
ある朝、地下鉄の駅でのこと。
朝のラッシュ時のピークは過ぎたとはいえ、
地下鉄の車内はまだまだ混んでいました。
私はドア付近にいたので、下車するときも一番に下車できる位置にいました。
そのとき、少し離れたところに、下車しようとしている
手押し車を押しているおじいちゃんがチラリと目の端に。
「手伝わなくちゃ」
そう思ったけれど、後ろから降りようとする人波にもまれ、
私は地下鉄の外へと押し出されました。
誰か近くにいる人が手伝ってあげるよね?
そう心で思いながら、後ろを気にしつつも
人波に飲み込まれて前に進んでいたのですが、
なかなかおじいちゃんに手を差し伸べる人はなく、
最後の最後になって、地下鉄に乗り込もうとする人に
もみくちゃにされそうになりながら、やっとホームに降りていました。
人波の中でエスカレーターの列に並んでいた私は、
後方にいるおじいちゃんから目が離せませんでした。
私の後ろにいた人は、きっと「なんでこの人後ろばっかり見ているんだろう」と
思っていただろうと思います。
おじいちゃんは手押し車と共にそのエスカレーターの列へ並ぼうとしましたが、
人々はおじいちゃんを押しのけるようにして列にさっさと入り、
おじいちゃんはなかなかその列に入れません。
誰もがそのおじいちゃんの存在が目に入っていないかのように
列に並んでさっさと進んでいきます。
どうして誰もおじいちゃんを列に入れてあげないの?
どうしておじいちゃんを無視するの?
私は、エスカレーターの直前になって自分が並んでいたところを離れ、
少し後ろで、列に入れずに困っているおじいちゃんの近くに行きました。
「どうぞ」
そう言って、背中を丸めて歩く小さいおじいちゃんを列に促そうとすると、
周りの人はチラリとおじいちゃんと私を見ました。
なんとか列に並んで入り、エスカレーターに差しかかりました。
おじいちゃんの手押し車は思ったより重く、
私は必死になって手押し車をエスカレーターに乗せました。
おじいちゃんも手押し車も、落ちないように見てあげないといけない。
でも、前後の人はやっぱり、無関心。
右側を歩いて上っていく人たちは、おじいちゃんにガンッとぶつかっても
何の謝罪の言葉もなく上り続けていき・・・。
エスカレーターが上に向かっている最中、
私は無性に悲しくなり、涙が出そうになるのを我慢していました。
人は、どうしてそこまで、無関心でいられるのだろう。
エスカレーターが終わりにさしかかったとき。
右側を歩いて上ってきていた一人のサラリーマンの男性が、
おじいちゃんと私の横で足を止めました。
そして、男性は、おじいちゃんの背中に手を回しました。
まず私が手押し車を下ろし、続いて男性がおじいちゃんの手助け。
おじいちゃんは、目をつぶって頭を下げてお辞儀をしてくれました。
最後の最後に手を差し伸べてくれたサラリーマンの男性がいたことが
せめてもの救いでした。
「無関心」に、心で涙した朝でした。
でも・・・無関心な人ばかりでなくて、よかった。
サラリーマンのおじさん、どうもありがとう。

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地下鉄の車内はまだまだ混んでいました。
私はドア付近にいたので、下車するときも一番に下車できる位置にいました。
そのとき、少し離れたところに、下車しようとしている
手押し車を押しているおじいちゃんがチラリと目の端に。
「手伝わなくちゃ」
そう思ったけれど、後ろから降りようとする人波にもまれ、
私は地下鉄の外へと押し出されました。
誰か近くにいる人が手伝ってあげるよね?
