友人がメロンとプリンを持って我が家に来てくれた。僕がビールを飲みながらタバコを吸っていると、「あれ、なんや、元気や」と驚いていたな。そう、ほとんど自覚症状が未だになし。声はひましに出なくなってきているが、痛いわけではないので生活のリズムは全くかわっていない。入院が一ヶ月近くになる、と聞いているので、そうなったら前々から思っていた半生記でも書こうかな、とひそかに思ったりしているのだが、痛くて書けないのかな?なんて。
明日は息子が家族を連れて来てくれる。赤ちゃんも、この前生まれたのにもう4か月を超えた、というから驚き。いろいろな人と会えるのも今一番の楽しみだ。月曜日には、ドラムのアキヒトがマイクを持って自宅に来るというから、どうなることやら。このかすれた声を録音して面白いのかな?不思議である。

 どうも喉の調子が悪くて、近所の耳鼻科に行ってみたら、大きく口を開いて、と言われて写真を撮った。すると医者が、念の為に大きな病院で検査をしてもらって下さい、と言うではないか。いつもの湘南鎌倉病院へ、そこで検査をすると、若い女医さんが言いにくそうな顔をして「間違いなく、喉頭がんです」えーっ、この俺が?俺様が!癌?嘘でしょー、冗談じゃねー、ふざけるなー、なめるなよ!紹介状を持って、今度は横浜市大付属病院へ。検査をすると間違いなく、バリバリの喉頭がん。原因は、何十年吸ってきたタバコとがぶ飲みした酒のせい。おかしいなー。うちの親父は亡くなる前までタバコを吸ってたのになー。なんで、そういえば、僕の従妹は皆70代で癌で亡くなっている。ぎょぎょ!これは紛れもない事実なのかー。さっそく、息子に電話をした。えらいこっちゃ!俺、癌になってしもた。喉頭がんやて。今日はこれまで!

  いやいや、とうとう終わっちゃった。横浜の片田舎?にある栄公会堂。中ホールぐらいの大きさなのだが満員。昔みたいにいろいろな新聞やチケットぴあでチケットを売ったわけではないのに、良く入ってくれた、感謝である。僕の母親が来ていたらさぞかし喜んだことだろう。絶対に泣くまい、と決めていたのだが最後、ふっと息子と目が合ったのが大失敗。一緒に暮らせなかった時代など思い出してしまったのが運の尽き。嬉しくて感謝でもう涙が止まらなくなっちゃった。それにしても楽屋に集まった友人達、いい友達がいっぱいだ。沢山の人達に支えられてやってきたんだな、て今更ながら感謝。人間長い間生きてると悪いこともあるけど、良いこともいっぱいある。なるだけ良いことだけを覚えていたいなー、なるだけ、ご機嫌な人とだけ付き合っていたいなー。これから僕は若い人を応援する番である。ちょっと落ち着いたらこれは真剣に取り組まなきゃいけないかな?と思う。ジャズ普及実行委員会ボランティア委員長、いいねー。とりあえず、皆さんありがとう!!

