2011年03月29日

カズ、三浦カズ。



サッカーを見ていていくつか感じたことをざっと書こうと思う。

まず、カズかっこいい。
Jリーガーの夢を結果的に選ばなかった人と
選べなかった人を僕はここ数年何人も見てきたけれど、
改めてJリーガーというのは選択肢の一つでしかないことを感じた。

カズはJリーガーになりたかったんじゃなくて、
サッカーが好きで、サッカーをしたかったんだな。
出場前やゴール後の嬉々とした表情は、そんな風に僕の目には映った。

プロリーグはシンガポールにも、アメリカにも、ブラジルにも世界中にある。
でもいつからかサッカー選手の夢は、
夢の国立になり、Jリーガーになってしまう。
サッカーでお金を稼ぐ方法はそれだけじゃない。
Jリーガーになれなかったら、そこで終わりじゃない。
サッカーする夢を諦めずに来たから、このカズがいる。それがかっこいい。
Jリーガーにになるのは難しくとも、サッカー選手にはなれる。だから、諦めるな。
サッカーを愛した人には、こうやって気まぐれにサッカーの女神さまが微笑む。
そんなメッセージをカズから感じた。僕も諦めずに色々頑張ってみようと思う。
今日、カズはこのまま一生引退しない気がした。
文字通り生涯現役を貫いて、引退試合しないで欲しい。
どのカテゴリーでも、サッカーを続けて欲しい、そんな風に思う。


次に一つ違和感を覚えたこと。
僕にできることはサッカーしかないです。
そんな風に言う選手がいるけれど、それは半分正解で半分間違い。
サッカー以外にもできることは沢山あるんですって僕はいいたい。
それがサッカーだし、スポーツのソーシャルパフォーマンスなのだ。
自分の専門職以外にもちょっとした努力で他の何かが出来るのが、
そういうインフラが整っているのが今の時代だ。誰にだって何だってできるんだ。
僕は、小さな子どもを抱えた一人の専業主婦が、
イギリスにきて1年もみたない交換留学生の女の子が、
たった一人で動き出して、1日で10万円以上の募金を集められることを知っている。
じゃあ、スポーツ選手、歌手、俳優ならもっとできるはずだ。
だから、スポーツの外へ、音楽の外へ、舞台の外へ、
自分のやっていること以外の外の世界に関心を持って、声を発して欲しい。
専門以外の以外の+αができることがかっこいいし、
その+αの気持ちが社会をいい方向へ向かわせていくと信じている。


スポーツは今何が出来るだろうか?
例えば、今回の試合は被災者には届かないのだろうか?
おそらく、被災地にはテレビがないかもしれないし、
試合をみる精神的な余裕もないかもしれない。
こんな時にスポーツや娯楽をしていいのか?そう疑問を持っている人も多い。
でも、被災をしたのは被災者だけではないことを忘れてはいけない。
被災をしたのは日本人全員だし、地球上のみんなでもある。
みんながみんな胸を痛めている。
毎日繰り返されるニュースはテレビを消したくなるほど辛い。
いっそ忘れてしまえればどんなに楽だろうか?と思うくらいだ。
でも、きっと被災者は記憶が風化して忘れられていくことを一番恐れているはずで、
それを思うと忘れることなどできないし、胸の痛みは一向に消えない。
そればかりが花粉のように、体の中のコップに着々と溜まっている気がする。
ウェブ上でニュースを追いかけるだけで僕はこれだけ披露しているのだから、
日本にいるみんなはもっと胸が苦しいはずだろう。
もう一度いう、皆の心は疲れていることを忘れないで欲しい。
コップが一杯になる前に、手おくれになる前に気がついて欲しい。
被災地にはまずお金を届けよう、それと同時に“被災者”の心のケアをしよう。
自分たちの心のケアをしよう。
それが今日の試合のもう1つ意義だったと思う。
心が晴れたら、もう一度走り出そう。

スポーツはフランス古語、もしくはラテン語のdesportという言葉を起源に持つ。
deというのは冠詞で、sportというのは離れるという意味だ。
何から離れることを意味するのかというと、日々の日常や仕事である。
いつの時代にも辛く、ストレスフルな何かがあり、そこから離れること、
非日常に入ることで、人々は生きることを何とかやりくりしてきた。
だから、desportという言葉は気晴らしという意味をもち、
当時の文脈では、キツネ狩りから、女性を口説くことまで、
“スポーツ”と一括りに呼ばれていた。
それが近代になり、身体活動としての意味を重視するようになったと言われている。
自分でスポーツするのでもいい、試合を観戦するのでもいい、
心がつぶれる前に、みんなも心を休めて欲しい。
“気晴らし”しましょう。


ふと思ったけれど、毎年こういう試合を3月11日にすればいいね。
そしたら、いつまでも援助できるし、記憶の風化を防ぐこともできる。
ジャイさんどうでしょう?この案


ジャーナリストとして、日本人として、さあ、僕は何をしようか。

取りあえず、世界中のみんなにありがとうって言いたい。
そして、この気持ちをいつまでも忘れないようにしたい。

そんなウェブサイトを作ることを考え中です。

bokuwasinzinai at 20:36|PermalinkComments(3)TrackBack(0)この記事をクリップ!

