
今回はなんと“めあ投げ”のめあさんにインタビューさせていただきましたよ!
インタビューするにあたって、「100個でもいくらでもよいです。質より量で大丈夫です」
と、メッセージを頂いており、自分が聞きたかったことをバシバシ聞いていきました!
めあ投げ発見の話や、チェック(中盤)、BO史などなど盛りだくさん!
学びになる部分が多すぎるのでじっくりと読んでいただければ!
ではでは、懐かしみながら楽しんでいってくださーい!
■BOを始めたきっかけなど
・いつBOを初めましたか?
2003年の秋くらいだと思います。
・きっかけは?
ネットで知ったと思いますが、よく覚えていません。
・最初はどんなプレイスタイルでしたか?
十字路に爆弾を置いて包囲していたような気がします。
・キーボードとゲームパッド、どちらでプレイされていましたか?
ゲームパッド派でした。
■プレイヤーの思い出
・よく対戦していたプレイヤー
誰とでも対戦するようにしていたので、特定のプレイヤーというのはなかったですが、
トータルでは、かくーんだと思います。
・かくーんさんについて
かくーんは、基本的にはリスクを追うタイプで一貫していた人で、
このゲームで最もぴよらされた人でもあると思います(私とdocoさんに)。
時代とともに進化している人で、最終的にはトップクラスの生存力を持っていたと思います。 人間的にも面白い人で、なかなか周りにはない話を一杯持っていた。
BO以外のことも色々と教えてくれました。
・21nasiさんについて
兄貴肌の人で、本当に弱い時期からよく相手をしてくれました。
相手をしっかり見て包囲を決めるのが上手いプレイヤーで、
リスクを取っていないのに倒した数が多かった。
ばら撒き全盛期の時代には、一歩先を行っていた。
どうしてリスクを取っていないのに、誰よりも相手を倒せるのだろう?という疑問を持つことができました。
本当の攻撃とは何かを考えるきっかけになったプレイヤーです。・爆弾処理秘書さんについて
2004年のはじめだと思いますが、
「BOは結局、攻撃と守備のどちらが強いのか」という議論をしたのを覚えています。
私は攻撃、秘書さんは守備だと主張して、話をしていても埒が明かないので、小一時間対戦しました。 結局、私は秘書さんを崩せず、自滅しただけになったのを覚えています。
その後も、攻撃と守備のバランスについて、考えるきっかけになったプレイヤーです。
・docoさんについて
docoさんのプレイスタイルは華やかでした。
動画を何度も再生しましたし、特徴的なスタイルも真似をしました。
また、docoさんとは、示し合わせるわけでもなく、朝2時に起きて毎日戦っている時期がありました。
その後の飛び道具主体の戦い方にも影響を与えていると思います。
・めあさんが撮影されたGさんと味噌茶漬け氏の動画がありますが、いつ頃の動画でしょうか?味噌茶漬け氏はもろきゅぅ氏?
その動画が何かわかりません。
私はもろきゅぅさんとは面識はありません。 ・legeG=legendaryG=DATAEAST Gさんについて
すべての時代の総合力なら、Gさんが強いのではないかと思います。
特に5人部屋の生存率が抜きん出ていた。タイマンも堅かったし、相手を倒す力もあったと思います。
たまに生き残っても、ドローになってしまうので、リスクを取って自滅するプレイヤーも多かった。
中盤の新しいスタイルを考えるきっかけになったプレイヤーです。
・sesiriさんについて
βテストでは、堅い印象でしたが、ハドキン初期では、安定したばら撒きが強かった。
相手より一歩先に行って、決め手に蹴りをギリギリで繋げるのが上手かった。
宮本武蔵の五輪書を読んで強くなったと言っていたが、これについてはよくわからなかった。
・LIGHTさんについて
あまり対戦した機会はなかったけど、動画は結構見ました。
生存力があるのが特徴で、あの時代では抜きん出てバランスがよかった。 当時は撒きでは二重包囲の手筋が珍しいころだったけど、二重包囲を使いこなしていたと思います。
また、動画の中で、二重包囲をパンチでかいくぐったシーンがあったのだけれど、
この動きは当時では見たことがない動きで、格好良くてすぐに真似をした記憶があります。
・雷帝さんについて
ハドキン初期はとにかく強かった。
それまでのばら撒きは、相手を見ていないばら撒きが多かったが、らいさんは相手をしっかり見ていた。
もろきゅぅ、yuritora、LIGHTの動画も何度も見て、sesiriなどと対戦しながらあのスタイルに行き着いたと思うが、
接近戦が上手く、位置取りがしっかりしていて生存力が高かった。
