なぜ私は書くのか(Why I Write, 1946)
ジョージ・オーウェル 著
H.Tsubota 訳
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とても幼い頃、おそらく五歳か六歳のから私は将来自分が作家になることを知っていた。十七歳から二十四歳になる頃まで私はこの思いを捨てようと試みていたが、そうしながらも自分はその性分に抗うことはできず、遅かれ早かれそこに落ち着いて本を書くであろうことをわかっていた……続きを読む

WhyIWrite

オーウェルの「Why I Write」の翻訳。

このエッセーが書かれたのは1946年なので、前年の「動物農場」の出版によって作家として一般から評価を得た後に書かれたものということになる。

ここでオーウェルは幼年期からの自分の人生を振り返りつつ、次の4つ動機を挙げて作家が文章を書く理由を説明している。

  1. 純粋なエゴイズム
  2. 審美的な情熱
  3. 歴史的衝動
  4. 政治的な目的

そしてかつては自分の中で美的な動機と政治的な動機の2つが対立し、ジレンマに陥っていたことを自作の詩を示しながら告白している。

私は曲がることのできぬ芋虫
ハーレム無き宦官
司祭と人民委員の間で板挟み
ユージーン・アラムのように歩いていく
ジョージ・オーウェル, "なぜ私は書くのか"

1900年代初頭は社会主義文学が広まった時期で、政治に近づくかどうかはオーウェルに限らず多くの作家にとって頭を悩ませる問題だったのではないだろうか。しかしスペイン内戦での体験によって作家として政治と無縁ではいられないことを悟り、芸術的な技巧を追求しつつ政治的文章を書いていくことをオーウェルは決意したらしい。

過去十年の間、私がもっとも求めているのは政治的文章を芸術にまで高めることだ。私の出発点は常に党派的な感情、正義に反しているという感覚である。(ジョージ・オーウェル, "なぜ私は書くのか"

そして「動物農場」はそれを自覚的に実行した最初の作品だったこと、さらにもうひとつの作品(「一九八四年」のことだろう)を計画していることを明かしている。

文章を書くことそれ自体へのこだわりや愛情を語りつつ(自身に関して言えば)政治的な目的が欠けている場合にはその文章は装飾過多なつまらないものになってしまう、と説明しているところにオーウェルらしさが表れていると思う。