デイリー牧師ノート

上田昌司が、医学やキリスト教について書きます。(新旭キリスト栄光教会牧師、島本キリスト福音教会名誉牧師、医師、医学博士、現在勤務医です。)健康に関する内容の実施についてはご自分の責任でお願いします。          

2016年05月

これはイエス様の大事な教えの一つである。
その理由は、自分が裁かれないためであると教えられている。
人は自分と違う者を攻撃したくなる。
例えば転校生。
東京の子が大阪の学校に転校して来るといじめの対象になる。
大阪の子が東京に転校になっても同じだ。
自分と違う言葉をしゃべる人間が奇怪に思えて、ダメージを与えて黙らせたいと思う。
田舎の小学校でぼくは大阪や東京から疎開して来た子供に会った。
東京から来た女の子は御姫様のような感じの子供だった。
大阪から来た男の子は大阪弁が耳障りで、とても生意気に感じた。
でも制裁は加えなかった。
先日、M兄が説教の中で、ある転校生の話をされた。
東京から大阪へやって来た1年生の子供がいた。
大阪の子供たちはその転校生の男の子をさんざんからかって苛めた。
しかし、その子は全く意に介さなかった。
泣いたり、反撃したりすることが全くなかった。
それで、M兄は、その子に興味を持ち、その子と友達になった。
そして、「みんながあんなに言っても君は何とも思わないのか」と聞いてみた。
すると、驚くべき答えが返って来た。
「御釈迦さんは、人が投げてくる言葉を受けなかったら全部その人に帰って行くと言われたとお父さんが教えてくれたんだ。だからぼくは、何を言われても受けないからなんともないんだ」
受けないとは無視することだろう。
腹を立てたり、泣いたりするのが受けることだろう。
小学校1年生でこういうことを言うとは、すごい子供だ。
こういう子供を育てた親も素晴らしい。
マスコミのパッシングを受けても平然としていたらいい。
自分にやましいところがなかったら、泰然としていたらいい。
小保方晴子さんの本を読み終えて、そう思った。


STAP細胞事件で世間を騒がせた小保方さんの手記。
今年の1月に発売されて、すぐ20万部売れたベストセラー。
理研の調査委員会やマスコミに何の釈明も許されず、ねつ造、改ざんと決め付けられ、自殺に追い込まれつつあった小保方さんの生きる道は、こういう釈明の仕方しかなかったのだろう。
賢いやり方だ。
騙した人たちが、もろに描かれている。
卑怯者やずるい人間が登場する。
小保方さんの優れた実験能力に目をつけて、それにあやかろうとする人たち。
温かく育てようとする人たち。
悪人もいるが善人もいる。
もくもくとただ娘を信じて無言で見守る両親。
順調に行けば、ips細胞に勝る多能性細胞の作製成功者として、ノーベル賞を受賞する予定であった。
また医学の進歩に大きく貢献できるはずであった。
それが論文作成上のミスからねつ造視され、釈明を許されないまま、理研を辞めさせられ、世間から葬り去られようとしていた。
この自伝は、釈明のために書かれた。
真面目に研究をしてきたことを書いている。
手柄を急ぐ人たちに翻弄されたことも書いている。
何処に悪人がいるかが見えてくる。
ではSTAP細胞はないか。
ある可能性が、この本で強まった。
早稲田大学の教授会や理研の幹部連中が今度は世間の裁きを受ける番だ
これだけ精密な頭脳の持ち主なら、いちいち研究ノートを書かなくてもいける。
研究者は他人も自分と同じレベルの人間と思ってはダメだ。
頭の容量の無限に大きな人もいる。
ぼくも若い頃、ものすごい研究能力の高い人に出会った。
医学部の女子学生だったが、ぼくが、何週間もかかる精密な実験をさっさと数時間でやってしまう。
実験の天才。
自分の不器用さと頭の回転ののろさを見せつけられる。
この人には逆立ちしても負けると思わせるような若者だ。
難しい技術もすぐ習得してしまう。
こういう研究者を抱えていると学者は便利だ。
いくらでも理想を目指して研究成果を上げられる。
だから取り合いになる。
理研、早稲田大学、ハーバード大学、東京女子医大、山梨大学が小保方さんを取り合った。
大部分の研究者たちは善意の塊のような人たちであることがよく分かる。
250頁の本は読みごたえがある。
力作だ。
命を懸けた作品だ。
これぐらい言わないと釈明にならないだろう。


