2020年03月06日

人間性が試されている

昨年4月以来のブログの更新となってしまいました。
長い期間の更新となる事はご容赦いただくとして、、、

今回はどうしても紹介したいエピソードがあって、ポチポチとキーボードを打ち込んでいる次第です。

新型コロナウィルスの感染拡大で日本中、いや世界中が大騒ぎの今日この頃。

ウィルスの拡散や経済の影響など、不安なことは数え上げればきりがありませんが、
マスコミの報道や、人々の行動など、我々の人間性が試されているのではと考えさせらずにはいられません。

エピソードは最後に紹介するとして、、、

とにかく今は、
「流言飛語に惑わされることなく、正確に情報を判断して、まずは落ち着いて行動すること」
が何より大切じゃないでしょうか。自戒を込めてそう努めたいと心から思います。

そんな中、
デマに踊らされてトイレットペーパーを買い占めたり、不必要な量のマスクを買い占め、自分で本当に使うのなら100歩譲っても譲れませんがとにかく、あろうことかネットで高値で転売するなど、
自分だけが良ければそれで良いというような、呆れるような、情けないような、悲しい事態が発生しています。
40年前のオイルショック騒ぎの時代よりも、はるかに大量の情報を瞬時に得られる今の時代にあって全く同じことを繰り返す。
テクノロジーがいくら進んでも、結局のところ判断する人間がこの有り様では、なんの進歩もないのではないかと、絶望的な気持ちになります。

そして、マスコミの報道も煽る姿勢の報道と、そうでない報道が両極端で、製作者側の人間性が透けるどころか丸見えです。

例えば、コロナウィルスの国内感染者数。
この数字をテロップや資料で示す際、クルーズ船感染者を別で示すのか、合算した数字を示すのか、
これはどちらを取るかでインパクトが大きく違います。
クルーズ船の感染は国内感染者と言っていいのか、正直疑問です。
イギリス船籍でアメリカの会社が運営し、入港したときにはすでに感染が広がっているという事実をどう考えるべきか。
合算してデカデカと表示し続けるのは、煽っているとしか思えません。

そして、これは煽っているというより、もはや悪意すら感じる某スポーツ新聞の記事をテレビで紹介されたときには、正直めまいがしました。そして、紹介するテレビのキャスターもそこはツッコまないのか!
その記事は、大阪のライブハウスの集団感染のニュースで、陽性の検査結果が出た京都在住の女性が、検査前の期間にファストフード店で接客していたというもの。
ただその記事、
とにかく大きな見出しで、「感染女性 1,000人を接客」から始まって、上記の内容の記事が書かれているのですが、
なんというか見出しがすごすぎて、
女性が何か悪いことをしたような、であるとか、それこそ1,000人を感染させたような間違った印象をあたえるぐらいのインパクトなんですよね。
常識的に考えて、接客で何日か勤務すれば、1,000人単位の人を接客するでしょう。それが仕事なんですから。
なぜにそこを強調するのでしょう?まるで意思をもって感染を広げたかなような表現です。
自覚症状がまったくない中、報道を見て自ら検査を実施した女性はむしろ称賛されるべきではないでしょうか。
このようなまるで犯罪者を扱うような報道のされ方をすると、まだ連絡が取れていないライブ参加者が二の足を踏む要因になりはしないでしょうか。


気分が悪くなるような話が続いてしまいましたが、今回のブログは人間性が試されているがテーマです。

本当に伝えたいのは僕の身近にあった最近のエピソード。
妻から聞いて、是非とも皆さんに伝えたいと思ったエピソード。



我が家の子供たちは家の近所の体操教室に通っています。
先生が一人で運営・指導している小さな教室です。
若くてとても気さくな先生で、冗談を交えながらとても楽しい雰囲気で子供たちを指導いただくこともあってか、我が家のチビたちも毎週楽しく通っています。

