E46に魅せられて

BMW 3シリーズ 318iのメンテナンス/旧車カタログ/ライブ/映画

【 先月の小メンテ 】
①ハイマウントストップランプの固定
B18FFE3C-3B6F-4491-861E-40EA52CD9B71070025A1-20CE-4A85-9099-C05A0FA9E2CAブレーキを踏むとリアガラスが赤く染まるので、原因を探ってみると、ランプケースの先端が垂れ下がり、リアガラスとの間にすきまができて、光がもれていたためとわかった。すきまにゴムを詰めたりしてみたがうまくいかず、最後にひらめいたのは、黒い樹脂の縁を室内側から透明接着テープでガラスに貼るつけるという簡単な方法だった。いい感じ。

②アームレストのトレイの補修
9CBBAC43-F628-40E2-AEA2-039C35D9D34BEBC0E7B9-59FA-407F-B544-47571C38AB7A給油用のカードを入れてあるのでトレイの蓋をよく開け閉めするのだが、ある日、蓋を開けるとトレイの縁の樹脂部分がひび割れをおこし、ポロポロと落ちかけているのに気がついた。取りあえず、元の位置に戻せるかけらを集め、透明テープで固定した。樹脂類はどうしても経年劣化を起こしてしまうので困っちゃいます。

③レインガターモールの補修
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【 メンテを保留 】
①オイルパンからのオイル漏れ
11月下旬に自宅カーポートの床にオイルらしき液体の斑点がふたつ落ちていたため、ディーラーのサービスでリフトアップして見てもらったところ、アンダーカバーと補強プレートの繋ぎ目からエンジンオイルが落ちていた。アンダーカバーを外して漏れたオイルをスチームで洗い落とし、時間をかけて漏れ箇所を確認したところ、オイルパンのシーリングからの滲みだったようだ。最近半年間ではオイルレベルの低下はほとんど感じられず、ごく少量ずつ滲んできたようだ。この状態ならすぐに対策せずとも様子見でいけそうだ。8年前にシーリングを交換していて、交換費用はかなりのものになったので、またかと思うと気がひけるのだ。再度オイル漏れがみられたらスチームで落とすつもりだ。
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②フランジ(接続ピース)からのクーラント漏れ 
数年前からクーラントを少量ずつ補充するようになった。クーラント関係は13年前8年前にホースやフランジを交換していたので、何が原因なのかわからなかった。昨年夏に、エンジンをじっくり見ていたとき、中心部の奥まったところにある、シリンダーブロックのサイド面にある樹脂製のフランジの接続部にクーラントが白っぽく固形化して付着しているのを見つけた。これが原因だったのだ。このフランジだけ不具合が出ていなかったので一度も交換していなかったのだ。フランジのパーツ代は大したことないのだが、インテーク・マニフォールドの脱着が伴うので、そのシーリング代や工賃が高額になるのだ。そのため、純正クーラントをボトルで購入し、希釈して不定期で補充している。 
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1年以上前からタイヤのサイドウォール部にひび割れが出てきていたのが気になっていたが、タイヤ溝がかなり残っていたので、もう少し先でもいいかなという思いになり、タイヤ交換は先延ばしにしてきた。しかし、ショルダー部にもひび割れが目につくようになり、思いきって交換することにした。