多くの方は、毎朝シャワーで寝ている間の汗を流して出勤していることだろう。
最近のぼくはそういうことはしない。
しかし、言霊(ことだま)シャワーと言うものをしている。
簡単。
信仰に満ちた言葉を、体中に振りかけるのだ。
まさにシャワーだ。
そしてぼくの一日が始まる。
毎日毎日やっていると、本当にそのようになって来た。
その言葉を伝授しよう。
二つある。
「わが体、どこもかしこも絶好調」
「われの脳、あらゆる機能、絶好調」
絶好調と告白するところが特に大事だ。
ぼくの脳が絶好調になって来た理由は、勿論これだけではなく、今年から上田医院を背負って週に4日診察していることも大きい。
診察は、対話が大事だ。
老人ホームでは、病気に関する対話のできない人が多い。
介護者の話を聞いて、診察する。
しかし、上田医院では、よく話をする。
自分が、いつの間にかものすごく話好きになっていることに気付いた。
話せば話すほど、話せるようになって行く。
ぼけ防止には対話が一番だ。
ぼくの医学は、養生医学。
検査もするし、現代医学の知識も利用するが、養生を大事にする。
薬に頼りもするが、自力での養生も大事にする。
そのためには、言葉で伝えなければならない。
これがぼく自身にも役立っている。
本当にぼくの脳は、77歳だが20代の時のように絶好調だ。

最近、ネットで柔道をよく見ている。
19歳から23歳まで柔道をやった経験があるので、なじみがある。
当時の自分は173cmで55キロの痩せこけ体だった。
体を鍛えるようなことは当時の柔道ではしなかった。
生きるだけがぎりぎりの生活だったので、柔道の練習に工夫を凝らす余裕がなかった。
今ならいろいろできる。
プールもあるし、ジムもある。
バーベルも安く売っている。
色々な体の鍛え方ができる。
柔道の戦術も当時は単純だった。
大体相撲のように、体重の多い奴が強かった。
技に差があると、体重は何の役にも立たないが技が伯仲して来ると、体重の多い方が絶対有利だ。
それで体重別の試合をするようになった。
オリンピックから、体重別が始まったようだ。
柔道の面白さは、なんといっても技の見事さだ。
相手を畳の上に叩きつける醍醐味が味わえる。
技が合理的だ。
技が無限にある。
人によって大外掛けでも全部違う。
内股でも、かなり違う。
自分に合う技に改変して行くのだ。
一つの得意技で初段になれる。
二つの得意技で二段になれる。
そう言いながらも、一つの得意技に磨きをかける。
得意技が一つだと警戒されてしまう。
山下泰裕は警戒された時のために、反対側の技を持つことが、さらに強くなるには必要と言っている。
また寝技では、足を制止するために、相手の足に自分の足を引っかけて、自由を奪う。
そして、首を絞めると見せかけて、足を抜くとか、知恵が要る。
見せかけるとか、騙すと言うことが、上位になると試合の中で必要になってくる。
体が大きいとか、体重が重いとか、力があるとか、そういう人が強い柔道は、技のない柔道だ。
体が小さくても、力を鍛えて、強くし、技を磨いて、巨漢を投げ飛ばす。
こういう柔道を目指したい。



医者の道具の中で、最近あまり使われなくなってきたのが聴診器だ。
でも、ぼくは最近、改めて聴診器の大事なことを見直している。
高血圧の患者さんの心臓や肺を聴診器で丹念に聴診している。
高齢者は大動脈弁の異常が起こり易い。
心臓には四つの弁があるからそれらを聞き分けると、心臓の健康度を診断できる。
それと患者の緊張度を聞き分けることができる。
勿論血圧測定でも患者の緊張を判断できるが。
それと、肺の音を肺の隅々まで聞く。
高齢者は、呼吸が浅くなって呼吸音を聞き難い。
看護婦がしゃべっているところでは聴診もやり難い。
静かになってから、聴診する。
レントゲンで写らない微細な肺の変化が聞こえる。
膜型とベル型を駆使して、肺と心臓の聴診をしたいものだ。
背中からは肺の音しか聞こえないと思っていたが、最近背中から稀に心臓の音が聞こえることを発見した。
背中から心臓の弁の音が聞こえたら、異常だ。
その弁が異常に大きな音を立てているのだ。
こういう場合には直ちに精密検査が必要だ。
高齢者では、時々背中から、弁の音が聞こえる。
その他に、聴診器で血圧測定をしたり、胃腸の音を聞くこともできる。


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