2010年09月30日

中国漁船衝突事件−チャイナリスク、中国とどう向き合うのか−

 中国漁船が尖閣領海内で海上保安庁の巡視船と接触した事件で、中国漁船の船長を釈放したことを巡り、国会でも論戦が繰り広げられている。那覇地方検察庁が国内法に基づき、船長を釈放したわけだから、日本の尖閣諸島の領有権をその前提としているわけで、表面上何ら問題の無い解決策だと考えられる。

 一方で、那覇地検の釈放について、政治介入があったのかどうかという問題とあったことを前提とした批判や弱腰外交という批判が多く見られる。しかし、批判をしている人達はこの問題をどのように解決すべきだったのかを語ることがほとんどない。

 弱腰批判は、船長を釈放したことが中国に屈するものだという批判であるが、拘留期限まで捜査等を続け、その後釈放するのか、あるいは起訴するのかということになる。釈放する場合、釈放までの期間が長期化することで中国のレアアース禁輸や観光自粛等による経済的打撃はより大きくなる。また、起訴すれば中国の反発が激化し、在中日本人の安全への危惧や日本企業への規制強化等が考えられ、これらによる経済的損失も大きくなる。
 強硬路線は必ず対立を激化させ、日本経済がすでに大きく中国に依存している以上、経済的損失も計り知れないものになりかねない。経済的打撃を進んで受け入れる覚悟であるなら弱腰批判も妥当なものと言うことができる。

 政治介入があったか否か、これによって責任を検察に押しつけたのか、あるいは内閣が責任を負うのかという事が問題なのだろうか。一体どういう点で問題になるのだろうか。
 検察については、法務省設置法第4条第7号で「検察に関すること」を法務省の所掌事務として定めており、第14条第2項では「検察庁については,検察庁法(これに基づく命令を含む。)の定めるところによる。」としており(ちなみに、検察庁法第14条で「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」と法務大臣の指揮権が規定されている。)、検察組織についても行政に属するものであり、行政権は内閣に属し、内閣総理大臣が行政各部を指揮監督することを考えれば、最終的には内閣が責任を負うものであり、そんなに重要な問題ではないだろう。

 そもそも解決策まで考えずに逮捕したことが妥当なのか、という批判もあり得るが、日本の領海内に入り込み、海上保安庁の巡視船の停止命令にも従わず衝突してきたことを考えると、逮捕しないという選択肢はほぼあり得なかったのではないか。

 中国国内で外国企業が企業活動を行う際のリスクをチャイナリスクと呼んでいる。種々のリスクがあるが、具体的には中国共産党とのコネや人脈が無ければ商売は難しいとか、ホンダやトヨタのように従業員のストライキだとか、食品への毒物混入問題だとか、チャイナリスクは大きなものがある。レアアースの禁輸(表面上は禁輸を否定するだろうけど)にしても日中貿易協定や国際ルールから考えても、ルール違反の手法だろう。
 一党独裁による国家資本主義の中国。自国の利益のためには、国際ルールも無視するような開発独裁国家である(共産国家と言う人がいるが、株式市場があり、出資している人間に利益を配当するのは資本主義そのものである。国を挙げて行っていることから、国家資本主義という言葉が中国には最適だろう。)。
 日本企業もチャイナリスクを考え、経済活動を行わないと大打撃をうけることになる。あまりにも中国に依存してしまうことで、外交の足かせということにもなってしまう。

 弱腰外交等の批判を行う前に、日本が今後どのように中国と向き合うべきなのか、中国を将来有望な巨大市場と単純に考えることなく対応しないと、大変なことになるような予感がする。

 イランのアザデガン油田の開発について、アメリカのイラン制裁強化のため日本が撤退することとなった。イランから日本が手を引けば中国が変わりにイランに進出し、石油資源の確保を行うだろう。ここでも、日本は自らの資源確保の道を閉ざし、中国に与えることになる。このような事を繰り返して、日本の安全保障というものを考えているのか。アメリカに付き従えば日本が安全なのか、よく考えなければならない。  