シェフィールドより愛を込めて from Sheffield

シェフィールドの募金活動に関して、
いくつか記事を書かせて頂いています。

もしよろしければご覧になって下さい。

Japanese community in Sheffield fear for loved ones

Sheffield mum raises funds for japan disaster

がんばろう NIPPON !!

bokuwasinzinai at 09:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2011年03月27日

Laurentech



"you give me what I am you know it is Laurentech"
thanks. special others.

生きることって最低で最高だ。




bokuwasinzinai at 00:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2011年03月25日

サボテンの花



僕に一つ座右の銘があるとすれば、
“ファミレスでハンバーグとスパゲッティで迷うなよ、両方頼め。”である。
誰かの言葉だった気がする。

1番好きな食べ物何て決められない。少なくとも僕はそうだ。
1番好きなスポーツだって、1番好きな歌手だって、映画だって沢山ある。
1番なんて決められない。1番なんて難しいんだ。

なら、何で好きな人は一人じゃなきゃいけないのだろうか?

きっとそれは人間のエゴで、人間は1番になりたいのだ。
ハンバーグもスパゲッティも、
サッカーもテニスも誰かの一番になりたい何て言わない。
でも、人間だけは、誰かに一番愛されたいんだ。
少なくとも僕はそうだ。2番は嫌だ。

だから、好きな人というのは一人じゃなきゃいけないし、
それはきっと1番でなければならないのだろう。

人間のエゴというのは生きるのを難しくさせるよね。

ということで、もう一曲。
Thee michel gun elephant でgirl friend.


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2011年03月22日

僕はここにいる



ため息だけが静寂に消えていった帰り道
遠い空 揺れている街並

全てに君の優しい微笑みが離れない
手を伸ばしても届かない場所にいる

もっと君のこと知りたいよ
悲しみもささやきも全部みてみたい
苦しいよ 今度はいつ逢える

遅過ぎた出会い 胸にかみしめている 痛いほど
気づいたら夜は終わりはじめてる

うまく君の名を呼べないよ
せつなくて むなしくて つぶれされそうさ
わかるかい 僕はここにいる

報われないつかの間の夢ならば
せめて偶然のときだけでも
はかないうたかたの恋ならば
せめて今君の声だけでも

救われない 痛みだけの気持ちでいい
傷ついてもそれでかまわない
できるなら今すぐ抱きしめたい
二人だけの約束を交わしたい

むくわれないつかの間の夢ならば
せめて偶然のんときだけでも
はかないうたかたの恋ならば
せめて今君の声だけでも

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2011年03月20日

僕はいつ頃大人になるのだろう。



大人になれば、人生はもっとうまく廻るに決まっていると思っていた自分がいる。

それは自分の人生や進路を楽観視していたという意味ではなく、
生きることそのものに対してという意味でだ。
経験をすれば次に活かせる、そんな風に思っていた。
バグレポートの蓄積が、プログラムを向上させるように、
僕らは生きる中で色々な経験をするわけで、失敗があればそこから何かを学び、
そこで得た知恵はきっと、再び困難にあった時に役に立つはずなのだ。


でも、それは間違いなのかもしれない。


何故なら、僕は結局中学生以来取り組み続けている問題から
未だに抜け出せずにいるからだ。それはヒトを愛するということだ。
僕は、“あれ”から、ずっと胸の中につかえているものが確かにあって、
それのせいで、どうにもうまくすっきりしない毎日を過ごしている。

僕が絶望的に人生に立ち止まった高校2年生の冬、
大人にさえなれば、ヒトを愛することで
こんなに悩むこともなくなるものだろうと思っていたし、
こころに靄がかかり、何も手に付かなくなるようなことも、
涙が止まらなくなるようなことも、少なくなっていくのだと思っていた。

でも、今になって気がつくのは、大人も子どももそんなに大きな差はなく、
僕は結局いつまでも同じようなことで悩んで、苦しんでいるということだ。

それは僕が結局のところ、大人になれていないことを意味するのか、
大人も子どもも言葉が示すほどの大きな違いことを示すのかはわからない。


ただ、一つ揺るぎない事実は、僕は結局の所、
14歳の時とまったく同じ悩みを抱えていて、
14歳の自分と同じように、
25歳になってもその答えを導きだせないということだ。


生きることはむずしいね。

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2011年03月14日

シェフィールドより愛を込めて

私事ですが、一面とりました。
これが僕らMAの学生が週1で作っているウェブニュースです。
JUSNEWS

一番大きくで出ている日本のことが僕の記事です。

シェフィールドでは、日曜日一日のみでおよそ10万円の義援金が集まりました。
Sheffielders help Japan !ですよ。

ちなみに、この記事のお陰で人が逮捕されそうになったり、
BBCにインタビューされそうになったり、死ぬほど大変な一日でしたが、
何はともあれシェフィールドに日本の名前を知らしめました。

日本にいる皆も、海外にいる皆も、今、自分たちにできることをがんばりましょう。

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