2006年06月02日

一冊のノートが語るもの

障害回復したようですね。
エンジニアのみなさま、お疲れ様でした。
今日はゆっくり休まれますように。

さて、5月31日のとんさんのコメントから。
「でも、大人になってからの勉強が
 楽しいと思うのは何故でしょう?」

ほんと。異口同音。

この話題について、Beltaなりの仮説です。


Beltaは、人は元々、学ぶことが大好きな生き物だと思っています。
子供でも大人でも、学ぶことは大好き。

だから、大人になってから学習が楽しくなるのではなく、
子供のころの学習が面白くないのでは、って。

こんなブログを書いているBeltaだけれど、
実は大の学校ギライ、勉強ギライでした。

正直に言うと、大学を卒業した時、
もう二度と勉強をしないと決心し、教科書は古書店へ、
ノートは、古紙回収へ。リサイクル精神バッチリ。
たった一冊のノートを除いて。

それは、今は東北大学の教授になられた浅野裕一先生の
漢文(中国哲学)の講義ノート。

先生の授業は、難しく単位が取りにくかったのですが、
面白くて、面白くて、勉強嫌いのBeltaを夢中にさせました。

興味はそのまま現在まで続いていて、
お手洗いの壁に論語を貼っているくらい。(笑)
#毎朝5時の「漢詩紀行」も欠かせません。

全てを捨ててしまったものと、今でも続いているものと。

今のBeltaには、まだはっきりとは言えないのですが、
子供時代って、難しかったり、面白くなかったり、
言わば難行苦行こそが学習だ、という感じがしています。

大人になってから、その制約が取れて、
今まで、押さえ込まれていた学習の楽しみが爆発するのでは?

だけど、それはちょっと変。そして時間がもったいない。

今もBeltaの手元にある一冊のノート。
このノートが意味するものは?


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