twitterでも書いたけど。
「どうしてベトナム語を?」
 と聞かれると、正直なところ答えに困る。たまたま同僚にベトナム人がいて、なんとなく覚えてみようと思ったから……以上の答えはない。いや、如いていうならベトナム語は情報密度が高い言語であるという知識があったから、ちょっと興味を持ってクオック・グーについて調べていた前提はあったりするけれど。しかし主体的に学ぼうと思った理由は……やっぱり、なんとなく、でしかない。
 ベトナムに旅行したいか? いや、そういうことじゃない。第一、僕は同僚を頼ってベトナム語を学習したわけだけど、ベトナム語を口に出したことは一切ない。話したくて学んだわけじゃない。

 今ちょっと内省してみたけど「なんとなく覚えてみようかな」と思った根底には、言語に対する好奇心があるのかもしれない。僕は英語すら満足に話せない「読む専」だけど、高校の授業で英語の構文解析をするのは好きだった。「ここが述部だから関係節に掛かって目的語になる……つまりSVOOの第四文型」と推定するのはなかなか面白かった。

 とにかくまあ、その程度の好奇心からベトナム語の学習を始めたのが4日前だ。
 で、今日になって、ま、日常会話程度なら辞書引きながら読み書きできるんじゃないか? というレベルには達した。少なくとも自己紹介はできる。
Tôi là boktst.
 基本中の基本。英語で言うbe動詞を使った文章で「私はboktstです」の意味。
Tôi là boktst đang sống ở Nhật Bản. 
 ちょっとした応用。英語で表現するなら「I am boktst who live in Japan.」の関係代名詞節。ベトナム語では関係代名詞を表現する際に英語での「which」や「that」にあたる特別な単語を挟む必要がないらしい。
 また英語では「I live in japan.」で「私は日本に住んでいます」という表現になる。「住んでいる」からといって「I am living in Japan.」のような現在進行形にする必要がない。しかし僕が学んだところベトナム語では「住んでいる」という状態を表すのにも現在進行形と言うべき形にしなければならないらしい。よって「sống ở / 住む」ではなく「đang sống ở / 住んでいる」と書くようだ。
 ……まあ、片言の日本語で説明を受けたから、本当は違うのかもしれないけれど。
Tôi đã là sinh viên.
 進行形を学んだら気になってくるのは過去形。英語において過去形は動詞の活用によって表現するけれど、ベトナム語では助動詞的に、つまり進行形を現すđangのように、đãをつけることで過去形とする。動詞の活用を覚える必要がないというのは非常に気楽なものだ。

 過去形を学んだら当然次は完了形と行きたいところだけど、片言の日本語を話すベトナム人に現在完了形の概念を伝えるのは無理だった。なので完了相は学んでいない。けど完了相なんてのは最悪、「I live in Japan. Since I was born. ...other country? No」みたいに書いてしまえば何となく伝わる。……英語は適当なので間違ってるかもしれないが、ニュアンスでわかれ。
Ngày mai, tôi sẽ làm việc.
 なので未来形。未来形も英語のwillと同様にsẽを動詞の頭に付ける。
 むしろここで注目したいのは「làm việc」の方で、これは「仕事する、働く」という動詞になるのだけど。英語ならworkの1音節で済むのに、ベトナム語ではlàm việcと2音節必要になる。色々な種類の動詞で文章を作っては添削してもらったのだけど、ベトナム語には2音節1単語の動詞が多いようだ。ここらへんは英語の感覚だと戸惑うかもしれない。いちおう単語的には「làm / する」で英語のdoに対応、「việc / 仕事」で名詞のworkに対応し、結果として「làm việc / 働く」ということらしいが。
 一応日本語に訳すと「明日、私は仕事します」
Bạn có hút thuốc không?
 お次は疑問文。これは「Do you smoke?」に相当。
 これはベトナム語の面白いところでSVO文型でありながら疑問をあらわす表現が文末に置かれるのだ。文法的に正確な表現は「có~không?」であり、動詞の前にcóがくるのだけど、こいつは省略されることが殆どらしい。というか僕が学んだときも、しょっぱなから略された。家に帰って復習している時、ネットのベトナム語講座で「có~không?」と書いてあり、翌日こいつを同僚に試してみたところ、オッケーサインが出たくらいだ。
 ラテン語に端を発する言語……英語だとかドイツ語、フランス語の疑問文は文頭に疑問詞が置かれると思っていたので、僕にとっては結構な発見だった。だって日本語っぽくね?
 でもよくよく考えてみりゃ当然の話で、クオック・グーは「ベトナム語のラテン語表記」でしかなく、音、話す言葉としてのベトナム語は一切変化していない。文字は言葉を字にあらわしたものなのだから、文法自体は変化していないわけで、まぁ、そういうものなんだろう。
ăn chưa?
 で、ここらへんからちょっと難解になる。
 実はこいつも疑問文なのだ。いや、この文自体はベトナム人的に言わせりゃ挨拶なのらしいけど。
 この文章を訳すと「(ご飯は)食べた?」という意味になる。……で、これは日本文化に照らし合わせると「よっ、元気?」くらいの意味らしい。いやあんた飯食べたかって聞いてるやん。ご飯の誘いじゃないんか。違うんか。
 …まあ、ここらへんは挨拶の文化的差異ということで。閑話休題。 
「疑問文ならăn không? になるんじゃないの?」というのは学習者としては当然の疑問なので問いかけてみたところ、次のような答えが帰ってきた。
「khôngは『ですか?』くらい。sách không? で『本ですか?』みたいな。
  chưaは『しますか?』くらい。ăn chưa? で『食べましたか?』みたいな」