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2010年09月25日

外国人の地方参政権について−地方自治とは何か−

 地方参政権については、否定的な意見がネットでは多く見られる。しかし、地方参政権について整理できておらず、国政への参政権を含んだ外国人参政権と混同したものが多い(しばしば批判されている民主党の主張は地方参政権であり、国政への参加を認めるものではない。)。

 さて、日本国憲法では地方自治についてどのように規定しているのか。
「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」(第92条)
「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。 」(第93条第2項)
「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。 」(第94条)

 憲法第92条の規定により地方自治の本旨に基づいて定められた法律(地方自治法)では、地方行政は、その区域内に住所を有する者=住民を対象として行われ、住民は、地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負うとされている(第10条)

 そもそも地方自治とは、その地域に住んでいる住民一人ひとりが主体となり、自ら考え、そして行動し、その行動と選択に責任を負うものである。それぞれの地域ごとに伝統や文化、慣習も異なるだろうし、解決すべき問題、重点とすべき問題も異なる。だからこそ、その地域住民がそれぞれの地域の特性に応じた選択を行い、その結果として、当該地方公共団体から役務の提供を受け、また負担を分任するのである。これが地方自治だろう。この地方自治に関する参政権については、地方自治法第11条で「日本国民たる普通地方公共団体の住民」と規定されているが、日本国民たる要件を必要とするのかどうか検討してみる必要がある。

 憲法第94条に規定しているように、地方公共団体が制定することができる条例は、法律の範囲内という限定がついている。地方自治法では、「法令に反しない限り」ということは当然として、さらに、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものに関してのみ条例を制定することができる、と限定されており(第14条)、これが条例制定権の限界である。

 このように、地方公共団体が国の法律に反して地方行政を担うことには限界がある点などを念頭に置けば、地方自治の本旨を重視し、地方参政権については国籍にこだわらず、その地域の住民に与えるのが好ましいのではないか。定住外国人が、自分達が住んでいる地方公共団体において、いかに自分達のみに有利なの行政運営を行おうと考えたところで、法律等による縛りにより制限されるのである。

 一方で、地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権について、現在は、公職選挙法で「日本国民たる年齢満二十年以上の者で引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有する者」(第9条第2項)となっているが、定住外国人に地方参政権を認めるにあたっては、定住という条件があるため「3ヶ月以上」ではなく、より長期間住所を有する者に限定することになるだろう。また、被選挙権についてはさらに厳しい制限を行うことも考えられる。

 地方公共団体の行政がどのようなものであるか、現在自分達はどのように参加しているのか、そういう事を十分理解し、地方自治の本旨なども念頭に置きながら地方参政権について考える事が必要であると強く感じる。理性的な市民をその前提としている民主主義社会にあっては、付和雷同ではなく、自ら判断することが必要だと思う。
 なお、国政に外国人を参加させるべきでないことは言うまでもない。  
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2010年09月23日

時限爆弾−自爆した検事−

 厚生労働省の村木元局長が逮捕・起訴された郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件に関して、大阪地検特捜部の主任検事、前田恒彦が押収したフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんしたとして証拠隠滅容疑で逮捕された。

 逮捕された前田主任検事が同僚検事に「FDに時限爆弾を仕掛けた」と伝えていたという。(朝日新聞)
 この時限爆弾、9月21日に炸裂し、前田検事が逮捕されるということになった。時限爆弾を仕掛けて自爆するとは、面白い人が検察官になったものである。

 しかし、検察内部での経緯を読むと根が深い問題だと推察される。
 朝日新聞の報道では、前田検事は、今年1〜2月に特捜部副部長と同僚検事に電話で「データを書き換えた可能性がある」と打ち明けた。前田検事の説明は、副部長から大坪弘道・特捜部長、同僚検事から村木氏の公判担当の検事2人に知らされた。その後、大坪部長らは地検トップの小林検事正と当時の玉井英章・次席検事に「前田検事がFDのデータを書き換えたといううわさがあるが、意図的に変更した事実は考えられず問題ない」などと報告したという。