つい先日いつものように教室に行くと、
「ご自由にお持ちください」と張り紙がされた箱が置いてあって、中にはなかなかの量のマスクが。
近頃は買い占めで商品の棚から消えてしまったマスクが、しかもなかなかのボリュームということもあって、思わず先生にきいてみると、

「ネットで60枚セット16,800円のやつを買ったんですよ〜」

と、いつもの気さくな笑顔で返ってきました。
始めは冗談なのかと思って、よくよく話を聞いてみるとこれ、本当の話で、

「いやぁ、ネット見てたらだんだん腹がが立ってきて、1枚280円ってふざけやがって、じゃぁ買ってやるよ、そしてみんなに持って帰ってもらうよって思っちゃったんですよね。
自分のためなら絶対に買わないけど、子供たちとか誰かのためになるんないいかなぁってポッチっとしました!」

とのこと。

そんな話を聞くとよけいに持って帰れないと言うと、

これまた気さくな笑顔で
「大丈夫ですよ。これなくなっても家にまだ2,3セットありますから〜」

だって。

この先生、幼稚園でも指導しているから、幼稚園でもいつもの気さくな笑顔で箱を抱える姿が目に浮かびます。


人の弱みに付け込んで法外な値段で商品を売りつけ利益をむさぼる人間と、誰かのなめになるならと行動する人間。
人としてどうあればいいかなんて、言うまでもないことです。。


コロナウィルスをめぐる混乱はまだしばらく続くことでしょう。
我々の人間性が試される期間もまだしばらく続くと言い換えてもいいのかもしれません。

blog_sr at 14:01|Permalink

2019年04月02日

令和

4/1新元号が発表されました。

「令和」

です。

時代の変わり目に立ち会えるというのは、感慨深いものがあります。
昭和から平成に変わるときは大人の価値観で迎えたわけではないので、なんとなくの記憶で特に感想もなかったような気がします。

平成のイメージとして漠然と持っていたのが、平成生まれ=若いというもの。
自分が昭和生まれなものですからそう思うのでしょう。
とはいえ平成元年生まれも今年で31才。時の流れというものを否応なく感じさせられます。

新しい時代を迎え、これからもどんどん新しい技術や新しい価値観が生まれてくるのでしょう。
時代に取り残されることなく、古い時代の良いものをしっかりと継承して次代を生きていきたいものです。

元号の漢字に「和」が入ったことは個人的には非常にうれしい限り。
和こそが、そのまま日本を表していると思うからです。
それは名詞の意味合いだけではなく、日本人の精神や価値観そのものなのではないでしょうか。

過剰なまでに個人に目を向けるのではなく、様々な意味合いにおいての「和」を心の中に持ちづ付けたいと思います。



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2019年02月21日

多数決

多数決っていったい何なんでしょうね。恣意的に運用された多数決のために憤懣やるせない気分なので、今回はちょこっと愚痴ってみました。

多数決というのは集団の意思決定において平等という観点から見れば最良の方法、ただしあくまでも消極的選択において。つまりはこれ以外に方法が見当たらないから。だと思うのです。

ある集団において最も多い意見を取り入れるわけですから非常に効率的で平等。
一番多くの賛同を得られた意見であるので、結果としても最良である。

こういうイメージがあるので一旦多数決をとって得られた結果に対して意見を言うと、たちまち集団行動を乱すクレーム分子とみなされてしまいます。
とはいえ、多数決で決めようという結果を受け入れた以上、文句を言うのは確かにおかしい。
で、あるならば、多数決に入る前に、きちんとその選択肢の妥当性、選択の公平性を精査しておかないと大変なことになってしまいます。
まちがっても、多数決で決定するかどうかを多数決で決めましょうという提案に乗ってはいけません。

注意点と注目点
・多数決をとる集団がどういう構成要件であるか。
 例えば、数人の幹事や委員会が主導しているような場合、選択肢を恣意的に提示することが可能になるので、その選択肢をしっかりと見極めなければならない。
 消極的参加者が多い場合、特に注意が必要で選択肢の見せ方でどうとでも結果を操作することが可能。

