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こうしてお会いできたのも、きっとしあわせなこと。 逢いたいひと、逢えないひと、哀しみも喜びもすべてをこめて。

やっぱりつらいPMS。

なにをがんばればいいのか。
どれだけがんばればいいのか。
いつまで?だれのために?どうして?
そもそもその努力が報われるあてはあるの?
今回のテーマ:『努力』って感じでPMS、つーらいよー…。

ひさしぶりに自分で自分の気持ちを調整できず、ほかに八つ当たりしたくなっています。

どれだけ頑張っても、暮らしは楽にならないし、びょーきはよくならないし、愚痴を言える場所はなくなるばかりだし、だしだし。
もーーーいやーーー!
……と、突然ネガティブを数えあげはじめる、おそるべしPMS。

しばらくぶりに、どん底です。

扉を開けなくちゃいけない。
たとえそのドアが出口でなくとも。
あるかなくちゃいけない。
どちらが前なのかさえわからなくても。
生きなくちゃいけない。
産まれてきたくなかったと、おもっていても。

***

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人生のボーナス。

日々はしんどい。生きづらい。
これは病気でも病気じゃなくても、おんなじだと思う。
ただ、心が参っているときは『しんどい』がただただ重量オーバーになってしまう。
押しつぶされているときは、つぶれているしかない。本当にそれしかない。ただ息をするのも苦しい。

なので。
わたしはちょっと軽くなったときにささーっと「すこし先のたのしい」をつくることにしている。

職場の休みにあわせてプチ旅行(こんどのはけっこう遠方になってしまった、致し方なしの話)
アマゾンをめぐってすきな作家さんの新刊を絨毯攻撃で予約。
びじゅチューン!の新作情報収集。
などなど、などなど。

旅行は日程がくるまで、本は届いて読みおわるまで、すきなテレビはみるまで「とりあえず、どんなにしんどくてもおわるまで死にたくない」ものだ。
ひとまず、11月まで「たのしい」を満載にした。
これはわたしがかなり快方にむかっているからだとおもうけど、「たのしい」を考えている時間も存外に「たのしい」し、「たのしい」が過ぎ去ったあともしばらくはほわわんとした気持ちでいられる。

名づけて『人生のボーナス』作戦。

自分に自分でご褒美してあげることに、以前は抵抗があった。
だって大層なことはしていないし、目標達成とかでもないし、そもそも自己投資(じゃないけど)ってよくわかんないし。
でも、自分のことは自分くらいしか褒めてくれないし(自分だって滅多に褒めてくれないし)、この歳になるとご褒美だってそうそうもらえない。
じゃー自分でご褒美するしかないじゃないか!

支払いのときは涙がちょちょりでそうになるけど、旅や本がくるころには忘れている、人間の脳の便利システム。
喉元過ぎれば熱さを忘れる仕組みはボーナス感を出してくれる。

たのしいことをさがしている。
たのしいことを必死にさがして、一生懸命いきようとしている。
転がらぬのなら、転がせ世界。

***

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身の丈のしあわせ。

ちいさいころからの『お手本』はいつも『人間としての成功像』だった。
中学・高校の創立記念日に(なぜだかほんとになぞだけど)招かれる講演会のOBはどこかの会社の社長だったり、専門分野のエキスパートだったり、した。
単純でおばかなわたしは、そこで思い込んでしまった。
いや、インプリントされる鳥類がごとく、刷り込まれてしまった。
「あれが大人なのだ。わたしもあの後を追って、大人にならなきゃいけないんだ」

返す返すもあほである。
一億総社長シャカイだの国家総エキスパートだの、あるわけがないのに。

立派な大人というのは一握り。ほんとに一握り。
そして身分が『立派』だったとしても、その人の人間性が優れているかといえば必ずしもそうではない。

将来を悲観するこどもたちに見てほしいのは。
未来なんて…とおもうこどもたちに見てほしいのは。
ほんとうの意味でこの世界を支えている『あんまうまくやれなかったけど、それなりにしあわせな大人』じゃないだろうか。まいにち黒色に塗り潰されながらも、すきなものがあったり、拭い去る方法をしっていたりして、なんとか生きている大人。