ハドキン中期からは、チャットでは顔文字しか打てなくなってしまった。
・ちちさん
あんまり対戦した機会はなかったけど、撒きをしながら飛び道具で位置を削ってくるタイプの新しい動きをしていたプレイヤーです。
大会で優勝していたと思うけど、実力通りの結果だと思った。
もう少し対戦してみたかったプレイヤーの一人です。
・下水処理総帥さんについて
バック転ができるらしいすごい人。
2004年頃によくタイマンをした。
新しいことを考えてお互いに試しあって、切磋琢磨した記憶があります。
・ぺちょさんについて
BO攻略本のサイトを作ったり、膨らみ把握を開拓したので、BOへの貢献度は高いと思います。
私も膨らみ把握ができた当初はしょっちゅうやられて悔しかった記憶があります。
・ちやげさんについて
火力把握をスタイルとして確立した人です。
彼独自のスタイルで、格好良い動きをしていました。
非常にやりにくかった記憶があります。
・ダイジョーブさんについて
連続で溜め蹴りを打ち続ける新たな中盤を確立したプレイヤーで、華やかだった。
タイマンのスタイルは、圧力をかけるタイプで、結構似ていたと思う。
・その他のプレイヤー
BO麻雀の人たちは、人間的にも良い人たちの集まりだったと思います。
なんか理知的な感じだった。
爆弾の館の人たちも、明るい人が多かった。
誰でもウェルカムな雰囲気があって、楽しいコミュニティでした。 あと、bombershinさん、そめさん、waoさん、Revinさん、OZYOZOさんのサイトは印象に残っている。
良いサイトはBOへの貢献度が高かったと思います。
■プレイスタイルについて
・めあさんのスタイル
プレイスタイルは本来、攻めや守りで区別することが多いです。
ですが、それでは不十分と考えます。
判断する人によるでしょうし、時代にもよります。
基本的に、私は自分は死なず、相手を倒すことを心掛けていました。
決め手としては、攻めてくる相手には前を取り、引く相手には飛び道具で時間差包囲が多かったです。
色々なスタイルをやりましたが、位置取りを重視して、中央をキープし、相手の進路を妨害しつつ、飛び道具で相手の選択肢を削る時期が長かったです。
私は優位を築くために、相手の動きに制約をかけることを重視していました。
相手からみれば、圧力を感じるようにしました。
横投げ、パンチ、撒きなどはすべてそのためのものです。
当てることはさほど狙っていません。打つだけで一定の成功と考えていました。
優位不利の基準を、制約条件という物差しを持つことで、ゲームを単純化していたのです。
・めあさんのスタイル2
中央を維持し、飛び道具を中心に相手の選択肢を削るスタイルの時期が長かった。 併せて、爆弾を身体を使って進路を削っていた。
当時は、動ける選択肢の数を判断基準として、単純化して考えていた。
時が立つほど、爆弾量は多くなり、接近戦も苦にしなくなっていったと思います。
・めあさんが言われていた「生存猛攻」について
よく覚えていません。
・めあさんがばら撒きをする理由
私がばら撒きをするのは、その方が勝てたからです。
単なる帰納法的な、経験則です。
でも、それだけでは面白くないので、撒きがなぜよいのかについて私の仮説を述べます。
① 自分が設置した爆弾の方が把握しやすいから
② 相手に対応して動く+爆弾を置くと、撒くことになるから
③ 十字路に爆弾を置くと相手に動かされやすいから
④ 次の対応を取りやすいから
⑤ 攻撃の選択肢が増えるから
などがあると考えています。
例えば、単純に考えれば、起点となる画面上の爆弾は自分の爆弾が多い方が良いといえるでしょう。
動かなければ相手が優位なポジションができてしまいますし、爆弾を置かなければ相手が突進してくるでしょう。
十字路に置いてしまうと起点を逆用される可能性が高まります。
爆弾を置いた瞬間には、パンチ、投げ、蹴りといった飛び道具の選択肢も増えます。
また、撒いていなければ、自分より弱い相手にもドローになってしまう可能性が上がるでしょう。
だから、私はばら撒きをしていたんだと思います。当時は言語化できていませんでしたけれど。
・かくーんさんが「BMOでめあくんに何十回もパンチを当てられた」と話されていましたが、
当て方の理論やコツなどありましたら教えてください
BOで、2004年のことだったと思う。このときは、面白いようにパンチが当たった。 当時は中央を維持する位置取りスタイルは存在してなかったし、
パンチ主体のスタイルも存在していなかったので、かなりの優位性があったのは確かです。
・もしいま、めあさんがボンバーマンを再開するとしたら、どのようにアプローチしていきますか?
