★コラアゲンはいごうまんのブログ『僕の細道』

実録・体験ノンフィクション漫談芸人「コラアゲンはいごうまん」のブログ Since 2005
〜  この道がなかったら僕は生きていけません。  道がない所なら、道を描いて参りましょう! 〜

コラアゲンはいごうまんブログ 「僕の細道」 Since 2005〜
◆2015.04.02 このブログが更新されると、コラアゲンのツイッターや、フェイスブックに更新が通知反映されます。
・おもに、旅先での交流や情報共有は、フェイスブックで。
・ツイッターは、リアルタイムな一言など。
・このブログは、日々の振り返り日記やお知らせなど、基本長文ぎみ。。。
と若干、使い分けようとしているようです。
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◆2015.06.26 現在第3回、よろしかったら、コメントやチャンネル登録などおねがいいたします。
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2005.11月17日 新潟 居酒屋伝
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福岡公演から4日空いたので一度東京に戻り当日新潟に入ることにした。
しかし行く前日になり誰も会場の居酒屋伝(いざかや でん)の場所を確認しようと
ブッキングしてくれた新井さんに聞くと
「現地のイベント会社の〇〇さんに会場さがし等はお願いしてるので連絡してもらえる?」
しかし連絡つかず。

ツアースケジュールにはただ新潟の伝とかかれてるだけ!
しぼりこめへんがな!事情を言ってワハハスタッフの和田さんに再度
地元イベント会社に連絡をとってもらいなんとかたどりつけた。

伝のマスターに聞くとどうやら
イベント会社の〇〇さんからさらにその部下さらにその部下と丸投げに丸投げを重ねたらしく
どういうわけか最終的にはただの主婦のマスターの奥さんのお姉さんが会場さがしをしてたらしい。

物凄い変貌をとげた伝言ゲームや。マスターが言う
「どこでこうなったかはわからんけどやるからにはいいライブにしよう!でワシはどうすればいい?」
特にマスターにどうしてもらうということはないが
店がカウンターと座敷があるだけの小さな店やったので僕の立つスペースがなかった。
そこで無理を承知でお願いした。

「奥のマスターの家でやらしてもらえませんか?」
「・・・すぐ嫁にかたずけさすわ」
ええ人や〜

結局奥のマスターの家でやらしてもらった。
奥さんもまたええ人で嫌な顔ひとつせんとかたずけて座布団用意してくれた。
さらに最終的に会場さがしをしてくれた奥さんの姉さんがまたええ人で
知り合いを20人集めてくれててライブ中も大声で笑ってもりあげてくれた。
後からふつうに店に飲みに来た人はびっくりしたやろな
店の奥が異様にもりあがってんねんもんな
本当に居酒屋伝のみなさんありがとうございました。

ここで一句
「災いが ほんとに転じる 新潟の夜」

2005.11月12日 福岡 青年センター
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この福岡青年センターではツアー前からすでに「笑いのコラアゲン」と題して
2回独演をやらせてもらってる。

3回目となる今回も主催は「くうきプロジェクト」という福岡で演劇活動してる若者たちと
その有志により福岡から熱い風を発信していこうというチームによるもの。

彼らは本当に熱くこんな僕を少しでも多くの人に見せたいと心から思ってくれてる。
僕は売れてへんけど幸せな人生やわ。

そんなくうきのみんなと本番前よびこみしようと表にでた時である。
貼ってあった僕の顔写真つきチラシに地味にヒゲの落書きがされていた。
しかも結構自然に描かれてた。
よびこみに足を止めたとおりがかりの主婦は
「あなたがこの写真の人?やっぱりヒゲ剃った方が若いわ」
のヒゲやと思ってたくらいだ。
そんなこともあるやろう 冴えない僕だもの

一日二回公演のライブも無事終了

後日くうきプロジェクトの一員で劇団ギガの菊沢君から手紙をもらった。
「コラさんの笑いはチャップリンに相通ずる部分がある。これからも走って下さい。」
菊ちゃんめっちゃうれしいねんけど
チャップリンが聞いたら気分慨さはるわ
それとチャップリンて浮かんだんヒゲの落書き見たからちゃうの