すくなくとも、過去のわたしに見てほしい。
わりと、しあわせないまのわたしのことを。
うまくやれなかったけど、生きてることを。

みんながみんな、きれいに歩けるわけじゃないし、そうそうごりっぱなわけでもない。
いま、生きづらさに少しでも風通ししてくれるのは、縁の下の力持ち的な、『なんとか生きてる』ひとたちそのものじゃないだろうか。

***

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南の島のこどもになりたい。

何回目かで、いや何千回目かで、心が折れそうだ。
きっかけは些細なことだった。
わたしにはなんの非もなかった(とおもう)、相手方が100%わるい(とおもう)、それなのにわたしに全責任があるような言い方をされた(とおもう)。
(とおもう)は客観性のため。いついかなるときも、だいじ、客観性。
こんなときなのに仕事です。
泣きたいけれども仕事です。

あーーー、南の島のこどもになりたいよー。

以上、愚痴でした。

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海底の貝殻。

忙しい。
もっぱら忙しい。
再開したブログを3日にいちどは更新しようとおもっていたけれど、一週間もせず挫折。
……まぁ、人生かねてから思い通りに描けたことがないわたしの通常モードですな。

悲しいことがあった。
だれがわるいわけでもなく、どうしようもなく起きてしまったこと。避けられなかったこと。
わかっているから怒りの矛先はどこへもむかず、「ずむー…」とうめきながらそれでも、それでも『どうして』と思わずにいられない。理由があれば楽になるから。原因は心を楽にしてくれるから。人間(というかわたし)はかくも愚かしい。……まぁ、人生かねてから(以下同文)。
(悲しいこと、というのは筋肉の病気の再発で、消炎剤をのむライフリターンズマッチ……だれもなにも、わるくない、わかってる)

こういう『どうして』は心を蝕む。心を暗くする。いかん類のもの。
それもわかっている。ので、対処しているところである。
その対処法は、薄暗い心を真っ暗に、ダークをブラックにすることで……。
はい、「えー」とお思いですよね。そんなに心が思い通りになるのか、と。
というか、そもそも真っ暗にしちゃってだいじょうぶ?と。

だいじょうぶになるために、敢えて私は心のあかりを消す。ぜんぶ。ひとつ残らず。
希望がみえるから、つらいのだ。望みがあるかもとおもうから、疲れるのだ。
もうなにもみえなくなってもいいから、なにもみたくないときがある。そういうときは、なにもみなくていい。聞かなくていい。……考えなくていい。なにもしなくていいから、ひたすら下へ下へもぐる。心の暗黒を増幅させる。

薄暗い時点では「これ以上落ち込むのはこわいなー…」と無意識下にある。否が応でも。暗黒になったら、ほら、なにもみえないから、なにもみなくていい。

暗黒のなかで身を守っているうちに、だんだん、だいじょうぶになるのだ、人間は。
ひかりは傷を隠してくれない。でも、闇は傷も欠損もなにもかもみえなくしてくれる。
そのうちに、だいじょうぶ…かも……とおもえたら、勝ち。

わたしは、暗い音楽を繰り返し繰り返し聞くことで、だいじょうぶかも……とおもえるようになる。自分でアクションしなくてもデッキのスイッチを押すだけで流れ込んでくるので、音楽は読書をするほどパワーがないときに便利だ。
自分の『泣けるうた』をつくっておくのもいい。わたしが泣きたいときに聞くのは柴田淳の『雨』とか『それでも来た道』、まきちゃんぐの『誰が為に鐘は鳴る』あたり。
3つ目は暗い。半端なく。
以下、歌詞の一部引用。

『命に重さがあって人それぞれ違うのなら/どれほどの重さであれば生きていてもいいのだろう』

くっらー…。これをきいて泣いている自分、に自分で引く。ドン引きである。

消えてしまいたい。
いまも、おもうことがないといえば、嘘で。
幻のような気持ちだとしても、本気で「消えられたら楽なのになー…」とおもうときもあって。
でも、消えも死ねもできない。
だったらせめて、海底で、死にちかい場所で『どうして』が癒えるまで、ただ水面を見あげている貝殻になりたい。
海底は、涙の味がする。だから、泣いていてもいい気がして。