タイマンは大体わかったので、中盤の理論をもう少し深めてみたい。
・理想のプレイについて
最終的な私のプレイスタイルが、私の中では最も攻撃的であり、理想のプレイスタイルでした。
最も、その動画は残っていませんが。
その頃は、BOの本質について、生存が最重要で、実力差を出すために攻めるというような考え方を持っていました。
その発想をさらに推し進めると、有利な時は攻めるべきであり、そうでなければドローで構わないということになりました。
そこで私は、相手のアイテムをカウントしたり、相手の動きを試すことにしました。
そして、相手のアイテム状況を把握し、その上で有利と判断した場合には、徹底的に攻めることにしました。
攻めるときは、ばら撒きに近いですが、かなり特攻に近い攻め方をしていました。
爆弾量は相手より多くし、投げを多用して積極的に相手に突進していくことで、勝ちを取りに行っていました。
また、状況が不利と判断した場合には、相手の制約を増やし、位置を維持して、ドローを視野に入れつつも、位置に対してアグレッシブに戦っていました。
この頃は、中盤の生存力を維持するチェックというダサい概念も自分の中で体得できており、高い勝率を維持することができました。
野良の4人部屋では7割程度の勝率(セット取得ではなく)を維持していましたが、
最後は謎の中盤力を持った2ndに、勝率を削られました。
かくーんでした。
4人部屋で彼がいて、7割は無理。
・スタイル分類法について
攻撃型と守備型という分類は、相手が自身をどう捉えているか、という意味で役に立つので使っていた。
でも、21nasiさんやlegeGさんは、
2003年頃、攻撃型なはずのばら撒き型よりも相手を倒していたので、
攻撃型が実際には攻撃をしていない場合があり、守備型の方が効果的な攻撃をしている場合があるというのは、早い段階で気付いていたので、
自分自身を分類することはあえてしなかった。
・位置取りについて
なぜ位置取りが重要か、あんまり解説を見たことがないので、解説してみよう。
タイマンにおいて相手を詰ませて勝つには、L字型の包囲をしたうえで、安全地帯に行く必要がある。
でも、相手も同じことを考えているので、
相手より相対的に角にいるときに無理にやろうとすると、
相手に前に行かれて二重包囲などを食らってやられてしまうことが多い。
一方、相手より前にいたり中央にいる方は、包囲した後にもスペースがあり、逃げ込めることが多い。 要するに、L字包囲で詰ましたり、それに近い包囲できるのは、一方のプレイヤーにしか権利がないと考えることができるわけだけど、
その権利をどちらが持っているのかを決めるのが、位置取りとなる。
ばら撒きをしても位置が悪ければ、相手に決定打を与えることはできない。
逆にL字包囲を食らってしまうことすらある。
そういうわけで、当時ばら撒きの全盛期にあっては、21nasiさんは攻めていないようでも攻めており、効果的な攻撃ができていた、ということだと思う。
・「チェック」という概念を提唱されていました “中盤を言語化する”という試みに当時驚いたのですが、どのような経緯でチェックの発想が生まれたのか教えてください。
legeGさんが何であれほどの中盤力を持っているのかを考えて、色々と検証していたら思いついた。
当時は、遠目で見るとか、ぼやかして見るとか、そういう理論が提唱されていたので、私も色々とやってみたが、無意味だと思った。 単純な話だけど、速読の人は情報量が多い。
そしてその目の動きは、車に乗っているときに結構やっている。 速読ほど文章を理解するほど複雑なことをしているわけではないので、やろうと思えばやれると思った。
実際にやってみたら、中盤の生存力が飛躍的に向上した。
※チェック についてはBO攻略本にて解説があります。
・中盤が上手いプレイヤーについて
legeGは5人戦の生存力が抜群。
sesiriやらいさんも安定していて上手だったと思います。
・中盤論
中盤を制すものはBOを制す。と思います。
タイマンも有利になります。
・序盤論
きっと館の人たちが知っていると思います。
より序盤がシビアな5人部屋の経験が多かったはずなので。
■「めあ投げ」について
・めあ投げを発見したときのこと
たぶん2004年だと思います。
docoさんの特徴あるプレーを取り込むために、飛び道具の練習をしていた時期があり、
その練習中にたまたま発見しました。
・めあ投げ発見はBO史にどのような影響を与えたか
中央からの攻撃の選択肢が増えました。
・めあ投げはどのようにして広まったか
時間とともに、対戦や動画を通して広まったと思います。
・めあさんから見て、誰が一番上手く使いこなしていたか?