最初の「トランザ ER30 」が5年で 42,000キロ、「レグノ GR−8000 」が6年超で 48,000キロ、「プライマシー LC 」が6年弱で 46,000キロを走行し、現行の「エナジーセイバー プラス」は、2017年製と2018年製を2018年6月に装着して以来、6年半で 40,000キロ走行したので、そろそろ替え時だったようだ。2年半前に1度ローテーションをしていたので、前後のタイヤ溝は同じようにまだ残っていたが、一部のサイドウォールは思ったよりひび割れが進行していた。
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次のタイヤも『ミシュラン』で探してみた。195/65 R15 なので種類は少なく、オーソドックスなタイプでは、現行のエナジーセイバープラスの後継の「エナジーセイバー4」、「プライマシー4」と「e-プライマシー」の3種類。『 e 』の方が「プライマシー4」の後継タイプらしく、新旧の比較記事では『◯%向上した』とか出ているが、街乗りではほとんど違いがないと思われる。サイドウォールに『 e 』の文字がつかない方が好みなので、権兵衛さんも1号機に装着していた「プライマシー4」の2024年製の4本セットにした。前回と同じように、通販でタイヤを購入し、行きつけのGSに届いたのがクリスマスだった。ところが年内はタイヤ交換の予約でいっぱいだったため、作業は正月三が日が過ぎてからとなった。
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届いたタイヤは、すべてタイ製の『正規輸入品』で、4本とも『3624(2024年36週目)』なので9月頃のものか。貼り付け式のバランスウェイトはいずれも少量で、ノーウェイトもあった。写真のようにホイール裏側にブレーキダストがかなり付着していたので、取り付ける前に洗いたいと言ってあったら、スタッフのひとりがブラシで洗ってくれた。写真をよく見てみると、サイドウォールの “ミシュランマン” の表情が新旧で微妙に変更されているような感じがする。

これでひび割れを気にすることなく走れるのでひと安心だ。交換後感じたのは、路面への食いつきがよくなったこと。そら新しいゴムだから当然だろうけど。一皮剥けたら、また印象が違ってくるかもしれないが、それほどデリケートじゃないので感想は控えることにします。( 交換時の走行距離 175,720 km )

ひと月ほど前に hotchocolate さんから「年末に娘に会いに徳島へ行くので、29日に会いませんか?」と連絡をいただいていました。

当日、友人とふたりで我が家に寄ってくれると聞いていたので、約束の時刻に自宅前で待っていると、1台のクルマがやってきました。『あれっ!あれはいつもブログで見ている「レガシィ・ツーリングワゴン」じゃないか、“るぱんさん” のだ!』と心の中で叫んだ途端、脳裏に浮かんだアドレス帳から瞬時に『◯◯さん』の名前が飛び出し、降り立ったるぱんさんに『◯◯さん、ようこそ』と声をかけていました。

なんというサプライズでしょう! るぱんさんはブログでコメントをやりとりしている数少ない友のひとりですが、まさか直接お目にかかれるとは思ってもいませんでした。お聞きすると、今回は hotchocolate さんが企画したオフ会のために、おひとりで愛知県から徳島県まで遠路はるばるとお越しいただき、途中で hotchocolate さんと合流したそうです。hotchocolate さんもなかなか味なことをやるな!

お互いにブログを読んでいるせいか、初めて会った気がせず、すぐに打ち解けて、まずはカーポートのE46をご覧いただいた。ご自分が5年前まで乗られていたE46が懐かしそうでした。話に花が咲きましたが、hotchocolate さんのプランどおり、るぱんさんに徳島市内の中心地にある『眉山』から市内を一望してもらうことになり、妻も一緒に2台に分乗して登ることにしました。登山道路は細くてくねくねと曲がっている急な坂道のため、慣れないるぱんさんは大変だったことでしょう(いや、ターボ付きの280馬力だから心配なかったか)。
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山頂の駐車場で2台を並べ、そこでもクルマ談義。だが暗くならないうちに早々に展望台へ。
年末なので県外からの観光客もチラホラ。全景は見えるものの、面白みのない景色だったかもしれません。夕刻が近づいたので、るぱんさんが宿泊されるホテルでチェックインを済ませて、オフ会の会場へ車を進めました。妻にE46を乗って帰ってもらい、3人で居酒屋で夕食会を。

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話の中で新しいプロジェクトYが登場しました。私たちのブログでコメントをやりとりしている友にも会ってみたいというものです。連絡方法がわからず、すぐに実現はしないかもしれませんが、ひそかに心に秘めていることを確認し、再会を約束して
お開きとなりました。

