愛と魂の叫び

※在日韓国人としての個人的本音と私的記録です。(不定期更新) [Japanese]  ※Thank you!! 감사합니다!!

心の涙

私は過去結婚していた時期がある。
17歳の時同じバイト先で知り合い交際。その後20歳の時に結婚。
しかし、4年目に離婚しました。

離婚の原因は女性関係。
元奥さんとの交際から一年目くらいの時に、元奥さんの友人として紹介された女性と意気投合し、内緒で付き合っていたのだ。
彼女は台湾人で母親が在日朝鮮人と再婚したために一緒に来たと言っていた。
しかし当初知り合った頃はお互いパートナーがいて、お互い同棲している関係だった。
多分、元奥さんはお互いパートナーがいるのだから安心していたのだろうと思う。

彼女と交際して2年がたったクリスマスの日にプロポーズしたのだ。
元奥さんの事は好きだったが悪いと思いながらも、愛しているのは目の前にいる人、抑えられない気持ちがそうさせたのだと、今でも後悔していない。
彼女は最初ビックリした表情だったが、すぐに笑顔をみせてくれた。
が、返事は待ってほしいと言われ、少し困惑したのを覚えている。

それから数日したある日に元奥さんのお父様から電話がきた。
当然、同棲しているのは内緒だったので挨拶程度で済まそうと安易に考えていたのだ。
当日、着慣れないスーツを着て手土産を持ち軽い気持ちで元奥さんと一緒に出向いたのだった。
強面で機嫌が悪そうな感じのお父さんを見て少しビビリながらも挨拶したのを覚えている。
私の思いとは違いピリピリした緊張感に帰りたいと思ったが、元奥さんの言い放った「結婚報告しに来たんだよね」という言葉に眩暈と冷や汗がしたのだった。
もう戻れないと感じた時に「娘さんと結婚させてください!」と言ってしまった。
私がその言葉を言ったとたん、機嫌が悪かったお父様は笑い出した。
「よく言った!これで良いかゆり(仮名)」と横で勝ち誇ったのごとく満面の笑顔でいる元奥さんに、ハメられた事をその時になって理解出来たのだったのを鮮明に覚えている。
それからすぐに結納と挙式とハネムーンとで数日が悪夢のように過ぎてしまった。

私の一番の気掛かりは台湾人の彼女の事だった。
プロポーズの返事も聴けず、違う女性と結婚してしまったのだ。
今更後悔しても後戻りできないし、彼女を裏切った事が一番辛かった。
私の気持ちも裏腹に彼女からの連絡は一向に来ない。それどころか手紙を出しても帰ってくる始末。
変だと思い彼女の家に行ってみると引越ししていてもう住んでいない事が解った。
私はもう彼女に逢えない悲しみと思い出だけが残った。

ある日元奥さんと喧嘩した時に結婚を急がしたのは私が彼女にプロポーズしたのを知ったからだと言いやがった。
私は唖然とし何も言えなくなってしまった。
その日から夫婦間の冷え込みはさらに進み4年の歳月にて円満離婚。
最後はお互いの幸せを誓い合って別れた。
元奥様とはずっと良き親友としていたかった。それは元奥様も同じ気持ちだと言っていた。


それから何年目たったのだろうか、久しぶりに元奥様から連絡があった。
彼女はガンで余命短いとの手紙の内容だった。それと彼女が私に逢いたいと書いてあった。
すぐに元奥様に連絡し、入院先と事情を聞いた。

久しぶりに逢った彼女は昔の面影はなくただ痩せ細った女性が寝ていた。
あまりの衝撃に涙を堪えるので精一杯だった。
主治医の先生と看護師に私と彼女の関係を説明し病気の進行具合を聞ききもう手遅れだと言われた。
主治医の先生はあと数日だと言われたが、彼女は2ヶ月生きてくれた。

彼女には私の一番の思い残しだったプロポーズの返事を聞きたかった
彼女はもう話す気力もなかったが筆談で「プロポーズされてうれしかったよ、返事OKするつもりだった」との事だった。
「でも、あなたは結婚したでしょ。だからあきらめた」と

とにかくたとえ数時間でも長く生きてほしい。退院したら台湾帰ろうと言ったが私の誕生日の一日前に天国に行ってしまった。
私は仕事中だったが病院から電話があり彼女が亡くなった事を聞いた
彼女の前では絶対泣かなかったが仕事中涙が止まらなかった。
生きていてあれほど辛い事はなかった
本人の意思で葬儀はせず遺骨はお寺に一時保管となった