そう心で思いながら、後ろを気にしつつも
人波に飲み込まれて前に進んでいたのですが、
なかなかおじいちゃんに手を差し伸べる人はなく、
最後の最後になって、地下鉄に乗り込もうとする人に
もみくちゃにされそうになりながら、やっとホームに降りていました。
人波の中でエスカレーターの列に並んでいた私は、
後方にいるおじいちゃんから目が離せませんでした。
私の後ろにいた人は、きっと「なんでこの人後ろばっかり見ているんだろう」と
思っていただろうと思います。
おじいちゃんは手押し車と共にそのエスカレーターの列へ並ぼうとしましたが、
人々はおじいちゃんを押しのけるようにして列にさっさと入り、
おじいちゃんはなかなかその列に入れません。
誰もがそのおじいちゃんの存在が目に入っていないかのように
列に並んでさっさと進んでいきます。
どうして誰もおじいちゃんを列に入れてあげないの?
どうしておじいちゃんを無視するの?
私は、エスカレーターの直前になって自分が並んでいたところを離れ、
少し後ろで、列に入れずに困っているおじいちゃんの近くに行きました。
「どうぞ」
そう言って、背中を丸めて歩く小さいおじいちゃんを列に促そうとすると、
周りの人はチラリとおじいちゃんと私を見ました。
なんとか列に並んで入り、エスカレーターに差しかかりました。
おじいちゃんの手押し車は思ったより重く、
私は必死になって手押し車をエスカレーターに乗せました。
おじいちゃんも手押し車も、落ちないように見てあげないといけない。
でも、前後の人はやっぱり、無関心。
右側を歩いて上っていく人たちは、おじいちゃんにガンッとぶつかっても
何の謝罪の言葉もなく上り続けていき・・・。
エスカレーターが上に向かっている最中、
私は無性に悲しくなり、涙が出そうになるのを我慢していました。
人は、どうしてそこまで、無関心でいられるのだろう。
エスカレーターが終わりにさしかかったとき。
右側を歩いて上ってきていた一人のサラリーマンの男性が、
おじいちゃんと私の横で足を止めました。
そして、男性は、おじいちゃんの背中に手を回しました。
まず私が手押し車を下ろし、続いて男性がおじいちゃんの手助け。
おじいちゃんは、目をつぶって頭を下げてお辞儀をしてくれました。
最後の最後に手を差し伸べてくれたサラリーマンの男性がいたことが
せめてもの救いでした。
「無関心」に、心で涙した朝でした。
でも・・・無関心な人ばかりでなくて、よかった。
サラリーマンのおじさん、どうもありがとう。

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コメント
コメント一覧 (37)
この話を聞いて私もチハルさんと同じ気持ちになります。。
私の場合は電車に乗っているときと人がたくさん集まる場所に行くと、イヤというほどの人々のお互いに関する無関心さを見せ付けられ、本当に、悲しくそしてどうやって処理をしていいか分からない気持ちでいっぱいになって、そこから逃げ出したくなってしまいます(極端すぎるかしら?)
自分がされて気持ちがいい事を他人にするという事を忘れなければ、もっと知らない人通しでも思いやりの気持ちで心が通じあえるのにと、思わずにはいられませんね。
こういう状況の中で、当たり前のこととして手を差し伸べたチハルさんの勇気に私もうれしいです。どんな状況にいても、ずっとチハルさんはチハルさんでいてくださいね! また、来ますね:)
こういうコトはとっても悲しいですね…
おじいちゃんに気付きながら見向きをしないのも、
おじいちゃんに気付かないような配慮のなさも
どちらともなんだか情けないコトと思います
それとも、それほどみんながみんな
じぶんのコトでいっぱいいっぱいだったのかな
まわりへの行動も期待したいコトですけど
大切なコトはじぶんの意志を通すコトですよね
他人がこうするからじぶんも、でもいいけれど
他人がどうあれ、じぶんはこうだから、
と揺らぐコトなく強い行動をとれるようにありたいですよね★
たくさんの人がけっこう優しさのないコトをしますけど
それでも優しい人もいますよね
ちはるさんとサラリーマンさんがしたコトはとっても素敵なコトと思います★
先月8年のヨーロッパ駐在生活を終え、東京に本帰国しました。
最近思うこと、日本の人は(一部の方です)心が貧しいなと。きっと時間、精神的に余裕がないんですね。
私は主婦なので、通勤ラッシュ時の大変さは想像でしかわかりません。
それでも時折つかう電車内での無関心さに怒りを通り越して、悲しくなることばかり。
子供の世界も然り、2歳児で受験のための塾通い、3歳で漢字が読めると喜ぶ親御さん。でもそんなお子さんに限って、電車で席を譲る、人に謝ることを知らないことが多いこと。
先日もぶつかってきて「おめぇがうぜんだよ!」と吐きぜりふを残した5歳の女の子。子供がイライラしてるっておかしいですよね。
長々ごめんなさい。ちはるさんの感性が毎日の刺激になります。応援してますよ!!