翌日、るぱんさんは帰宅の途につかれましたが、運転好きのるぱんさんは往路と同じように一般国道を走行し、休憩しながら12時間を要して無事帰宅したと、登録したばかりの LINE で連絡をいただきました。お疲れさまでした。

昨夜の「紅白歌合戦」は、口パクのダンスグループが目につき、まるでダンス大会になったかのようで、従来からの紅白感がすっかりなくなった感じでした。歳をとったせいか知らない歌手が多く、姿を見せない歌手がいたり、韓国グループに出演してもらわないとやれないなんてどうなんでしょうね。ドミノもけん玉も初回だけで十分だったような。そんな中、初出場だったB'z の『 ultra soul 』は見入ってしまいました。番組のフィナーレを迎えると同時に、近くの氏神さんへ初詣に出かけました。
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0FC41F7F-8138-4E9F-91B5-B7644E3EB60D7C951E55-3E9A-45E7-A767-E03E792EB0B6昨年の賀状をもって「年賀状じまい」にしたため、今年は賀状を1枚も出さなかった正月になりました。結婚以来40数年にわたって、オリジナルの文章と写真で年賀状を作り続けてきたものの、だんだんそれが億劫になってしまい、郵便料金の値上げと古希を迎えるのに合わせて卒業させていただくことにしました。
年1回お互いの存在を確認するだけの方もいたので、やめてしまうのは申し訳ないと思ったのですが、昨今のコミュニケーション媒体は多様化しており、メールやら、LINEやら、メッセージやら、このブログやら、人それぞれの方法で継続が可能だと考えました。

2025年は令和7年ですが、旧元号だと平成37年になり、そしてなんと『昭和100年』になるんですね。昭和の頃は元号に迷いはありませんでしたが、今はブログを書く際に、この西暦は元号の何年になるのかすぐに思い浮かばないので困っています。
今年もコレクションしたカタログをメインに定期的にアップし、E46についてもお伝えしていこうと思っています。

どうぞ本年もよろしくお願いします

1993(平成5)年10月にフルモデルチェンジした「6代目セリカ」は、同時にフルモデルチェンジした兄弟車の「カリーナED」と「コロナエクシブ」とともに全幅が 1,700mm超となり、3ナンバー車となった。

“走りのイメージ” がより強くなった「6代目セリカ」は、半年前にフルモデルチェンジしていた「2代目スープラ」の曲面を強調したスタイリングに似たフォルムになり、先代のリトラクタブルヘッドライトから丸型4灯固定式に変更されたのも同じだった。しかし、そのフロントマスクは、2年前に登場した「3代目ソアラ」のように、グリルレスで片側2灯のヘッドライトが分離していてユニークだった。「セリカ」のフロントは「ソアラ」似、リアは「スープラ」似というふうに、3車のスタイリングはスポーツカーとして共通点が多かったようだ。

「スープラ」が6気筒だったのに対し、「セリカ」は4気筒エンジンで、当初のラインナップは、“3S−GE型” の 2000cc ツインカム 16バルブ(MT:180馬力/AT:170馬力)が搭載された『SS− II 』と、“3S−FE型” の 2000cc ハイメカツインカム 16バルブ(140馬力)が搭載された『SS−I』の2グレードだった。

しかし、4か月後の 1994年2月に、“3S−GE型” にターボが組み込まれて5速MTで 225馬力を発生するフルタイム4WDの『GT−FOUR』が追加され、同年9月には “3S−GE型” が搭載されたソフトトップの『コンバーチブル』が追加された。さらに1年後の 1995年8月には、『SS− II 』にアルミホイール、スーパーストラットサスペンション、スポーツABS、リアスポイラーなどを標準装備した『SS− III 』も追加された。