ここで一句
「チャップリン よびこみしてるぞ チャップリン」

2005.11月10-11日 グリーンランド天神
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熊本公演後つぎの福岡公演まで2日空いた。
台所事情まるだしなんやけど東京帰えるとまた交通費がかさむんで
この二日は福岡で少し体をやすめた。
さらに台所事情まるだしなんやけど少しでも宿泊費も削るため
グリーンランド天神というカプセルホテルにとまった。
これはカプセルホテルでおこった地味であっという間に終わる話。
連日の移動してはライブの疲れから昼間からカプセルで横になってた。
カプセルにはブラインドがあるだけでむかいの様子がわかるねん。
するとえらいもんでむかいにも平日の昼間からカプセルに入ってるおっさんがいた。

おたがい顔みて
「この人普段なにやってはんにゃろ?」って顔してた。

ここで一句
「カプセルも 住めば都だ 連泊だ」

2005.11月9日 熊本 国際交流会館小ホール
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熊本最終公演のこの日なんと本番直前に会場が変わるという珍事がおこった。
というのも1周目は国際交流会館5階にある和室が会場やってんけどちょっと広すぎたので
今回はふすまでしきってその半分だけをおさえてもらってた。
(むろん使用料も安くなる)
主催のM先生やHさんのおかげですでに20人くらいのお客さんが来てくれてた
そんな本番15分前にHさんからある報告をうけた。

「今知ったんですけど同じ時間帯にとなりは自己啓発セミナーの集まりらしいですよ。」
さらっと物凄いことをいう。
慌ててとなりにいき狼狽しなからセミナーのスタッフに聞いた
「自己啓発セミナーてどんな内容なんですかね?」
「5分おきに大勢で悲しい〜って叫んで泣くんですけど 問題あります?」
やまずみや!

いろいろ考えた。
それをネタにするべきか いやでも枕ではいじれてもそれが延々続くと作品もやりずらい
本番まであと15分 どうしよう〜
極限状態の中決断した。

だめもとで館内の別会場が空いてるか聞いてみよう!

事務所に同行したのはもう一人の主催のM先生、これがまた戦力ならん。
本間に吉本新喜劇の井上たつおさんのギャグみたいに
「あの〜和室の そのとなりが え〜つまり〜」
はよ言え!もういい!そっからは悲壮感ただよわせ自分で説明した。
地下の多目的ホールが空いてた!
そして使用許可もでた!
そこからお客さんに事情を説明して前代未聞の大移動が始まった。
本番直前に主役がエレベーターで誘導していくライブはあんまりない。
でも必死なんが伝わったんかみなさんすみやかにそれごと楽しんでくれはった。
有志のみなさんが迅速に客席を作って下さったおかげで定刻より20分ほど押したけど
なんとか無事スタートをきることができました。
ありがとうございました。
でも今までで一番スリリングやったなぁ。

本番前に精魂使い果たしたわ。

でもえらいもんや、本番前にすでにお客さんとアクシデントを通じて一体になってるから
ライブも休憩なしの2時間終始もりあがった。

心地いい疲労感につつまれ打ち上げ
その席で有志のある女性
(1周目の時にお客さんとして来てくれて今回は有志にもなってくれた)から
ハンドメイドのコラアゲントートバックをプレゼントしてもらった。
本間にありがとうございます。今も大事に使わせてもらってます。

最後の挨拶で
「今日はいいオナニーできますわ、ありがとうございました」と言うと
普段もごもごしゃべるM先生が最後にはぎれよく言った。
「僕らはコラアゲンさんがいいと思うからやってるだけ
 熊本にはブルーシャートーという各界著名人が訪れる会員制の高級ソープランドがあります。
 コラアゲンさんがブルーシャートーに行けるその日まで僕らは応援しつづけます!」
Hさん「僕も!」
有志の女性「私も!」
なんか最後はアホ同士の会話みたいになった。