上記コメントについて、海外かぶれした高飛車な発言と誤解しないで下さい。私は日本が大好きですし、日本ならではの人の優しさも充分わかっています。ただ、無関心について語ると熱くなるので・・・ごきぶんを害した方お許し下さいね。
先日、日本に帰ったとき、電車の中で、ひたすら携帯電話にお化粧直しに、なんだか、『自分以外目に入ってません』的な人が多いのに驚きました。時間に余裕もないし、他人には無関心なんですかね。。。日本が大好きだし、外国人の友人達に日本のことを褒められるといつも嬉しくて、ちょっぴり得意げだった私はなんだか、こういう風潮がひろがってるのは悲しいです。ちはるさんの、泣きたくなっちゃう気持ちよくわかります。自然に、気遣える気持ちをいつも持っていたいですね。
「助けてほしい」というサインを出されると快く助けるし、
助けようと思う思いやりが心の中にない訳ではない。
ただ、自分から気付いて手を差し伸べるということがないような気がします。
そういうことを今の大人が、子供たちにまず教えるべきことですね。
ちはるさんが経験した事はきっとこの記事を読む誰もが一度は体験済みのような気がします。
ひとりひとりの気持ちを変える事が困難であれば、
せめて自分だけはこのような無関心な人でいたくないですね。
*ねね
最近思うのは「日本人はいつから無言になっちゃったんだろう?」てこと。
満員電車を降りる時、無言で人を押し分ける人(老若男女)の多いこと!
毎日毎日、頭にきちゃいます。
昭和の頃(←歳がバレる?)は、「恐れ入ります」「すみません」て言うのが当たり前だった気がするんだけどなぁ。
降りようとする人がいれば、身体を引いて道を作ってあげるという行為が、逆に「無言でよけるのが当たり前」になり、いつしか「身体をよけないほうが悪い!」みたいな風潮になりつつあるのが淋しいです。
「思いやりの心で常に相手の先を読んで気遣って行動すること」って日本人の長所だと思うんだよね!
ちはるさんの優しさ、とても素敵です!
読んでいて、情景が目に浮かんで、
私もウルウルしてしまいました。
思っている事を行動に移すというのは
時に勇気のいる事ですよね。
けど、それを実行に移したちはるさんは
本当に優しい方ですね。鏡です☆
私もちはるさんの様な心の美しい人になりたいと思いました♪
無関心は、心なしだよ。助け合わなくっちゃいかん!ちは〜ちゃんとサラリーマンのおじさんがいて、よかった。
思いたいですね。わかっていても行動に移すか移さないかは大きな違い!!