 ほうほうと納得し帰宅してから疑問が浮かんだ。
「いやいやいや。タバコ吸いますかの場合はkhông使ってたじゃん。動詞、する、なのにkhôngじゃねーか」
 結局インターネットに頼って調べてみたところ、khôngが基本的な疑問文で、chưaは「まだ~してないですか?」くらいの、未完の疑問に相当するらしい。だから「(習慣的に)タバコを吸いますか?」という文章は「Bạn có hút thuốc không?」だし、ご飯を食べたか……つまりまだ食べてないかどうか、を聞く場合は「ăn chưa?」になるのだとか。
Anh ấy là người Nhật.
 さぁ僕が一番困ったところいくぞ。 
 上記は「彼は日本人です」という意味になる。三人称でもbe動詞はlàで済むから簡単だね! ……というのは本題ではなくて。
 察しは付いていると思うけれど「Anh ấy」は彼、という意味だ。
 しかしこいつ、「Anh」になると「あなた」という意味になる。
 それだけに留まらず「Anh」は「わたし」をあらわす言葉でもある。
「Anh ấy」は彼。
「Anh」はわたし。
 わかるか? わかった人は出来のいい脳みそを持ってると思う。僕はこの時点じゃ全然理解出来なかった。

 もう大体頭がパンクして、やっぱりインターネットに頼った。ネットは偉大だ。
 ベトナム語の1人称は、まず「Tôi」から始まる。これは「私」という意味なのだけどちょっと固めで、用法としては「初対面の人間や、会議などにおいての一人称」なのだとか。仲のいい友達相手に「Tôi là~」とはじめると「(よそよそしく)えー、わたくしは……」くらいのニュアンスになってドン引きされるわけだ。
 同様にベトナム語の2人称は「Bạn」が基本になるのだけど、仲のいい相手には使うべきじゃない言葉、というわけだ。

 そこで交友のある場合は「Anh」と呼びかけるわけだ。
 同時に自分のことも「Anh」と称するわけだ。
 ほんとうかよ? でもネットと同僚の教えから導き出される答えはこれなんだな。
 もうTôiとBạnだけで遠していいんじゃねーの?

 ……まあ、勉強するだけしてみよう。
 上記だけでも頭が痛いのだけど、さらに厄介なことに「Anh」は「He」とイコールではないのだ。
 同僚が言うには「Anhは成人男性。chiは成人女性。cậuが年少者」ということらしい。だから僕が、成人男性を紹介する時は「Anh ấy là người Nhật. / 彼は日本人です」と言わなければならないし、少年を紹介する時は「 Cậu ấy là người Nhật. / 彼は日本人です」と言う必要がある。ついでに、同僚の言葉が真実なら少女を紹介する時も「Cậu ấy là người Nhật. / 彼女は日本人です」になるのだとか。
 あ、「2人称+ấy」で3人称、ということね。だから成人した男の友達にタバコを吸うか聞くなら「Anh có hút thuốc không?」となるわけだ。

 はーもう理解不能である。

   ***

 でもまあ、とりあえずベトナム語は理解した。少なくとも「Japanese ? Yes, I can ! スシ、テンプラ、ニンジャ!」と堂々しているアメリカ人よりかは話せる。なんであいつら、あんなに自信満々なんだろうか。

 それで思ったこと。前置きが長かったな。

「日本における英語教育は文法ばかりの頭でっかち」
 と批判される。読み、書くことは出来るようになっても肝心の話す能力、聞く能力が不足しているから英会話に使えず、ナンセンスである……と。
 まあ一理ある。
 僕の同僚にはネパール人もいるのだけど、彼は英語も堪能だ。本人に言わせれば「全然」とのことだけど、少なくとも僕なんかとは比べ物にならない。
 ネパールの第二公用語が英語だから当然?
 そういう考えもできる。けれど、その同僚に聞いたところ、ネパールの授業……これはgoverment schoolにおける授業であってEnglish Medium school(※)の授業ではないとのことだったけど……における英語は日本のように授業の1コマでしかないのだとか。
 だからやはり、教え方の問題なんだと思う。同じ1時間でも読む書くだけの1時間と話す聞くの1時間じゃ全く違う。
(※), English Medium Schoolはすべての講義が英語で行われる。逆にネパール語を使う授業はネパール語の時間しかないそうだ。ただし EMSはGoverment Schoolと違って滅茶苦茶厳しい、規則でガッチガチ、だとか。GSならいくら遊んでいても怒られすらしないのだけどEMSは親を呼び出されて説教までされる、と言っていた。日本的な感覚なら進学校である私立中学と、それ以外が集まる公立中学のイメージだろうか。3歳から15歳(くらい)までの学校、とのことだったのでもっと広いのだけど。