僕はこの少し変ったでもかわいらしい人たちがいる熊本が大好きや。

ここで一句
「必ずや 行ってみせよう ブルーシャートー」

2005.11月8日 熊本 イクイップメントフロア
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移動日をはさんでこの日は熊本。

熊本は全国ツアー前から何度か独演会をやらせてもらってる恩恵のある地である。

毎回の主催者は二人いて一人は喰さんと大学時代の同級生で現在シナリオ学校で先生をやってるM先生。

赤塚ふじお似の容姿もさることながら面白いことにM先生、先生なのに口下手なのだ。

喰さんと一緒の時は同級生やのに「もっとしっかりしなさい」と怒られてはシュンとなってはる
めっちゃかわいいおじさんだ。

もう一人はかつて地元テレビ局に勤めてて
今はM先生と一緒に学校で教えたり映画を作ったりイベントの構成などをてがけてるHさん。

僕と同世代のHさん、これまた面白い。

ぱっと見は大柄でぽっちゃり色白で横わけとアニメおたくっぽいのだが
実際は水戸黄門マニアであり火曜サスペンス劇場マニアでもあり藤田まことの追っかけでもあるのだ。

こんな少し変った二人に喰さんを通じてもう3年もお世話になっている。
この日の会場はイクイップメントフロアというおしゃれなカフェアンドレストラン。
T子オーナーとHさんが知り合いだったので1周目もやらせてもらったとこだ。

この日は本番前に小さな事件がおこった。

M先生が本番直前に急に帰えると言いだしたのだ。
確かにこの日の主催はHさんでM先生はどうしてもたちあわなくてはいけない立場ではないが
Hさんは激怒。
「あなたが今日は客として行くって言ったから
 僕はT子さんに先生の分のチケットとってもらったんですよ!
 しかもここまで来てるのに帰るっていい加減にしなさい!」
するとM先生
「いや〜あの〜見るつもりだったんだけど
 お客さんもたくさん入ってるから
 これ以上増えると店に迷惑かなって
 あの〜はい帰りません。」
本間憎めんかわいい人やわ。

M先生とHさんは長い付き合いで仲がいいぶんよくこういうこともあるらしい。
本番ももりあがり無事終了。
M先生を見送った後Hさんに
「M先生かわいいですね」と言うと
「でもたち悪い事にね最近本人自身自分がかわいいことに
 きずきはじめてるんですよ」二人で大笑いした。

ここで一句
「怒られて それでもかわいい 大人あり 少し憧れ熊本の夜」

2005.11月6日 大阪 西淀川区民ホール会議室
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一日休みをはさみこの日はもうひとつの故郷大阪での公演だ。
主催は吉本時代やっていたラジオ番組の構成作家S君で当時のリスナーを中心によびかけてくれてた。
番組が終わってもう7年になるんやけどそれでも20人弱は帰ってきてくれた。
本間にありがとう。
普通に考えて昔から応援してくれてるリスナーが集まってくれたんやから
理論上は確実にもりあがるはずの凱旋公演であるにもかかわらず見事にすべった。

終始ひきみやったなぁ〜

当時とは違う芸名で違う芸風に少しとまどったのかなぁ。
でも言い訳やわ。
1周目もリスナーの前でやったけど新しい芸名も体験ノンフィクションも暖かくむかえくれたもん。
やっぱり単純におもろなかったんやろな。
後半は僕も飲まれて凱旋やのに全く気持ちの入ってないしゃべりしてしもたし。
主催のS君それとみんなすまんかった。

ここで一句
「凱旋が謝罪で終わってもいいじゃないか 僕だもの」

2005.11月4日 京都 嵯峨野コミュニティー
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日帰りやった喰さん須田さんを前日見送り
そのまま実家に泊まってた。