写真は、その後の 1996(平成8)年6月に発行されたA4ワイド判全32ページの厚口カタログだ。上記の車種がすべて掲載されている。
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ボディタイプは、ルーフ付きの『クーペ』とオープンタイプの『コンバーチブル』の2種類。クーペモデルでも『GT−FOUR』のフロントビューは個性的だ。ヘッドライトに挟まれてメッシュタイプのグリルが設けられ、バンパーにはスリットが入り、その下にフォグランプが埋め込まれた大型のグリルが付けられている。さらにアルミ製ボンネットのふくらみの先には丸い穴と、四角いメッシュのエアインテークもある。ハイポテンシャルなターボエンジンが載せられていることを自己主張しているようだ。

『コンバーチブル』のソフトトップは電動開閉式でスムーズに開閉でき、リアウインドウは視認性・耐久性に優れたガラスが採用されている。オープンにしたときのスッキリしたスタイルは国産車でないみたいだ。

1993(平成5)年5月にフルモデルチェンジして「2代目スープラ(A80)」がカローラ店から登場した。先代の端正な直線基調のクーペから大胆に変身して、曲面を強調した塊感の強いスポーツカーになり、先代のリトラクタブルヘッドライトは3眼式(ハイ、ロー、フォグ)固定ライトに変更された。

翌年8月には1回目のマイナーチェンジが行われ、さらに 1996(平成8)年4月に2回目のマイナーチェンジが行われた。カタログは、2回目のマイチェン時に発行されたA4ワイド判全32ページのもの。
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「スープラ」は誕生したときから直列6気筒エンジンが搭載されたFR車であり、先代は 2000cc、2500cc、3000ccの3種類だったが、2代目はすべて 3000ccとなり、回転数に応じてターボの作動個数をタイムリーに切り替える “ツーウエイ・ツインターボ” 搭載車(280馬力)に『RZ』と『RZ−S』、ノンターボ車(225馬力)に『SZ−R』と『SZ』の、計4グレードが設定されていた。先代のデビュー時は『3000GTターボ』『2000GTツインターボ』『GT』『G』『S』と序列がわかりやすいグレード名だったのだが、前出の「レビン」のようにわかりにくいものになっていた。この頃からトヨタのグレード名に変化が起こったのだろうか。

スポーツカーの要素がふんだんに盛り込まれたスープラは、全幅は先代とほぼ同じ 1,810mmだったが、全長が 100mm、ホイールベースが 45mm縮められて、よりショート&ワイドボディとなった。足まわりには新設計の4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション、ABS、4輪ベンチレーテッド・ディスクブレーキが全車に標準装備されたほか、国産乗用車で初の6速MT、ビルシュタイン社製ショックアブソーバー、トルセン・リミテッド・スリップ・デフなども設定されていた。また、上位グレードには大型リアスポイラーが装着され、フロントには 90km/h以上で自動作動、70km/h以下で自動格納する “アクティブスポイラー” もオプションで装着できたのだ。

先代の初期に追加された『エアロトップ』は2代目にも引き継がれ、ターボ車とノンターボ車のいずれにもラインナップされていたが、このマイナーチェンジ(1996年4月)でターボ車が廃番となり、ノンターボ車の『SZ』にのみメーカーオプションで装備できたようだ。

「8代目カローラ」が登場したのは 1995(平成7)年5月。私も愛車としていた「7代目」は歴代のカローラの中で最も高品質だったと言われていたが、バブルが弾けたのちに開発された「8代目」は一転してコストダウンを図ったと思わせるスタイルになった。カタログはそのとき発行されたA4ワイド判全38ページのもの。先代までボディ同色だった前後バンパーが無塗装の樹脂製の太いラインが入ったものになるし、フロントグリルも小さくなるし、テールライトも貧弱になったエクステリアになってしまった。メーカーでは、より経済的なクルマに、ファミリーカーとしての品質を実感でき、安全性や環境保護、リサイクルといった時代の要請に応えたとアピールしていたが、興ざめしたものだ。
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『SE−Saloon』こそフルファブリックシートで豪華そうだが、ドアトリムもダッシュパネルも一体成形でなくなった。7代目のスタイリングは “ミニ セルシオ” と言ってもいいほど流麗な面で構成されていたが、ここまで変化するものかと驚きだった。
売れ筋の1500ccエンジンは、先代と同じ直列4気筒 DOHC 16バルブ EFIの『5A-FE』型だったが、最高出力は105馬力から100馬力に、逆に最大トルクは 13.8kgm から 14.4kgmになり、低燃費とトルク重視をめざしたようだ。
バンパーの無塗装はリサイクルを考慮したものであり、上下2分割にしたのも傷つきやすい上部だけ交換できるようにしたためらしい。だが、マイナーチェンジではコスト優先の設計を見直し、ボディ同色バンパーなど内外装の改良と質感の向上が図られたようだ。