 けれど僕は、ベトナム語を学びだして「日本の英語授業を受けてよかった」と思うようになった。
 何故なら「何を聞けばいいか、どのように理解すればいいか」がわかるのだ。

   ***

 僕らが英語を学んだとき、まずアルファベットの書き取りから始まって、次は自己紹介と進んだ。
「My name is Boktst」
 この文章はbe動詞を使った文章だよ。be動詞は現在相でam, are, isがあるよ……使い分けは「I am」「You are」「He/She/This is」だよ。
 疑問文にするときは動詞を先頭に持ってくればいい。「Are you」「Is this」の形。
 そこから一般動詞、過去形、進行形、完了形、未来形と学んで、関係代名詞は高校に入ってからだったか? 第一から第五文型の分類を教わって……とにかく文法知識を詰込まれたわけだ。 

 ベトナム語を学ぼうと思ったとき、まず自己紹介から聞いた。
「わたしはboktstです、ってどう書くの?」
 ――Tôi là boktstだよ。
 そう聞いて「Tôi = わたし」「boktst = boktst」なのだから「là = be動詞」なのではないか? とあたりをつけられた。そこで「あなた、は?」と聞くとBạnと帰ってきたから「Bạn là XXX(同僚の名前), OK?」と尋ねると合格をもらえた。

「じゃあ次は何を聞こう?」
 そう考えて「関係代名詞節」という単語が頭に浮かんだ。
 日常的な文章には修飾部が必要不可欠だ。「少女が本を読んでいます。彼女は雪ノ下雪乃です」とは書かないだろう。「本を読んでいる女生徒は雪ノ下雪乃」くらいなもんだ。そして「The girl who is reading a book is Yukino Yukinoshita」という文章は関係代名詞節を理解していなければ読み解くことは難しい。この文章の主部Sが「The girl who is reading a book」とわかっていなければ、出だしのwhoで躓くだろうし、次のisを主部の動詞と捉えて「彼女は本を読んでいますは雪ノ下雪乃です」みたいな文章になってしまう。……理解はできるかもしれないが、確実に思考は停止する。

 だから「わたしは日本に住んでいます、は?」と聴いて「Tôi đang sống ở Nhật Bản.」と教えてもらい、「Tôi là boktst đang sống ở Nhật Bản.」と導き出して合格を貰った。
 そこから「わたしは仕事をしています、は?」と尋ねて「Tôi đang làm việc.」と聞き「Tôi đang sống ở」と「Tôi đang làm việc.」に共通点を見つけた。「đang」だ。
 ここで「わたしは日本に住んでいました、は?」と過去形を探ると「Tôi đã sống ở Nhật Bản.」だというから、当然あたりが付く。「đang」は進行形につく助動詞ならば、過去形につく助動詞は「đã」なのではないか。つまりベトナム語における時制は動詞の活用ではなく助動詞の形で表現されるのではないか――という塩梅だ。

 すべて、英語教育で「過去形」「進行形」という文法用語と共に学んだからこそ、次に学ぶべきものを予想できた。
 これが文法用語なしに英語を学んでいたら、ベトナム語の習得はどうなっていただろう?

 感覚的には初めて英語を学んだときのイメージになるんじゃないだろうか。つまり僕らは文法を学ぶことなく日本語を習得した。音で聞き、体感的に文を習熟した。どうして過去形の場合は「~した」と言うのか、その理由は知らないが、みんながそう言っているから……。「過去形とはそういうもの」以前に、まず過去形という用語すら知らなかった。
 過去形なんてもの知らないから、be動詞の基本表現を知ったところで「過去形はどうやって書くんだろう」なんて疑問は出てこなかった。そんな感じに。

   ***

 つまり僕が言いたいのは、日本における英語教育は英語そのものを話せるようになる授業というより「第二言語の習得方法」を含めた授業なのだ、ということだ。普段自分たちが操っている言葉と比較して、動詞の位置はどこにあって(SVO文型とSOV文型の比較)、時制や相の表現、修飾語の位置……前置修飾か後置修飾か……ベトナム語は後置修飾だった……みたいな。
 新しい言語を習得する際に最低限抑えておくべきポイントを把握しておく授業、ともいえる。
「英語」の授業ではなく「語学」の授業なのだ、という。

 それは実用的ではないかもしれないけど、アカデミックな方向に進もうとするのなら絶対に必要だし、第二外国語、第三外国語の習得にもプラスになるのだから先にやっておくに越したことはない。
 要するに、日本の教育も馬鹿にしたもんじゃない、と僕は思うわけだ。

 昨今は話せる外国語能力が重要視されて小学校から英語教育が始まっているとか。
 はたして小学生相手に「語学」を講義したところで、何人の生徒が理解できるだろうか?
 だから小学生相手の授業で「英語」を教えるのは、これもまた正しい。
 そうして話せるようになってから、高等学校あたりで……仮にも義務教育卒業後の高等課程なのだから……「語学」の講義を始めるのは、自然なことなんじゃないかと、ベトナム語の学習を通じて思ったりしたわけだ。