発見の日々 ライブドア本館

発見の日々 ライブドア本館

毎日、世界のどこかですごい発明や発見がなされています。ニュースの中に埋もれた発見にスポットを当ててブログ記事にしていきます。

    2014年10年を経てブログはFC2ブログに引越しました。キュレーションブログを作るのにFC2の仕様の方が使いやすかったからです。をコンテンツもすべて移動しました。
    発見の日々【新装版】



    ◆こんなサイトも作っています↓↓

    管理ページ
    Myプロフィール
    楽天MyRoom

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    dresscord


    speech

    2025年2月28日、トランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領がホワイトハウスで会談した際、ちょっとした騒動が起きた。テーマはウクライナの鉱物資源とロシアとの和平交渉だったが、注目を集めたのはその内容以上に、二人の「服装」を巡るやり取りだ。アメリカ側がスーツを求めたのにゼレンスキーが黒い長袖シャツで現れ、トランプが軽いジョークで切り込んだこの一件、実は外交の裏側を映し出す鏡のような出来事だった。ここでは、その背景や意味を掘り下げてみたい。

    会談の幕開け:ドレスコードのズレ
    この会談、共同記者会見で和平合意を発表する予定だったらしい。でも、蓋を開けてみれば激しい口論で決裂。トランプが「ゼレンスキーは和平の準備ができてない」と批判して終了だ。そんな中、Xや報道で話題になったのが、アメリカ側が事前に「スーツで来てほしい」と伝えたのに、ゼレンスキーが黒シャツとスラックスで現れたこと。トランプは冒頭で「今日はちゃんとドレスアップしてるね」と笑いものにしたけど、この一言がネットでバズって、会談の緊張を象徴するエピソードになった。
    ゼレンスキーの黒シャツ、軍服に近いカジュアルな雰囲気で、彼らしいっちゃらしい。対するトランプのジョークは、和ませるつもりだったのか、皮肉だったのか、解釈が分かれるところだ。どちらにせよ、この服装のズレが、二人の立場の違いを浮き彫りにしたのは間違いない。

    ドレスコード指定はどれくらい普通?
    そもそも、ホワイトハウスがドレスコードを指定するって、どれくらい普通のことなんだろう。首脳会談だと、スーツが標準的なのは確かだ。特に共同記者会見みたいな公の場では、フォーマルな服装で「協調してるよ」って見せるのが慣習。でも、ゼレンスキーは2022年のロシア侵攻以来、軍服やカジュアルな服で「戦時リーダー」としての姿勢を貫いてきた。そこにスーツを求めるのは、アメリカ側からすれば「ちょっと調整してほしい」ってお願いだったのかもしれない。
    外交に厳格なドレスコードのルールはないけど、ホスト国がゲストに雰囲気を合わせるよう求めるのは珍しくない。オバマやバイデン時代も、スーツが当たり前だったし、戦時中のリーダーが軍服で来るのを「国の状況を示してる」と受け入れるケースもある。ただ今回は、アメリカがわざわざ指定したってのがポイントで、そこに何か意図があったんだろうなって思う。

    トランプの狙い:スーツに込めたメッセージ
    じゃあ、なぜトランプ側はスーツを求めたのか。Xで「軍服で戦争ムードを煽られたくなかったんじゃない?」って声があって、これが核心じゃないかと思う。トランプって、ウクライナ戦争を「即時停戦」で終わらせたいってずっと言ってる。彼にとって、スーツでの共同会見は「和平に向かってるよ」ってロシアにシグナルを送るチャンスだったはず。国民にも「俺が解決した!」ってアピールできるし、経済的ディールで和平を進める彼のスタイルにも合ってる。
    ゼレンスキーの軍服って、「ロシアと戦う!」っていう強い意志の象徴だよね。トランプはそれを抑えて、「和平交渉のテーブルに乗れよ」ってメッセージを送りたかったんじゃないか。会談で鉱物資源の話を持ち出したのも、「経済で解決しようぜ」って現実主義の延長線上にある。でも、ゼレンスキーが黒シャツで来たことで、この演出は崩れちゃったわけだ。

    ゼレンスキーの選択:黒シャツに込めた想い
    一方、ゼレンスキー側はどうだったんだろう。彼がスーツを拒んで黒シャツを選んだのは、意図的な抵抗だった可能性が高いと思う。ウクライナはロシアに国土を蹂躙されてて、「和平」って言葉が「降伏」に聞こえる状況だ。トランプの「鉱物資源を渡せば和平」って提案も、「経済的搾取じゃないか」って警戒してたみたい。Xで「重要な会談なのに普段着で来た」って批判もあったけど、彼にとっては「戦ってる国のリーダー」ってアイデンティティが何より大事だったんだろう。
    この選択、1994年のブダペスト覚書を思い出す。あの時、ウクライナは核兵器を放棄して安全保障を約束されたのに、ロシアに裏切られた。その苦い経験から、ゼレンスキーは「口約束じゃダメだ」って強く感じてるはず。スーツを拒んで軍服っぽいスタイルを貫いたのは、「俺たちはまだ戦ってるんだ」って意思表示だったのかもしれないね。