そしてこの日の公演の興行師はなんと
実のおかん(母親)なのである。

テレビの企画で芸人がおかんと漫才することはあっても
おかんが裏方を努めることはあんまりない。

本当に会場をおさえるとこからお客さん集めにいたるまで全ておかんがしてくれた。

しかも会場の嵯峨野コミュニティーは理想的な少し小さめの和室で
お客さんは50人も集めてくれしかも年齢層もこれまたこっちの注文通り
20代30代を中心にパラパラおかんと同世代の60すぎの人がいるという
見事な女興行師ぶりやった。
若いお客さんのほとんどはおかんがおとん(父親)がまだ健在やった頃一緒に通いだし
今も通ってるフィットネスクラブの関係者で年輩の方々は僕も知ってる近所のおばちゃん達やった。

冒頭は興行師おかんからの挨拶

「この子の日記を見てるとお客さんが4人の時があったり
 通常営業の居酒屋さんが現場やったりするまさに厳しい細道みたいです。
 せめて母親の元に帰ってきた時くらい太道にしてやれないかと
 過保護なあまりみなさんをまきこむことになりました。
 申し訳ございませんでした。」

むろんこの日一番の拍手やった。

少し複雑な思いをしつつあったかいみなさんに見守られ
(中には疎遠やった兄貴の姿もあった)おかん過保護公演はめっちゃもりあがった。

おかんへの感謝、それと欲を言えば今日の姿を3年前に亡くなったおとんにも
見せたかったなぁって言ういろいろ想いがこみあげて最後の僕の挨拶はむろん号泣。

「おかんおおきに、それとおとん、おとん!んぐエーン」

おかんはもちろんのこと近所のおばちゃんらも号泣。

そのあとでつのるおひねりには会場中から
「きたないわ〜人として払わなしゃーないがな」と言われつつも
なんとツアー中最高額の10万に達した。

本間にありがとうございます!

ただおとんをお金もらう手段に使ったんやないんです。
本間におとんへの想いがこみあげてきたんですわ。
生前おとんは自分にとっていい人とだけ付き合いそれも悪くなったらすぐに切る、
それは僕ら子供にも同じで僕が成績いい時は兄貴を放りだそうとし逆になれば僕を放りだそうとした。

しかも酒乱で飲んでは包丁をふりまわしてた。

だから大嫌いやったし最後まで誰とも向き合えなかった悲しい人やってんなぁと思ってた。

しかしこの日本番前に僕はあったことないあるおじさんが
「お父さんには本当によくしてもらってね、なのに僕は何も出来なかった。
 だから今日はせめてもの恩返しで妻と寄せてもらいました。頑張ってね。」
と言われた。

おとんも晩年ちゃんと向き合えた人がいたんやという喜びと
おとんが残してくれた恩恵も感じたからグッときたんやなぁ。
やっぱりおとんも見てくれてような気がする。

終わってからおかんと兄貴と兄貴の嫁とで焼肉食いに行った。

包丁ふりまわされてた時はまさに地獄絵図やってんけど
時間とは凄いね、20年の歳月を経てそれが笑い話に変ってた。

おとんも喜んどるやろと想いつつ地元京都での最後の夜が更けてゆくのでした。

ここで一句
「おとんごめん 最後はやっぱり悪口でもりあがりけり 京の夜」

2005.11月3日 京都 京都造形美術大学
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この日の日記を書くのはこれで2回目だ。
携帯から書いてるのだがようやくかきおえて今から送信というタイミングで
「充電してください」の表示。

全て消えた。僕はそもそもそういう男なのだ。

「冬の幽霊たち」の撮影中はロケ地の夕張に
78年ぶりに暴風雨大雪警報を発令させた位常にまわりに災いをもたらす男なのだ。

この日は京都造形美術大学のホールで
その「冬の幽霊たち」の上映会&喰さんのトークショーがあり
そのあと大学内の別会場でコラアゲンライブだったので
鹿児島から一度東京に戻ってた僕は
東京から喰さんと須田さんと一緒に僕の地元京都にのりこんだ。

事前に須田さんからは「お前がいると何かがおこる。何もおこすな!」と強く言われてた。

さすがにこの日の京都には雪も降らなければ台風も直撃しなかった。
ただ京都駅から3人で大学までタクシーでむかってる途中おかまされた。
本当に神々のいたずらにもほどがある。
幸い軽く当たっただけで誰も怪我はなかった。

