September 13, 2006

吉永正人さん

吉永正人調教師が亡くなったんですね。享年65歳だとか。
吉永さんが65歳なら、こちらも歳を取ってるわけですよね。
僕が始めて馬券を買ったのはヒカリデュールという馬が勝った有馬記念だったんですが、そのとき2歳馬(当時の表記は3歳)の、期待の星がミスターシービーでした。その主戦ジョッキーが、吉永正人騎手。

三冠緒戦の皐月賞では、不良の馬場を泥んこの真っ黒になりながらぐいぐい追い込んできて、まるで地響きが聞こえてきそうなスゴイ迫力でした。
そしてその年はダービーが20頭立てで、「1コーナーで10番手以内がダービーポジション」ということがよく言われていましたが、なんとシービーは1角20番手、つまり最後方。あの追い込みは、本当にしびれましたよ。こんなにカッコいい馬がいるのか、と競馬を見る目がまるで変わってしまったのを覚えています。

しかし、吉永騎手とミスターシービーが最もカッコよかったのは、淀の3000m、菊花賞の舞台だったのではないかと思います。
淀の3000と言えば二度の坂越えがポイントとなるコースというのは今でも定石で、「ゆっくり上って、ゆっくり下る」のが好走のための絶対条件。
それを、吉永正人ミスターシービーは、2周目の向こう正面、3角手前で一気にスパートしたんですよね。僕は新宿南口のウインズで見てましたが、3角手前で狂ったようにポジションを上げていくミスターシービーを見て、館内全体が一気に「うおーーーっっ!!!」と大きな唸り声を上げました。
当時は今のように「スポーツ観戦としての競馬」という部分はあまりなくて、見てるのは馬券握り締めてるドロドロのオヤジばかりですから、あんなに館内全体が一つのシーンで沸騰する、というのはまさに画期的なことでした。

シンザン以来の三冠のかかったレースで、定石を無視した馬任せの3角手前スパート、あれはカッコよかったです。

ミスターシービーでもう一つ忘れてならないのが、4歳の緒戦に選んだ毎日王冠ですよね。このときはサンオーイとカツラギエースとミスターシービーの三強といわれたレースですが、最後方から行ったミスターシービーの差し脚の凄かったこと!
結果アタマ差の2着と負けましたが、菊花賞以来の一戦だったことを考えれば、本当に鳥肌の立つようなすごいレースぶりでした。
しかし多くの競馬ファンが本当に鳥肌が立ったのは、レース直後ではなくて、翌日のスポーツ新聞を見たときだったのです。
そこには、「ミスターシービー、上がり33秒9の豪脚!」と書かれてありました。

芝の中距離レースで上がりが33秒台を計時したのは、僕の記憶ではそれが一番最初のレースです。当時の芝は、オーバーシードなんかしてなかったですから、秋から冬にかけては枯れて黄色くなるんですよね。全然前に行かないんですよ、馬が。
そういうコンディションの中で、33秒台はまさに超絶の豪脚。当時、上がりは35秒台を計時すれば「鬼脚」と言われたほどですから、33秒台はまさに信じられない世界への突入でした。秋の天皇賞が2000mに改革されたのに歩みを合わせて、これからはいままで誰も見たことのないスピード競馬が繰り広げられるのだ、とワクワクしたものです。

競馬の新しい時代の幕を怒涛の追い込みで切り拓いた、ミスターシービーと吉永正人騎手。
まさに「個性派」と呼ぶにふさわしい、競馬史の中にあって忘れられない名コンビだったと思います。

心より、ご冥福をお祈りいたします。



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※文中、新聞の見出し「33秒9」は記憶に頼って書きました。もしかしたらコンマ以下の数字は若干違うかもしれません。



blandford at 16:55│Comments(8)競馬雑談 

この記事へのコメント

1. Posted by MARU   September 13, 2006 18:12
もしかして当時は東京に??
何を隠そう毎週末いるのが新宿のウインズです(笑)20年以上も前に同じ場所にいたとは…
今でもドロドロのオヤジばかりですよ。知人はこの間4階で5000円ほどすられましたし。