    ジョークの裏側:トランプの軽い一撃
    トランプの「おお、ドレスアップしてるね」って発言、報道だと「からかった」って書かれてて、Xでも「スウェットとは!」って驚きが広がった。彼ってこういう即興のジョークで場を動かすのが得意だよね。スーツを期待してたのに黒シャツで来たゼレンスキーへの軽い皮肉だったのか、緊張を和らげようとしたのか、どっちとも取れる。でも、会談が決裂に終わったことを考えると、この一言が二人の溝の序曲だったって見方もできる。
    トランプってメディアの注目を集めるのも上手いから、このジョークが話題になるのも織り込み済みだったかも。実際、服装の話が会談の内容以上にバズって、ネットは大盛り上がりだったよ(笑)。

    服装が映す外交の新旧対決
    このドレスコード騒動、笑えるけど奥が深い。トランプは「古い外交のルールを壊す」って姿勢で、経済的ディールで和平を進める新ルールを押し付けてる。スーツ指定は、その演出の一部だ。一方、ゼレンスキーは「安全保障が全て」って古いルールに立ってて、黒シャツで「戦う意志」を示した。この小さな選択が、二人の立場の違いを映し出して、会談の決裂を暗示してたんだと思う。
    服装って、言葉や政策と同じくらいメッセージを持ってるよね。トランプの現実主義とゼレンスキーの生存戦略が、スーツと黒シャツでぶつかり合った瞬間だった。外交って、こういう細かいところにもドラマが隠れてるんだなって、改めて感じたよ。あなたはどう思う?この二人の選択、どっちに共感するかな。反応待ってるね!

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    谷山駅にスタバができた
    JR谷山駅の前にできたスタバがどういうロケーションにあるのか、なぜロードサイド型の店舗になっているのか、わかる写真を昨日撮りました。
    バングラディシュの国旗のようなマークがタイヨーの看板です。その横がスタバで奥に歩道を挟んで駅舎になります。ドライブスルー利用の車はスタバが入ったタイヨーの建物をぐるりと回る面白い遠回りさせる構造になっています。

    337700546_543729094569165_6580269728248437211_n

    337274254_875310813538270_315702449594330519_n

    奥の谷山駅の駅舎ですが、プラットホームは駅舎の2階部分にあります。これは直前で永田川を越えるために橋があり、そのまま高架構造にしています。ですので、今後、一階部分に店舗が入るかもしれませんが、スターバックスとしては、駅の乗降客だけでなく、車での利用を見込んでドライブスルー形にしたのでしょう。
    地元の大型スーパー・タイヨー(確か一度潰れかけたはずで、再生したのだったと思います)と組んで、駅前に、広い駐車場を持ったショッピングモールを作ったという感じです。今後、回りが商業エリアとして開発が進むと見込んでいるのでしょうね。
    おそらく、この計画はコロナ前に進んていたはずです。この3年、ストップしていた観が漂っていますが、ここに来て俄に動き出したようです。(早々と出店を決めたお店は開店休業状態で撤退したところも見られました)

    前にも書きましたが、我が母校のラ・サール高校をはじめ、私立鹿児島情報高校、県立鹿児島南高校(長渕剛さんの母校)、県立開陽高校(鹿児島で唯一の単位制高校)があり、中学生・高校生が多い地区でもあります。

    さて歴史散歩
    鹿児島の街の作りは戦国時代から江戸時代の城下町の作りと関係しています。集中させずに麓(ふもと)と呼ばれる城下をいくつも作りました。有名な知覧の武家屋敷もそうですが、地域分散型というか、県下の至るところに武家屋敷を作っています。

    麓の最大の特色は守りのために道路を直線にしないことでした。そのため鹿児島の道路は幹線道路からちょっと入り込むと袋小路です。太平洋戦争でひどい空襲で焼け野原になったので、戦後の都市計画でだいぶよくなりましたが、いまだに名残りがあります。焼け残った石垣のせいだと思われます。石垣は凝灰岩です。火山の恵みと言えるかもしれません。

    谷山も谷山麓です。南北朝時代から島津氏と対立した谷山氏の居城があった地区が元になっていますが、江戸時代の麓は城からは離れた場所にあります。これは谷山氏の戦いのための城と日頃の住まいが別な場所にあったのではないかという説もあります。その中心が谷山市役所、合併後は谷山支所が置かれたあたりで、今の谷山小学校の場所と推測しています。地頭館跡の碑が校地内にあります。江戸時代にも地域行政の中心でした。

    そうそう、全景が上から見れるビルが5月に建つ予定です。なかなか建たなかったので谷山のサグラダファミリアと陰口が聞かれました。

    337400365_607581224243939_1768516856970719991_n


    336721836_153557604293966_679616133070649096_n

    このページのトップヘ