「日本の社会制度の問題点と医療」 と題する山形大学医学部長 嘉山孝正先生の論文がMRICに掲載されました。本質をずばりとついた大変すばらしい内容ですので、全文をこちらにも転載させていただきます。
1,医療の質の評価と日本社会の特殊性
日本国民が受ける医療の質は、自身の留学経験、国際学会出席の経験や、WHO(世界保健機関)のデータからみると、国際基準より遙かに質が高い。この場合の医療の質とは、医療が介入しなければその生命や機能が損なわれる患者さんを救うといった科学的な医療内容を指し、さらに、国民がそのような医療を受ける際の経済的負担や時間的要素を勘案した総体をさす。
勿論、医療の範囲は広大であるから、少数の分野で国際的に日本の医療が劣っているものはある。たとえば心臓移植であるが、これとて日本でできないことはなく、提供臓器の数の問題であって、技術的には可能である。一般の国民はこのような医療行為が他国で行われる記事を目にして、日本の医療が低レベルにあると誤解している。また、宗教上の問題で遅れている分野があるように誤解しているものもある。新たな医療分野を開拓する場合、宗教観や人権という言葉が出た瞬間に、日本のジャーナリズムは思考停止に陥ってしまい、新たな分野に関する論議の場すら認容しないように思われる。
米国では、減刑を条件に囚人がそのような新たな医療の対象になることを容認している。一方、日本では患者さんの権利という錦の御旗を掲げて活動している人々が、人権侵害と言う名のもとに却下する。誤解を受けないために記すが、筆者は囚人が新たな医療の対象になる事によって、罪を減刑する制度を容認しているわけではない。このような極端な事例だけではなく、医療を育てようとする気配が近年の日本人には認められない。
医学部の学生教育でも同様の事象がある。医学教育をしっかりしろと言う、まさにその人が、自分だけはベテラン医師の診療を要求する。また、患者さんはホテルのような接遇内容を医療の質と誤解しがちだが、それは真の医療の質ではない。「看護師さんを呼んでもすぐ来てくれない」「医師が3分しか説明してくれない」「病室が相部屋である」。これらの問題点の中には、勿論とんでもない医師や、看護師、病院経営者のためにおきているものもあることは否定できない。
しかし、多くの医療人は、先進30カ国の中でも下位にある医療費や、米国その他と比べて医師数・看護師数・事務職員の人数が1割、といった環境で医療を行っている。この事実を大新聞・マスコミは、知っていても国民にほとんど伝達していない。また、多くの国会議員も知らない。結局、国民は医療に対して不幸感や不安感を持たされて最も気の毒であり元々一般の労働とは異なり誠意で成り立っていた医療人の士気は下がってくるという悪循環にも陥っている。医療の質を科学的に検証もできないマスコミが、この問題を最も悪くしている。勿論、医療を担う人間、特に指導者たる大学病院や各病院長、日本医師会は、自立とともに自律・自浄作用を常に働かさなければならないことは論を待たない。
2,日本社会の構造的問題点医療のみではなく、日本の各分野には「職業人=真のプロ」たる専門家がいない。医師、弁護士、多くの職人、学者など、ある分野にはいるのだが、そのような専門家を取り囲む、あるいは援助する人員が、プロの名に値する仕事をできていない。その原型は事務系国家公務員の勤務態勢で、制度的に原則2年でその職場を変わることになっている。この制度が全国の国立大学の事務職員のみならず、国の組織の慣例となっている。長年同じ職場に居ることから生じる悪を防ぐためとされているが、責任の所在は不明確になり、長期的視野に立った国家のグランドデザインは描けない。
ある部署に居た人が、2年後には全く関係のない部署に異動するのでは、諸外国の事務職員と比較すると、プロ化の程度があまりにも落ちる。長所と称する、長年同じ職場に居ることから生じる収賄等の汚職の防止が完全にはできていないことを思うと、欠点の方が大きいと言わざるを得ない。たとえば、明治以来、日本の外交で成功した例がほぼ皆無である事実を思い起こせば想像しやすい。所謂プロの仕事ができない制度になっているのである。また、責任の所在がはっきりしないことも、種々の政策が絆創膏的にならざるを得ない要因である。その結果、医療費制度や税制は、所轄大臣すら理解できないまま任期を終わるような煩雑な制度になっている。
更に、日本の職業社会構造は職域の明確化がなされていない。筆者のドイツ留学時代の経験を記す。筆者は32年前、27歳で当時の西ドイツJustus Liebig大学脳神経外科に留学した。ドイツも日本と同様に戦後の復興の時代で、発展途上であった。むしろ、朝鮮動乱での経済恩恵を受けていた日本のほうが、経済的には力があった時代である。
ある時、ネズミを使った実験をしようと、恩師ピア教授の許可をとり、実験室に行きケージからネズミを出そうとすると、おなかの大きく出た実験助手に、「それは私の仕事だから、ドクトール嘉山は準備ができたら呼ぶ」と言われた。一度引き返し、程なく呼ばれて行ってみると、ネズミには見事に麻酔がかかり、完全に実験するだけの準備が整えられていた。
このエピソードには、かの国と日本との社会基盤の違いが明確に示されている。