ミスターシービーといえば83年の3冠馬ですね。こないだメジロハイネがセントライトを勝ったという話がありましたが、あれと同じ年ですか。
当然まだ生まれてません(笑)が、競馬を知るようになるうちに、ミスターシービー・吉永正人と必ずセットで名前がでてくることに気づきました。
それほどお互いになくてはならない存在だったんでしょうね。

しかしこんなに早く愛馬のもとに旅立つとは… 松山師はまだ現役調教師なのに。
調教師生活では後方からの末脚を見せられないままとなりました。残念ですが、今はただ合掌。
2. Posted by ビゼンの息子、ヤマト!   September 14, 2006 00:58
迷走馬券師です。てーか、この30年間迷走しすぎ!いくら負けても、このたぐいの話には反応します。ルドルフに勝てなかったのかなあ。最近の若い衆にはわからない想い出とともに、親父は競馬を続けます。管理人さん、楽しくボチボチがんばりましょう!
3. Posted by 暗黒演舞   September 14, 2006 10:00
4 おはようございます。
吉永さんの死去はラジオで聞きました。ミスターシービーの頃はまだ小学生でしたが、親父と一緒にテレビで見てた記憶があります。
あの頃は正直、シービーよりルドルフの方が好きでした。(小学生なので強いもの好きでした)
菊花の時、二週目の3コーナー手前で「そろそろ行った方がいいんじゃない?」とあるジョッキーに言われ、スパートしたみたいですね。吉永ジョッキーの人柄を垣間見たエピソードだと思います。自分の中ではシービーの主戦ジョッキーとしかしりませんが、ご冥福をお祈り致します。
4. Posted by blandford   September 14, 2006 14:27

☆MARUさま

いつもどーもデス、お世話になっておりますm(_ _)m
ミスターシービーの当時は東京にいましたよ^^
今はどうか知りませんが、当時新宿南口の場外馬券売り場は
なかなかいかがわしい雰囲気満々のところでした(と言っても浅草ほどではないですけどネ)。
いまでもやはりドロドロオヤジ中心ですか。
しかし5,000円すられるとは!恐ろしい!
やはり健全な人は後楽園に行きましょうという感じですね(笑)
そもそも当時は発売が1000円単位しかなかったです、新宿は。

メジロハイネは確かその年ですね。なぜかセントライト記念の日は休日出社になるケースが多くて、
会社で見てた覚えがあります。

しかし本当に、早すぎる死でしたね。おっしゃるとおり、松山調教師はまだまだ現役ですし。

5. Posted by blandford   September 14, 2006 14:30

☆ビゼンの息子、ヤマト!さま

はじめまして、コメントどうもありがとうございますm(_ _)m
いいハンドルネームですね〜!
ビゼンニシキは二度ほどパドックで実馬をみましたが、
栗毛の雄大な馬体が印象的で、実にいい馬だったのを覚えています。

僕も馬券歴25年間迷走し続けてますが、まっ、馬券とはそんなものですよね^^

ボチボチと、楽しく頑張る。
いいですね、それ。すごく共感します^^
またぜひ遊びにいらしてください^^
6. Posted by blandford   September 14, 2006 14:35

☆暗黒演舞さま

いつもどーもデス、大変お世話になっておりますm(_ _)m
ミスターシービーの頃小学生だった方とこうしてちゃんと話の通じるところが、
競馬のいいところですね〜^^

僕も当時はシービーよりルドルフのほうが断然好きでした。
当時はああいうスマートな強さに憧れたものです(^^;

菊花賞のロングスパートにはそんな逸話があったのですね、知りませんでした。
興味深い情報、どうもありがとうございます^^

7. Posted by greenturf   September 14, 2006 16:27
まだ65歳でなくなるとは本当に残念です。
シービーの菊花賞の騎乗はビックリしましたね
願いは護君の更なる活躍でしょうから奮起してほしいですね
ご冥福をお祈りいたします。
8. Posted by blandford   September 16, 2006 00:48

☆greenturf さま

お返事が遅くなって申し訳ございませんm(_ _)m
65歳ですから、早すぎる旅立ちですよね・・・

シービーの菊花賞、ご覧になってましたか^^
あれは本当に驚きました!今でもあのシーンは、
昨日のことのように思い出すことができます^^

護君、これまでとは心を入れ替えるつもりで奮起してもらいたいですね^^

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