【7代目レビン】
「8代目カローラ」の登場に併せて、翌月には「カローラレビン」もフルモデルチェンジして7代目となった。写真は、カローラと同じ 1995(平成7)年5月に発行されたA4ワイド判横長の全16ページの簡易カタログだ。
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先代よりスタイリングが後退した、と感じさせられたのは7代目「カローラレビン」も同じだ。フロントビューはグリルが小さくなり、ヘッドライトとの一体感がなくなった。先代のバンパーはタイヤハウスまで途切れることなく一体式だったのだが、7代目はウインカー下で分割されてボディに繋がれ、しょぼくなった。リアも工夫のない形のテールランプの間にガーニッシュはなくなり、バンパーもウインカーの下で分割されてしまった。補修のしやすさだとか、リサイクルのしやすさが考慮されてのデザインだったようだ。先代の上質感のある曲面スタイルが良かっただけに、やや直線的になったのが残念だった。

先代のグレードは『GT APEX』『GT−Z』『GT』『SJ』『S』というふうに、従来からの感覚で、高性能ぶりの序列がわかるようなものだったのだが、7代目は『BZ−G』『BZ−V』『XZ』『FZ』とよくわからないものになった。諸元表を見ると、『BZ』が1600cc DOHC 20バルブ(165馬力)、『X』が1600cc DOHC 16バルブ(115馬力)、『F』が1500cc DOHC 16バルブ(100馬力)。先代の『GT APEX』に世界で初めて標準装備された “スーパーストラットサスペンション” は『BZ−G』に引き継がれたが、『GT−Z』に設定されていた “スーパーチャージャー装着車(170馬力)” はなくなっていた。

トヨタのハイソカー「マークII 」が 1992年10月に7代目となったのに対し、ライバルの日産では3か月遅れの翌年 1993(平成5)年1月に「7代目ローレル」が登場した。「ローレル」を取り上げるのは “初代” 以来だ。
先代からのキープコンセプトだったので、違いがわかりにくいスタイリングだったが、先代が5ナンバーのピラーレス4ドアハードトップだったのに対し、7代目は全幅が 1.7m超となり、3ナンバーのピラード4ドアハードトップに変更された。全長は 20mm長くなっただけだったが、ホイールベースは 50mm伸ばされてゆとりある室内が確保されたものの、オーバーハング(F:25mm/R:5mm)が縮められたせいか、スタイリングにおける前後のバランスの悪さが感じられた。

【 メダリスト/クラブS 】
登場から1年(翌年1月に)マイチェンされて中期型に、同年9月のマイチェンで後期型になった。カタログはさらに一部改良された 1996(平成8)年5月に発行されたA4ワイド判全40ページの「7代目ローレル」だ。高級・個性をテーマに美しくデザインされた大人のエレガンス『メダリスト』と、精悍・躍動をキーワードにフォルムと運動性能を磨いた『クラブS』の、2つのキャラクターで新しい高級車の姿を表現したとアピールしている。今回の一部改良では、全車にデュアルエアバッグが標準装備され、安全性が向上した。
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全車に直列6気筒が搭載され、DOHC の2500ccにはターボ(235馬力)とノンターボ(190馬力)、OHC の2000ccはノンターボ(125馬力)が設定されていたが、ミッションはすべてフルレンジ電子制御4速ATのみだった。『メダリスト』と『クラブS』のパワートレインは共通で後輪駆動、唯一『メダリスト』の 2500ccノンターボ車には4輪駆動(ATTESA)が設定されていた。両モデルの違いはといえば装備の差であり、外観上で区別できるのは、グリルが縦縞か格子かの違いのほか、ボンネット上にマスコットがあるのが『メダリスト』で、リアスポイラーがあるのが『クラブS』だ。

