2017年12月22日

摩利と新吾 木原敏江

こんにちは。
お久しぶりです。
前のエントリーから1年半、2017年も残りわずかというところでうっかり出てきましたよ。

ほとんど何十年ぶりかで「摩利と新吾」を一気に再読してしまった。
これが私的に、本年最大の事件ですかね。

トリガーは、今年出た「総特集 木原敏江〜エレガンスの女王」という本を読んだことです。



河出書房新社 2017年10月

かねがね、木原敏江先生は、同世代のいわゆる24年組の中でも過小評価されていると思っていたので、こういった特集本が出て、その長い作家活動が整理され再認識されることは、読者にとっても大変ありがたいことで長生きはするものだと(以下くどいので略)。

とはいえ、「摩利と新吾」は、木原先生の中で私が一番好きな作品というわけではない。
そういえば、「摩利と新吾」の結末ってどんなだっけと思ったのが再読の動機というぐらい、それほど夢中になって読んだという記憶はないのです。

私にとっての木原先生はまず、「エメラルドの海賊」「銀河荘なの」「あーらわが殿」といった週刊マーガレット時代の少女漫画で、それは毎週お小遣いを握りしめて週マの発売日をじりじり待ち焦がれていた子ども時代と、漫画以外の趣味もできた時代との漫画にかける情熱の差だろう。
それか、その後に読んだ「アンジェリク」「夢の碑」のほうを、より愛読していたと思う。

1991年に角川書店から木原敏江全集が刊行されたとき、全集とダブるコミックスは処分してしまっていて、初版で持っていたはずのコミックス版はもう手元にない。
しかもこの全集版で読むのは初めてという(つまり揃えてから20年以上飾っていた)・・・なので、当時の自分がどういう気持ちで読んでいたのかは今となってはよくわからない。

わからないけど、それほど好きではなかった理由は、やっぱり、「これでは摩利がかわいそうではないか」という気持ちだったと思う。

だがしかし、その後成立したBLというジャンルにおいて、「幼ななじみの親友に密かに恋愛感情を抱き続け、打ち明けて嫌われることを恐れてぎくしゃくする関係が、なんだかんだあって二人は結ばれてハッピーエンド」というような作品をおなかいっぱい読んだ今読むと、摩利は全然かわいそうじゃないと思うのだ。

知らない方のためにざっくり説明すると、「摩利と新吾」は明治末期の旧制高校の寮生活を舞台にした青春群像劇で、スタートは学園ものです。
摩利と新吾は父親同士が親友で、赤ん坊のころからの幼ななじみ。いつも二人一緒で「おみきどっくり」と呼ばれている。

余談ですが、神棚のない家で育った私は、「お神酒徳利」というものを当時は見たことがなく、二人の仲の良さを「おみきどっくり」と言う日本語表現を、木原敏江先生で学びました。閑話休題。

摩利は新吾に対して恋愛感情を抱いていて、二人が高校を卒業して欧州留学あたりからは、恋愛か友情かという二人の苦悩が軸になり、物語もだんだん耽美寄りになっていく。

摩利の気持ちを知った新吾は、大好きな親友の摩利のためなら何でもできると思って一度は受け入れる決心をするのだが、やがてどんなに頑張っても自分は異性愛者で、摩利は性愛の対象ではない事実に気が付いてしまう。

これって、なかなかに現実的な話だよね。
どんなに大切な親友でも、性愛につながるかどうかには大きな壁がある。
そこを割と簡単に(というか最終的には)飛び越えるのが、BLというファンタジーなのであるが。

新吾は苦しみながらも、ついに「どんなに努力しても恋人にはなれない」と告げる。
「知ってたよ」と答える摩利。

鷹塔摩利という人は、美形で頭もよく大金持ちの子息で、男女ともに求愛者が山ほどいるスーパーキャラである。だけど、この世で一番好きな新吾の愛だけ得られない。
なんと不憫なやつ・・・と、昔の私は思ったけど、あれから幾星霜、私も摩利たちよりも長く生きて、今はそうとは言えないと思うのだ。