とうとうこの日がやってきた!
引退という言葉を口にし、自分自身ももう限界かな?と思ってから早1年近くが経つ。
だからこそ明日のコンサートで終わりにしようと思ったのだが、一向に体調は良くならない。
それでも前回の東京稲城市のコンサートでは皆メンバーの素晴らしい演奏と暖かいオーディエンスのお蔭で無事に成功することができた。
今回は、調子を上げようと思い、ノコノコと池袋にあるDEDEスタジオまでB−3と2レスリーのセットをお願いして出かけて行くことにした。なかなか思うように弾けない。焦りはしないが、困ったもんだ。やっと少しは自分らしくなってきたので、適当に切り上げて帰ってきた。
えー?本当に?俺引退するの?もうオルガンは弾かないの?振り返れば俺の人生はハモンドオルガンと共にあった。普通は、下済み時代がうんと長くて大変だったという話しを聞くが、僕の場合はその逆である。デビューはその当時人気抜群の全国放送、生テレビ「11PM]レコードはキングレコード、そして、初めてのフェスティバルはマウントフジジャズフェスティバルwith ブルーノートである。贅沢過ぎ。あまりにも自分の名前が大きすぎてそれに付いていくのが大変であわてて練習に励んだのを思い出す。ガキの時分から先生とおだてられ、オルガン教室みたいなものを作り、ついには学校法人キャットミュージックカレッジ専門学校なる巨大な専門学校も経営していた時代がある。人はそんな俺をどんな風に見ていたのだろうか?世界をリードするアメリカのジャズの大スター達を日本に招聘して一緒にコンサートやらレコーディングをした。いつも自分の力の5倍10倍の仕事を無理やりこなしていた。とにかく上手くなりたかった、20代30代である。40まわってからは、ニューヨークマンハッタンをベースにアメリカ全土やヨーロッパまで足を延ばして演奏をしまくった。この頃になってやっと「11PM」の寒川さんがオーディエンス的にも自分的にも消えてような気がする。結婚と離婚を繰り返した若い時代、それでもジミー・スミスを神として崇めた。非常に頑固な若い時代。上の子はそんな父親を後目にいろいろ苦労はあったと思うがドラム一本で日本トップのドラマーにまで上がってきた。真ん中の子は女の子で2人の子を持つお母さん、いつでもどんな時でも底抜けに明るい夏ちゃん。下の子は、つい先日成人式を迎えた中央大学の2年生。自分の人生を最高だとは思わない。けども最低だとは決して思わない。物がなかった時代でお金を稼げばどうにでもなる、と思っていた愚かさ40過ぎてから徹底的に世間から教えられた。人生にゴールがあるとすれば、もうレコードの売り上げに一喜一憂したくはないわけである。15年ぶりに息子と演奏するためにひょっとしたら僕の40年はあったのかもしれないなー。それにしても北海道から沖縄まで沢山の人に支えられました。超生意気なガキを良くも辛抱して支えてくれました。リーダーアルバムを50枚も出してもらいました。これで文句を言ったら罰が当たる。感じるままをただそのままにB−3オルガンと共に、皆に聴いていただこう。あまり早いテンポは期待してないか?

僕は人に職業を聞かれるのは好きだった。オルガニスト、オルガンプレイヤー、ジャズメン、言われた方の人の驚いた顔を見るのが好きだったなー。ジャズメン、何とカッコの良い言葉なんだろうか?10代の頃から僕のひそかな楽しみだった。昔はそれほどジャズ関係者が多かった時代なのだろうか?大橋巨泉等のジャズ司会者、いそのさんの様なジャズ評論家、そしてジャーナルのようなジャズ誌。そういえば、ジャズ司会者、ジャズ喫茶の親父→これは当たり前か?それほどジャズって人気があったなー。あっという間に駆け抜けた45年だったか。こうして、筆を置くのはやはり少し寂しい、と感じる。だけど、昔のジャズメンはカッコよかったんだよね、って言ってもらえる内が花。ジーンズとTシャツだけでステージに上がることだけはしたくなかったなー。ジャズっていうのは音楽だけではない、ファッション、酒の飲み方いやー、生き様、女性との付き合い方、ジャズってかっこいいんだよ。いつでもいかしてるんだよ、学校で勉強するようなもんじゃないんだよ、ストリートで、ステージで学ぶものなんだよ。それにしても日本全国津々浦々ジャズ好きな面白いおじさん達と付き合ってきたなー、あのマスターどうしているのかな?あのマスターまだ病気かな?友人と言ってもほとんどがもう70代80代。夜遅くまで俺の酒の相手をしてくれた優しい人達だったなー、資本主義でやっている人はほとんどいなかったなー、手酌で酒盛りをしてたなー、それでもジャズ!ジャズクラブじゃないんだなー、俺がお世話になったのは。ジャズ喫茶なんだよなー、わかるかな?わかんないだろうなー。古いなー、そう古いんですよ、僕は。

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