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本棚ノマド、驚嘆する。

きのうの記事に関連して。

わたしは決して『片付けられない女』ではない。
ただ、インテリアセンスがゼロである。皆無。むしろマイナス二億点くらい…?えっへん。
Q:そういうひとが本がだいすきだとどういう悲劇が起きるか。
A:大きさも材質も高さもばらばらの本棚が林立する部屋生活。
そうなんです!わたしのいまの悩みは、すきな本を並べる本棚がことごとくがちゃがちゃして見える、このことなんです。
おー……むかしにくらべて、ずいぶんとシャレオツかつどうでもいいことで悩むようになったな。

さておき。
かくしてここ2か月ほど、本棚をさがしている。
厳密には、『安くて』『かわいい』『容量の大きな』本棚をサーチ中である。
しかしこの三点、得てして『彼方立てれば此方が立たぬ』ってやつ。
ことごとく検索結果に打ちのめされている。
そう。
もっぱらネット界でフィールドワーク。
……だって家具屋さんにも行ったけど、第一条件を木っ端みじんにしてくれてさ。
3万円も払えないよ、本棚に(中身より風袋のほうが重いお菓子みたいな感じになっちゃうし)

かくして、インテリノマド、じゃなかった、インテリアノマドになっているわたしは、イチ押し生活雑貨みたいなサイト(……?)を覗くようになった。
みなさん!聞いてください!
世のなかには、すごーーーく、おしゃれんてぃーなライフを送られている方がいっぱいいらっしゃる!びっくりだ。驚嘆だ。
正直に言おう。いいなぁ。すごいなぁ、うらやましいなぁ。
片付けられない女、ではないから『最初からかわいくて、おしゃれな部屋』をあたえられれば、それをキープする自信はある。でも、『インテリアセンス50m走』に半端じゃないハンディで挑んでいるわたしには『かわいい部屋をつくる』勝ち目がない。

なぜ、なぜ、神はわたしにセンスを賜らなかったのか。
悲しくて仕方ない。

本棚のまえに、センスをください。
それかあの家具屋さんの、あのかわいい本棚を買えるお金。
おしゃれんてぃーな部屋ライフへの道は、まだまだ千里万里である。

***

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うつと読書。

もしも、脳に余裕があるのなら。
そして、すこしでも余力があるのなら。
うつと闘っているひとには、本を読んでほしい。経験者として、おもう。
(脳に余裕がなく『余力…?』な方は、存分にやすまれてください、これも経験者として)

現実はのしかかる。
考えなくていいこと、考えてもどうにもならないことが、常にネガティブにぐるぐると心を圧迫する。
はっきり言おう。
これは、かなり、しんどい。
そして。ぶっちゃけると、いつのまにか『受け流すの術』が致し方なく使えるようになるゆえ、ネガティブな空想上の現実とは闘わないことを熱烈に推奨する。

でも、うつの渦中、どん底の坩堝のまんなかでは、受け流したはずの現実がブーメランになって戻ってくる。理不尽極まりない。

そこで、読書なのである。

本は『空想上で、架空』だ。現実じゃない。
だけど、現実からのシェルターになってくれる。
きれいな絵本でも何でもいい。活字を追うことが苦でないのなら、読書をプッシュする。全力で。
ひとりで『うつ患者読書推進センター』を運営できる勢いだ。
神さまは現実に、耐えられるだけの試練しか与えない、という。だけど、理不尽じゃないか。
耐えられないものはどうすればいい。
そして、どこまで耐えればいい。
そして、そして、耐えられなくなったら、どうすればいい。
と。
かくもまあシリアスになるのでとりま、神さまが無情にも準備してくださっている現実から、一時逃避しちゃえばいいのだ。

でも、どんな本を読んだらいいのかわかんない!っていうひとのために、わたしが最近読んで面白かった本たち。
・『においをかがれるかぐや姫』(英語できます!って方には超おすすめ)
・『チェーン・ピープル(三崎亜紀)』
・『にじいろガーデン(小川糸)』
・『かがみの孤城(辻村深月)』
……わかる人にはわかるとおもう、めっちゃ乱読です。ごめんなさい。
そして、おもしろくなかった!という苦情クレームその他はわたしのこころの健康のためにご遠慮願えますようお願い申し上げます……。
あと、ずいぶん前によんで印象的だったのが『Amazonで変なもの売ってる』という本です。

謎の改行を加える。腐女子なあなたがここにいらっしゃったら一穂ミチさんのご本もおすすめします(⋈◍>◡<◍)。✧♡(なにゆえここだけテンションがちがう)

本は重たいが(内容も質量も)いまは電子書籍で気になる本を読める。
なんつーワンダホーな時代なんだ…!
無料で読めちゃうコンテンツもあると友人からきいた。
(わたし自身はデジタル難民なので、電子書籍端末を持っていない。サンタさーーーん!)

