一歩一歩

100万ドルの笑顔で ~from New York

アメリカにいる友人たちが「夏に日本に帰るよ~」という便りを次々とくれる。
すっかり日本で日常生活を送っている私にとって、その便りに初夏のワクワク感を思い出す。
去年までは、6月のこの時期、スーツケースにたくさんのお土産を詰めて、日本に帰って来ていた。
私にとっては、日本で過ごす夏の2か月は、一年の中の一大イベントだった。

2か月の間に、会いたい人に会う。行きたいところに行く。食べたいものを食べる。買いたいものを買う。
貪欲に、ハードに、楽しく過ごしていた夏の2か月。
今年はその特別な感じがないのがちょっと寂しい毎日だけど、私のまわりには会いたい人、行きたいところ、食べたいもの、買いたいものが今では当たり前のようにある毎日が幸せだったりする。

たまにテレビに映るニューヨークの風景。
今の私には既に夢の街だ。本当にここに13年もいたのかな…とさえも思う。

Pharrell Williamsのミュージックビデオ「Happy」。
撮影場所はニューヨークではないにせよ、この映像に映し出されているアメリカの風景や人々が、私のまわりに当然のようにあった光景だった。
3月、アメリカを去る前日、スマホで何度も何度もこの映像を見て、寂しくて一人で号泣した。

愛してやまない土地を去って、愛しているもう一つの土地へ移り住む。

幸せなことだと思う。笑顔で「おかえり」と言ってくれたたくさんの人たちに感謝。

日本に戻って来て、3か月になる。




日本での日常生活は本当にせわしなくて、毎日が流れるように過ぎていくけど、バタバタしてても、ここは日本。私の故郷。
小さいころから住み馴れた土地にすぐになじんでホッコリしている。

先日、久しぶりに友達と夕食と称して夜に出かけた。
意外に早く終わったので、一人の夜の時間をちょっとだけ満喫しようと思った。すぐに帰るのがもったいない気がして。
地下鉄を降りて家まで向かう途中、気になるお店が何軒かある。
もし、開いてたら、入ってみよう…。
そう思って、夜の道を歩いていた。(すでにビールをいっぱい飲んでいた私だが)

一番気になっていたお店が、あいていた。
カフェなのだが、この時間にあいてるなら、アルコールもあるだろう…と、「どんだけ嗅ぎ分けいいんだよ…」と自分に軽くツッコミを入れながらお店に入った。
シックでオシャレな感じの店内。コーヒーのいい香りが漂う。
カウンターの中に50代半ばくらいのシルバーグレイのマスター。
そして、テーブル席に二組、先客がいた。

でも、私は一人。
「マスター、私は話す気満々よ!」と言わんばかりにカウンターのど真ん中に座った。
そしてメニューを見たら、やっぱりというか当然というかアルコールは扱っていた。(私の嗅ぎ分け能力はやはり優れているらしい)
飲んだことのないベルギーの「シメイ・ビール」を頼んだ。
マスターが「これ、メニューの中では一番アルコール度数高いビールですよ」と教えてくれたが、「いーんです、大丈夫♪」と言って、いただいた。

ビールを飲みながら、マスターとおしゃべりした。
マスターによると、24年前にオープンしたこのカフェ。
「そんなに古くからあるんですね!知らなかった!」と驚きながらも、私が中学生のころは、このカフェの両隣の位置に同級生が住んでいた話や、この地区のいろんな話でもりあがった。
24年前に比べると、新しいマンションが次々に建ったりして随分と風景は変わってしまったけど、ここに暮らす人たちはきっとみんな何も変わってなくて、そのままなんだろうな…と思った。
店内を見渡すと、ジョンレノンとニューヨークの風景のポスターが何枚か貼ってあった。
まだニューヨークに行ったことのないマスターと、13年もニューヨークに住んでいた私が、この空間でお話ししているのがなんだか不思議だった。
楽しい夜だった。

故郷にいると、ここで育って暮らしてきた時間が一塊の思い出となって心に残っている。
そして13年間、故郷を離れたポッカリとした時間だけ、夢を見ていたそんな感覚がある。
新しい生活がスタートしても、結局、故郷は基本何も変わっていなくて、ちゃんと私の居場所はしっかりとあった。

きっとこの先もずっとそのままで、何も変わらないんだなー…と思う。

去年の夏に着ていたブラウスに袖を通したら、なんだかちょっと切ないような、ワクワクする気分だった。
近所を歩いてたら、毎年夏に見ていた公園の薔薇が満開になってた。
去年までは、この薔薇を見て「あぁ、日本に帰ってきたんだなー」とかみしめていたけど、このキレイな薔薇は、これから私の季節の流れの中の一つに溶け込んで行き、毎年毎年、通りかかるたびに、ニューヨークから帰って来ていた夏を思い出すんだろうな。