むろん喰さん須田さんからは「ある意味芸だ。」褒められた気がしないお褒めの言葉をいただいた。

おかままでひきおこす自分の負のオーラを痛感しつつここで一句
「後続車 赤ちゃんは乗ってないが コラアゲン乗ってます
 災いにまきこまれたくなければ気をつけて」

2005.10月29日 鹿児島ウィッキーズクラブ
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この日はツアー2周目の難しさを痛感した。
1周目も同じ会場で2日間やらせてもらったんやけど
2日間とも作品を変え手前味噌な話凄くもりあがった。
しかしこの日は冒頭のお客さんいじりをのぞいて全くもりあがらんかった。
確かにほとんどの方が頼まれて義理で来てる状態で
しかも普段みなれないお笑いを普段みなれない会場で見てるって感じで終始ひきみではあった。
これを言い訳に逃げたいところだが中に1周目で面白いと思ってくれた方でまた来てくれた方がいた。
その方曰く「前回が良かっただけに作品が弱く感じた」
残念ながら心当たりもある。

僕のやってる体験ノンフィクションはわかりやすいオチのある演芸でもなければ
見ためで楽しめるパフォーマンスでもない非常にわかりづらいものである。
「僕の細道」はその体験ノンフィクションをお笑いじたい生で見たことない地域で
その上でそれでもいいと感じてくれた方に2周目もいいなぁと納得してもらい
少しずつその輪を広げていかなくてはならない。
まさに細道やねんなぁ。

正直こんときは
「テレビに出てる人気者は酒も入ってない、
 はなから見に来てるテンションあがってるお客さんの前で
 スポットライトのあたる局のスタジオでネタができるんやぁ」と正直うらやましく思った。

テレビ出てる人気者の苦悩もあるのはわかった上で
となりの畑がよく見えるのだ。

ここで一句
「となりの芝生があおく見える時があってもいいじゃないか 僕だもの」



2006.10月28日 鹿児島ウィッキーズクラブ
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この日の移動はこのツアー中最も激しいものとなった。
高知から鹿児島に直接行く空路がなかったので
空路と電車を2本のりつぎ
本番の19時直前に会場にとびこむというスリリングな移動行程やった。

一番の山場は電車から電車にのりつぐ時に間が一分、
しかもその電車が階段を渡って向こう側のホームですでに発車のベルがなっていた時である。
「あれに乗れんかったらライブに間にあわん!」
とマジで30キロを超える荷物を抱えてエスカレーターもない階段をかけあがりギリ間にあった。

鹿児島中央駅で一周目でもお世話になったAさんの車にとびのり
ウィッキーズクラブ(ライブハウス)に向かう!近くまで来るも渋滞にまきこまれる!
しかもすでに19時!ピンチ!
すると「この道まっすぐ行けばウィッキーズクラブあるから!コラさんだけでも先に行って!」と
Aさん。とりあえず必要なものだけ手にとり車を降りてからは猛ダッシュ!

こういう時えてしてライブの冒頭は息が切れてしゃべることができひんねんけど
そこはウソでも修羅場くぐりの18年選手!冒頭から全く息が切れることなくしゃべれた。

むろん一人目のお客さんが来たのが19時半をまわってたから。
店にとびこんだ時にはマスターが一人おでんをにこんでた。
結局10人集まってはじめたのは1時間おしの20時やったから完全に息は整ってた。

ここで一句
「あわてるな 鹿児島の夜は長いかな」

2005.10月27日 高知フィート
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更新が大変遅くなって申し訳ございません。
何故こんなに遅れたか?
確かにツアー中は更新する間もないくらい忙しかった、
ツアー後も年末まではバタバタやった、しかし年明けからに関してはすんません。