少なくともこのブログを読んでくれている人は、こういう場面に遭遇したらきっとちはるさんのように行動しようと思ってくれたはず。
一人が声を上げてくれる事で人を思いやる心のゆとりが広がっていく事を願います。…ちはるさん一歩を踏み出してくれて、ありがとう!…
私も毎朝、満員電車に乗っているので
読んでいて心がズキズキし悲しくなりました。
「見てみぬふり」をする人は本当に多いと思います。
以前、電車内で気分が悪くなり立っている事が出来ず
座り込むようにうずくまり次の駅で降り駅員さんに助けてもらったことがあります。
特急電車なので次の駅まで遠く、かなりの時間がありましたが
ハンカチを口に当ててうずくまる私に誰も声をかけませんでした。
そのような無関心が日々あふれているんですね・・・。
でも、そのおじいちゃんは、ちはるさんとサラリーマンの男性に助けられ
ものすごく嬉しかっただろうなと思います。
情けない。
海外でたくさんの通りすがりの親切に出会って
今でも忘れずにすごせています
トラブルに巻き込まれることもないなら
この余った手、いつでも貸します。
淋しいというより、心が苦しくなりますよね。
こういう日常をみているから、日本人はみんな親切!って笑顔で言われても
素直に喜べません。
う〜ん、ほんとうにそうかなあと思ってしまう。
こういうところから知らない人同士の交流がうまれるのに。。!!
もったいない!とおもってしまいますよね。。
だんだん他人に対して無関心になっていく日本。
昔はきっと違ったはずなのに。
今の日本にはフランス人に習うべきところがたくさんあるんじゃないかと思います。
その一助になれるような仕事がしたいです。
ちはるさんがこうしてブログを通じて書いていることみたいに。。
こんにちは、お元気でしたか?
電車に乗ると悲しくなるということ、納得です。
締め切られた空間にたくさんの人がいて、みんながお互いに無関心。
逃げ出したくなるというMijoさんの気持ち、よ〜く分かります・・・。
全員がそうでないことだって、十分承知です。
心では手助けしようと思っている人が多いことだって、十分承知です。
でも、なかなか行動に移せない人が多くて、
ついつい見て見ぬフリで終わらせてしまう・・・。
これが、先日の特急電車での悲惨な事件にもつながっているのだと
思います。
私は、見て見ぬフリの人にはなりたくないです。
日本にいても、フランスにいても、世界中のどこでも。
またお待ちしていますね!!
こんにちは、お久しぶりです♪
おじいちゃんがもし自分のおじいちゃんだったら、
みんなきっと無関心ではいられないでしょう。
自分の父親や母親だったら、そんなこと出来ないでしょう。
「他人だから」という気持ちがどこかにあるから、
きっと無関心でいられるのでしょうね。
いくら朝の通勤時間帯だとはいえ、
おじいちゃんを列に入れてあげることはほんの数秒のことです。
エスカレーターに乗っているとき、私は、周りにいる人全員が
感情のない人間の形をした像にしか見えませんでした。
そして、なんだか恐怖を感じました・・・。
カラスさんのおっしゃるとおり、愛の反対は無関心ですよね。
愛のある毎日にしたいですね♪
初めまして、こんにちは!
コメントどうもありがとうございます。
ブログを覗くのを日課にして頂いているなんて、
とても嬉しいお言葉ありがとうございます!!
8年のヨーロッパ駐在生活、お疲れさまでした。
確かに、精神的なゆとりがないと、人は人に優しくなれないと思います。
自分のことで精一杯になってしまって、周りが見えなくなるのでしょうね。
私は毎日電車に揺られての通勤生活は知っているので、
朝のラッシュ時のつらさも、夜の帰宅途中の満員電車の中でのどっと襲ってくる疲れも、
理解しているつもりです。
でも、無関心な人にはなりたくないし、見て見ぬフリはしたくない。
心のある人間になりたいと思っています。
大好きな日本だからこそ、みゆみゆさんも私も、こういう場面に遭遇すると
悲しくなっちゃうんでしょうね。
またお待ちしていますね!!