家族で再スタートしたここでの生活は、これからずっとずっと続いていく。
いつも、笑顔で、24時間Happyに。
私はずっと、ここにいる。

夏が、始まる。

 

 

 

 

★長い間、ありがとうございました。

 

片道切符の航空券で国際線の飛行機に乗るのって、往復切符のそれとは違い、正直、ワクワクがなかった。
今までは、夏が近くなれば帰国の何か月も前から楽しみで「2か月間、日本で何をしよう、どこに行こう」とソワソワ・ワクワクしていたのに。
JFK空港での搭乗手続きがこんなにも後ろ髪引かれ、あともう少し、ここにいたい…と何度も思った。

機体がアメリカの大地から離れる瞬間、涙がポロポロと流れた。
「13年が終わった」と感じた瞬間だった。

「ママ、泣いてるの?」とミニラが私の顔を覗き込んだ。そのミニラの目にも、涙がにじんでた。
チビラは窓の外の景色が空色になった瞬間、大きな声で「にゅーよーく、ばいばーーーい」と言った。
だんちゃんは、座席の背もたれに身を沈め、深く目を閉じていた。

故郷に帰るのに、未知の世界へ行くような心境。
でも、不安はなかった。
待ってくれている人たちがいっぱいいる。

成田空港に到着した瞬間、気持ちのスイッチが切り替わった。
これから、すべてが、はじまる。

日本に到着して、がらーんとした部屋にスーツケースを運び込んだ。
この殺風景な何もない部屋がこれから生活の色であふれかえる。
今度は、ここから何もかもスタートなのだ。

到着した翌日、あわてて家電と家具を買いに行った。
消費税増税前でどこのお店もお客さんでいっぱい。
家電をまとめ買いするだけで、7時間もお店にいた。
そして買った商品の配送が遅れていると知らされた。
新しい我が家に生活できる全てのものが揃うのは5月中旬だ。

不便な生活からのスタート。
それでも、日常はすぐに始まる。

だんちゃんの仕事、チビラの幼稚園、ミニラの小学校。
4月から何もかもスタートで、そして、私も一つ歳をとった。

何もかもリセットされた感じで4月が始まった。
ここに暮らすという覚悟と緊張感。あわただしい毎日で、私自身の気が張ってることに気づかないわけがない。
焦りながら、追い詰めるようにいろいろとこなしていくと、いつか私のスイッチが切れる…とわかっているので、いつもよりスローペースを心掛けて過ごしている。

 

★ここから先は、なんとなく「【第95回】ありがとう さようなら」の続編的な内容になります ↓

 

アメリカにいた去年10月、ミニラは、夏の間に通っていた日本の小学校の1年2組のみんなへ手紙を書いた。
日本語補習校の運動会で1等をとったこと、黄色いスクールバスでアメリカの小学校に通っていること。
写真を添えてアメリカでの生活を伝え、同時に1年2組がなつかしいと書いた。

手紙を書いたすぐ後に、我が家の帰国が決まった。
私は、日本の小学校の担任の先生に伝えた。
来年の夏、短期間でまた小学校でお世話になるときに、そのまま持ち上がりの2年2組へ入れてもらえると配慮していただいたけれど、今回、本帰国でも4月から同じクラスにしてもらえますか…という内容も添えて。

年が明けた今年1月、1年2組の担任の先生から手紙が届いた。
「ミニラくんの過ごしやすい環境になるように、学校側でも努力します。今のところ2年2組に入ってもらえるようにしてあります。
それから、2組のみんなには、ミニラくんの転入はサプライズということで内緒にしておきます。」と。
先生の手紙とともに、1年2組のクラスメートたちからの手紙もたくさん同封されていた。
ミニラと一緒に手紙を眺めながら、嬉しくて、私は涙が出た。

そして、今日、ミニラの始業式。
私は体育館の片隅で始業式を見させてもらった。
日本らしい学校の式典。先生たちの挨拶。子供たちの歌う校歌。
アメリカの学校とは違い、区切り区切りでけじめをつける「式」は、私は好きだ。気持ちが引き締まる。

ミニラの小学校のこの地域は転勤族が多く、子供たちの転入・転出が多い。
今日だけでも、転入生が小学校全体で27人いた。

担任の先生の引率で、ミニラともう一人女の子が2年2組に向かった。
転校生らしく、教室に入ったミニラ。
その瞬間、歓声があがった。

「ミニラくん!!」「ミニラくーーーーんっ!!」

担任の先生が、ミニラを紹介して、次に同じ転入生の女の子を紹介した。
一番前の席の女の子がミニラに「おかえりなさーい」と言った。

教室の後ろから見ていた私は、その時、恥ずかしくてモジモジしているミニラの口元が小さく「ただいま」と言ってるのがわかった。
転入生らしくない転入生のミニラはすぐにクラスの子たちと溶け込み、楽しそうにしていた。

