2010年05月

2010年05月30日

手塚治虫文化賞と米澤嘉博の業績

atom

先日、関係者のご好意で、故米澤氏の受賞式に参加させてもらった。

特別賞は「マンガ文化の発展に寄与した個人・団体に贈」られるものだそうで、第14回にして、はじめて米澤氏に送られることになった。


受賞理由は、「マンガ研究の基礎資料の収集と評論活動などの幅広い業績に対して」である。

できれば生前に、というのは、米澤氏を知る人すべての思いであったろう。

 

米澤氏の重要な仕事の一つに、コミックマーケット(コミケ)の主催と運営がある。

コミケは3日の開催期間で50万人を超える来場者を数える世界最大級の室内コンベンションで、主にマンガやアニメを題材にした同人誌の即売会である。

受賞理由のなかで、明言を避けている「幅広い業績」がこれに当たるのではないかと思う。
また、 419日朝日新聞には「パロディが多い同人誌は著作権問題というグレーゾーンを抱えるが」とあり、
こういった文脈から推し量るに、米澤氏が受賞の機会を逸していたのは、コミケで売られる同人誌の性質と、その内容によるものと邪推しても、大きく的を外してはいないだろう。

実際、同人誌はその性格上、既存作品の登場人物や設定だけを借りてつくる「パロディ」作品が多く、その内容は高尚なものから、ヒドイ(w)ものまで千差万別百花繚乱で、ときに作者や版元の目に触れて、怒りを買うこともある。

 

でもそれは、米澤氏の責任なのだろうか?

漫画家になろうと思うような人が、誰かの作品の模写なり、パロディなりを描かないなんてことがあるのだろうか?(いや勿論あるかも知れませんが、多くの場合は・・・)

小学校や中学校でクラスに一人はいたマンガの上手いヤツは、大抵その頃はやっていたアニメやマンガの絵をマネしてはいなかったか。

さらに独自の改変やストーリーを展開して、仲間の笑いなり称賛なりを得ていなかったか。

マンガなんてそもそもイカガワシイもののはずで、コミケはそのイカガワシイちから、カッコいい言い方をすれば、「自由に表現する情熱」を開放させる場として機能しているのだと思う。

 

氏はその器を用意しただけで、中身は個々の責に帰すると考えるのが自然というものだ。

 

中身も米澤氏の業績とするなら、コミケがプロ作家(マンガ、アニメ、ゲーム、他)の苗床になっていることも評価されなければ片手落ちではなかろうか。過去の手塚治虫文化賞の受賞者にも、コミケに縁の深い方は少なくない。また、論評するにしても、米澤氏のようにマンガを俯瞰的に読み解くためには、コミケの存在を避けて通ることは出来まい。

マンガを中心にしたサブカルチャーを日本のプロフィールにまで押し上げた原点もコミケである(と言い切ってしまえ!)(そういえば村上隆氏の同人フロッピーアートをコミケで買ったのはもう25年以上も前)

 

授賞式の後の会で、みなもと太郎氏が、

「米澤さんの業績については、いまさら語る必要もない」

とお話ししていたのが印象的だった。

 

思えば、審議に影を落とした「グレーゾーン」こそ米澤氏のテーマではなかったか。

胡乱なもの、曖昧なもの、不確かなもの、それでも間違いなくこの世に存在し、その証拠として製本されているもの。

少しでも、米澤氏に興味を持っている方は、米澤記念図書館に足を運んで欲しい。

その雑多なコレクションは、マンガをはじめ、エロ、グロ、ナンセンス、マッスル、差別、文化史、アンダーグラウンド、ポップカルチャー、地方史、妖怪・変化、フリークス・・・と、ありとあらゆるグレーゾーンの集成とも見て取れる。 
それは、臭いものにフタをすれば良いという為政者・既得権者と正反対に居る、「でも好きなんだもん」という薄闇の住人たちの生きた証、爪痕とも言えるだろう。 

米澤氏は、マンガという表現のバックグラウンドにある、巨大な薄闇の世界を凝視し、資料を集め、編纂し、そのパワーを開放させる装置をつくったのではないだろうか。

 

渾沌という地獄の釜のフタをこじ開けようととした異端の司祭には、敵もあって当然である。

 

ともあれ、

おめでとうございました!



blueslime at 11:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!雑記