実験記録 No.02

大阪市在住プログラマー。 翻訳とか、物理シミュレーションとかやってます。

【読書メモ】 ヒューマンエラー(完訳版) ジェームズ・リーズン

世の中には人間のミスを誘発しやすいシステムやユーザーインターフェイスがある。そうしたものによるミスは小さなものはテキスト入力のタイプミスから巨大なものは原子炉の暴走まで幅広く存在し、一般に「ヒューマンエラー」と呼ばれる。

なぜそうしたミスが生まれるのか? どういったシステム、インターフェイスならヒューマンエラーを少なくできるのか? という疑問は20世紀後半、特に1980年代のチェルノブイリ原発事故以降、学問領域として注目を集め、ジェームズ・リーズンの「ヒューマンエラー」はその分野の古典とも言われる書籍なのだそうだ。

個人的にはソフトウェア開発のUI設計でミスをしにくいものを設計する参考にならないかという動機で読み始めた。

本の構成としては前半(1章から5章)は認知心理学的な学問分析、後半(6章以降)は実際の事例を参照した実務的な分析という内容になっている。前半部は抽象的でイメージがわきにくい部分もあるので実務的な知識が知りたい人は前半は斜め読みでもいいかもしれない。

以下、メモ書き。

  • ヒューマンエラーは大きく以下の3つに分類できる。
    ・スキルベース(ほとんど無意識に行われる動作でのエラー)
    ・ルールベース(If-Then型の単純な状況判定によって決まる動作でのエラー)
    ・知識ベース(高度な知的な判断・計画でのエラー)

  • ルールベースの場合、成功体験によって不適切な条件付けがされる場合があることが実験的に確かめられている(「ルーチンスの水差しテスト」 Luchins, 1950)(pp.101-103 )。

  • ごく簡単な知識ベースでのエラーの研究としてはドイツで行われた Lohhausen という町の経営シミュレーション(Dietrich Doerner et al, 1978, 1979, 1987)があり、5つの特徴が挙げられている(pp.119-122)。

  • エラーに対するシステムの応答としては「gagging」、「warning」、「do nothing」、「self-correct」、「Let's talk about it」、「Teach me」の6種類のものが考えられる(Lewis and Norman, 1986)(pp.210-212)。

  • Donald Norman による The Psychology of Everyday Things(1988, 邦訳 「誰のためのデザイン?」 新曜社)から、エラーの誘発を最小限に抑制するための設計方針として7つのものが挙げられている(pp.304-305)。

  • ソフトウェア操作と関連してワープロソフトの操作訓練の研究が挙げられ、いかにしてエラーに対応する訓練を行うかについての考察が4項目にまとめられている(pp.316-317)

※ページ数はいずれも日本語版、初版のもの

翻訳は2014年初版だが原著は1990年出版。そのためケーススタディーではチェルノブイリ事故、スリーマイル島事故、チャレンジャー号事故など1980年代までの事例のみが扱われている。

【日本語訳】なぜ私は書くのか(Why I Write)

なぜ私は書くのか(Why I Write, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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とても幼い頃、おそらく五歳か六歳のから私は将来自分が作家になることを知っていた。十七歳から二十四歳になる頃まで私はこの思いを捨てようと試みていたが、そうしながらも自分はその性分に抗うことはできず、遅かれ早かれそこに落ち着いて本を書くであろうことをわかっていた……続きを読む

WhyIWrite

オーウェルの「Why I Write」の翻訳。

このエッセーが書かれたのは1946年なので、前年の「動物農場」の出版によって作家として一般から評価を得た後に書かれたものということになる。

ここでオーウェルは幼年期からの自分の人生を振り返りつつ、次の4つ動機を挙げて作家が文章を書く理由を説明している。

  1. 純粋なエゴイズム
  2. 審美的な情熱
  3. 歴史的衝動
  4. 政治的な目的

そしてかつては自分の中で美的な動機と政治的な動機の2つが対立し、ジレンマに陥っていたことを自作の詩を示しながら告白している。

私は曲がることのできぬ芋虫
ハーレム無き宦官
司祭と人民委員の間で板挟み
ユージーン・アラムのように歩いていく
ジョージ・オーウェル, "なぜ私は書くのか"