2組に戻ってこれて、よかったね、ミニラ。

チビラも毎日楽しそうに幼稚園に通っている。
去年の夏に乗った、同じ幼稚園バスで。
幼稚園は楽しくて楽しくてしょうがないらしい。

すんなりと、日本での生活をスタートできた。

 

本当に、「ただいま」。

 

 

チビラを帝王切開で出産して退院した翌日、ミニラとチビラを抱っこしていた時に、自分の下半身が冷たいと感じた。
手術の傷口から大量出血していた。
手術後4日目。身体に負担をかけていたのだ。
血でベットリになった自分の下半身と両脚を見て、怖いのと、心細いのとで、子供たちを抱きしめて泣いた。

この地に暮らすのを決めたのは私なのに、親きょうだいと離れて初めて「寂しい」と感じた瞬間だった。

受話器を取り、友人に電話した。平日の昼間に申し訳ないと思いながら。
彼女は車ですぐに来てくれて、私と3歳のミニラと生後4日のチビラを車に乗せて病院に連れて行ってくれた。

「困った時は、遠慮しないですぐに電話して!!」…と彼女は泣きそうになりながら言った。

それ以降、ママ友たちが、交代で食事を作って車でわざわざ我が家に届けに来てくれた。
「無理しないで。台所に立たなくていいよ」と。

家族のように、あたたかい。
この地で暮らす日本人は、本当に助け合って生きている。
心から、ありがたいと思った。

…4年前の話。

 

私たち家族のニューヨーク生活は、そんなあたたかい気持ちと助けがあったからこそ成り立ってきた。
私たちの力だけでは、この地で生活することはできなかっただろう。
たくさんの支えてくださった方たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

ニューヨークを去る…と決めてから、すべてが愛おしいと改めて思う。
街並み、いつも遊んでいる公園、スーパー、ガソリンスタンド、電車…。
日常に触れていたものから、私だけがぽっかりといなくなることが本当に寂しく感じる。

訪れる場所場所に、これでお別れだね…と心でサヨナラのスタンプを押すようにしてきた。
目の前の風景を、しっかりと目に焼き付けてきた。
当たり前の風景が、今は私の目にはキラキラと映る。

ここ最近は、「別れ」を意識することが多い。
「元気でね」と言うたびに涙がこぼれる。
「楽しかった。また会おうね。」と抱き合うたびに涙がこぼれる。
また会えると信じて、大好きな人たちとの別れ。
ここで暮らしていると、言葉なくともいろんな苦労や思いを共感できているそんな同士たち。
でも、永遠の別れじゃないよ。
きっと、また会える。

 

我が家からどんどんなくなっていく家具や使い慣れたものたち。
喜んで引き取ってくれた方たちの家で、いつまでも大切に使ってもらいたい。
家の中のものがどんどんなくなっていくのは寂しいけど、これは新しいこれからの生活のためのリセットの儀式だ。
全ての思い出は心の中にある。

2001年3月27日にニューヨークに来た。
2014年3月27日にニューヨークを去る。

13年前、希望と不安を胸に抱えて、アメリカで何かを成し遂げたいと思った。
永住権が欲しくて、渡米6年後にやっと取得した。
永住権を手にした瞬間、クレジットカードサイズの小さな「証」に重みを感じた。

ニューヨークに来たころは、希望と焦りでいっぱいだったのに、いつしかそれは穏やかな流れになり、私は、自分の生き方を自然の流れに任せて楽しむようになった。

私の13年は何物にも代えがたい宝だ。
そして、最高の宝も手に入れた。

ミニラ、チビラ。

ここで生まれたことにきっと意味があると思う。
そして、家族になってくれてありがとうね。

それから忘れないでね。
ニューヨークは、あなたたちの故郷だよ。
ここで暮らしていたときは「日本人であることを忘れないで」…と教えて来たけど、
これからは、アメリカ人であることを忘れないで。誇りをもって。

チャンスはいっぱいある。
戻って来たければ、アメリカで生きることを選んだってかまわない。
地球は小さいよ。そして、丸いよ。

 

 

私の自由の国アメリカで13年間の心のバケーション、これで終わり。
13年前に感じた同じ春のにおい。
少し、切ない。

 

13年前、日本を発つ私に母がくれた手紙。
「100万ドルの笑顔で頑張って」。

私は、自分の生き方に後悔はない。
100万ドルの笑顔で、日本に帰ろうと思う。
これからまた私の新しい章が始まる。
一歩一歩、進んでいく。

日本の春、久しぶりに楽しもう。
日本の桜、早く見たいな。

アメリカでお世話になった大好きなみなさまへ、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、日本で待っていてくれてるみなさまへ、これからよろしくお願いします。

 

 

ミニラが言った。
「ママ、ミニラ、野球を頑張って、大きくなったらヤンキースの選手になるよ!
また、家族みんなでニューヨークに来ようよ!」

…夢は、果てしない。

 

I Love You.
I Love All of You.

 

I Love New York.

 

夜景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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