是(ここ)に、其の伊須気余理比売命の家、狭井河の上に在り。天皇(すめらみこと)、其の伊須気余理比売の許(もと)に幸行(いでま)して、一夜(ひとよ)御寝(みね)し坐(ま)しき。
 後に其の伊須気余理比売、宮の内に参(ま)ゐ入りし時に、天皇の御歌(みうた)に曰はく、


  葦原(あしはら)の穢(しけ)しき小屋(をや)に菅畳(すがたたみ)弥清(いやさや)敷きて我が二人寝し

 然しくして、あれ坐(ま)せる御子(みこ)の名は、日子八井命(ひこやいのみこと)。次に神八井耳命(かむやいみみのみこと)。次に、神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)。
 *原文は「全集」

〈全集訳・校注〉
 さて、その伊須気余理比売の家は、狭井河のほとりにある。天皇は、その伊須気余理比売のところにいらっしゃって、一晩おやすみになった。
 後にその伊須気余理比売が、宮中(橿原宮)に参内した時に、天皇の御歌にいうには、
  葦原の中のきたない小屋に、菅(すげ)の筵(むしろ)をいよいよすがすがしく敷いて私たちは寝たことよ。
といった。
 そうして、お生まれになった御子の名は、日子八井命(ひこやいのみこと)。次に神八井耳命(かむやいみみのみこと)。次に、神沼河耳命(かむぬなかはのみこと)〔三柱(みはしら)〕。
(日子八井命)
 次の「神八井耳命」とともに名に「井」が含まれているのは、「狭井河」と関係あるか。
(神沼河耳)
 後の綏靖(すいぜい)天皇。「沼河」はヌ(瓊)+ナ(の)+カハ(河)で、珠玉のある河の意。「狭井河」と関係するか。
〈大系校注〉
(菅畳)
菅を編んで作った敷物。
(いやさや)
 いよいよ清らかに敷いて。サヤはさやさやとの意に解してよいさやさやは物が磨れあって発する音。
(日子八井命)
 以下三柱の御子は、いずれも井や河に因んだ名である。書紀には二柱としてこの御子(日子八井命)は見えない。
〈古代歌謡全注釈口訳・語釈〉
 葦原のひっそりと隠れた小家で、菅の薄縁(うすべり)をさらさらと敷いて、私はおまえと二人で寝たことだったよね。
(我が二人寝し)
 シは過去の助動詞キの連体形で、感動をこめた言い方。結婚初夜のことを回想した心持ちである。

 前章に挙げた狭井川(佐葦河)の註の前後の本文と歌である。天孫と三輪山の神の娘との婚姻歌でありながら、素朴で清々しい感動が伝わる。イハレビコ亡き後も、イスケヨリヒメはこの歌を大切にしていたと思われる。




万葉歌碑 「葦原の しけしき小屋に 管畳み いやさや敷きて わが二人寝し」 神武天皇