こんにちは、るなさん。
日本は確かに、外国と比べると時間に追われた生活をしていると思います。
私自身も、不思議なもので、
フランスにいるときのほうが時間にゆとりある生活をしていて、
日本に戻ってくるとなぜかせかせかしている気がします。
でも・・・忘れちゃいけないと思うのは、人間らしい心。
どんな状況のときでも、忘れたくないです。
あのときは、私はエスカレーターでものすごい孤独感を感じました。
周りにはたくさんの人がいるのに、おじいちゃんと2人だけのような、
そんな気分・・・そして、無性に悲しくなりました。
私たちが生まれ育った大好きな日本だからこそ、
人間らしい心を持った人が増えてくれると嬉しいですよね。
こんにちは、はるかさん。
そうですね、きっと心の中では助けようという思いやりの心がないわけでは
ないのでしょうね。
ただ、「みんながしていないから、私もしない」的なところがある気がします。
手助けを自らすっとできる人が増え始めれば、
きっとその後は手助けする人の数は驚異的に増えていくかもしれませんね。
確かにみんながしていないことをすることは、勇気のいることです。
でも、だからと言って無関心でいられないし、見て見ぬフリだって出来ないし、
私は私らしくいきたいと思います。
いつか多くの人が、無関心ではなくなることを願って・・・。
けど、実際動こうとした人がいなかったのは本当にさびしいこと。
こういうことって、日本でよくあるよね。
小さな勇気、もっと出してほしい。いつも思う。
ところで、これって東京での出来事?
こんにちは、ねねさん!
そうですね、ねねさんのおっしゃるとおり、
なんだか悲しい現実を真っ向から突きつけられた感じでした。
エスカレーターに乗っているときの、あのなんともいえない孤独感・・・。
周りには本当にたくさんの人がいるのに、
誰ひとりとして、おじいちゃんや手押し車を持つ私を気にかけていない様子でした。
本当に悲しくて、涙をこらえるのに必死でした。
最後の最後にすっと手を差し伸べてくれたサラリーマンがいて、
どれほど救われた気分になったことか。
無関心な人間にはなりたくないです、どこにいても。
またお待ちしています〜。
ボンジュー、ひろみん、コメントありがとう。
そうだね、ちょっと気持ち悪いくらいに無言だよね。苦笑
ちょっとしたひとことを口から発することによって、
お互いの気持ちってものすごく変わるものだと思うんだけどな。
昔からずっといわれてきた日本人のいいところ、
失わずにずっと持ち続けていきたいよね。
電車や街中での小さな手助けとかに関しては、私はフランスを見習うべきだと
声を大にして言いたいです・・・。
みんな当たり前のこととして、すっと手を差し伸べているところ、
私は何回も目にしているし、自分自身も助けられています。
まあ、フランスにも日本のいいところを見習って欲しいんだけどね。笑
こんにちは、お久しぶりです♪
コメントありがとうございます、じゅこさん。
確かに、あれだけたくさんの人がいて、
一人だけ違うことをするって勇気のいることでした。
周りの人のものすごい視線を浴びたのですが、その視線をとても冷たく感じて、
少し怖かったです。
海外に出てみて、こういう小さな手助けが本当に当たり前のこととして
行われているのを身をもって経験したこともあり、
これらが日本ではなかなか行われていないことに、
行き場のないほどの悲しさを感じてしまいます。
日本にもたくさんのいいところがあるのだから、それを霞ませてしまわないためにも、
無関心な人が少しでも減るといいなと心から願っています。
ところで・・・私はまだまだ、鏡のような人間にはなれていないんですよ。
いつかそんな人間になれたらいいんですけど、まだまだ先は遠いです。苦笑
昨日朝起きたら階段下りようとしたら(8段目から1段目)ダダダダァァーっと滑り落ちてしまいました。背中とお尻とひじを怪我しました・・・(T_T)オオアザが出来ちゃいましたー(/_;)でも体は動けますのでそこは良かったと思っています。
ちはるさん、今回の記事内容、ちはるさんの心優しさにとても感動しました!サラリーマンの方の話も感動しました。今の日本人はそういう事を無視する人が多いですよね!自分も困った時は人に助けてもらいたいのに無視されたら傷つきますよね。私も困っている人がいたらすぐに手を差し伸べます。二十歳の頃の冬、友達と歩いてたらおばあさんが倒れそうだったのでおばあさんを家まで送った事があります。助けてくれない人は感謝という気持ちと思いやりの気持ちを忘れていますよね。
それがいつか、苦痛を忍んで、周りの人と事は忘れている。
昨年日本に帰省したとき、地元の地下街で、お互い道を譲り合って、いつまでも通れなくなったことが在ります。相手の男性に舌打ちされてしまいました。どうしてだろう。お互い笑ってすみませんで済むことなのに。寂しい気分になりました。物は溢れているところ日本。外国の友人知人には、日本では色んな人(他人)にすごく親切にしてもらったと、聞くのになあ〜。内と外を分けてしまっているんでしょうか・・・。
本来は日本の人は親切だと思う。けれど、流されやすいのも本当。誰もしていなければ、飛び出して行けないんだね。心の中で、手伝おうかな、どうしようかなと迷っていた人も、きっと居たのではと思います。
こんにちは、コメントどうもありがとう!
