老人ホームの勤務を終えて、
坂道を下りながら、考えた。
最近、奇跡の信仰について瞑想しているのだが、
その新しいヒントが閃いた。
三時間の勤務が終わったので、ほっとすることもあるのか、
老人ホームを出た直ぐの、下り坂で、新しいアイデアが、
突如やって来ることが良くある。
世に、いろいろなパワースポットというものがあるが、
ぼくにとっては、数少ないパワースポットだ。
奇跡の信仰の、祈りの言葉は、「・・・を下さい」とか、
「・・・をしてください」というような従来の祈りは通じない。
信仰告白のような祈りが有効である、と教えられていた。
ところが、昨日のインスピレーションでは、マルコ11:24の、
「何でも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。
そうすれば、その通りになるであろう」の聖句の実践では、
すでにかなえられたと信じて、神に対して、感謝・感激の祈りをすれば、
従来の祈りの形式を、そのまま使えるという事が分かった。
簡単なことだが、こういうことでも、閃きがないと、悟れない。
坂道を上る時は、エネルギーと体力を消耗する。
疲れるし、汗をかく。
坂道を下るとき、その反対に、エネルギーが外から入って来るのではないか。
体細胞に余裕が生まれる。
それが閃きとなるのではないか。
坂道を下りながら、考えた。
最近、奇跡の信仰について瞑想しているのだが、
その新しいヒントが閃いた。
三時間の勤務が終わったので、ほっとすることもあるのか、
老人ホームを出た直ぐの、下り坂で、新しいアイデアが、
突如やって来ることが良くある。
世に、いろいろなパワースポットというものがあるが、
ぼくにとっては、数少ないパワースポットだ。
奇跡の信仰の、祈りの言葉は、「・・・を下さい」とか、
「・・・をしてください」というような従来の祈りは通じない。
信仰告白のような祈りが有効である、と教えられていた。
ところが、昨日のインスピレーションでは、マルコ11:24の、
「何でも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。
そうすれば、その通りになるであろう」の聖句の実践では、
すでにかなえられたと信じて、神に対して、感謝・感激の祈りをすれば、
従来の祈りの形式を、そのまま使えるという事が分かった。
簡単なことだが、こういうことでも、閃きがないと、悟れない。
坂道を上る時は、エネルギーと体力を消耗する。
疲れるし、汗をかく。
坂道を下るとき、その反対に、エネルギーが外から入って来るのではないか。
体細胞に余裕が生まれる。
それが閃きとなるのではないか。