半年に及ぶ旅の疲れからかふつうにさぼっておりました。
申し訳ございませんでした。

旅で関わって下さったみなさんのぬくもりをかみしめ
旅日記続けさせていただきますのでどうかおつきあい下さい。

この日の会場は高知のはりまや橋近くにあるフィートというライブハウス。
ありがたく1周目からのリピーターの方も何人かきてくれてた。

(むろんライブハウスのSさんが声をかけてくれたから)
その中には1周目では僕と一緒に舞台にたってくれた
(1周目はワンマンではなかったので)高知でがんばってる「カブトムシ」というコンビの
小助(こすけ)が客として来てくれた。

この小助、なんか他人には思えない。
彼もまた芸人のオーラは全くなくパッとみ測量技師みたいで、かつまたマジメなんや。

小助が本番前にお土産にとTシャツを買ってきてくれた。
これは狙ってるのではなく小助なりに何か高知の想い出にと真剣に考えて買ってくれたのだ。
Tシャツのバックプリントには「龍馬」とかかれてた。
このTシャツがいいか悪いかは別として僕の知ってる限り小助が真剣に考えて買ってくれたものだ。
しかも高知在住の小助が龍馬Tシャツを買うのは
都内の人間が東京タワーのキーホルダーを買うみたいなもので大変勇気もいったやろう。
本間に僕はうれしかった。

まだお笑い不毛といわれる高知からなんとか風をおこそうと戦ってる彼は
まさに幕末の獅子なのだ。

後日小助から年末のM1は決勝まで残れなかったと報告があったが僕は思う。
確かにM1で優勝するのは凄いことや。
でも小助がやろうとしてることも凄いことや。
おたがい茨道やけどお笑い維新をおこすべくがんばろう!
ここで一句
「ありがたい それでも都内の銭湯で着る龍馬Tシャツ ちと恥ずかし」

2005.10月26日 愛媛県居酒屋ちゃんがら屋
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ちゃんがら屋最終公演も無事終わり打ち上げでA姉さんに前日の家高武勇伝を報告すると
「わかる!そう言う子やねん!あとこの子答えようのない漠然とした質問もようしてくるねん」

以下はA姉さんに教えてもらった家高漠然質問語録である。

「F1て本間に早いんですか?」
「風車て値段どれくらいするんですか?」
「コーラとペプシは違うんですか?」
ものすごい逸材だ。

少し話はそれるがこの日のライブはもりあがるにはもりあがったんやけど僕的には今ひとつ納得いってなかった。
A姉さんはライブ後お金の精算で忙しいそうにしてたんやけど何度もひつこく
「姉さん僕今日大丈夫やった?お客さん楽しんでくれた?」をくりかえしてた。

家高語録を教えてくれた後A姉さんは僕にこういった。
「うざさはあんたと同じかおりがするわ」
もっともです。

ここで一句
「僕は家高 僕も鮒子」



2005.10月25日 愛媛県居酒屋ちゃんがら屋
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一日移動日をへてこの日の会場は居酒屋ちゃんがら屋。
店には主催者のA姉さんの職場関係、知人の方々が大勢集まってくれてた。
ライブもいい感じで終え宿泊先のA姉さんの会社の寮にむかう時の出来事です。
車で送ってくれるのはA姉さんの部下のI君。
本人からぜひ実名でお願いしますとのことだったので以降は家高君で表記します。

1周目の時からうすうす気付いてたんやけどこの家高君ひいきめにみても少し頭が悪いみたい。
この日もやってくれました。
ちゃんがら屋を出てしばらくとばし寮近くの大通りにでた。
そこから少しこみ入った路地を入って間もなく家高君が言った。
「あの〜僕の会社の寮ってどこでした?」
「はっ?」
「すいません、最近行ってなかったもんでわからなくなりました」
なんで自分の会社の寮を忘れるねん。しばらくすると
「にどでまですけど一度戻っていいですか?」
「いいよ、そうしよ」
すると今度は大通りを越え会場のちゃんがら屋まで戻ろうとした。
「まて!どこまで戻るねん!大通りからでえーがな」
「はっ、そうです」すべてマジである。
最終的には1周目の時の記憶をたどり僕がナビをした。
本来なら15分で着けるとこを小一時間かかったのは言うまでもない。