現実と闘うのももちろん大事だし、闘わないと道は開けない。
だけど。それでも。
気力体力根こそぎ奪われ、生きる気力も枯渇し、消えてなくなりたいとおもって『現実』に立ち向かうのは本末転倒なような気がしてしかたない(……んだよ、ここにいたむかしのわたし!)

読書の世界に逃げてみる、ひとつの『闘い方』かもしれない。
ときに『やすむ』ことも『たたかう』と同義なのだから。

***

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みえない未来。

もし、いま大地震がきて、家が壊れて圧死したら。
もし、いま大火事になり、自分の部屋がわたしごと全焼したら。
たらたら。
わたしはきっと、おそらく、100%化けて出る、自信がある。

だって。
わたし、今月のお給料ぜったい自分史最高額だし(…がんばりました)、一穂先生のご本が今月末だし、海外の親友から『ドイツパック届くでー』ってLINEきてるし。
だしだし。
ふと思うのだ。
……わたし、いったい、いつまで生きてるつもりで、というか。
なんのもとにあしたがあると確信して…働いたり、お金貯めたり(貯まらないけど)、しょーもない文章書いたり、してるんだろう(3つ目につきましては「もっとましなすごしかたがある」と自分でもわかっちゃいるけど、とりあえず思ったことは書いておこういつか読み直すかもしれないスピリッツである)

自分の命のおわりを知りたいか、ってときどき考える。
1秒だって未来があるのがいやだったころは「しりたーい!」って思っていたけれど。
いまは、たぶん「いやいやいや、しらないほうがいいから絶対」と思う。思える。
だって、1か月後とかだったら困るじゃないか。
なんにもがんばれないし、やる気にならないし、そもそもなにも手につかない。おろおろ遺言状でもしたためるくらいしかできることがない。
(……逆発進して、海外放浪の旅に出ちゃったりするかもしれないけど)

未来が見えない、って安心の素なのかもしれない。
すくなくとも、あしたとあさってくらいは死んでない。たぶん、1年後も生きてる。
無意識に、そう思っていなければきっと、政治も経済もほかの諸々もじつに困ったことになっちゃうのではないだろうか。
不確定未来だから「あー将来のためにお金貯めなきゃ(……それが貯まらないんだなぁ。だいず)」「人間関係をちゃんと維持しておいたほうがいいな」とか『ヒトとして自分のためにできること』をやっておこうという気分になる。
ばらばらと将来がばらされたら、生きる気力が根源からなくなっちゃう気がする。

だれにもわかっちゃいないんだ。
みえない未来を嘆く必要なんてない。

以上、哲学の深淵でした。

☆きょう、職場で「だいずちゃん、星野源に似てるって言われたことない?」といわれました。「似てるよね!」という流れになりましたが、そのような事実はいっさいございません。そのうえ、わたし(いちおう)女なんだけどな…。

***

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わたしじゃなくてもいい時代。

はっきりいって。
ぶっちゃけた話。
べつにいまこの瞬間、きれいさっぱりわたしが消え去っても、まあ家族友人が悲しむくらいで特段の問題はないんだろう。シャカイとかセケンは『お前じゃなくてもいい』とわたしに時に突き付ける。というか、わたしはシャカイにすればずいぶんとはた迷惑な存在なのだろうから、お互いさまといったところもあるけれど。

必要とされていないと、生きていけない。
人間は、そういう生きものだ。肯われ、「そこにいていい」と許され、「いてほしい」と求められてはじめて、「あぁ、生きていてもいいんだな」って思える。そうしてはじめて息ができる。
じつにメンドクサイ。
我が家にいたハムスターあたりは、なんにも考えてなさそうだったのに(…でも、妹とわたしからは必要とされていたからなー(笑))

