を追って本が「高価でない」ことをオーウェルは説明していく。

そのうえで最後に、本を読まない人々ではなく、価格に見合った効用を提供できていない作家を叱咤しているのがオーウェルらしいところか。

【日本語訳】イギリス風殺人の衰退(Decline of the English Murder)

イギリス風殺人の衰退(Decline of the English Murder, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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日曜日の午後、できれば戦争前のことだと思って欲しい。妻はすでに肘掛け椅子で眠っていて、子供たちは楽しい遠足へと送り出された後だ。あなたはソファーに足を伸ばし、眼鏡を掛けてニュース・オブ・ザ・ワールド紙を開いている……続きを読む

ジョージ・オーウェルの「Decline of the English Murder」の日本語訳。

心地良い日曜日の午後、ソファーに腰かけて読むべき読み物はなにか……そう、殺人事件についてのものだ、というオーウェルの皮肉を効かせた冗談から始まる、「イギリス風殺人」を分析し、その没落を嘆くエッセー。

オーウェルによると中流階級の犯人が痴情のもつれや金銭を理由に妻・夫を毒殺するようなものこそが、理想的なイギリス風殺人なのだそうだ。オーウェルはその特徴を次のようにまとめている。

  • 犯人は知的職業階級の平凡な男で郊外のどこかでごく普通の生活を送っている。
  • 犯人は秘書かライバルの男の妻に手を出して道を踏み外し、葛藤の末に殺人を犯す。
  • 犯行は計画的に行われるが予期せぬアクシデントで手がかりを残してしまう。
  • 犯行手段は毒殺である。
  • 殺人の動機は究極的には名誉、世間体を守るためである。

こういった殺人事件は多かれ少なかれどこの国でも好奇の対象になるが(日本だと昼ドラの題材になるような事件か)、イギリスでも長い伝統として根付いているらしい。コナン・ドイルやアガサ・クリスティといった推理小説作家が生み出された下地もこのあたりにあるのかもしれない。

しかし第2次大戦を境にそうしたイギリス風殺人が「衰退」しているとオーウェルは書く。代わりに台頭しているのが「アメリカナイズ」された通り魔的な犯罪だ。その例としてオーウェルが挙げるのがアメリカ軍の脱走兵と十八歳の少女が起こした「割れ顎殺人」と呼ばれる事件だ。

この事件には感情的な深みはまったくない……(中略)……背景にあるのは家庭的なものではなく、ダンスホールでの匿名生活とアメリカ映画の誤った価値観だ。(ジョージ・オーウェル, "イギリス風殺人の衰退"

自動車でドライブしながら行きずりの人間を襲うという手口は(時代は下るが)「ナチュラル・ボーン・キラーズ」や「テルマ&ルイーズ」を思わせて確かにアメリカ的なものだと言えるかもしれない。

オーウェルの別の評論「ラッフルズとミス・ブランディッシ」と同様、第2次大戦を境にイギリス的なスノビッシュからアメリカ的なリアリズムへと時代が変わっていくことへのオーウェルの嘆きが感じられる。

【日本語訳】一杯のおいしい紅茶(A Nice Cup of Tea)

一杯のおいしい紅茶(A Nice Cup of Tea, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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手近な料理の本で「紅茶」について調べてみると、おそらくそれが取り上げられていないことに気がつくだろう。あるいはせいぜい数行のおおまかな手順を目にすることもあるかもしれないが、そうした手順にはいくつかの最も重要な点が抜け落ちている。これは興味深いことだ。紅茶は……続きを読む

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ジョージ・オーウェルの「A Nice Cup of Tea」の日本語訳。

イギリス人であるオーウェルがこだわりの紅茶のいれ方をひたすら説明していくエッセー。政治や文学の話は一切なし。

「イギリス=紅茶」というのはほとんどステレオタイプといっていいほど有名な図式だが、オーウェルの真剣さを見るとあながち間違っていないのではないかと思えてくる。

紅茶は、この国はもちろんアイルランド、オーストラリア、ニュージーランドの文明における主要な柱のひとつであり、またその最良の入れ方は激しい議論を巻き起こすテーマなのだ。(ジョージ・オーウェル, "一杯のおいしい紅茶"

オーウェル流の紅茶のいれ方は11のルールから成り立っていて、それぞれにうんちくが語られる。オーウェルの11のルールを簡単にまとめると次のようになる。

  • 茶葉はインド産かセイロン産のものを使う。
  • 磁器か陶器のティーポットで、少量ずついれる。
  • ティーポットはあらかじめ温めておく。
  • 1クォート(約1.1リットル)あたり茶葉をスプーン山盛り6杯使う。
  • 茶葉は直接ティーポットにいれ、ポットの中でほぐれるようにする。
  • ティーポットはやかんのそばに置き、注ぐ間もお湯が沸騰しているよう保つ。
  • ティーポットを揺すってから茶葉が沈んで落ち着くのを待つ。
  • カップは円筒形で深いものを使う。
  • ミルクは乳脂を抜いたものを使う。
  • まずカップに紅茶を注ぎ、その後でミルクを注ぐ。
  • 砂糖を入れてはいけない。

オーウェルは「パリ・ロンドン放浪記」の中でも仲間の浮浪者と一緒に紅茶で空腹をまぎらわせたといった話をしているし、日本だとなんとなく上品なイメージがある紅茶も、イギリスでは上流階級からr労働者階級まで全員が飲むまさに国民飲料といった感じらしい。


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