月1回、小学校へ茶道を教えに行っています。
明後日がその日。
師匠のアシスタントとして行っているのですが、
私自身も予習をしなくては何となく落ち着きません。
目標は茶道の点前手順はもちろん、茶の心や精神も伝えること。
口では簡単でも、なかなか難しいものです。
子どもたちが茶道教室に集まると、まず床の軸を拝見してもらいます。
師が書いた「和敬清寂」。
「和」とは、お互いに心を開いて仲良くすること。
「敬」とは、尊敬の敬で、お互いに敬いあうという意味。
「清」とは、目に見えるだけの清らかさではなく、 心の中も清らかであるということ。
「寂」とは、どんなときにも動じない心。
どんなときにも動じない心。
そういえば、現在80代の師匠からこんな話を聞いたことがあります。
師匠がまだ30代だったころのお茶会でのお話。
師匠よりも若いお嬢さんが、大きな茶会でお点前をされていたのですが、
着物のたもとが建水につかってしまい、畳を濡らすほどに。
点前をしながら気づいたお嬢さんは、その時全く動じず、
最後まで点前をやりぬいたとのこと。
それを見ていた当時の宗匠はとても褒めておられたそう。
でも一つ疑問。
そんなに濡れたたもとでお点前されたら、客もハラハラして
全く「おもてなし」にはならないのでは?
その疑問に師匠はこう答えられました。
「緊張感のある点前には、周りの人間に心配されたり、
口出しされたりするような隙はないよ」
確かに。緊張感のある美しい点前は何よりの「おもてなし」かもしれません。
どんなときにも動じない心、「寂」。
はて?
私にも持てる日が来るのでしょうか。
(とてもわかりやすい入門書です)
2011年10月
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