優雅さが感じられるブラウンのラッセル生地の『メダリスト』、大人の雰囲気が感じられるグレーのベロア生地の『クラブS』のインテリアは、いずれも端正なダッシュパネルと相まって高級車感が感じられる。だがエクステリアは、ノーズが短くなってトランクが長く見えることから、スタイリングに前後のアンバランスが感じられて、高級車感が失われている。購買欲を高める要因にスタイリングは欠かせないのだが、ローレルが衰退していった一因はそこにあったのではないだろうか。


【 セレンシア 】
1996(平成8)年5月の一部改良の際に追加されたのが、特別仕様車『セレンシア』シリーズだった。特別仕様車と言っても、A4ワイド判全20ページのしっかりしたカタログが発行されていた。
外観上で『メダリスト/クラブS』と区別できるのは、『セレンシア』には“水平基調” の専用グリルが装着されている点だ。
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『メダリスト』の廉価版モデルと思われるが、エンジンは2500ccと2000cc。2500ccに4WDはあるがターボはない。グレード名は『メダリスト・セレンシア』と『セレンシア』があり、当時の価格表を見ると、メダリストシリーズの「2500cc メダリスト」が 2,548千円、「2000cc メダリスト」が2,288千円なのに対して、セレンシアシリーズの「2500cc メダリスト・セレンシア」が 2,498千円、「2000cc メダリスト・セレンシア」が 2,199千円 、「2000cc セレンシア」が 1,968千円と差額は少ない。主要装備一覧を比較しても、シートのラッセル生地がベロア生地に落とされている以外よくわからなかった。当時の購入者はどんなところを判断材料にして車種を選定したのだろう。

スズキから軽トールワゴンとして「初代ワゴンR」が登場してから2年後、1995(平成7)年8月に今度はダイハツから同じジャンルの「初代ムーブ」がデビューした。写真は、その発売時に発行されたA4判全24ページのカタログだ。

両車の特徴的な違いは、「ワゴンR」のドアが左2枚、右1枚+後ろ1枚(はね上げ式)の4ドアだったのが、「ムーブ」では左右とも2枚+後ろ1枚(横開き式)の5ドアだったという点だ。『どの席の人も平等に大切にするため、4人それぞれに専用ドアを設けました』とはうまいキャッチだ。「ワゴンR」に5ドアが登場したのは翌年だった。
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全長、全幅、ホイールベース、トレッドなど、いずれも1年前に新型となっていた「4代目ミラ」と同じだったが、全高だけはミラの 1,440mmより 180mm高くされて 1,620mmに、さらに大型エアロルーフレール装着車だと 255mmも高い 1,695mmもあった。そのため室内スペースにゆとりが生まれ、多彩なシートアレンジがウリとなった。「ミラ」にはないリアシートのリクライニングや 15cmものシートスライドが可能となり、リアシートを前起こしすると広くフラットなラゲッジスペースも確保。さらに全てのシートバックを倒し、フルフラットにしてベッドルームにもできた。

エンジンは、「ワゴンR」が直列3気筒 OHC 12バルブ 660cc(55馬力)だったのに対し、「ムーブ」は新開発の直列3気筒 DOHC 12バルブ 660cc(EFI 仕様 55馬力/キャブ仕様 52馬力)で、最上位モデルの『 SR ターボ 』には直列4気筒 DOHC 16バルブ EFI ターボ 660cc(64馬力)という高性能モデルもラインナップされていた。また標準エンジンだが4WDも設定されており、3速ATのフルタイムと5速MTのパートタイムが選べた。