ここで一句
「家高と 同じかおりだ 椿鮒子」

2005.10月23日 広島ハート
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この日の会場はワハハがよくお世話になってる広島ハートというライブレストラン。

結論から言うとこの日はリアルタイムの今日に至るまでのマックスの修羅場やった。

その日は店とお客さんの親睦をかねたボーリング大会の二次会を店でやってたらしく
僕のライブではなくそこに僕がおじゃますると言うかたちやった。

要するにながしのギターリストに近い状態だ。

酒も入り異様なノリでさわいでるものもいる中ステージに立った。
まずは猫ひろしコールで迎えられた。
僕も「ラセラー!ラセラー!って違うがな」となれないノリつっこみで応戦。

その場は酔っ払いたちも喜ぶがそれを何度も何度もくりかえす
一人のおっさんが唐突に舞台にあがってきてずっこけるポーズを披露してくれた。
なんじゃそら!それでもなんとかいじって笑いに変えようとするがあえなく撃沈。
前が一番たち悪かったから真ん中に移動、しかしそこはマイクが反応しない区域、
しかたない60人が騒ぐ中地声でしゃべった。

すると近くにいた若い兄ちゃんが乾いたトーンで「必死だよね」
今思っても最高に屈辱的やったな〜。
地獄の40分の後カウンターで放心状態でいると

一人のぱっと見30代後半のきれいな女性が声をかけてきた。
「大変だったね、悔しかったでしょ、ごくろうさま」
地獄がぶっとびいきなりニタ〜。

話を聞くと二次会とは関係なくチラシを見て誰かはわからんけど
ワハハの芸人を純粋に見ようとして二人の娘さん連れて来てくれたらしい。

さらには
「ネタをじっくり聞ける環境じゃなかったのは残念だけど
それでも必死に戦う姿を見て勇気を与えてもらえたわ。
私も今必死に戦ってる人間だから、本当にありがとう」
そう言うと彼女の目から大粒の涙がこぼれおちた。
これマジで。

何を背負ってるんかはわからんけどそうとう苦労してはる人なんやろなぁ。
一時はやじられるためにわざわざ自己負担で広島まできたんかと
後悔したけど来て良かったと思う。

ズタボロの姿ではあったがそれによってこの人には届いたんやと思った。
むしろ救われたのは僕ですわ。

ここで一句
「ずっこける おっさんごしに 美人女性」

2005.10月22日 鳥取県米子
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この日は昼の野外イベントから始まった。
今日までの主催者のWさんがツアーのライブと別に営業をとってくれてた。
僕のあとに地元では中高生に絶大な人気をほこる若い華のある男性二人組の
ミュージシャンがでるらしく強い風をともなう雨の中
中高生の女子が大勢来てた。

そこに36歳のさえへんおっさんが出て30分おしゃべりや。
こりゃ絶対あかんなと思てたら案外かまってもらえた。
むろん3回土下座をしての話やけど。

子供たちも自分が生まれる前から芸人やってるおっさんに土下座されたら
人として聞かんわけにはいかんかったみたい。
夜の米子べリエのライブも1周目の時にたまたま来てくれたHさんが
一人で20人動員してくれて30人をこえるライブができました。
本当にみなさんに生かせてもらってる命ですわ。

ここで一句
「わが人生 人の力と土下座かな」



2005.10月21日 島根県出雲
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一日移動日をはさみ少し体力もよみがえりこの日からの主催のWさん
(翌日の会場となる米子べリエというライブハウスのスタッフ)と
その知り合いのアマチュアミュージシャンのM君と一緒に車で
この日の会場となる「ライブハウスアポロ」がある出雲にむかう。
二人とも1周目ですごく仲良くなった人達だ。
少し時間もあったので途中「出雲そば 日本一大名陣」というおそば屋さんによった。
実はM君とWさんはその店を知ってたらしく事前に予約してくれてたのだ。
現社長のSさん(僕とそないかわらんまだ若い人)のお父さんの代から続いてるお店だ。
店内に入ってまず圧巻だったのはお父さんが骨董品コレクターだったらしく
広い店内にズラーっとかざられてた。

