実験記録 No.02

大阪市在住プログラマ 翻訳したり、本読んだり。

ParaView での透視投影、正射影の切り替え

ParaView バージョン5 では透視投影、正射影(平行投影)の切り替えはパイプライン・ブラウザ下部の「Properties」タブで行なう(「Properties」タブは通常はウィンドウ左下にある)。

バージョン4.2.0 以降でこのように変更されたらしい。

「Properties」タブの検索ボックスに「Camera Parallel Projection」と入力して、見つかったチェックボックスにチェックをいれると正射影に、外すと透視投影になる。

ParaView-togglePerspective

あるいは検索ボックス横の歯車アイコンをクリックして全ての項目を表示させてから、「Properties」タブの下部にスクロールしても「Camera Parallel Projection」チェックボックスは見つかる。

以下の様に透視投影(左)と正射影(右)が切り替わる。

paraview-perspective paraview-orthogonale

ParaView 5.0.1 64bit版で確認した。

参照: 遠近法と平行投影の切り替え(Ver 4.2.0以降)

【日本語訳】歓楽の地(Pleasure Spots)

歓楽の地(Pleasure Spots, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

数か月前に私は派手派手しいある雑誌の記事を切り抜いた。ある女性ジャーナリストによって書かれた未来のリゾートについての記事だ。彼女は最近、ホノルルで時を過ごしたらしい……続きを読む

PleasureSpots

ジョージ・オーウェルの「Pleasure Spots」の日本語訳。

このエッセーでオーウェルは現代的なレジャー施設を詩人コールリッジの詩「フビライ・ハーン」と対比させて批判的に分析している。オーウェルがここで対象としているのは屋内プールや飲食街、映画館を内部にもち、絶えず音楽が流れ続けるような人工的に作られた大規模レジャー施設だ。

オーウェルはその特徴を次のように分析している。

  1. 決して一人になることがない
  2. 自分自身で何かをする必要がない
  3. 野生の草木や自然物が視界に入ることがない
  4. 照明と温度が常に人為的に調整されている
  5. 常に音楽が流れ続ける

これらの特徴から連想させられるものは「子宮への回帰願望」だとオーウェルは書く。

現代のリゾート地が無意識に目指しているのは子宮への回帰なのではないかと感じずにはいられない。そこでは人は決して一人になることがなく、日光を浴びることもなく、温度は常に調整されている。仕事や食べ物の心配をする必要はなく、もし存在するとしたらだが思考はリズミカルな拍動に飲み込まれてしまう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地"

オーウェルは鳥や野兎をはじめとした野生動物、木々や草花、季節の移り変わりを好む、ダンスホールや映画館ではなく郊外でのトレッキングを好むような人物だった。そうしたせいもあってか人工的に閉じられた歓楽施設というアイデアをかなり辛辣に批判している。

歓楽の名でおこなわれることの大半は思考を破壊しようという試みに過ぎない。まず最初に問いかけてみよう。人間とは何か? 何を必要としているのか? どうすれば自身を最良の形で表現できるのか?……(中略)……安っぽい音楽の調べはその助けにならないことに気が付くだろう。(ジョージ・オーウェル, "歓楽の地"

第2時大戦が終わり、工業生産力にも余裕ができてきた当時はこうした完全人工型のリゾートが多く企画され、それがオーウェルには軽薄で現実逃避的なものに見えたのだろう。

最初のディズニーランドがアメリカのカリフォルニア州に作られたのはこのエッセーが書かれた9年後、1955年のことだった。

【日本語訳】貧しい者の死に様(How the Poor Die)

貧しい者の死に様(How the Poor Die, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

一九二九年のことだ。私はパリの第十五区のとある病院で数週間を過ごした。そこの受付係は受付で私をお決まりの厳しい尋問にかけ、中に入れてもらえるまで二十分ほどにわたって私は質問に答え続けた。もしラテン系の国で問診票を埋めるはめになったことがあれば、質問がどのようなものだったかはわかるだろう……続きを読む

HowThePoorDie

ジョージ・オーウェルの「How the Poor Die」の日本語訳。

ビルマでの警察官の仕事を辞めてヨーロッパに戻ったオーウェルはしばらくの間、パリで極貧生活を送っている。このエッセーはその当時に体を壊して入院生活をした時の思い出話になっている。

オーウェルが入院したパリ15区の病院は当時でも悪名高い、19世紀の面影を残したものだったらしい。医学生の教材となることと引き換えに無料で入院することができたが、標本のように患者を扱う医者と医学生にオーウェルは驚く。

彼らの誰一人として一言の会話もしようとはせず、直に顔を見ようともしないのだ。決められた寝間着を着た治療費を払えない患者は基本的には標本なのだ。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

こうした病院なのでオーウェルと同じように無料で入院している患者の多くは貧窮者だった。そこでは朝になると同室の患者が死んでいるということも普通だったらしい。

二人の別の看護師が木靴の大きな音を立てながらまるで兵士のように並んで歩いてくると、死体をシーツで包んだが死体はその後も運び出されるまでしばらくそのままにされた……(中略)……なんともおかしな話だが、彼は私が目にした初めての死んだヨーロッパ系の人間だったのだ。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

現在(1946年)のイギリスではこんなことは起きないとオーウェルは語る。訓練を受けた看護師、麻酔や消毒剤、そして国民健康保険によって状況が変わったのだという。しかしパリで見た病院の雰囲気は多くの文学作品で描かれている19世紀の病院・医者のものと同じだとオーウェルは続ける。