このように「初代ムーブ」は「4代目ミラ」をベースにしたようで、ダッシュボードもステアリングも全く同じデザインだ。上質になった「4代目ミラ」だったが、思うように売上げを伸ばせなかったのは、「ムーブ」が誕生したせいだと言われているようだ。


【 アクセサリーカタログ 】
新発売時の 1995(平成7)年8月に車両カタログとともに発行された「アクセサリーカタログ」はA4判全22ページもあった。派手な表紙には “MOVE”という文字がさまざまにレイアウトされており、とても「アクセサリーカタログ」には見えない。アクセサリーは140種類以上も掲載されており、なかには「ミラ」と共通のものが多いが、エクステリアでは「ムーブ」専用パーツも多く登場している。
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4代目「ダイハツ・ミラ」がデビューしたのは 1994(平成6)年9月。カタログは発売開始時に発行されたもので、A4ワイド判全28ページの表紙を開くと『ALL  NEW  ミラ 誕生』とある。
ボディタイプは3ドアと5ドアの2種類で、先代の2ボックススタイルのキープコンセプトながら、直線基調のエッジ部分に丸みを持たせて、上質さをアップさせているようだが、新モデルにしては新鮮味が薄かったように思う。
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この4代目で特徴的なのは、これまでの水冷3気筒 SOHC 660cc エンジンに加えて、新開発の水冷4気筒 DOHC 660cc(58馬力)エンジンがラインナップされたことだった。グレード名がやや紛らわしいが、『T』が付くのは3ドア、『C』が付くのは5ドアで、いずれにも3気筒シリーズ(X→L→S→G)と4気筒シリーズ(R→V)が設定されていたが、外観上ではほとんど区別がつかない感じだ。ただ、4気筒最上位の『TR』は、大型カラードエアロバンパー(前後)、サイドストーンガード、ルーフエンドスポイラー、ベルトラインスポイラー、リアワイパー、13インチアルミホイール、ルーフアンテナなど専用パーツを装備して精悍なスタイリングだったし、インテリアもスポーツタイプハンドル、フロントバケットシート、室内フルトリムなどがスポーツ度をアップさせていた。

なんと、3気筒の5ドアセダン『CL』に “ターボ搭載車” が設定されていたことを、今回初めて知った。10枚目の写真にあるようにごく普通の5ドアミラなのに、4代目で最後のモデルとなった「ミラ・ターボ TR−XX  アバンツァートR(64馬力)」と同じように、ボンネットにエアインテークがあるのが何かしら滑稽に見えた。

全ページにわたって、ミラの背景や解説ページに、斬新なカラーリングのユニークなイラストがあしらわれているが、これは当時挿絵画家として活躍していた “百田まどか” さんの作品らしい。


【 アクセサリーカタログ 】
4代目の登場に合わせて「ニューミラ・オリジナルアクセサリー」というA4判のカタログも発行されている。先代のアクセサリーカタログよりもページが増えて、全26ページもあるが、紙質はコート紙ではなく、薄黄色のザラっとした用紙だ。
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内外装にわたってたくさんのアクセサリーが掲載されている。インテリアにおいては、ダッシュボードのウッドパネルやカーボンパネル、フロントシートのセンターアームレスト、各種シートカバーやカーペットマット、アルミペダルセット、フロアイルミネーション、パワーウインドウセット、空気清浄器、オートエアコンセット、リモコンエンジンスターター、シートヒーターなどさまざま、当時から豊富なアクセサリーが用意されていたようだ。足まわりでは、ショックアブソーバー、コイルスプリング、強化クラッチ、ブレーキパッド、センタービスカスカップリング、リアLSDなどのラリーパーツまであった。

アクセサリーカタログも、ミラを所有する家族7名がイラストで描かれているが、こちらは誰の作品かは不明だ。 

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