 なぜ、その時にもっと詳しく事情聴取をしなかったのか、検察側の作ったストーリーに沿わない事実は隠蔽するのだろうか。エースと期待されていた前田検事がストーリーを全うすることに組織としては温かく見守ろうということだったのだろうか。

 平成12年(2000年)にゴッドハンドと異名を馳せた考古学研究家のことを思い出した。この事件は、考古学研究家が次々に発掘していた旧石器時代の石器だとされていたものが、捏造だったという事件である。見つかるはずのない石器が見つかった故に、彼はゴッドハンドと呼ばれたが、その不自然さに疑問を抱く人は少なく、彼の業績により歴史が変わった。おかしいと思わなかったのか、という問題。彼ならやれるという思いが考古学会にあったのだろうか。結局、彼の発見が捏造と判明し、また歴史が変わった。
 ゴッドハンドの彼は、捏造を始めたのは功名心からということだが、ゴッドハンドともてはやされるようになってからは、彼へのプレッシャーにより捏造を続けたとのこと。功名心からプレッシャーに変わるのはよくある話。

 今まで前田検事が担当した事件で同じような捏造は無かったのか、村木元局長の事件では供述調書の多くが採用されなかったが、他の事件で採用された供述調書も捏造がなかったのか、彼の担当した事件の判決が、もしかしたら変わっていたのではないか、こういう疑念も生まれてくる。確定した判決であればゴッドハンドの場合とは異なるだろうが、疑念をどのように解消するんだろう。

 今後、検察庁で本件証拠隠滅事件の解明がなされるであろうが、仕掛けた爆弾に自分が引っかかり、自爆した前田検事の個人的な事件に終わらせることがないように願うものである。  
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2010年09月11日

議員案件−口利き行政−

 郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件の判決公判で、厚生労働省の元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告に無罪(求刑懲役1年6カ月)が言い渡された。

 検察側は、偽の証明書を発行について、「議員案件」だったと指摘しているが、「議員案件」というのは国会議員による行政への口利き案件に他ならない。自らの支持団体の幹部や地元後援会幹部から依頼され、行政に対し口利きを行い、支持者に対し便宜を図る。このような構図が族議員の跋扈を助長することになるのではないか。委員会での審議で関係省庁に有利になるような質問等を行い、一方で関係省庁に口利きを行い、他方で支持者からの依頼を実現させる。政官業の癒着と言われたものだ。

 今回の判決に見られる検察側の証拠の杜撰さは別にして、検察側が描いたシナリオは政治家とその支持者、そして行政との不適切な関係が未だに存在しているために描かれたものであろう。
 一方で、汚い仕事をノンキャリアにやらせるという伝統は残っているようである。当時の係長はなぜ虚偽の公文書を作成したのか、上村勉被告の公判の方が気になって仕方がない。  
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2010年09月10日

アメリカの民衆−牧師はその代表か?−

 米フロリダ州ゲーンズビルのキリスト教会が、イスラム教が「暴力的で抑圧的な宗教」だと主張し、9月11日を「国際コーラン焼却デー」とし、イスラム教の聖典コーランを燃やすことを計画している。ロイター

 世界貿易センタービルなどを爆破した犯人達がイスラム過激派であるから、イスラム教は「暴力的で抑圧的な宗教」だと決め付ける短絡さはどういうものなんだろう。ユダヤ人を虐殺したナチスはキリスト教徒だから、キリスト教は「暴力的で抑圧的な宗教」だと決め付けた人達がいるという話は聞いたことがない。また、エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣された十字軍がイスラム教徒を虐殺していたことも有名であるが、それでもキリスト教を「暴力的で抑圧的」などと批判する人はいない。また、日本が非キリスト教国家であることが原爆という大量破壊兵器を投下した一つの理由であることについても、キリスト教が云々ということは言われない。