過去五十年ほどの間に医者と患者の関係には大きな変化が起こってきた。十九世紀後半以前の文学作品を読めば、そのほとんどで病院が刑務所、それも古風な地下牢じみた刑務所と同じようなものとして扱われていることに気がつくだろう。病院は腐敗と苦痛と死の場所であり、墓地への控えの間のようなものだった。(ジョージ・オーウェル, "貧しい者の死に様"

過去の文学作品を参照しながら前近代の持つ残酷さを描写し、近代的な科学知識や社会制度によって貧窮者の状態は次第に改善されていったのだと語るオーウェルの良識派らしい一面が表れているエッセー。

【日本語訳】一書評家の告白(Confessions of a Book Reviewer)

一書評家の告白(Confessions of a Book Reviewer, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

寒く、しかし空気のよどんだワンルーム・アパート、タバコの吸い殻と飲みかけの紅茶のカップが雑然と置かれたそこで虫に食われた部屋着を着た一人の男がおんぼろのテーブルに向かい、周りに積まれた埃っぽい書類をどかしてタイプライターを置く場所を作ろうとしている……続きを読む

ConfessionsOfABookReviewer

ジョージ・オーウェルの「Confessions of a Book Reviewer」の日本語訳。

オーウェルは1945年に刊行された「動物農場」で小説家として一般に知られるようになったが、作家人生の前半では主にジャーナリスト・ルポルタージュ作家として活動していた。しかしその作品は(後年の小説に比べれば)売れたわけでもなく、経済的理由もあったのだろうが雑誌に書評を書くという仕事を多くしていたようだ。

このエッセーはそんな書評家オーウェルの「楽屋ネタ」、「愚痴」ともいえるものになっている。

朝には目はかすみ、死んだような表情で、無精ひげは伸び放題だ。一、二時間、真っ白な原稿をじっとにらみ、それから威嚇する時計の針に脅されるようにして彼は作業にとりかかる。(ジョージ・オーウェル, "一書評家の告白"

編集者から送られてくる本を、それがどんなものであれ読んで、書評を書くという仕事はなかなかつらかったようだ。

本を扱う仕事に就いて初めて人はその大多数がどれほど粗悪なものであるかに気がつく。客観的で誠実な批判をおこなえば九割を超えるものに対して与えられる評価は「この本は無価値だ」というものだし、実際のところ書評家がそれらにとる反応は「この本にはまったく興味がわかない。金を貰わなければこれについて何か書こうとは思わない」というものだろう。(ジョージ・オーウェル, "一書評家の告白"

あるいはこのエッセーそのものもネタ切れの末に苦し紛れに書き上げたものなのではないかと邪推してしまうが、図らずも現代の職業ライターと変わらないであろうオーウェルの姿がかいま見れる。

【日本語訳】本か、タバコか(Books v. Cigarettes)

本か、タバコか(Books v. Cigarettes, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

数年前、新聞編集をおこなっている友人の一人が何人かの工場労働者と一緒に空襲で起きた火災を見ていた時のことだ。話題が彼の新聞についてになった。男たちのほとんどはその新聞の読者でそれが良い新聞だと認めていたが、彼が文芸欄についてどう思うか尋ねるとこう返ってきた……続きを読む

BooksVsCigarettes

ジョージ・オーウェルの「Books v. Cigarettes」の日本語訳。

オーウェルの友人と工場労働者たちの雑談からエッセーは始まる。この工場労働者たちは「本の値段は高すぎて自分たちには手が出ない」と言うのだ。オーウェルはそれが本当だろうかと考え、過去15年間に自分が本に費やした金額を詳細に調べることを試みる。

本を買うこと、あるいは読むことさえもが金のかかる趣味であり、平均的な人間には手の届かないものであるという考えは広く蔓延していてこれは詳細な検証に値するものだろう。(ジョージ・オーウェル, "本か、タバコか"

自宅にある書籍を数え上げた結果、過去15年でおよそ900冊、額にして165ポンド15シリングを使っていることがわかったとオーウェルは書く。そこに含まれない雑誌と新聞、読み捨てのペーパーバックも考慮すると1年あたり25ポンドだというのがオーウェルの結論だ。

消費者物価の推移から計算すると1949年当時の1ポンドは2008年での約7500円ほどになるらしい。従って1年で現在の19万円弱をオーウェルは本に費やしていたということになる。オーウェルの職業が作家であることを考えれば妥当な数字ではないかと思う。

さらにオーウェルはこの額がタバコや酒といった嗜好品に比べて高いかどうかを検討する。

一九四四年にはこれらの品に対する一人あたりの年間出費は二十三ポンド以上になっている。先のように女性と子供を考慮すれば一人の数字は四十ポンドとして差し支えないだろう。一年に四十ポンドといえばウッドバイン一箱を毎日、黒ビール半パイントを週六日といったところだ(ジョージ・オーウェル, "本か、タバコか"

1パイントは約0.5リットルなので、タバコを1日1箱と週にビールを3リットルといったところだ。少し多く見積もりすぎではないかという気もするが時代を考えれば不自然と言うほどでもない。さらにオーウェルは時間当たりの読書費用を計算する。

本一冊の値段を八シリング、それを読むのに四時間かかるとして……一時間当たり二シリングになるだろう。これは映画館の比較的高価な席のひとつに座るのとだいたい同じだ。(ジョージ・オーウェル, "本か、タバコか"

1ポンドが20シリングなので先のレートで計算すると1シリングは375円になる。従って1時間当たり750円だ。こうして順を追って本が「高価でない」ことをオーウェルは説明していく。

そのうえで最後に、本を読まない人々ではなく、価格に見合った効用を提供できていない作家を叱咤しているのがオーウェルらしいところか。

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