特集本で、木原先生は、思いがけない長期連載になったけど生涯ベストフレンドという結末だけは最初から決めていたと語っていた。

明治時代のことだから男同士の関係には寛容だけど、良家の惣領息子同士、子孫を残すことは義務で、恋が結ばれたからといって具体的にどうやって添い遂げらるというのか。

長い人生、恋愛の成就だけがすべてではない。
摩利の人生も、自分の思いどおりにならないことが一つあったおかげで、より人間らしく生きられたと思う。(夢殿先輩もね)

それに恋人同士にはなれなかったけれど、二人は決別したわけではなく、生涯の親友として死ぬまで心で結ばれていた。
摩利も人生のどこかの時点で、これでよかったのだと納得したと思う。

しかし、「摩利と新吾」は1977年から1984年の連載で、連載開始から実に40年(!)を経ているというのに、今読んでも、読み始めたら止まらないこの面白さはどうしたことだ。

明治時代が舞台だから古さを感じさせないというのもあるけれど、時代ものであっても、作品はその時代の価値観を反映するものだ。
でも、「やっぱ昔の漫画だな〜」と感じさせる部分がほとんどない。

むしろ、昔読んだときより時代考証の正確さや、庶民から両家の子女、芸者に至るまでの着物の描き分け方がすごいとかが理解できるし、また後半、二つの世界大戦と関東大震災の歴史的事実を分かりやすくコンパクトにまとめる手腕は誰にもまねできるものではないと思う。

というより、今の漫画家が明治時代の話を描こうと思っても、こうは描けないだろうと思う。
もちろん、平成生まれの漫画家で江戸時代を緻密に描ける人もいる。
でも、この当時、明治時代は時代劇ではなかったのだ。

これが描かれた40年前は、明治末期の高校生、つまり「摩利と新吾」の世代がまだ多く生存していて「明治は遠くなりにけり」とか言いながら強い影響力を持っていた。
作者の祖父母は明治生まれのはずで、明治という時代は遠いけどまだつながっていた。

だから、登場人物がちゃんと明治の人の価値観で動いている。
例えば、新吾が「体験」のために遊郭に行くとか、摩利が跡継ぎを残すためだけに女中に子どもを産ませるとか、今の感覚では、ちょっとそれってどうなのということもちゃんと描かれている。

武家や貴族、芸人や商人、それぞれの身分の違いによる価値観の違いも明確で、こんなに背骨のしっかりした作品だったんだなと今あらためて思う。

目が大きく主役が花を背負っている木原先生の絵柄は、当時としても古典的で(吉田秋生のような美大卒の漫画家もすでにデビューしていたし)、それでちょっと損をしていたかもしれない。

そしてやはり、この作品がのちのBLに与えた影響は、思っていた以上に大きいと思う。
特に1980年以降、同じ雑誌に山岸凉子の「日出処の天子」(これもまた報われないやつ)が連載されていたことを考えても、数年後にBLというジャンルが生まれるのは必然だった。

「摩利と新吾」は1984年2月、「日出処の天子」の連載は1984年4月に連載が終了、その時点で「LaLa」の購読をやめた私は、その後しばらく漫画をあまり読まなくなった。

なので、ふと気が付いたらBLというものが市場に現れていて非常に驚いたわけだけど、確かに根っこはつながっている。

「摩利と新吾」は今、電子書籍kindleで全巻読めます。



白泉社文庫 1995年

平成ももうすぐ終わろうとする今、明治どころか昭和も遠くなりにける今こそ、久しぶりに読み返して、BLの祖父母を確かめてみるのもよろしいかと思います。

それでは、ハッピークリスマス&よい新年を!



bokaboka3 at 09:56|PermalinkComments(0)コミック 

2016年08月16日

遠回りする恋心 月村奎



新書館ディアプラス文庫 2016年8月

大学生(20)×大学生(20)

2004年からBLを読み始め、はや12年。
(8か月ぶり突然の更新ですが、気にしないでください)

BL全般が好きというよりも、好きなBL作家を追いかけてずっと読んできただけなんだけど、ここにきて、好きな作家さんたちの出力に陰りが出てきている(と感じる)。

たとえどんな筆力があったとして、BLという約束事の多いジャンルで、10年以上書き続けるのは、相当きついことだと思う。
いや、書き続けること自体はできるとしても、新鮮な面白さを常にキープできるかというと・・・

