前エントリーの続きです。
「透析患者にとって日本は、世界一恵まれた国」と語るのは糸賀久夫さん(60)。1972年に透析治療を受け始めて以来、医療の進歩を肌で感じてきた患者の一人だ。NPO法人東京腎臓病協議会(東腎協)の第7代会長を務め、患者が平等に透析医療を受けられる環境を目指して活動を続けてきた。国や地方自治体による助成制度も、こうした運動の末、勝ち取ったものだという。糸賀さんは今、「看護師不足」や「診療報酬の引き下げ」の影響が透析患者にも及び始めていることに危機感を抱いている。■生きがい与えてくれた「夜間透析」
糸賀さんは今、「夜間透析」を縮小・閉鎖する医療機関があることに不安を感じている。
3年前、58歳で早期退職するまで、週に3回夜間透析を受けながら、5日間を働き続けた。
昼間に働き、夜間に透析を受けるのは、体力的に楽ではない。「命を縮めるようなものだ」と忠告されたこともある。でも、糸賀さんにとっては違った。社会復帰して健常者と机を並べて働くことが生きがいだった。「これがあったから、苦しい人生も乗り越えられた」。
看護師不足やコスト削減の影響を受けて、夜間透析をやめる医療機関もある。
糸賀さんは「今は高齢の患者が増えて、日中透析を受ける人が多い。そうなると、病院としてはコスト面を考えると、人数が少ない夜間は閉鎖しようということだろう」と語る。しかし本音では、社会復帰に不可欠な夜間透析体制を継続してほしいと願っている。■嘔吐、失神…「透析は怖いものだった」
糸賀さんが透析を受け始めた当時、透析技術は発展途上の段階だった。水分の引き過ぎで吐いたり、失神したり…。「透析は“怖いもの”だったから、終わるとほっとしていた」。
生きるために、透析の苦しさに耐えてきたが、透析を受けられるのはむしろ幸運なことだった。
当時は透析に必要な医療機器自体が少なく、高齢者は透析をほとんど受けていなかった。たとえ透析を受けられたとしても、3−5年生きられればよしとされた時代。手にした可能性を最大限生かそうと、食事療法などの自己管理を徹底してきた。それから40年近くが経過し、日本の医療技術は格段に進歩した。今や「透析患者にとって世界一恵まれた国」と呼ばれるまでになった。それでも糸賀さんは、医療を取り巻く状況に不安を感じている。
医療機関の厳しい経営状態を背景に、現場のあえぐさまが糸賀さんの目には見えているからだ。病院の透析ベッドの幅がどんどん狭くなってきたり、看護助手もいなくなったりした。
「医療崩壊といわれているこの時代。透析医療だけは“聖域”だと楽観視する気には全くなれない」■医療者が困れば、患者も困る
透析は1日置きに4時間前後実施するのが一般的だ。いったん始めると、腎移植をしない限り一生続けなければならない。患者側は、「穿刺はうまくいくか」「血圧低下はしないか」といった不安をいつも抱えている。治療が長年に及ぶと、合併症の重症化などのリスクも出てくる。
食事療法や水分管理は昔に比べて随分楽になった。とはいえ、自己管理が求められることに変わりはない。
これらを受け止めながら治療を継続するために、透析医療ではメンタル面の管理も重要になる。「だからこそ、それを支える看護師や医師とのコミュニケーションが重要になってくる」と糸賀さん。
診療報酬の削減、マンパワー不足などで透析現場が困窮すれば、医療提供の側面だけでなく、メンタル面でも患者に影響が及ぶと危惧している。
「世界一恵まれた透析医療」が揺らぎ始めた。糸賀さんは、患者側も何らかの行動を起こす必要があると仲間に呼び掛けている。
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