それと・・・例の件、本当にありがとうね!!!!!!
次回こそは、ぜひ手元に届きますように。
無関心は心なし、か。
心のある人間になりたいなって思います。
きっと、中には手伝おうという気持ちを持っていた人もいると思うけど、
なかなかそれを行動に移せない雰囲気が蔓延してしまっているような気がして
残念でなりません。
また待ってるね〜♪
こんにちは、pinkおばさん♪
きっと、日本人は心では思っていても行動に移せない人が多いんでしょうね。
だって、心は優しい人が多いはずですもん。
確かに周りがしていないことを行動に移すことは勇気のいることだけれど、
手助けが必要な人たちにはすっと手を差し伸べることを当たり前のこととして
出来る世の中になって欲しいなと、切に思います。
「無関心」が取り返しのつかない事件を引き起こしたりしていて、
本当に悲しくてたまりません。
お互いを思いやる気持ち、どんなときでも忘れずにいたいと思います。
またいつでもブログに遊びに来て下さいね〜!!!!
ボンジュー、モモちゃん。
モモちゃんの特急電車でのお話、読んでいて胸が痛くなりました。
信じられない話です。
そんなことが本当にあるなんて・・・。
そんな状況のモモちゃんがいても、周りのたくさんの人は誰ひとりとして
声をかけないで放っておくなんて、悲しさを通り越して怒りを覚えます。
見て見ぬフリ、無関心・・・これって、本当に怖い。
これが当たり前のことになってしまったら、もっともっと悲惨な事件も
増えていくだろうし、人間は病んでいってしまうと思います。
モモちゃん、体には気をつけてね。
また待ってマース。
こんにちは、リリさん!
はい、情けない話ですよね。
周りの大勢の人たちが全員、感情を失った人形のように見えました。
きっと心では助けたいと思っていた人もいるのでしょう。
でも、行動に移せなかったら、その気持ちも台無しです。
勇気のいることかもしれないけれど、少しでも多くの人が
行動に移せるようになれば、ちょっとはこの世の中は変わるのではないかな。
海外では、こういう小さな手助けは、当たり前のこととして行われています。
そういうところに関しては、日本もぜひ見習いたいですね。
こんにちは〜、お元気ですか?