彼女が天国に旅立った一年目に彼女を台湾の故郷に帰そうと思い、彼女の親戚に連絡を取ったら、いとこのお姉さんが快く対応してくれた。


彼女はとても頑張り屋でとてもチャーミングで素敵な女性だった。
たらればを言えばキリがないが、もし彼女と結婚していたら今頃どんな人生だっただろうと思う。
子供がいて、多分鬼嫁になっていたかもと想像するたびに涙がでる。


彼女を台湾に帰して2年がたった
今年の旧正月にまた逢いに行ってくる
多分始めて彼女の前で涙を流すだろう
今回で彼女に逢うのは最後にしようと思っている
私もまた本当に心から愛せる人を見つけたいからだ
彼女は私の心に永遠に生き続ける
感謝の気持ちは忘れてはいけない

ありがとう愛する人・・・ さようなら

Forever loved ones

昔の彼女だった愛ちゃん(通称)が乳がんで亡くなってしまった。


別れてから連絡無かったが、数ヶ月前に彼女の弟から電話があった。
彼女は母子家庭で、お母さんも早くに病気で亡くなり弟と二人暮らしだった。

私も自分の事でいろいろ忙しくてほんとは彼女のことは忘れていた。
もう過去の人で思い出だけが残っていただけだった。

彼女の弟から電話で「姉ちゃんが病気で入院している」と本人が私に逢いたいと言っているから来てほしいと連絡があった。
聞くともう数ヶ月前から入院していて何度か手術したと聞いた。
私は本人に逢う前は重い病気だとは知らなかった。
しかし、愛ちゃんに逢ってすぐにもうだめだと思った。

昔の彼女はとてもチャーミングでかわいい人だった。
その当時の彼女は彼氏がいたが、私も彼女がいた。そうお互い二股だったのだ。
お互いパートナーには悪い気持ちはあったが、逢いたかったし一緒にいて楽しかったのだった。

私の記憶は過去の愛ちゃんの記憶だけでベットにいた愛ちゃんは別人のようだった。
ガリガリに痩せて声もほとんど出ていなかった。
そこで弟から病気の事と近況を聞いた。
乳がんが末期で肺にも転移していてもう助からないと聞いた。
主治医にも説明を聞いたが、痛みを少しでも和らげるモルヒネの量も限界を超えているとの話でどうしようも無いとの事だった。

久しぶりにベットで逢った愛ちゃんは笑顔で話しをしてくれた。お互い別れてからの時間と人生や出来事を話した。
久しぶりだったのについ最近まで会っていたかのように話が盛り上がった。
しかし私は彼女と話ていて何か話しがおかしいと気づく事があった。
たぶん意識がもうろうとしていて、記憶がおかしくなっていたのだと思う。

本人は自分がもう助からないと知っていたと思う。
そうじゃないと、わざわざ私に連絡しなかったはずだ。
でも結果がどうであれ、最後に私に逢いたかったと言われたときは過去とはいえ彼女を愛せたことは幸せだったと思った。

次の手術は体力的に最後かもしれないと主治医に言われ家族で手術をするか延命処置をするか決めてほしいと言われ、彼女の弟とよく考えて手術してもらうと決めた。
少しでも長く生きて欲しいとの思いからだった。
本人に手術が決まったから頑張れと言うと「うん頑張るね」と言ったが最後に言った言葉が最後になってしまった

「○○くんありがとう○○くんに出会えて本当に良かったよ」
と精一杯の笑顔で言われた時は涙が出て声がでなかった。

手術当日は私は仕事で行けなかったがのちに携帯の留守電で結果がわかった。
彼女の弟の声にならない涙声で「姉ちゃんが亡くなった」との連絡だった。
仕事が終わり直ぐに病院に直行した。
主治医から説明を聞くと「手術中に出血多量で心臓が停止し努力した」との説明だった。


この出来事は一ヶ月前の事だけど、元気だった頃のかわいいかった愛ちゃんが夢に出てくる。
記憶というのは時として残酷だな。忘れていた事も一緒に思い出すもんな。
でも、愛ちゃんが亡くなって数日間は心の整理が出来なくて平静を保つのに時間が掛かったが、やっと平常心になった。


彼女も私も大好きだった中島美嘉の「雪の華」を聞くたびに愛ちゃんを思い出すだろうな。
悲しみの記憶は一生忘れなれないからな。
愛ちゃんは苦労したし心やさいし人だったから天国に行ったろうな。



しかしこの私のblogは不幸報告のblogになってしまってるな。
毎日仕事や用事で忙しく生きてるからblogを書く暇がないし、個人やプライバシーに関わる事が多くてblogに書けない。
それに最近は単調な生活で書く事がなくなった。
まあ自分のblogなのでそれで良いと思っている。

