この本は著者富田高慶、現代語訳木村壮次。
平成29年4月25日出版、致知出版社。
副題「代表的日本人の生き方に学ぶ」となっている。
二宮尊徳の業績の素晴らしいことは日本人なら誰でも知っているが、その業績や生き方についての本は少ない。
この本は、現代訳がされており、読みやすく、分かり易い。
尊徳は1855年(安政2年)には、69歳。
一年を殆ど病床で過ごし、大晦日の日記に遺言を記している。
葬式の仕方や墓の作り方を指示している。
「土を盛り上げ、松か杉を1本植えて置け。
墓石を置いてはならない。」
没年は1856年。70歳。
この本を富田高慶が書いたのは、1856年。
少年の頃、尊徳と二人の弟は貧苦の中に両親が亡くなり、親類の家で育てられ、散々な少年時代を過ごしたらしい。
学校の校庭の一角に立っていた尊徳の石像は、柴を背負って歩きながら本を読んでいる像であった。
少年時代から読書家で、大学という中国の本を愛読していたらしい。
世話になっていた叔父には、「百姓に学問は要らない」と言って叱られたそうだが、貧苦を抜け出し、一家を建て上げるのは、人並みのことをしていてはだめだと寸暇を惜しんで勉強していた。
富田高慶は尊徳の一番弟子。
先生が亡くなった年に、尊徳の生き方や業績が永久に日本民族の財産となるようにこの本を書いた。
個人や村や町や地方の財政の立て直しに心血を注いて励んだ人である。
4時間ほど眠り、米と味噌汁の簡素な食事で、ものすごく働いた。
尊徳が財政立て直しに成功した個人や村落や地方は600に及ぶ。
途方もない仕事をやってのけた。
独創的で、誰も思いつかないようなアイデアで、生き抜いた。
分度(分度)とか積小為大(せきしょういだい)を強調した。
分度とは、予算を立て、毎月、毎年の支出を計画的にすること。
無計画に支出するから破産するのだと教えた。
積小為大は、塵も積もれば山となるということ。
中でも、荒れ地を開墾し、田んぼをつくる開墾を奨励した。
開拓地は7,8年税金がかからなかった。
それで、勤勉な開拓者はみるみる豊かになって行った。
尊徳は、身長180cm、90キロ、日焼けした顔で眼光鋭い人物だった。
時には復興事業がうまくいかず、成田山に籠って21日間断食して祈ったこともある。
全財産を売って、借金を返せと言って指導をしたことも多い。
尊徳の生き方は、現代人にも大きな影響を与えている。
知る人ぞ知る。
現代語訳者の木村壮次が、あとがきに「尊徳から影響を受けた人たち」として次のような人の名前を上げている。
渋沢栄一、安田善次郎、豊田佐吉、鈴木藤三郎、御木本幸吉、土光敏夫、松下幸之助、稲盛和夫。