量も質も一定レベルで、このジャンルにおいて大量に書いたという意味で、巨匠・剛しいらが突出していると私は思っているけど、さすがに寄る年波で(?)近年はペースダウン。

他にも、健康上の理由で長期離脱中だったり、非BL方面に進出したり、あるいは、誰とは言わないが、量的には書き続けているが、明らかに質が落ちているベテラン作家・・・。


そんな若干寂しい気がするBL小説界で(あくまで個人の感想です)、最近の月村奎の意外なポテンシャル(失礼)が光っている。

月村さんも、「エンドレス・ゲーム」が1996年だから、20年選手の大ベテラン。

しかも、自分で「金太郎飴作家」と開き直っているように、大体似たような話を書き続けている。

ファンタジーも書く、ヤクザの出てくるアクションものも書く、時代ものもアラブものも書くというわけではなく、ほぼ現代の等身大の舞台でBLを書き続けて20年。

それで一定のクオリティーの作品を書き続けているのは、ちょっとすごいことではないか。
いや、それってすごいよ、と最近思い始めている。

もちろん、似たような話でも面白いのは、こまやかな人間描写が優れているからなんですが。続きを読む

bokaboka3 at 09:55|PermalinkComments(1)月村奎 

2015年12月25日

ぼくらの共犯同盟〜冬斗亜紀×三浦しをんトークセッション

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アドリアンシリーズでアドリアンが経営しているような個人書店は、アメリカではインディペンデント系と呼ばれて、リアル書店が退潮する中でも、一定の影響力を持つらしいです。
アドリアンも、一生懸命イベントを仕掛けたり、読書会を開いたりして頑張ってます。

その一つが毎週火曜の夜に開かれる「共犯同盟」とい名のミステリーファンのミーティング・・・それになぞらえて、シリーズ完結編「瞑き流れ」刊行直後の12月15日火曜日の夜に開催された、冬斗先生と三浦しをん先生のトークセッションに行ってきました。

場所はジュンク堂池袋本店の4階喫茶。
そんなのあったっけ?と少し早めに行ってみたら、分かんないはずだ、4階の奥の小さなスペース。
えっ、ここでやるの?とちょっと動揺。

参加は事前予約、結構早い段階で「満員御礼」になっていましたが、喫茶の営業を終えてテーブルを片付けて椅子をぎっしり並べると・・・7、80人ぐらい入ったのかな。
(予想どおり、自分と似たような人ばかりだった・・・つまりあまり若くない)

とにかくびっしりギュウギュウで、文字通りお二人を至近距離で囲む感じになり、お二人が登壇して自己紹介されたときには、皆さんちょっと緊張した雰囲気でした。

・・・が、しをん先生が、「瞑き流れ」について、「では、みなさんの気持ちを代弁して言います。めっちゃよかった〜」と口火を切ったとたんいきなり、「きゃージェイクってもうー」「アドリアンったら〜」みたいな、オタ友同士の萌え語りテンションになり、熱い語りであっという間の90分でした。

しをん先生は、テレビや雑誌でお顔は知っていましたが、そのまま客席に座っても違和感ない一見普通の人、冬斗先生は、作家か翻訳家じゃなかったら、大学院生か教員か、年齢は存じませんが、恐らく実年齢よりかなり若く見えるタイプではないかと。

はじめにアドリアンシリーズについて、それから冬斗先生作成の素晴らしい資料に沿って、M/M小説の成り立ちと現状についてのお話がありました。

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bokaboka3 at 17:18|PermalinkComments(4)M/M小説 

2015年12月21日

瞑き流れ ジョシュ・ラニヨン/冬斗亜紀訳



モノクロームロマンス文庫2015年12月

【ネタバレ注意】

今年2月に「海賊王の死」をエントリーして、気が付けば12月、結局、原書を読むヒマもなく完結編が出てしまった。
ドンマイ。まだ年は越していない。

アドリアン・イングリッシュ・シリーズ5冊目にして、完結編は文庫で1000円越え、500ページ越えの大作なのだが、読み終わってしまうのが惜しいぐらいの充実した面白さだった。