ハドキン末期には完全に普及していましたので、みなさんが上手に使いこなしていたと思います。
でも、プレイスタイルの都合上、利用頻度は私が一番多かったかもしれません。
・めあ投げの解説をいただけると有難いです。
私は自分で「めあ投げ」と表現したことはありません。
周りの人には、「蹴り投げではなく、投げ蹴りだよ」と表現して教えていました。
蹴ってから投げると硬直するけど、投げの1歩で蹴ると硬直が省略できるということです。
■大会
・大会について意識していること
大会で勝つというよりは、実力の向上が関心事だったので、
大会だからといって特別なことをすることはなかったです。
・第一回千代大会で優勝されてますが、決勝戦の爆弾処理秘書さんとの対戦はどのような意識で臨まれましたか?
この頃の秘書さんは、ピークを過ぎていて以前よりミスが多かったのを知っていたので、
堅く行って、慣れてきたら攻めようとしていたのですが、いつもと秘書さんのスタイルが違ったこともあると思うのですが、慣れる前に終わってしまいました。
・最後のタイマン企画 vs.プロさんについて
そめさんからは当日に声がかかり、動画を撮影するからタイマンをしようという話になりました。
いつも通りプレーしたと思います。
■上達関連
・「BOが上手くなればなるほど(つまり相手の動きに対応するのが細かくなればなるほど)ラグの影響が大きくなるのは事実だし」
ということをBBBにて書かれていましたが、“対応が細かくなる”とはどのようなことでしょうか?
状況判断が正確になれば、その状況に応じた対処も緻密になっていくと思います。
どんな相手でも、どんな状況でも、同じようにばら撒きをしていたら、負けてしまうでしょう。
状況の変化には、それに適した方針があり、細かく対応していく必要がある。
臨機応変ということです。
・一番見たBOの動画
もろきゅぅ、yuritora、doco、legeG、BO麻雀、自分などをよく見ました。
でも、基本的に、強い人の動画があれば、何でも見ました。
・上達へのアドバイス
私なりのBOのコツは、BO攻略本におおよそ書いてあります。
私自身は、強い人の動画を見て、仮説を立てて、強い人と戦って確認する、その繰り返しでした。
・上達のコツ
私自身にとってのボンバーマンの上達の定義は、ボンバーマンのコツを人に説明できるようになることでした。
強いプレイヤーの特徴や手筋、指針など、気付いたことをワードパッドに記録していました。
色々なプレイヤーと対戦し、理論と技術を積み上げていけば、上達すると思います。
・負け試合、めあさんならどのように改善していくか
自分の失敗を考える。
・勝ち試合はどのように活かすか
自分の成長を確認する。
■その他
・BOを通して学べたこと
ゲーム的な課題への上達のプロセスを学べた。
受験勉強をする時間はなくなったけど、勉強時間を短くする能力は身に付いた。
あと、今思えば、色々な人に出会えてよかった。楽しい日々だったと思います。
■BO史
・めあさん視点のBO史
2002年と2003年はほとんど知りませんが、下記のイメージです。
・2002年
時代⇒爆弾の館、legeGなど安定したプレイヤーが活躍
自分⇒いない
・2003年
時代⇒wao、もろきゅぅなどが爆弾量の多いスタイルを開拓し、ばら撒きが流行
自分⇒Lovesyoさんと電卓機さんの猛攻にぼこられる
・2004年
時代⇒恐竜杯で包囲タイプの21nasiさんが優勝し、年末のラストシーズン杯で位置取りで私が優勝するなど、決め手の技術が開拓される
自分⇒投げ蹴り、位置取り、火力把握などを考案
・2005年
時代⇒LIGHT、RJR、sesiri、ちちなどによる安定したばら撒きスタイルの開拓、膨らみ把握、火力把握などが開拓される
自分⇒新たなスタイルへの対応に注力
・2002年
時代⇒爆弾の館、legeGなど安定したプレイヤーが活躍
自分⇒いない
・2003年
時代⇒wao、もろきゅぅなどが爆弾量の多いスタイルを開拓し、ばら撒きが流行
自分⇒Lovesyoさんと電卓機さんの猛攻にぼこられる
・2004年
時代⇒恐竜杯で包囲タイプの21nasiさんが優勝し、年末のラストシーズン杯で位置取りで私が優勝するなど、決め手の技術が開拓される
自分⇒投げ蹴り、位置取り、火力把握などを考案
・2005年
時代⇒LIGHT、RJR、sesiri、ちちなどによる安定したばら撒きスタイルの開拓、膨らみ把握、火力把握などが開拓される
自分⇒新たなスタイルへの対応に注力