 もともと欧州での宗教的迫害から逃れるためにアメリカ大陸に移住した人達が先住民から土地を奪い建国したアメリカ。今でも日曜日には教会に礼拝に出かける人々。
 そして、この時代になっても進化論ではなく天地創造の神話を信じるアメリカ人が全国民の約半数いると言われている国、アメリカ(ちなみに、進化を信じていても、神が進化の過程を導いていると考える人達が37%、天地創造を信じている人と合わせると8割以上になるという(『神と科学は共存できるか?』スティーヴン・ジェイ・グールド(日経BP社)))。
 堕胎反対という主張をもってジョージ・ブッシュ(息子ブッシュ)を支持したアメリカのエバンジェリカル(キリスト教福音派)。
 そのアメリカだからこそ、コーランを燃やすと公言する牧師も存在するのだろう。アメリカは民主主義で自由な国というイメージを持っている人が多いが、一方で宗教保守主義に染まったアメリカの民衆のイメージはそれとは異なることを認識しておかないといけない。ヒラリー・クリントンのような東部の高学歴層を日本人の多くはアメリカ人のイメージとして抱いてるが、それは高学歴層であってアメリカの民衆像とは異なる。

 話題の牧師はその中でも極端な人なのであろうが、アメリカの民衆が彼に対してどのような意見を抱いているのか、それが一番気になる話題であった。  
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2010年09月06日

マックス・ヴェーバーによる支配の3類型−「支配の社会学」から−

 支配の3類型というものがある。マックス・ヴェーバーによると、支配(国家権力)の正統性の根拠には3つの分類(純粋な型)があるという(マックス・ヴェーバー「支配の社会学」(世良晃志郎訳、創文社))。

・合法的支配:制定規則による合法的支配。形式的に正しい手続きで定められた制定規則によって、任意の法を創造し、変更しうるという観念による。最も純粋な型は、官僚制的支配。継続的な仕事は、主として官僚制的な力によって行われるが、最高権力者は、君主(世襲カリスマ的支配)であるか、国民によって選ばれた大統領(カリスマ的ヘル(主人))であるか、議会団体によって選挙されるかである。

・伝統的支配:昔から存在する秩序と支配権力の神聖性、を信じる信念に基づく。最も純粋な型は家父長制的な支配。命令者の型は「主人」であり、服従者は「臣民」であり、行政幹部は「しもべ」である。

・カリスマ的支配:支配者の人(パーソン)と、この人のもつ天与の資質(カリスマ)、とりわけ呪術的能力・啓示や英雄性・精神や弁舌の力、とに対する情緒的帰依によって成立する。永遠に新たなるもの・非日常的なるもの・未曾有なるものと、これらのものによって情緒的に魅了されることが、この場合、個人的帰依の源泉なのである。最も純粋な型は、預言者・軍事的英雄・偉大なデマゴーグの支配である。専ら純粋に指導者個人に対して、彼の個人的・非日常的資質の故に、服従が捧げられるのであって、彼の制定法上の地位や伝統的な権威に基づいて服従が行われるのではない。

 簡単に言うと、
・合法的支配とは、正当な手続きにより定められた法律により支配や権威の正統性が担保されるとするもの。
・伝統的支配とは、昔からある伝統や風習、家柄、身分によって支配や権威の正統性が担保されるとするもの。
・カリスマ的支配とは、個人的資質(パーソナリティ)により大多数の大衆の心を捉え、大衆的帰依による圧倒的な支持と賛同を集めたカリスマ的為政者によって支配や権威の正統性を担保するものである。

 このうち、カリスマ的支配というものが厄介なのである。
 アドルフ・ヒトラーや毛沢東などの事例を見ればわかるが、カリスマ的支配は理性ではなく、情緒的なものによる支配であり、心酔した大衆による熱狂的な支持をもたらすので危険である。小泉純一郎元総理の場合もカリスマ的支配に近いものを感じる。当然、日本は法治国家であり、合法的支配のもとにあるが、あまりにも小泉純一郎個人に情緒的帰依を行った人が多かったような気がした。

 この支配の3類型を念頭に民主党代表選挙を見てみると面白いのではないか。そう思って、今日はマックス・ヴェーバーの類型を紹介してみました。  
Posted by blog_de_blog at 07:19Comments(0)TrackBack(0) 政治 | 社会