始まりは、前作のラストから3週間しかたっていない。
ポール・ケインの船で肩を撃たれ、心臓の手術をしてから3週間、アドリアンはようやく自宅兼店舗に戻ってきている。

あやうく死にかけ、開胸手術からたった3週間で退院。
さすがアメリカ。
と思ったけど、日常生活にはいろいろ厳しい制約が付いていて、週に3回リハビリに通院している。
アドリアンの気力・体力も全く回復していない。

ジェイクとの関係は、読者視点からは既に「相思相愛」にしか見えないのだが、病み上がりのアドリアンはすっかり臆病になり、以前とすっかりキャラ豹変、人目も気にせずアドリアンを優しく見つめ、手を貸してくれるジェイクに対して、「何でだよ!?」とときめいているくせに、「いや、きっと気のせいだ」とか思って、ジェイクの気持ちを振り回す。

ここでシリーズの復習です。
 崚兄箸留董廖.▲疋螢▲鵑療垢覇いていた高校時代の同級生が殺される。
◆峪犲圓林颪」 休暇で祖母の牧場にやってきたアドリアンが死体に遭遇。
「悪魔の聖餐」 アドリアンの店の店員がカルト殺人事件に関係する。
ぁ岾ぢ渦Δ了燹廖.僉璽謄ーでアドリアンの目の前に座っていた映画プロデューサーが毒殺される。

そして、今回は拡張工事中の店の床から白骨化した死体が発見される&何者かが店に侵入しようとする事件が、回復途上のアドリアンを見舞う。

アドリアンが心血を注いでいるクローク&ダガー書店は、古書から新刊まで扱うミステリー専門書店で、1930年代にホテルとして建てられたというクラシックなその建物は、不動産屋から50年前にここで殺人事件があったという話を聞いてこの物件を買うことに決めたと、1冊目の最初のほうに書かれている。

思うに、この書店にはアドリアンの、そして作者の、本好きの愛と理想が込められている。
完結編は、その書店を舞台にして大団円に向かう。


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bokaboka3 at 09:58|PermalinkComments(4)M/M小説 

2015年02月20日

海賊王の死 ジョシュ・ラニヨン/冬斗亜紀訳



モノクローム・ロマンス文庫 2015年2月

アドリアン・イングリッシュシリーズの4冊目。

※閲覧注意。盛大にネタバレしてます。

アドリアンイングリッシュシリーズの4冊目。

ちょうど発売日から札幌に行くことになってしまい、前日に神保町でゲット。
機上で読み始めたら、舞台の一つになっているハリウッドのフォルモサカフェが、たまたまJALの機内誌で紹介されていた。アドリアンが注文するワンタンの皮入りサラダみたいな料理も紹介されてたわ。

結婚したジェイクと別れて2年、アドリアンは前回の事件で知り合ったUCLAのガイ・スノーデン教授と付き合っている。
かなり年上のガイは、スマートで気配りのできる大人のゲイで、肺炎で入院していたアドリアンをかいがいしくケアし、熱心にプロポーズしている。

もうガイでいいじゃん。
本人もそうは思っているんだけど、なぜか踏み出せない。
それはジェイクのことが忘れられないからなんだけど、悲しいことに本人にはその自覚がない。

アドリアンはまたまた殺人事件に遭遇、その現場で出世して副署長になったジェイクと再会する。
止まっていた時間が動き出し、2年前に結婚すると告げたジェイクの話の続きは、
「結婚するけど、おまえとは友達でいたい」ということだったということが判明。

おいおい。

しかも、付き合っているとき、婚約者のほかに、5年続いている男の恋人がいたことも発覚。
(ただし、これは自称恋人の自己申告で、実態は不明なのだが、アドリアンは深く傷つく)

そして、理想の恋人と思えたガイも、因縁のある元教え子との関係を復活させたりして、怪しい雰囲気になっていく。そもそもガイは複数との関係を肯定する考えのゲイだったのである。

さらに肺炎のせいでアドリアンの心臓病が悪化し、手術を迫られる。

全25章のうち23章まで、アドリアンはこれでもかというほど追いつめられる。
このアドリアンの病弱さと、不幸体質が私のツボなんですな。

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bokaboka3 at 09:44|PermalinkComments(6)M/M小説