デイリー牧師ノート

上田昌司が、医学やキリスト教について書きます。(新旭キリスト栄光教会牧師、島本キリスト福音教会名誉牧師、医師、医学博士、現在勤務医です。)健康に関する内容の実施についてはご自分の責任でお願いします。          

体を鍛えるよりも脳を鍛える方が工夫が要る。
体を鍛えるのは、自分一人でもできるが、
脳を鍛えるのは、一人よりは、人がいた方がいい。
脳を鍛えるのは、まず読み書き。
これは、本やノートがあれば一人でもできる。
しかし、一番大事な会話は一人ではできない。
脳の活性化には、会話が一番効く。
ハイとかイイエのような応答だけでも、
一日中黙っているよりは良い。
ぼくのように、医者として患者さんと、毎日定期的に話しているのは、
仕事でもあるが、自分の脳の活性化にも有効だ。
医院での診察は毎週1回はずっとやってきたが、
医院を譲っていた息子がそれ以外は全部やっていた。
しかし、思いがけない息子のガン死で自分がまたも、
医院での診療の中心となってやることになって、
毎週5日診察をやることになった。
そのために、ぼくの脳は最高の状態に復帰した。
胃カメラや超音波などの技術的な面では若い医師には遥かに及ばないが、
老医は老医の良さもある。
慎重であるし、長い人生経験と医療の経験もある。
この調子でいけば、いくら年をとっても、決してぼくの脳は錆びつかない。
このままいけば、102歳で現役の開業医をやっておられる沖縄宜野湾市の田中旨夫先生のように、
杖をつかずに百歳を迎えられる自信がある。
午後4日は老人ホームに出向している。
40代から、ぼくは老人ホームを建てて、高齢の人達の助けとなろうと努力していた。
まず、30代で小さな教会を建て、それから41歳でぼくの医院を建てた。
そしてその次に老人ホームを建てようと努力した。
しかし、資金が不十分だったことと、
経験も皆無だった。
医院も教会も忙しかったので、老人ホームの運営まで、
やる余裕が当時はなかったので、土地が手に入らないと、
すぐ弱気になって、介護事業から撤退してしまった。
70歳になって、医院を息子に譲って、引退してから、
老人ホームの医師として職を得て、30年来の念願が達成した。
朝6時半から老人ホームに出勤して、他の職員と一緒に働く生活は、
ぼくが40歳代に抱いていた、夢の実現だった。
これはこれで楽しい日々の7年間だった。
今は、軸足が医院の方に移ってしまったが、
高齢者の介護について、自分も後期高齢者になったので、
わがこととして考え、行動している。
毎週午後4日は老人ホームへ出向している。
今年の9月から火、金の夜診を始めた。
徐々に患者さんの間にも広まり、
夜診に来る人の人数も徐々に増えてきた。


昨日の午後は久しぶりにゆっくりできた。
1時間ほど午睡もできた。
来年の3月は80歳になるので、
80歳まで、矍鑠として、行動し、仕事をこなし、
大きな病気もせずに、生き抜きたい。
80歳はぼくの祖父が他界した年だ。
曽祖父は大正のころ、90まで生きた。
今の時勢なら80歳まで生きても長寿とは言えない。
男子の平均寿命が80歳なのだから。
しかし当時の男子の平均寿命は55歳。
25年も長生きをした。
今なら105歳に相当する。
母方の祖父は70歳。
でも平均寿命よりも15年長生き。
今なら95歳に相当する。
貝原益軒は84歳。
江戸時代は、男子の平均寿命が40代だから、
普通の人の二倍は生きている。
だから彼の養生訓は説得力がある。
最近では、60代の大学教授が長寿の秘訣を書いたりしている。
そういう本は体験なしで、頭だけで書いているからまるで説得力がない。
養生訓は少なくとも平均寿命を生き抜いてから書くべきだ。
97歳の田中旨夫先生の養生訓の方が、
60代の大学教授の養生訓より遥かに説得力がある。
それで生きた証拠、実績があるからだ。
曻地三郎先生の「106歳のスキップ」(亜紀書房)は、題名だけで、
先生の健康状態が髣髴とする。
スキップは嬉しい子供のするものと思っていたが、
100壽者がするとは。
100壽者でも、車椅子や寝たきりの人が多いのに。
おそらく出版社の編集者が考えた表題だろうが、
でもそれを受け入れて、そういう表題の本を書く心意気が素晴らしい。
その表題から命と息が伝わってくる。




草食動物は楽に生きている。
草はどんどん生えて来る。
畑をやっている者は年中、草刈で忙しい。
草に悩まされている。
刈っても刈っても逞しく生えて来る。
そこで、手のかかる作物の栽培を諦めて、
雑草を生えるに任せて、それらを食うことにしたらどうか。
そうすれば、今のように草を刈ったりしないで、
兎や鹿のように、生えて来る雑草を適当に食べて生きられる。
人間は旨いものを食いなれているが、
草でも生きられる性質を持っているのではないか。
それを確かめるために自分が人類の代表としてやってみたいとふと思った。
体質を変え、現代病と闘うための戦略のひとつである。
製薬会社は、新薬の開発に血眼になっている。
しかし、なかなかうまくいかない。
うまくいっても、国家経済が暗礁に乗り上げるような薬では困る。
雑草を食べる研究は国家を煩わさない。
むしろ国家を助ける。
人類を助ける。
断食の研究もそうだ。
金のかからぬ治療法の研究だ。
製薬会社は絶対にやらない研究だ。
大学の先生たちも絶対やらない研究だ。
世界中の大学者が忘れている、見落としている研究をぼくがやる。
実験動物も使わず、我が身一つが実験動物。
研究室もなく、助手もいない。
試験管もなく、研究費もない。
あるのはアイデヤ。
あるのは時間。
断食とか、雑草食の研究はまさにアイデヤがすべて。
それに実践。
経験。
データ。
検証。
発表の場はこのブログ。
知る人は僅かな人数。
でもゼロではない。
この世を去る日まで続ける。
根っからの研究好き。
好奇心旺盛な子供。
植物食の研究は、365日を過ぎた。
1年だ。
病気になることはなかった。
肉や魚や卵や牛乳は摂らなくても病気にはならない。
極めていい健康状態だ。
絶好調だ。
断食研究はまだ終わっていない。
今、ようやく標準体重になってきたので、
これぐらいの体重から始める断食と、
標準体重以上で始め、標準体重以上で終わる断食の研究・実践が終わっていない。
この二つの宿題が残っている。


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