早見 俊のボン人日記

時代作家の平凡な日々を綴ります。

睦月影郎師匠の影響で時代劇専門チャンネルを楽しんでいます。
特に懐かしく観ているのは、林与一版、「人形佐七捕物帳」です。
私が小学校四年生の時に放映されていて、時代劇好きだった祖母と一緒に
観ていました。ドラマが始まる時の主題歌を美空ひばり、終わった時の主題歌を
村田英雄が歌うという贅沢さです。祖母の林与一のオトコマエぶりと、美空ひばり
の歌いっぷりを絶賛する声がドラマを見るたびに思い出されます。
「人形佐七捕物帳」何度も映画化、ドラマ化されていますね。最近では要潤が演じていました。
原作者横溝正史は、探偵小説が売れない時は捕物帳で食い繋いできたと語っていましたが
林与一版が放映された時は、金田一大ブームの前、松本清張を代表とする社会派ミステリ全盛で
大横溝にしては苦難の時だったかもしれません。
林与一版の恋女房お粂は光本幸子、映画ファンならご存じ、そうです。
男はつらいよ 第一作のマドンナです!
光本幸子は松竹でしたが、映画畑ではなく新派の女優でした。
終始、和服姿で柴又帝釈天の御前様(笠智衆)のお嬢さん役を演じていましたね。
日傘を差し、「寅ちゃ~ん」と呼びかける姿が上品な上にお色気があり、寅さんならずとも
惚れてしまいます。
その後、男はつらいよが松竹制作にもかかわらず、寅さんのマドンナは
何故か松竹ではない人気女優が演じましたね。
松竹の女優でマドンナを演じるのは、第12作、「私の寅さん」での岸恵子まで待たねば
なりませんでした。どうしてかなあ?
子分豆六は当時、「いいじゃな~い」というギャグが受けていた漫才はるのチックタックの
タックこと高松しげお  懐かしですね。
そういえば、大横溝は金田一大ブームの最中、小林信彦との対談で金田一役を渥美清に
演じて欲しいと語っていました。昭和40年NHKでドラマ化された、「人形佐七捕物帳」で
渥美清が豆六を好演したからだそうです。(佐七は松方弘樹)
昭和52年、大横溝の念願かなって渥美清が、「八つ墓村」で金田一を好演したのはご存じ
の通りです。

新年早々、大物の訃報がありましたね。
星野仙一死す。
私は、三度、近くでお見かけしたことがあります。
最初の二度は小学生の頃、三度目は社会人の時です。
一度目は近所のスポーツ用品店でした。中日の主力選手の
サイン会が催されたのです。星野氏は高木守道、中利夫、木俣達彦、
矢沢健一 各選手と共にいらっしゃいました。にこにこ笑いながら頭を撫でて
くれたことを覚えています。
二度目もサインです。岐阜県営球場で行われたオープン戦、試合開始前にグランドで
サインをしてもらいました。この時は大勢の子供たちが星野氏に群がり、一斉にサインをねだり
ました。星野氏から、「こら! 並ばんか!」と、どやしつけられ、私達は整列してサインを
もらいました。当時、オロナミンCのCMで王選手が大勢の子供達に囲まれながらにこにこと
サインに応じる姿が放映されており、友達と、「星野、怖えなあ。王とはどえれえ違うわ」と
話したことを記憶しています。
三度目は十数年前、星野氏が阪神のシニアデレクターの時でした。出張の帰途、新倉敷駅
から新幹線の同じ車両になりました。薄いピンクのワイシャツが日焼けした精悍な面差しに
よく似合い、ナイスミドルといった雰囲気で、モテルだろうなと羨望の眼差しでちらちらと見て
いたものです。
一野球ファンとして、日本のプロ野球に貢献した星野仙一氏のご冥福を祈念申し上げます。、

昨日、中山義秀文学賞の選考が行われました。
拙作、「うつけ世に立つ 岐阜信長譜」(徳間書店)が候補作になったことから
待ち会が開催されました。
伊東潤先生が呼びかけてくださり、徳間書店さんが幹事となって編集者さんや
作家諸氏が集まっての賑やかな待ち会となりました。
残念な結果でしたが、生まれて初めての待ち会、心地よい緊張感を味わうことができ、
参加頂いた皆様の温かい励ましや称賛に執筆意欲がかき立てられました。
足りなかった点、至らない点を謙虚に受け止め、今後の糧とします。
改めて、参加くださった方々、
「うつけ世に立つ 岐阜信長譜」を読んでくださった読者にお礼と感謝申し上げます。
とにかく、書いて、書いて、書かねば。

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