中には貴重なものも少なくなく「なんでも鑑定団」が取材にきたらしい。
むろんモニターにはそのオンエアーが延々流れてた。
芸能人も近くにくると必ずおとずれる店らしく
佐野シローやアルフィーや西田としゆきやとにかく有名人の写真にサイン、
なんなら高見沢さんからもらったギターまで展示されている。
何より驚いたのはこのSさんショクガンマニアらしのだが
(ショクガンとはコンビニで売ってるお菓子についてるフィギアみたいなおもちゃ)
喰さんよりショクガン持ってる人初めて見た。ところせましと並んでた。
本当に圧巻なので「日本一大名陣」ぜひ行かれてはいかがでしょうか。
また死ぬほどもてなしてもらいSさんお任せコースと題して裏メニューも含めて
10品以上次次と運んでもらい、まるで食いしん坊万歳のロケかと思うくらいの
もてなしのあげく「金はあるとこからもらうんでいいです」とは粋!
とにかく粋!

夜は奥さんと一緒にライブにも来てくれました。
アポロのスタッフのみなさんも本当にいい方々で親親戚友達関係で
30人も集めてくれてました。本当にありがとうございました。
ここで一句

「出雲にて ライブ見るならアポロさん そばを食うなら大名陣」

2005.10月19日 山口県湯田温泉
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山口最終公演も同じくDADA。
本番前にMさんが言ってきた。
「悩んでもいいが迷うなよ!」
その言葉をうけようやく捨て身になれた。
まずは前日の撃沈ぶりを枕で語り本編は「刺青」の話をした。
手前みその話やけどもりあがった!めっちゃもりあがった!
頭から今の正直な気持ちを丁寧に語ったのが良かったみたい。
一言で捨て身になると言っても難しいことで色気もでれば守りにもはいる。
それでも僕のような才能にあまり恵まれなかった人間は
やっぱり捨て身にならんとその覚悟をもって舞台にあがらんと
お客さんの心には届かんねんなぁ〜。

わかった上でまた失敗する、それもまた僕なんですが。
Mさんは柄は悪いが本当にいい人で「山口ではおひねりの習慣がないから
いいタイミングでおひねりだしてみんなをあおる奴をしこんどくわ」と
いたれりつくせりの演出までしてくれてた。
Mさん本間にありがとうございました。
前日撃沈したぶんさらにうれしい。
苦しみ喜びくりかえし山口を後にするのであった。
ここで一句
「こよいだけ 調子にのせて 山口県」


2005.10月18日 山口県湯田温泉
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大阪から新幹線と在来線をのりつぎ
今日の会場の山口県は湯田温泉にあるライブハウス「DADA」にはいる。

1周目の時に知り合ったDADAのオーナーの知り合いのMさん
(ぱっと見プロなんやけどかたぎの方)が前回同様事実上の主催で
お客さんも集めてくれていた。

柄はマジで悪いんやけど
めんどうみのいい人でオーナーもわるびれることなく
「Mさんにまるなげしたわ。ハッハッハッ〜」と笑ってた。

「ハッハッハッ〜やあるかい」と思いつつ前回非常にもりあがったとこなので
逆にめっちゃプレッシャーがかかってた。
ガチガチで顔ひきつらせながらそれでも笑顔で出ていったんやけど
僕の顔から笑顔が消えるのにそう時間はかからなかった。

少し年齢が高かったのだが思いきって「お葬式」の話をしたら
リアルに響きすぎたのか見事に一人っ子一人笑わなかった。

Mさん曰く「お笑いライブやのに本間の喪主の挨拶みたいやったの〜ハッハッハッ〜」
恥ずかしい話中盤あたりからは何をしゃべったかよく覚えていない。
すでに意識のとんでるK1ファイターが本能で立ってるって感じやった。

ここで一句
「山口県 調子に乗ってた 悪かった」

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