是(ここ)に、其の御子、聞き知りて驚きて、乃ち当芸志美々(たぎしみみ)を殺さむと為(せ)し時に、神沼河耳命、其の兄(え)神八井耳命に白(まを)ししく、「なね、汝(なが)命(みこと)、兵(つはもの)を持ち入りて、当芸志美々を殺せ」とまをしき。故(かれ)、兵を持ち入りて、殺さむとせし時に、手足わななきて、殺すことを得ず。故(かれ)爾(しか)くして、其の弟(おと)神沼河耳命、其の兄の持てる兵を乞ひ取りて、入りて当芸志美々を殺しき。故、、亦、其の御名(みな)を称へて建沼河耳命(たけぬなかはみみのみこと)と謂ふ。
 爾くして、神八井耳命、弟(おと)建沼河耳命に譲りて曰(い)ひしく、「吾(あれ)は、仇(あた)を殺すこと能はず。汝命(ながみこと)、既に仇を殺すこと得つ。故、吾は、兄なれども、上(かみ)と為るべくあらず。是(ここ)を以(もち)て、汝命、上と為りて天の下を治(をさ)めよ。僕(やつかれ)は、汝命を扶(たす)け、忌人(いはひひと)と為(し)て、仕へ奉(まつ)らむ」といひき。

〈全集校注〉
(忌人)身を慎んで吉事を招き求める役。イハフは、神の加護を願って、身を清め慎むの意。
〈大系校注〉
(忌人)斎(イハヒ)人の意で、神祇を祭る人である。神武紀には顕斎にウツシイハヒ、斎にイハヒの訓注がある。
〈集成校注〉
(忌人)神を祭る人。この神八井耳命の発言内容は、末子相承の理由づけになってはいるが、あるいは弟に統治権が、兄に祭祀権があったことを表すものか。

 神八井耳命が弟建沼河耳命に皇位を譲り、自ら就いた「忌人(いはひびと)」とはどのような存在か。
 この問いこそがブログを始めた動機であり、神八井耳命はこの物語の主人公である。そして、下に記す十九もの神八井耳命を祖とする氏族。これらの氏族はどのようにつながり、広がっていったのか。少しずつ紐解いていけたらと思う。


 神八井耳命は、意富臣(おほのおみ)、小子部連(ちひさこべのむらじ)、坂合部連(さかひべのむらじ)、火君(ひのきみ)、大分君(おほきだのきみ)、阿蘇君(あそのきみ)、筑紫三家連(ちくしのみやけのむらじ)、雀部臣(さざきべのおみ)、雀部造(さざきべのみやつこ)、小長谷造(をはつせのみこと)、都祁直(つけのあたひ)、伊予国造(いよのくにのみやつこ)、科野国造(しなののくにのみやつこ)、道奥石城国造(みちのくのいはきのくにのみやつこ)、常道仲国造(ひたちのなかのくにのみやつこ)、長狭国造(ながさのくにのみやつこ)、伊勢船木直(いせのふなぎのあたひ)、尾張丹羽臣(をはりのにはのおみ)、島田臣(しまだのおみ)等(ら)が祖(おや)ぞ。