1900年代初頭は社会主義文学が広まった時期で、政治に近づくかどうかはオーウェルに限らず多くの作家にとって頭を悩ませる問題だったのではないだろうか。しかしスペイン内戦での体験によって作家として政治と無縁ではいられないことを悟り、芸術的な技巧を追求しつつ政治的文章を書いていくことをオーウェルは決意したらしい。

過去十年の間、私がもっとも求めているのは政治的文章を芸術にまで高めることだ。私の出発点は常に党派的な感情、正義に反しているという感覚である。(ジョージ・オーウェル, "なぜ私は書くのか"

そして「動物農場」はそれを自覚的に実行した最初の作品だったこと、さらにもうひとつの作品(「一九八四年」のことだろう)を計画していることを明かしている。

文章を書くことそれ自体へのこだわりや愛情を語りつつ(自身に関して言えば)政治的な目的が欠けている場合にはその文章は装飾過多なつまらないものになってしまう、と説明しているところにオーウェルらしさが表れていると思う。

【日本語訳】スペインの秘密を明かす(Spilling the Spanish Beans)

スペインの秘密を明かす(Spilling the Spanish Beans, 1937)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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おそらくスペイン内戦は一九一四年から一九一八年の大戦の後のどの出来事よりも多くの嘘を生み出している。しかしデイリー・メールの記者の眼前でレイプされ磔にされた修道女たちの虐殺が繰り広げられたというあの件のことを考えに入れても、正直言って私はそれがもっとも有害な親ファシストの新聞かどうかは疑わしく思っている……続きを読む

SpillingTheSpanishBeans

オーウェルの「Spilling the Spanish Beans」の翻訳。「spill the beans」は英語の慣用表現で「秘密を漏らす」という意味がある。

このエッセーはスペイン内戦の内情を明かしたものだ。

スペイン内戦はフランコによる軍事クーデターによって開始され、クーデターに対抗する共和国派にはスペイン外からも多くの義勇兵が参加した。オーウェルもそのひとりだ。当時、共和国派はソ連からの支援を受けた共和主義左派・スペイン共産党を中心とする派閥が主流だったが、オーウェルが参加したのはPOUMと呼ばれる別の組織だった。

オーウェルによればスペイン内戦はフランコの率いるナショナリスト派との戦いであると同時に、共和国派による同盟内部での戦いでもあった。

同盟のいたるところで共産主義者は中産階級的改革主義を標榜し、その強力な機構全体を使って革命的傾向の党派を弾圧、誹謗中傷しているのだ。(ジョージ・オーウェル, "スペインの秘密を明かす"

中産階級(そして一国社会主義を標榜するソ連)の支持する共和主義左派・スペイン共産党が労働階級の支持する組織を弾圧していたのだとオーウェルは言う。

労働者と中産階級の双方がファシズムと戦っている時でさえ、彼らは同じもののために戦っているわけではない。中産階級はブルジョア民主主義、つまり資本主義のために戦い、労働者は彼が考えるところにおいては社会主義のために戦っている。(ジョージ・オーウェル, "スペインの秘密を明かす"

そしてこの事実がイギリスでは報道されおらず、そのために自分はこれを書いたのだとオーウェルは続ける。

スペイン内戦は1936年7月に始まり、1939年3月にナショナリスト派の勝利で終わった。このエッセーが発表されたのは1937年7月だが、この時点で、おそらくは共和国派の勝利で内戦が終わるだろうとオーウェルが考えていることは印象的だ。

ナショナリスト派の勝利は、ひとつにはナチス・ドイツやイタリアの支援でフランコが大きな空軍力を得たためとも言われるが、同時に共和国派のこうした内部分裂の影響も大きいのだろうと思う。

【日本語訳】ウィガン波止場への道 - 北と南(North and South)

北と南(North and South, 1937)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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南部や東部に慣れた者が北部を旅したとしよう。バーミンガムを超えるまではそれといった違いは目に留まらない。コベントリにいるのもフィンズバリー・パークにいるのも大差ないし、バーミンガムのブル・リングはノリッジ・マーケットとよく似ている。そしてイギリス中部の市街全体には南部のそれと見分けのつかない文明的な……続きを読む