やる気満々仕事なし

去年は不幸続きで大変だった。

父がお人と良しのせいで得意先の社長に手形を割った結果、計画的だったのか不当りになり、返済を催促するものの、社長は高飛びしてしまい消息不明になっていた。
そのせいで銀行から借りていた事業資金の返済が出来ず、実家と自宅を売却するはめになってしまった。
父はショックだったのか、病気になってしまいその後交通事故で両足骨折の重傷で入院していた。
その父も他界し、残ったのは家を売却しても残ってしまった返済金と悔しさと家族の思い出だけが残った。

しかし、これで泣き寝入りするのは父も成仏できないと考え、消息不明だった社長の居場所を突き止め死ぬまで地獄を味あわせてやることになった。
これで少しは父の無念も晴らせただろう。

私は現在仕事先から「当分の間自宅待機」でと通達があった。
長引く不況とデフレが影響し、私が働いている製造業も影響を受けている。
去年の年末から仕事が激減し、人員整理とコスト削減するものの先が見えないようすだ。
わたしは現在アルバイトの身分なのでしかたないが、正社員は誰がリストラの対象になるのかと話していた。
なので現在貯金で生活し、日々職探しに頑張っているのです。
正社員の仕事はなかなか採用まで難しくて、取りあえず派遣社員で頑張ってみるつもりです。
しかし、数社に履歴書を送付と面接に行くものの、大抵の担当の方に「面接に来られる方が多い」と言われるのはやはり不況の影響で私みたいな人が多いということだろうな。
仕事が無くて落ち込んでいるほどの余裕は無いので、出来る範囲の仕事なら何でもやる気でいるのです。
とにかく早く仕事が見つかりますように、神様仏さまでもパワーストーンでも縋りたいのが本音です。

Last Christmas

8年付き合った彼女と別れた

別に嫌いになって別れた訳ではない

かといって嫌われ厭きられて別れたのでもない

お互い同意の上での恋愛解消という形で終わりにした

私を一番理解し助けてくれたのは彼女だった。
楽しい時、悲しい時、辛い時もいつも励ましてくれたり元気にしてくれた。
私は一人で生きては行けない臆病者で心の弱い人間だ。
彼女を幸せにしようと努力し頑張ったが、仕事や家庭問題で恋愛してる余裕がなくなり、朝から夜中まで仕事で休日もほとどんなく、彼女に会えない日々になってしまった。
彼女とこのままずるずると付き合って行くのはダメだと思い、話し合いと喧嘩の結果、恋愛解消という形での別れ方にしたのだ。
お互いのこれからの人生を考えると一番良い選択だと考えた。

今の自分に恋愛している余裕はなく、自分が生きていく事で精一杯だったりする。
朝から夜中まで仕事に追われ、休日も用事やらで休憩できない。

でも彼女が言うには恋愛解消しただけで、別に今までと変わらない関係でいようと言っている。
お互い良き理解者で良き友人関係ということだろうな。

毎年25日のクリスマは彼女の誕生日も近いとあって特別な日になっていた。
私はクリスマスで終わりにしようと前から思っていたので、最後のサプライズにしようとプレゼントを用意していたが
「いままでありがとう」
彼女の笑顔からあふれる涙が私の心に深く突き刺さった。

アボジ カムサハムニダ

入院していた父が肺炎で亡くなってしまった
享年七十四歳早すぎる死だった。
8月26日深夜に容態が急変し血圧が低下、元々心臓が悪かったのと肺炎による体力低下に体が耐えられなかったようだった。

今年は忘れられない年になった。
でも、父が息を引き取る最後に立ち会えた事は良かったと思う。
父は痛みと苦しみで辛かっただろうけど、あの世え行けば痛みや辛さから解放できるだろうしゆっくり安らかになってほしい。

父には苦労を掛けたし、本当ならば孫がいても良かったのだけど、親不孝な息子で父には本当に申し訳なく思っている。

まだ父が亡くなったとゆう実感がない
あと1年は生きていてくれればと思っていたのに
父は寿命だったと自分に言い聞かせるしか、今の私の心を落ち着かせる方法はない

父のために親戚の方々や、私の友人、知人には心から感謝しています。
本当にありがとう。

これからの私の人生、より一層の努力をし自分の力で幸せを掴み良い家庭を築いていかなくてはならない。

残った者、生きているからこそ先の人生や生き方は変えられるのだ
どうゆう結末が向かえるにせよ、最後まで見届けなくてはならない。

私の父は最期に自分の息子に会えたことで安心したかもしれないと思っている。
わがままで頑固親父だったけど良い親父だった。
親父の子で良かったと心から感謝している。

아버지 고마워요
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