・一番多くの賛同を取り入れた意見が最良であるという幻想
 これは人間世界の現実。少数の意見を排除する=異端、極端なものを取り除くことであるので、その過程を繰り返せば繰り返すほどに得られた結果は凡庸なものになってしまう。

多数決は万能ではないことを前提にしっかりと物事を見極めなければならないですね。

それともう一つ
政治システムにおいて、民主主義が至上のものという考えも幻想にすぎないと思います。あくまでもそれ以上にすぐれたシステムが思い浮かばないからでしょう。
国民が最も幸せになる政治システムはと聞かれれば、優れた資質に恵まれ、抜群のバランス感覚をもった非凡な才能をもつ人間による独裁制でしょう。
意思決定のスピードが民主主義に比べて圧倒的に早く、様々な利権を行使しようとする私利私欲の人間または団体の影響を受けずに政治を行うことができるなどメリットは多いと思います。
ただ悲しいかなこの制度、継続性という面からは到底採用できるものではありません。
というのも上記のような人物がたまたま現れ善政をおこなったとしても、その人物ののちに独善的な指導者が現れてしまっては、その瞬間に国民の幸せは崩壊してしまいます。

このような現実を直視したとき、けっして多数決が最良最善の意思決定ではないと思うんです。
よく考えてから決は採らないといけないですよね。ほんと。

そいういえば、民主主義において1票の重みは同じですよね。
それが民主主義というもの。。
超高齢社会=少子時代の日本において、圧倒的多数を占める高齢者と少数の現役でこの国をけん引していく若年層。
この構図の中で民意を問うたときに、その結果は本当の意味での民意といえるのでしょうか。
人間というのは年齢を重ねれば重ねるほどにどうしても変化を嫌ったり、攻めの姿勢を回避する傾向にあるというのも現実だと思うんですよね。


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2019年01月21日

分岐点

新春凍り鬼ゴ大会と銘打ってわが子たちや甥や姪と対決してみました。

凍り鬼ごっこってもう何十年ぶりの事か。
懐かしい、そしてやってみると、なかなか戦略的でオモシロイ。

ルールのおさらい

じゃんけんで鬼を決めます。
今回は総勢8名だったので、鬼は2匹としてみました。
鬼にタッチされたらその場で停止=凍ります。凍り鬼ごっこですから。
凍っていないプレーヤーが凍ったプレーヤーをタッチすれば解凍されて、再び動くことができます。
全員が凍らされるあるいは鬼がギブアップすればゲーム終了。

鬼は二人なので協力か肝心。
未就学児同士のペアでは戦略なんて皆無ですから、本能の赴くままで追いかけて来きます。
結果、全員を凍らせることは不可能ということが早々に判明し、未就学児は小学生以上とのペアのみ鬼とすることにしました。

さて、自分は鬼であれ、逃げるほうであれ、子供相手に負けるものか、頭脳が違うんだよ頭脳がと高を括っていたのですが、本質的な問題は全く違うところにありました。
それは、体力とそもそもの運動能力です。
持久力は確実に衰え、時間の経過で急に足が止まることは予想していました。
それでも、瞬発力であれば負けることなく逃げ切れる(あるいは追いつく)自信があったのですが、小学校高学年及び中1…おそるべしです。
逃げ切れませんでした。はえー。こんなに早くなっていたのか…。
まぁこちらは衰える一方。向こうは上昇する一方ですから、いつかはこういう日が来るとは思っていましたが、来ちゃいましたね。
なんとも寂しい気持ちとなりました。子供たちの成長はうれしいんですけどね。

結局5ゲームの後、私の足は完全にストップして1抜け。
子供たちはその後も飽くことなく30分以上走り回っていました。
おそろしや、子供の体力。


blog_sr at 06:00|Permalink