第一に、専門職を取り巻くインフラが充分にあること。第二に、日本の医学部の技官が全てこのような完璧な仕事ができるわけではないこと。すなわち、訓練されずに各教室に単に公務員試験を通っただけであり、実験助手としてのプロとしての訓練を受けていないのである。日本であれば、27歳の若い研究者は、自分でネズミをケージから取りだし、麻酔をかけ、自分で実験台に固定しなければならない。さらに、日本では教授や准教授が実験しようと思った時、プロの技官がいなければ若い医師が準備をする。
大学病院で所謂雑用が多いのは、完全にシステムエラーであり、教授や准教授が威張っているわけではない。まさに戦前の陸軍と同様に、事に当たっての準備が「現地調達」なのである。仕事をなすに当たっての手順を想像する力が、国家にあまりにも欠落していたし、現在も欠落しているのである。したがって、専門職の能力を生かすインフラとして働く人々もプロ化ができない社会システムのままなのである。これは、国家公務員ほどではないにしても、民間の店員やウェイターのプロ度をヨーロッパのそれと比較すれば理解しやすい。現場が解らない人間が制度設計したからである。従って、現在崩壊している、政治、経済、教育、医療等の全ての分野を改善するためには、きちんとしたインフラを準備して種々の業務を施行する制度設計が必要である。社会の仕組みを大きく変革しなければ、今後もこのような国家の失政を防ぐことは困難である。
前述したが、日本の行政官は、2年で職場を変わるため、ほとんどが素人で仕事を始め、やっと仕事の中身が解った頃には配置転換される。その2年間に何らかの実績を残そうとすると、解らないまま、時の風に乗った種々の制度を創設する。従って、日本をどのような国家にするかなどは到底考えが及ばないで仕事をしている。本人たちは当然誠意を持って行ってはいるのである。個人の問題ではなく、社会制度の問題である。
医療分野では厚生労働省の医政局がいろいろな施策を策定している。彼らは医系官僚と言われるが、数年医師の仕事に携わり、その後厚生労働省に入省している人々が大部分である。筆者の経験からは、医学、医療の全貌が理解できたと思えたのは、8年前に病院長になってからである。病院長になると、各診療科、各基礎講座、看護学科の問題点や頑張っている事柄が解ったからである。それも、山形という地方の医師の姿であり、そのほかは種々の関係書を約70冊読書した範囲が解っているだけである。自己の原体験が人の行動にいちばん影響を与える。
国の制度を創設する際には、国の成り立ちから、医学研究や医師の生涯までが解らねば、医学教育も解らないし、医学研究のありようも解らない。数年医師をしたことがあるからといって医学研究、医療、医学教育が解るわけではない。従って、各個人が悪いわけではないが、現在の医政局は現場を全く解っていないし、十分な知識もない。素人が医療政策をしていると言っても過言ではない。正に、医療がその日本の制度の欠点をもろに浴びて、医療崩壊として顕在化してしまったのである。すなわち、かの国では事務官、技官等が施行している仕事を、医師が限界の人数で行ってきたツケが現在の姿である。元々人員が少なく、更に他国ではせずともよい仕事を施行してきた医師が、ついに耐えられなくなったのである。日本の医師が、他の社会では遙か昔に忘れ去られた精神論で仕事をしてしまった事も一因であろう。「昨夜は徹夜で手術だったよ」などの言葉が勲章のように語られてきているのが日本の医療界なのである。勤務医、特に大学の医師には徹夜しても一円も出なかったのに!!全てがお金だと言っているわけではないことは、言明しておく。日本の医師の特質を述べているのである。これは医師だけではなく、日本人の古くからの特質でもある。しかし、医療界では克服が遅れたこの問題点が、もはや限界を超えたので、医療崩壊が生じたのである。この日本社会の構造的問題点を克服しなければ、真の国民のための医療改革にはならない。
3,私の提案
現在、社会は100年に一度の経済制度の破綻を経験していると喧伝されている。しかし、心を落ち着けて考えることが大切である。海外の諸制度も知って理解しておくことは必要である。しかし、日本の医療を改善するためには、以下の点がより重要であると考えている。
第一に、日本国家の「職業人育成」の制度を変革することである。具体的には、現在の「アマチュア」しか育成していない職業制度をプロ化できる制度にすること。眼目は、国民のために本気で仕事ができる環境の設定と、責任の所在の明確化である。国家であれば、国民のお財布を預けるのであるから、給与は民間より高くて当然である。そうすれば、天下りなどと称して、退職後に生涯賃金の帳尻を合わせたりしなくなる。
第二には、国家予算を、物品にかけずに、財務省が最も苦手とする人材育成に投入することである。すなわち、社会の仕事内容の分業の明確化とインフラの拡大である。この発想がないと、医師や看護師が充分に能力を発揮できず立ち去って行くであろう。更にこれらの変革を他の分野でも行うことが、内需拡大を含めて日本再生につながると考える。
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