ゆきさんもやっぱり、こんな光景によく遭遇されるのですね。
私も通勤で満員電車に揺られる経験は今までにもあるので、
それがどれだけしんどいことかも分かっています。
でも、そういう人を見かけたら、どんなに疲れているときでも
「えいやっ」と気合を入れて、席を譲るようにしています。
「ありがとう」のひと言で疲れは飛んでしまうことが分かっているので、
どれだけ疲れていてもなんとかなります。
悲しいことに、席を譲るという光景は、年々減ってきている気がします。
いろんな無関心、少しずつでもなくなっていくといいですね。
こんにちは、いらっしゃい♪
やっぱりどこに行っても無関心は溢れているのですね。
mayaさんのおっしゃるとおり、苦しくなります。
あの朝、私は周りの人全員が感情を失ってしまった人形に見えました。
無言の通勤ラッシュに、恐怖心すら感じました・・・。
きっとおじいちゃん、心細かったと思います。
手を差し伸べた私も、エスカレーターで心細い思いをしました。
最後の最後に、サラリーマンのおじさんが横で立ち止まってくれて、
心から嬉しかったです。
きっと心では手助けをしようという気持ちは持っているはずの日本人。
あともうちょっとの勇気で、それが大きく意味のあることになるはずですよね。
もうちょっとの勇気を、たくさんの人が持てるといいな。
おいっす、ようこそ、ここへ。笑
これはね、京都の話です。
私が「どうぞ」とおじいちゃんを列に促したときの周りの視線、
正直いって怖かったです。
手押し車を持ち上げるときも、おじいちゃんがエスカレーターに乗るときも、
周りの人は見ているだけで・・・すごく心細かった。
悲しくて情けなくて、涙が出そうになるのを必死でこらえたよ。苦笑
あとほんの少しの勇気があれば、心の中にある「手助け」の気持ちは
大きな意味を持つものになるってこと、たくさんの人が気づいてくれるといいなと
心から思います。
無関心が溢れる世の中は、悲しすぎる〜。
お久しぶりです、じぇんさん。
ひえ〜っ、階段から落ちてしまったのですか!?
アザ、ちょっとはマシになりましたか???
気をつけて下さいね〜・・・。
ところで、この件に関しては本当に悲しくなりました。
近くにいる誰かが助けてあげるかな?と期待して遠目に見守っていたのですが、
いっこうに誰も助けてあげる気配はなく、
おじいちゃんは小さくなって心細そうだし、見ていて泣きそうになりました。
私も朝の急いでいるときだったけれど、やっぱり、
見て見ぬフリは出来なかったんですよね。
たくさんの「思いやり」が「無関心」をなくしてくれる日がくるといいな。
またお待ちしています!
うさこさん、こんにちは。
そっか、みんな麻痺しちゃっているんですね・・・。
うさこさんの日本の地元でのお話も、なんでだろうって思います。
私も同じ経験、あるんですよ・・・。
なんで舌打ち???って。
うさこさんのおっしゃるとおり、お互いに笑ってすみません、でいいことですよね。
実際に、道を譲り合ってなかなか通れないことってあるけれど、
人によって反応が違います。
舌打ちをする人はきっと気持ちに余裕がなく、常にイライラしているんでしょうね・・・なんだか悲しいなあ。
日本人の心は本当は優しくて、思いやりがあるはず。
それをあとほんの少しの勇気で、行動に移すことができるようになればいいですね。
私も海外生活中には見知らぬ人に助けられた経験が何度もあります。
でも日本ではたとえ気分の悪い日でも気づいてくれる人ナシ、見てみぬふり。冷たい・・・。先日も超満員電車出口に立っていた女性が急にしゃがみこんだのですが周りの人は一度彼女に視線を落としましたが、誰も彼女には声をかけなかった。満員なので、ブレーキがかかれば彼女にその波が行くのに。周りの人たちを私は情けなく感じました。(彼女は次の駅で無事に座れたようでした)悲しいけど現実です。
みんな自分を幸せにしたいと思ってる。でも人は一人では生きていけないから、他人を幸せにしないと自分自身の幸せもやって来ないのに。残念ですね
ちはるさんやちはるさんのブログに来ていらっしゃる皆さんも同じ心を持っていて嬉しくなりました。ありがとうござます。
こんにちは〜、お元気でしたか?
コメントどうもありがとうございます♪
日本人って決して冷たいわけじゃないのに、見知らぬ人への手助けは
なかなか出来ないのが現実のようですね。
見知らぬ人であっても、当たり前のこととして手助けをすっと出来る海外を知ると、
そういう点は大いに見習うべきだと思います・・・。
ちょっとした勇気があれば、きっとよりよい日本になると思うんだけどな♪
皆さんも同じように感じてらっしゃるとのこと、
私も嬉しく思います。
またいつでもお待ちしていますね!!