数年前まで、わたしも「必要とされてない!べつにわたしなんていなくてもいいじゃん!」としょっちゅう嘆いていた。しんどい人生、ただそれがあるだけ。息をさせてくれる人も、息ができる場所もなく、『生きづらく、息苦しい世のなか』でもがいていた。
そんなわたしが、わたしのいちばんの敵だと、気づきもせずに。

息ができなくなりそうな、呼吸さえ許されないような、そんな世の中をかろうじて生きていくためには手っ取り早く『味方』をつくることが肝要だ。
そして、自分を自分の敵にしていちゃいけない。
できれば、自分だけは自分の『味方』にしておくに越したことない。
これがけっこう、むずかしいんですよねー...( = =) トオイメ…
そもそも「自分なんていらない」とおもっちゃうと、無理難題なことこの上ない。いまだに「いらないスパイラル」に陥ると、わたしも自分の天敵が自分になっちゃうので。

そんなときのわたしの対処法。
右手を左手で握ってあげる、だけ。
ちょっとだけ、楽になる。こんな自分でもいいのかな、って思える。
嘘だとおもってやってみてください。効かないかもしれないけど、効くかもしれません。
簡単だし『当たるも八卦当たらぬも八卦』くらいの気持ちでどうぞ。

お前じゃなくていい、と平然と言い放ってくるシャカイの冷たさに「それでもわたしはわたしなんです」と言い返すことができたらブラボーである。

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おめでとう自分まつり!

きょうは、猛暑酷暑のなかどうにかこうにか勤務をおえて、残業までしてえらかったわたし!
……というわけで、ささやかに『おめでとう自分まつり』をした。
帰ってすぐ缶チューハイ(ほろよいの夏限定のやつ)を1本飲む。それだけ。
それだけでもけっこうハッピーになれちゃうわたしの脳みそ、ちょろすぎませんか。ちょっと心配である。

『おめでとう自分まつり』にはバリエーションがある。
うれしいことやたのしいことがあるとき、思いっきり楽しむために、ほかのものごとを一切合切排除して「うえーい!」ってただ目の前の『たのしい』だけをみる(けっして、あしたの仕事のことなどは考えてはならないのだ)……これはけっこうハイレベルなので、以下、簡単にできる自分まつりのご案内であります。

「がんばらなきゃ」「がんばろう」と思ったときはすかさず褒める。褒めて褒めて褒めまくる。脳内なのではばかることはなにもない!ただただ、「よく『がんばろう』とおもったわたし!」と褒めちぎる。絶賛する。
脱線するが、がんばろう!とおもうことそれ自体でけっこう心のカロリーというものは消費されちゃったりするらしい(らしい、というのはドクターがいってたので)じゃー褒めるしかない、褒めちゃっていい。
だって心を動かして、ちょっとでもプラスの方向にいこうとしたんだもの。
……そのうち、『べつにがんばらんでもええねんな』という悟りの境地が開けたら、それはそれでまためでたいのだが、またそれは別の話。

がんばっちゃった日にはもう盆と正月とクリスマスと誕生日が一緒に来ちゃったいきおいで自分まつりである。
そのわりにはチューハイ1本なのですがね。
もうちょっと贅沢していいよ、だいずさん…!といってくれるひと募集中。

自分を褒めてあげられるいちばん身近なひとは自分だったりしちゃうのだ。

認められたい、許されたい、これでいいんだって言われたい。
しんどかったころ、よく思っていた。
いつのまにか、どうやってかはわからないけれど、いつのまにか『あきらめた自分』をきらいじゃなくなって(だいすき!じゃないけど)。自分を認めて、許して、これでもいいかー…とおもえるようになって。。。楽になったんだなー、これが(笑)
しんどい方は「その『どうやってか』を知りたいんだけど!」とお思いだと考え、わたしもちょっと思考してみたのだけれど、わからない。

ただ、きらいじゃない自分、というのは自分を随分楽にしてくれる。

『おめでとう自分まつり』の開催が、いましんどいひとのその一歩になればいいなーとおもう次第です。

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