(1)倉野憲司、 武田祐吉、1958『日本古典文学大系 (1) 古事記 祝詞 』岩波書店

 狹井河よ 雲立ちわたり 畝傍山 木の葉騷(さや)ぎぬ 風吹かむとす

 畝傍山 晝(ひる)は雲とゐ 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉騷げる


〈校注二一〉
 一首の意は、狹井河の方から雲が一面に湧き起こり、畝傍山が木の葉がさやさやと鳴り騒いでいる。風が吹こうとしているのだというのであって、物語から切り離すと珍しい叙景の歌である(次の歌も同じ)。ところが物語に即すると一首の風刺歌であって、第四句までは当芸志美美(たぎしみみ)が謀反を企んでいること、第五句は三弟を殺そうとしていることを諷している。
〈頭注二二「雲とゐ」〉
 武田博士の説に従って「雲が流れ動き」の意に解する。→補注一九
〈補注一九〉
  クモトヰについては記伝には「昼のほどは、未雲にて居るを云。居とは、起騒ぎなではせずて、山際などに懸りて、駐り集るを云なり。」と説いている。然るに武田祐吉博士は万葉巻二の「沖見れば跡位(トヰ)浪立ち」(二二〇)、巻十三の跡座(トヰ)浪の、立ち塞ふる道を」(三三三五)などに見えるトヰを例証として、トヰは動揺する意の動詞とされた(記紀歌謡集全講)。原文「登韋」の登も万葉の跡も共に乙類の仮名である。
                  

(2)山口佳紀、神野志隆光、1997『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』小学館

 狭井河よ 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす

 畝傍山 昼は雲揺(と)ゐ 夕されば 風吹かむとそ 木の葉さやげる

〈校注六「狭井河よ」〉
 ヨはヨリと同じく、起点を表す。狭井河から雲が出てくるのは、そこが伊須気余理比売の本拠地だからであり、その地に住む神霊が異変を予告しているのである。
〈校注七「畝傍山」〉
 この「畝傍山」は「畝傍(うねび)の白檮原(かしはら)宮」を受ける。畝傍山に風が吹こうとしているとは、都に異変が起ろうとしていることを意味する。
〈校注八「さやぎぬ」〉
ざわざわと音を立て始めたの意。ヌは、ある状態に入ったことを表す。
〈校注九〉
 「揺(と)ゐ」は、動揺する意の動詞トウ(ワ行上二段)の連用形。『万葉』二二〇にはトヰナミ(揺波)の例も見える。
〈狭井河よ…〉
 狭井河から雲が広がり、畝傍山の木の葉がざわざわと音を立てはじめた。風が吹こうとしている。
〈畝傍山…〉
 畝傍山は、昼は雲が揺れ動き、夕方になると風が吹く前ぶれとして、木の葉がざわざわと音を立てている。

 神武記にある、伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)が当芸志美美(タギシミミ)の謀反の企みを皇子たちに伝えた歌。古代の后妃の巫女的な存在感を感じさせる。一方で母親として子らを憂うる慈愛もにじむ。ある物語の始まりを想起させる歌。

_PIC8610