NorthAndSouth

オーウェルの「ウィガン波止場への道」の1章、「North and South」の翻訳。

ここでの「北と南」はイングランドの北部と南部を指している。伝統的にイングランド北部(シェフィールドやマンチェスター)は炭鉱業や工業が、南部(ロンドンやブライトン)は農業や商業が盛んな地域だ。

「ウィガン波止場への道」は貧しい地域・労働者を取材したルポルタージュという性格の本で、この「北と南」でも描かれるのはまず北部の工業街の醜さである。

しかしそれと同時にオーウェルはイングランドには「北部では町は醜いが人間は勇敢で意志強健、南部では町は美しいが人間は軟弱で優柔不断」というステレオタイプが存在することを指摘する。

イングランドには奇妙な北部崇拝、北部的選民意識とでも言うべきものが存在する……(略)……北部の人間は「気概」があり、意志が強く、「頑固で」、勇敢で、人情があり、民主的である。南部の人間はお高くとまり、女々しく、怠惰である……ともあれこれが通説なのだ。(ジョージ・オーウェル, "北と南"

なぜこうした「北部崇拝」が生まれたかについてオーウェルはそれがイギリスのナショナリズムに由来するのではないかと推理している。

ナショナリズムが初めてひとつの宗教にまでなった時、イギリス人は地図を見て自分たちの島が北半球の非常に緯度の高いところにあることに気がつき、北に行くほど好ましい暮らしがおこなわれるようになるという都合のいい理論を考え出した。(ジョージ・オーウェル, "北と南"

オーウェルはこの理論の馬鹿馬鹿しさを指摘しながらも、しかし確かに(過去でも未来でもなく)今この瞬間の北部の労働者たちの家庭にはある種の魅力が存在すると締めくくっている。

【日本語訳】リア、トルストイ、道化(Lear, Tolstoy and the Fool)

リア、トルストイ、道化(Lear, Tolstoy and the Fool, 1947)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 2.1 表示 - 非営利 - 継承

トルストイのパンフレットは彼の仕事の中でも最も知られていない部分で、シェイクスピアに対する彼の非難は少なくともその英語翻訳に関して言えば手に入れるのさえ難しい資料だ。従って議論を始める前にそのパンフレットの要約を記しておくのはおそらく有用なことだろう。トルストイがまず最初に語るのは、生涯を通し……続きを読む

LearTolstoyAndTheFool

ジョージ・オーウェルの「Lear, Tolstoy and the Fool」の日本語訳。

トルストイは「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」などで知られるロシアの小説作家だが、オーウェルによるとトルストイはシェイクスピアの作品を嫌っていて、とりわけ「リア王」に関しては酷評する評論を書いていた。

トルストイはリア王の筋書きのいわば解説をおこなっていき、あらゆる場面においてそれが馬鹿げていて、冗長で、不自然で、不明朗で、仰々しく、卑猥で、退屈、そして信じがたい出来事に満ちていることを発見する。(ジョージ・オーウェル, "リア、トルストイ、道化"

オーウェルはトルストイの評論を分析し、なぜそこまでトルストイがリア王を嫌ったのかについてひとつの仮説を立てる。

トルストイが「リア王」を嫌ったのはリア王と自分自身が似ているため、そして「リア王」の物語が悲劇的に終わるためではないか、というのがオーウェルの説だ。

トルストイがその評論の中で「リア王」の登場人物である道化をとりわけ嫌っていることは、この仮説を補強する。将来の幸福を期待して現世利益を放棄するリア王(=トルストイ)に対してそれを嘲笑するのが道化の役回りだからだ。

オーウェルはトルストイのこうした態度に反対する。

普通の人間は天の王国など欲してはいない。欲しているのは地上での人生が続いていくことだ。(ジョージ・オーウェル, "リア、トルストイ、道化"

ガンジーに対するオーウェルの評論(「ガンジーを顧みて」)にも共通するが、禁欲主義への反対はオーウェルの基本的な姿勢のひとつだ。そこには、喜びだけでなく苦しみがあるこそ人生は尊いという人間主義・実存主義的なオーウェルの一面がかいま見られる。

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